Mr.エレクトの独り言 2009年03月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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カレーらーめん

ヤバイ!!最近、小難しい事ばかり書き過ぎた!!このままでは理屈っぽくてウザイ人って思われちゃう~!!・・・って事で、たまにはもうちょっとブログらしい記事をば・・・。

今回紹介する店は、カレー屋のチェーンとしては店舗数がおそらく日本一であろうC●Co壱●屋が新たに始めたカレーらーめん専門店。

しかもまだ愛知県に6店舗(4月にもう一店舗オープン予定)と、他には東京にこの1店舗があるだけなのであるが、それが何と当店から歩いて10秒の至近距離なのであった!!

店の名前は「麺屋こ●いち」。伏字の部分は解るでしょ?

基本的には、ラーメンのどんぶりにカレーうどんみたいに濃厚ではないラーメンとカレーのスープをミックスさせた汁がたっぷり入っており、そこに通常(よりちょっと固めかな?)の麺と、様々な具材を乗せた各種メニューがあり、本家カレー・チェーン同様に追加のトッピングやカレーの辛さ等を個々が自由に選べる仕組みとなっている。

ちなみに・・・だいぶ前にも書いたが、このチェーンのカレーには小さな肉が少量しか投入されていない事で私にとっては好都合なのであるが、このカレー・スープには欠片すらも入っておらず、そのお陰でストレスなく完食出来るって事は、非常にありがたい限り。

ただし、いずれのメニューにも基本トッピングとしてそぼろ肉が乗っけられているため(一部にはチャーシュー等も)、私の場合、「そぼろ肉は入れないで下サイ」と特注品をオーダーする事にしている。

また、肉嫌いではあるものの、私はタマゴ大好き人間であるため、注文するメニューは決まって「煮たまごカレーらーめん」を麺少盛り(半玉)ヴァージョンで、そしてそれにプラス、ライス(小)を追加で頼むのが定番となっているのであった。

↓ああ、美味しそう・・・。見てるとお腹空いちゃうね。(←パブロフの法則)
カレーらーめん

ちなみに、「煮たまごカレーらーめん」に関して言えば、トッピングされているキャベツ等の野菜類が後乗せタイプの瑞々しいシャキシャキ系である事が個人的には今いちピンと来なくて、ホントはもっとカレー・スープにどろどろ溶け込んでる方が好みなのであるが、まあそれは良しとしよう。

・・・なんせ好き嫌いが激しくて、肉が嫌いなだけでなく、野菜もあんまり好きって訳ぢゃないのでね。(←草食系男子ならぬ偏食系男子?)

しかしまあ何にせよ、大して味にうるさくない私にとっては、充分美味しい一品でありマシタ。(←それって誉めてるの?・・・みたいな)

なお、先にも述べた通り、東京ではここ一軒なので、お近くにお越しの際には是非どうぞ。

・・・って、別にどっちでも良いけどね。

ほんぢゃま、ごちそうさまデシタ~!!(^。^)/

カレーらーめんメニュー
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見えた!!

結論が見出せないまま、衝動だけで書き始めてしまった「極私的音楽論」シリーズ。

我ながら、自分が何を言いたいのかハッキリとつかめずにいたが・・・。

昨晩、やっと答えが出た!!

まわりくどい文章が嫌いな人は、いずれ発表されるであろう完結編から先に読む事をお薦めする。

完結だけに簡潔に書かれていると思うよ。

・・・多分。

「極私的音楽論」④

「極私的音楽論」(→タイトルまた変えマシタ。「偉そう」・・・と、外野が煩いので。)

今回は、音楽における技術に関しての話。

ここで気をつけておかなければならないのは、作家・・・すなわち感情なり思想等の題材を音符の配列具合に変換して表す者と、演奏者・・・すなわち既に音符の配列で示されたものを再現(=実演)する者とでは、その意味合いが全く違ってくると言う点である。

演奏者であれば、しかもプロのスタジオ・ミュージシャンならば、音符の配列具合が如何に複雑であろうとも、それを正確かつ完璧に再現せねばならないため、あらゆる要求にも応える事が出来る多種多様な基礎技術や応用力を身に付ける事は必要不可欠であるはずだ。

また、演奏の基準となる楽曲の構築度(=完成度)が低い場合、もしくは逆に言えば自由度が高い場合は、楽譜にない気分的(=抽象的)な指示に基づく編曲作業をもこなせなければ、ライヴ等の生演奏を除くレコーディング業務の殆どは打ち込みによる機械的な演奏に職を完全に奪われてしまうであろう。

さて、それでは単なる楽曲や楽譜の再演者ではなく、元となる題材はそれぞれ違えど、それを音符の配列具合に変換する事・・・すなわち楽曲を生み出す事によって表現しようとする作家的立場のミュージシャンの場合ならば如何であろうか?

私はこれを、料理に譬(たと)えたい。

まず、作る料理の具体的な品種とは、何をどの様にそして何のために表現したいのか?と言う、その題材を選択した理由なり必然性・・・すなわち創作の動機に基づく目的意識であると定義する。

そして、その目的意識が希薄であると言う事は、料理を作る際の具材選びから、それをどう調理して行くかと言う事を事前に決めないと言う事であるからして、ある種、その瞬間の気分を現在知り得る調理法のみで表す即興演奏・・・あるいは鼻歌の様なものに該当するであろう。しかしこれは、後に整理されたり意味づけされる事によって明確な主題を持った楽曲に変る可能性もある。また、後にも述べるが、ここではおそらく現在知り得る調理法・・・すなわち過去実際にコピーして弾いた経験があるもの、もしくは自分が作ったりした既存の楽曲からの影響が色濃く出てしまう可能性が高い。ただし、もちろん新たな発明や発見が無意識の手癖から偶発的に派生する事も否定は出来ないが・・・。

次に、技術には基礎と応用とがあり、おそらく調理器具等の鍋や、具材を加熱するための火力等のエネルギーは料理にとっても技術にとっても基礎であり必要不可欠なもので、調理器具とは例えば歌詞を作る際に必要な最低限の文法やギター・コードの押さえ方(あるいは外し方)であり、火力等のエネルギーは体力や集中力に当たるのものと思われる。

よって、調理器具の種類が多ければ、それだけ表現の幅(可能性)も広がり、火力等のエネルギーが強ければ、それだけ作品の完成度やリアリティを突き詰める(煮詰める?)事も可能となり、出来上がった料理の味わい深さも増すのではないだろうか。

ゆえに、基礎はある程度あった方が・・・否、あればある程、楽曲にもしっかりとした骨格とくっきりとした輪郭を持たせる事が可能となり、その結果、表現せんとする題材が明確かつリアルに反映された精密かつ濃密な作品を生み出す事も出来る様になるはずなのだ。

・・・とは言え、あいまいな感情や不安定な気持ちを表したい場合には、逆にそれが障害となる場合もあるだろう。しかし、おそらく・・・ではあるが、それが良い事か悪い事かは別として、基礎を身に付けるための訓練を続けていれば自ずと精神力も安定して、そもそもその様な表現をしたいと考える事もなくなるのではなかろうか。

いずれにせよ、演奏者にとっては楽譜なり楽曲を正確かつ完璧に再現する能力が、作家にとっては感情なり思想を音符の配列具合へと可能な限り明確に変換する能力が、それぞれのクオリティを図るものさしとなるべきであろう。

そして最後に、技術の応用についてであるが・・・。

時間が無いので、今日はここまで。

(つづく)

臨時Q業のお知らせ

明日3月28日(土)は、臨時Q業させて頂きマス。あしからず。m(_)m

「極私的音楽論」③

例えば、文章の書き方に絡めて言うと・・・。

私も、ネットや雑誌で「上手な文章術」なるものを見かけた時には、軽くチラ見したりもする訳で・・・。

そこにはたいてい、こう書いてある。

「まず結論を最初に述べて、後から詳しい説明をした方が読者に伝わりやすい」・・・と。

しかるに、それはあくまでも明確な結論を伝えたい場合に限られ、私の様に結論がどうであるかと言う事よりも、何故にその結論に至ったか、更にはどの様な思考回路や価値基準の下に物事を判断しているのか?と言う事を、結果が見えない状態で手探りで解き明かそうとしているその途中経過を見せ伝えたい人間にとっては、その手法を使ってしまう訳にはいかないのである。

そして、更に言うなら、先に結論から入ってしまうと、どうしても自分の嗜好や利益にとらわれてニュートラルかつフェアなジャッジが出来なくなってしまう様な気がしてならないのだ。(←通常は結論を出してから文章を書くのであろうから、あくまでも私に関しては・・・の話ではあるが。)

また、「文章は簡潔に書くべし。そうでないと書いてる本人も話がこんがらがって訳が解らなくなってしまう。」・・・と言うものがある。

確かに私の文章は回りくどく、私自身にせよ、それを解りやすく整理するために、いつもかなりの労力を費やし、時には後から読み直して何度も何度も細かな訂正をしているのが現実。

ゆえに、いつも、「ああ、もっと文章が上手ければな~。」と、痛感する次第なのだ。

ちなみに、文章が回りくどくなってしまう事の言い訳としては、そもそも友人知人に言わせると私の意見はそれが本音なのかジョークなのかを非常に見極め難い様で、もちろん自らあえてそうしている部分も多々あるがゆえ、どうしても「理解を求める事」よりも「誤解されない方」を強く求める事となり、その結果、自分の価値観や視点以外の一般的な観点や多種多様な立場に基づく意見にも照らし合わせて物事を判断しているのだと言う事も書き加えておかなければ気が済まないからなのである。・・・と、早速回りくどくなってしまっているのだが・・・。

しかし・・・である。

仮に、文章を書くノウハウやテクニックをもっと身に付けたとしよう。そして、更に解りやすく簡潔な文章を書けたとしよう・・・。

するとそこには、おそらく主旨が明快にして結論が明確な「綺麗な文章」が提示されている事だろう。

だが、私はこう考える。

あれ?ところで、「回りくどい俺」はどこに行ってしまったのだ?・・・・と。

自分が伝えたかったのは、「綺麗な文章」だったのか、それとも「回りくどい俺」だったのであろうか?

もちろん、どんな事でもそうであろうが、技術と言うものは、何度も繰り返し行っているうちに知らず知らず少しづつ上達してしまうものである。

そうなればきっと、もっと楽にスラスラと文章を書ける様になるんだろうな~とも思うし、伝えたい事がより適切に表現出来る様にもなるだろう。

ただ心配なのはその時、技術と言う名の財産によって余裕や驕りが芽生え、「誰かに何かをどうしても伝えたい」と言う衝動や欲求に欠けた、頭でっかちな・・・更に言えば手癖や惰性だけで血の通わぬ機械的な文章を書くようになってしまうかも知れないって事が、私は怖いのだ。

まあ、そうならない事を願いたいものであるが・・・。

そもそも、技術とは何のためにあるのか?自分が楽をするためか?それとも、もっと高い次元の表現を行うために必要なものなのか?

「技術がある事」や「余裕がある事」、それ自体を伝える事だけが本来の目的ではないと言うのであれば・・・。

これはあくまでも個人の嗜好に過ぎないが、それよりも私は、現時点で自分が持ち得る技術や力量以上のものを表現しようと日々格闘している人間の、その成長の過程を見る方が好きなだけなのである。

いくら技術や才能があっても、常に自分に出来る範囲内の事だけしかやらない人間には、あまり感動を覚えない。

片腕の人にはそれなりの、身長3メートルの人にはそれなりの、三歳児にはそれなりの、それぞれに見合った挑戦や冒険があるはずだ。

単純に、「技術がある人」や「余裕のある人」の上位入賞者を見る事だけが好きな方であれば、話は全く別であるが・・・。

貴方が「何をどれだけ持っているのか」よりも、「何をどのようにして生きているのか」って事の方が、私には重要なのである。

だって、そう思わなければ、「俺」が浮かばれねえ。

(つづく)

「極私的音楽論」②

いつからだろう・・・。音楽の世界にまで“競争の原理”が持ち込まれてしまったのは・・・。

思うにそれは、そもそも個人が自分独りで楽しむために、あるいは複数の人間が集団で喜びを共有しあうためであったはずの音楽が、貨幣を媒介にして演奏を観客に聴かせたり録音物を複製販売し始めてから、更にはその売り上げ順位を公表する様になってからではないだろうか。

もう一度、原点に立ち返って考えてみて欲しい・・・。

当初は、自分が喜ぶために始めた事、あるいは自分達が喜び合うために始めた事であったはずなのだ。

・・・とは言え、もちろんその集団の中においては、最も皆を喜ばせる事の出来る演奏者が持て囃されたであろうし、となれば他人を喜ばせる事の出来る能力が競われたりもしたであろう。しかしそれらはあくまでも、その演奏者達には皆を喜ばせると言う共通した目的があったがゆえに・・・なのである。

例えば、激しい音楽をやりたいと考える人間が世界で一番激しい音楽をやるために努力して切磋琢磨するのは当然であり、それゆえに激しい音楽をやりたいと考える他のミュージシャンと共通するゴールを目指して競い合う事は、双方にとっても、その手の音楽を愛好するリスナーにとっても、おそらくはプラスになる行為であろう。

あるいは、やっている音楽の種類は異なれど、昔の友人やライバルが誰よりも面白い事をやってたり新しい事に挑戦したと聞けば、それが刺激になって自分も負けない様にと奮起の材料にすると言う事も充分にあり得る。

しかしながら、表面的には他人を喜ばせる事であったとしても、それが自分の喜びなんだと言う場合もあれば、それでお金を儲けて自分に利益を還元する場合もある訳で、音楽が求める最終的な目的とは、結果に至るそれぞれのプロセスはどうあれ、あくまでも自分を喜ばせるためである事に何ら違いはないのである。

(もちろん音楽を続けていれば一時的に苦しい場面もあるだろうが、それにせよ、その先にある喜びを目指すがゆえに必要な事であったりもするし、決してそれ自体をはなから求めている訳ではないはずだ。もっとも、人によっては苦痛を味わう事自体が喜びである場合も考えられるが・・・。)

また、リスナーの側からすれば、生まれ持った資質や育った環境によって育まれたそれぞれの価値観や嗜好から発生した、音楽に対する好き嫌いや優劣の度合いと言うものは確かに存在するであろう・・・。

そして演奏する側にとってみても、音を出す事によって自分が楽しくなる事・・・すなわち自分の価値観や嗜好に基づく理想的かつ“最適な音楽”を作り出す事、あるいは趣味にせよ仕事にせよ他者を喜ばせるために“最適な音楽”を作る事によって結果的には(精神的なり物質的に)自分を喜ばせると言う事が究極の目的となる訳ではあるが・・・。

現実にせよ架空にせよ、喜ばせる対象となる人間の種類が限定されていればいるほど、その目的なり方向性もより明確になってくる訳で・・・。

(ちなみに、無目的である事も、やはり目的の一種である。)

それらを個別に追求して行けば行くほど、そして理想に対する達成度や完成度が高くなればなる程、万人を満足させる行為から遠ざかるのは自明の理なのである。

ゆえに、ただ音楽であると言うだけで目的の異なるものを比べたり競ったりする事はナンセンス極まりない行為であり、ましてやそれを、ライヴの動員数やCDの売り上げ枚数と言うたった一種類の価値観のみで判断しようなどと言う事は、愚行以外の何物でもないのだ。

ただし、これは言うまでもない事であるが、自分を喜ばせる音楽を作る事よりも他人の喜び・・・それも出来るだけ多くの人を喜せたいと考えるサーヴィス精神旺盛(あるいはサーヴィス業そのもの)なミュージシャンは、ライヴの動員数やCDの売り上げに対して一喜一憂するべきであろう。何故なら、それらの数字には自分にもたらされるであろう喜びの度合いがダイレクトに反映されているからである。

ところで、これは多くのミュージシャンが抱くであろう理想であるが、自分を喜ばせる事のみを追求し続けた結果、その作品が他者を喜ばせる事をも可能とする事が出来たならば、それは自分の能力や実力以前に、自分の価値観や嗜好がその他者と合致する度合いが高かったと言う事が考えられる。

それゆえ、おそらく音楽の世界で売れる人と言うのは、多くの他者と価値観や嗜好が合致した上で、更にその先や上の立場や魅力(←音楽的な才能やルックスの良し悪しを含め・・・)を兼ね備えた人なのであろう。

人気商売・・・とは良く言ったもので、結局は人気者が人気を得るのである。

何にせよ、自分の価値観や嗜好にそぐわぬ人に対して憧れを抱く人間と言うのは、なかなかいないもの・・・。

よって、自分に正直にやればやる程、それを支持する人間の数は自ずと適正化されてくるはずなのである。

だけど・・・否。だから、それで良いのだ。

(つづく)

ラジオブログ「よもやま話」

■「ラジオブログ」とは、気軽に喋る様な文体で書くブログの事でありマス。まあ生放送ちゅうか、生書きブログって所かな。今回は三つのお題を・・・。

2年で離婚か。旦那の気持ちも解るよ。あの奥サン、どえりゃ~見栄っ張りっぽいからね。見栄のために慌てて結婚なんかするから、ああなるんだよね。もちろん、そんな見栄っ張りだから仕事もパーフェクトにこなすし、主婦業もパーフェクトにこなしてたんだろうね。どうせ今頃、「私はこんなにあの人のために尽くしたのに!!」なんて言ってるのが目に見えるよ。そりゃ、仕事も主婦業も完璧かもしれないけど、旦那は色んな・・・それこそこの結婚も理由の一つであろう様々なストレスの中で仕事して、リラックスするために家に帰るのに、そこでも「どや?私、日本一の最高の妻でしょ?」みたいに、自分のプライド満たすためだけにあれこれやられても困るんだよね。旦那が本当はどうして欲しいと思ってるかって事を考えるよりも、自分がああしたいこうしたいって事ばっかなんだもん。ああ言う、他人の気持ちを察する事も出来ないどころか解ろうともしない人は、結婚には向かないよね。・・・いや、相手次第か。主体性の無い、何から何まで世話してもらうのが好きなマザコン男性でも見つける事だな。もちろん、あの旦那に落ち度が無かったなんて事も、全然無いけどね。そもそも駄目な部分や弱い所や不得意な分野を補いあうために二人が協力し合って行くってのが結婚生活の定義であれば、あの奥サン、結婚する必要なんて無いよ。それを、最初にも書いたけど、“見栄”や“世間体”のためだけに結婚なんかするから・・・。五億円挙式って、何やそれ。

あと、オザ~代表ね。いっその事、こうぶっちゃけちゃったらどうかね?「私はこの日本を変えるため、今の日本をもっと良い国にするために働きたいのデス。しかしそのためには、まず自分も選挙に勝たねばならないし、我が党が議席を増やしていかない事には何も実行出来ないのが現実。そしてまた、日本の選挙は宣伝に金がかかる。実際にどんな政策を掲げてるとか、それを遂行する能力とかよりも、金をかけて露出度や好感度をアップした方が選挙に勝てると言う事は、タレントのみならずゴルファーの名物パパ程度が選挙に通ってしまう現状が物語っておりマス。だから私はお金が必要だった。それもこれもすべて日本の将来を憂えばこそであり、我が国の子供達の将来を思えばこそだったのでありマス。」・・・とね。そもそも、さんざん“富”や美”を至上最高の価値みたいに持ち上げておいて、どんな手(←犯罪や整形)を使ってでも、それを得ようとする人間だけを糾弾するってのもどうかと思うんだけどね。だって、たかが百年前には、暴力によって富を築き上げ、そうやって得た権力で美人の奥サンをもらって子供を産ませる事で、権力者は“富”と“美”を手にしてきた訳だからさ。勝てば官軍なんでしょ?

最後に、これは最近の話ぢゃないけど、政治家の失言ってあるよね?あれ、漢字の読み間違いとか、ホントの失言だったんなら別だけど、「女性は産む機械」とか「原爆はしょうがなかった」とか、もしそれが本音だったんであれば、それに何の問題あるのかね?もちろん倫理的には問題あるんだろうし、一般的には「最低!!」って思われるのかも知れないけど、例えば「北○○に自○隊送り込んで占領し、拉致被害者を取り戻すんだ!!」ってなスローガンを掲げた立候補者が居たとして、その発言は確かに大問題なんだろうけど、それでも多数決で勝って選挙に通れば、その意見が認められたって事でしょ?それが民主主義って事なんでしょ?だのに、政治家の失言に対する批判を、何か国民全体の声みたいにマスコミが取り上げて大騒ぎして撤回させたり謝罪させたりってのはおかしいんぢゃないのかね?中には「良くぞ本当の事を言ってくれた!!」って拍手喝采してる人もいるはずだし。・・・であるにも関わらず、それをさもこちらが正しいとばかりにあんなに大報道してさ。その政治家に投票した人や、その(失言とされる)発言を支持しているかも知れない国民の事を何と考えてるのかね?・・・とまあ、民主主義とは言っても結局は、国民も世界における自国の在り方や方向性よりも自分の利益になる方を選ぶだけだし、そんなマスコミに簡単に影響されちゃって大騒ぎしてる人が大勢居るんだろうから、それを考えると恐ろしい話だけどね。一人の賢者の意見が百人の愚民によって抹殺されるって事もあり得る訳だから・・・。

とにかく、私の結論としては、テレビとかネットのニュース見てて、「その通り!!」って思える事が最近少なくなったって事に対して、何か言い知れぬ不安を覚えてるって訳よ。

えっ!?それはあんたが天邪鬼なだけだって?

エヘッ!!・・・そうかもネ。

■ジョーキ(上記)はすべてジョーキ(常軌)を逸したジョーク(冗句)ですよ!!だから私を糾弾しないでね!!(^^:)

接客業

ある日の出来事。

午後三時過ぎ、日曜日なのだが郵送しなければいけないものがあり、高層ビル街にある本局まで、郵便物を出しに行った。

ところが、ちょうど混み合う時間なのか、約20人の長蛇の列。

カウンターでは三人の局員が対応している。

そして、ようやっと自分の順番が廻ってきたので、一番右のカウンターへ荷物を差し出す。

遅くはない。・・・作業のスピードは決して遅くはないが、何?あのめんどくさそうな態度!?

次に、夕方の店番交代まで時間を潰そうと、近くのネット喫茶へ。

・・・廃業してる!!

思えば、前店長がやめてからと言うもの、店員のおしゃべりがうるさい店になってしまっていたが、実は先週、最後にこの店に行った時、会計カウンターを離れてオープン席のテーブルで友人らしき人間と漫画読んだり駄弁ったりしている店員のあまりのやる気のなさに、「この店、もう長くないな」と直感したのだが、こんなに早くなくなってしまうとは・・・。

そこでやむを得ず、いつも少し遠出する甲州街道沿いやJR新宿南口方面ではなく、店から一番近い店を新規開拓しようと、うちからは線路を隔てたその反対側である、西武新宿駅付近をうろうろ。

しかし、この辺りも一軒廃業している店がアリ、しかも家賃が高いせいかオープン席ばかりの店が多い。

二軒目に、オープン席がメインではあるものの、壁際の席を板で無理矢理仕切っただけの、まるで閉ぢ込められているかの如き個室のある店に入る。

カウンターには、まだ仕事に慣れてない受付の女性がおり、システムに関してちゃんと説明してもらえなかったが、しばし待たされた後、個室(って言うか・・・)に入る。

すると、先程まで店内の環境をこまめに気遣ってた感のある男性店員が、その女性店員と会話し始めた。

だがそれは、たわいのない暇つぶしのおしゃべりなどではなく、マニュアルには書いてないであろう接客時における来店客に対する気配りのイロハを伝授する行為であったのだ。

一時は、まさしく犬小屋みたいな超窮屈な個室に放りこまれ、貧乏な家庭の子供に拾われた子犬の様な心境で我が身の不遇を嘆いていた私であったが・・・。

その一件で、何となく救われた気分になったと言う事は、言うまでもない。(←言ってるが・・・)

(おしまい)

禁未来小説「ドラへもん」その98「蛆虫の叫び」の巻

それから数日後、夜毎の悪夢のせいもあってか、ボクはドレミを苛め続ける事にも少々疲れと虚しさを覚え始めていた・・・。

そしてある日の夕方、ボクはドレミを部屋に呼んだんだ。

ドレミ「おぼっちゃま。また何かお気に障る事でも・・・。」

のひ太「いや・・・。今日は違うんだ。ちょっとお前と話がしたくなってさ・・・。」

ドレミ「ハイ!!私でよろしければ、話し相手でも何でも、何なりとお申し付け下サイませ!!」

のひ太「あのさ~。もう、そう言うのいいから。今日は、ぶっちゃけトークで行こうぜ。」

そしてボクは、いくつかの疑問をドレミにぶつけた。

のひ太「お前さあ、いつもヒエ~!!だの何だのと大袈裟に悲鳴あげたり、いかにも苦しそうな振りするけどさ、そう言う芝居、もうやめにしてくんないかな。だってさ、お前はロボットなんだし、ホントは痛みとか悲しみなんて感情ないんだろ?」

ドレミ「そんな事はゴザイマセン。最近のロボットは性能が向上しておりマシテ、1万本以上の映画やテレビ・ドラマに登場する人間の感情表現や反応の仕方を蓄積した膨大なデータを私達はインプットされておりマス。しかも、これはおそらく・・・と言うしかないのデスが、ロボットである私達も、悲しい時は胸の動力装置付近が、こう何かしらキュンと締め付けられたり、頭に組み込まれた電子頭脳の動きが異常にのろくなったりする事によって、人間の感情に近い感覚を味わっているのでゴザイマス。」

のひ太「ふ~ん。それならさ、人間に自分が死ぬ事を恐れる気持ちがある様に、お前らロボットにも自分が壊れてしまう事や機能が停止してしまう事に対しての恐怖心ってのがあんの?」

ドレミ「それは・・・正直良く解りマセンが、私達ロボットは元より人間によって作られた命。怖くないと言えば嘘になりマスが、私自身に関して言えば、のひ太おぼっちゃまが立派に成長したお姿を見届けずして役割を終えさせられるのは、やはり悲しゅうゴザイマス。」

のひ太「まあ・・・お前はボクのおばあちゃんの性格をインプットしてるって話だもんな。そうか・・・。それぢゃあ聞くけどさ。ボクのおばあちゃんは、ボクに何を望んでたの?」

ドレミ「のひ太様のおばあちゃまは、のひ太様がいつまでも健康で、誰にでも優しく、いつかきっと知恵と勇気を兼ね備えた素晴らしい人間になって下さる事を信ぢておられマシタし、それをこころから望んでおられマシタよ。」

のひ太「あっ、そう。解った。ぢゃあ、もう今日はいいや。ボクもう寝るから部屋から出て行ってくれるか?」

ドレミ「解りマシタでゴザイマス。」

もう限界だった・・・。強がった態度でドレミを部屋から追い出すと、ボクはベッドにうつ伏せて泣きぢゃくった。

うう・・・ああああああん!!おばあちゃん!!ボクは全然駄目だ!!おばあちゃんの期待に何一つ応える事さえ出来てない!!ボクは・・・ボクはむしろ自分の弱さと向き合うのが耐えられなくて、ドレミを虐待する事でしか自尊心を満たす事が出来ない大馬鹿者で弱虫で卑怯な人間の屑なんだ!!

だけど・・・だけど・・・だからと言って、今さら素直になる事も出来やしない・・。

ああ・・・。ボクは・・・ボクは何ていやな奴なんだ!!

ウフフ・・・。ウフフフフ・・・。

まるで・・・まるで蛆虫さ。

我ながら・・・。

我ながら、ヘドが出るよ!!

(つづく)

「極私的音楽論」①

先人によって作られた音楽作品の素晴らしさに屈服してしまってる人は、大人しくリスナーやってりゃ良いと思うよ。

だけど、「自分ならこうする」とか、「もっと良いものが出来るはずだ」って思った人は、頑張ってみる価値があるんぢゃないの?

「○○みたいになりたい」ってのは、「○○の子分になりたい」って事ぢゃなく、「○○を越えたい」と言う意味で使ってもらわなくちゃ。

・・・別に競争しろって訳ぢゃないけどさ。

更に言えば、結果や成果にではなく、そこに至ったプロセスにこそ敬意を抱くべきであって・・・。

頭や知識で作るから、過去に存在したものから得られる感動を越えられないんだよね。

「言葉」は選ぶのに、「音」を選ばないのは何故か?

音楽ってのは一音一音を最小単位として、それを紡ぎ合わせて作るべきで、現存する「音楽作品」(=完成品)をアレンジするのとは訳が違う。

・・・にも関わらず、まるで服を選ぶかの様に既製品をまとう、消費者(リスナー)みたいなミュージシャンって多いよね。

本来は、糸の種類から選ぶべきなのではなかろうか?

・・・と言うか、それ以前に「動機」なり「衝動」に基づく必然性があってこその話だけど。

そうすれば、たとえ縫い方は従来ある方法を踏襲したにせよ、完成品の形状は既存のものに比べそれほど変らないにせよ、少しはオリジナリティらしきものが芽生えるのではないだろうか。

奇をてらったり、過去にないものを提示したからって、偉い訳ではないのだし・・・。

新たなる感動や快楽、あるいは他人とは異なる自分なりのこころの振動や情景を伝える事が出来なければ、何かを「作ってる」などとは到底呼べまい。

当初は、楽しい気持ちがウキウキしたメロディを紡ぎ出し、悲しい気持ちがセンチメンタルなメロディを紡ぎ出したはずであり、そしてそこにリアリティがあったからこそ、共感を得たり人に感動を与える事が出来たのだと思う。

よって、いくらウキウキしたメロディを用いても、そこに真実味がなければ、それはただ、「楽しい音楽」の形状や雰囲気をコピーしているだけに過ぎない。

本来は、「楽しい気持ち」を伝えたり共有するために、その手段として「音楽と言う手法」を用いたはずではなかったのか?

「音楽」であれば事足りるなら、別に自作曲でなくとも、他人の作った素晴らしい曲をカヴァーすれば済むだけの話である。

それなのに何故、自分で作る必要があるのか?

「選曲のセンス」を自慢したいのなら、その曲を廻すDJにでもなれば済むぢゃない。

こう、何と言うか・・・。

「俺のこの気持ちを伝えたいんだ」・・・とか、「俺でなければ駄目なんだ。」・・・ぐらいの気持ちが欲しいよね。

まあ、それもちょっとばかしウザイけどさ・・・。

何にせよ「音楽」・・・って言うか、少なくとも「歌」ってものが目指すべきものは「究極の自己満足」だと、私はそう思うんだけどね。

(つづく)

昨日より

A業再開しておりマス!!(^^)

「ビビッた話」

その日は、一年で最も日数が短い月である2月の・・・しかも今回は28日が土曜日であるため、銀行のATM等での振込業務が最も混み合う月末の27日金曜日・・・。

とある中古レコード屋の店主は、今日中に支払わねばならぬ家賃を支払うため、いくつかの口座から現金をひっかき集め、何とか15時までに入金を済ませようと四苦八苦している最中・・・。

ところが、いくつかの銀行口座にあるハシタ金をかき集めたが足りず、青くなっていたが、最終的には郵便口座に残っているお金をプラスすれば何とかなる・・・と判明し、ホッと胸を撫で下ろした所であった。

そして、郵政民営化に伴い、ゆうちょの口座から普通の銀行への振込も可能になったはず・・・と、店を出て郵便局に向おうとした。

しかし、その日はあいにくの雪。そこでいつも自転車で行くATMが二台設置されている郵便局を避け、実はうちから最も至近距離にある、ATMが一台しか設置されてない小さく狭い郵便局へ傘をさしつつ歩いて行く事に・・・。

その郵便局は縦長の構造で、ドアを開けて店内に入ると、すぐ右手にATMがある。

よって、ATMに並ぶ人の列は、ドアから出入りする人を気にしながら、非常に窮屈な思いをしなければならない。

そのATMの後方・・・すなわちドア付近には警備員も居るのだが、明らかに定年後と解る年齢の、たよりになりそうにないお爺サン。

最初、私は口座間の振替を行おうとしたのだが出来ず、局員に尋ねた所、どうやら民営化以降すぐに可能になる訳ではないらしく、本人確認等の手続きが必要との事。

・・・とは言え、時刻が既に13時を廻ってる現在、そんな手続きしてる暇などなく、そこでもう一度並び直し、ゆうちょ口座から現金を降ろして、やはり当店の近所にある銀行のATMから別の口座に振り込み直す事にした。

入口脇、肩身の狭い思いをしながら、再び並んで順番を待つ私。

・・・と、私の前で現在ATMを使用しているガタイの良いオッサンは、何やら小銭・・・しかも10円50円100円から1円までをも含むジャラ銭を入金している様で、どうやらどっかで店をやってる人が売り上げを入金してるんだろ~な~・・・などとボンヤリ考える。

・・・が、なかなか終らない。一回・・・二回・・・三回・・・と、売り上げ袋毎に入金している様でもあるので、どこかのチェーン店だろうか?

このままではラチがあかないので、私はそのオッサンにこう尋ねた。

「あの~、まだ結構かかりマスか?」

すると、そのオヤジ、私の方を振り向きもせず、ただ一言・・・「お前に関係ないだろ。」・・・と。

そこで私、「いや~、時間かかる様なら、あっちの郵便局行こうと思って。」

するとオヤジ、「いいから、俺に話しかけんな!!」・・・と、やはり振り向きもせず言い放つ。

ムカっと来た私は、後方の傘を手に取るやすぐ脇のドアを開け・・・。

実はさっき振替に失敗した際、ATMの画面横に「(狭い店内ゆえ)お一人様三回使用毎にお並び直し下サイ」との注意書きが貼られていた事を思い出し・・・。

無愛想なそのオヤジに対し、「一人三回までって書いてあるぢゃねえか!!」・・・と大声で怒鳴り散らして店を出た。

(もちろん、当初からそんな野暮な事を言うつもりなど毛頭なかった。何故なら、それが一般的に認知されてるルールではないどころか、その店のATMを使用している人でさえ知らない可能性の高いローカル・ルールでしかない事は重々承知だったゆえ・・・。)

・・・とその瞬間、威勢良く店外に出た私の目の前に横山やすしの様な体型をした川谷拓三みたいな男がぴょ~んと飛び出し、「何だ~!!お前は!!」・・・と、私に向かって凄んで来るではないか。

ええ~!?こんな人どこに隠れてたの!?しかも店内に居た私達の様子を一部始終、ずっと見て知っていたかの様に・・・!!

だが、その謎はすぐに解けた。なるほど~!!この人達は八百屋とかラーメン屋ではなく8○3屋サンで、売り上げを入金する際は二人一組のうちの一方が目立たない様に外で見張り番をしてるんだ~!!それにしても、さっきまでそんな気配全然しなかったのに・・・。

「超ヤッベ~!!」と思いつつ、見張り番がその場から離れられないのを良い事に、そいつの威嚇を無視してさっさと別の郵便局へと移動する私・・・。その後ろからは、横山拓三氏の「ワレ!!待たんかい!!」との怒声、そして店内からは例のオヤジの「いいから放っとけ!!」との声が・・・。

雪の降る中、後ろも振り返らずさっそうと歩く私の心中穏やかでなかった事は、言うまでもありマセン。

それにしても・・・。

マジ、ビビッた~!!(^^;)

(おしまい)

本日より

A業再開イタシマス!!

禁未来小説「ドラへもん」その97「悪夢と葛藤」の巻

実は、ボクがドレミに対しこれほどまでに異常な虐待行為を繰り返す事には、ある理由があった・・・。

夏休み最終日の夜・・・そう、ドレミが我が家にやって来る前夜、夢の中にドラへもんらしき人物が現れた様に、ボクがドレミを苛め始めてからと言うもの、夜毎、ボクの夢の中には死んだはずのおばあちゃんが現れる様になったんだ。

そして・・・。

夢の中に出てくるおばあちゃんは、いつもボクにこう言うのさ。

「のひ太ちゃん。どうして私を苛めるの?のひ太ちゃんは本当はこころの優しい子供なのに・・・。あんまりおばあちゃんを困らせないでおくれ・・・。」

・・・と。

そしてそれは日に日に、それこそ本当におばあちゃんがボクの耳元で言葉を囁いているかの様に、現実味を帯びてきてるんだ。

ううう・・・そんな馬鹿な!!おばあちゃんは死んだんだ!!死んだ人間がいつまでもこの世をうろうろしてるはずないぢゃないか!!

・・・でも、あの声は確かに・・・。

ボクはおばあちゃんの事を思い出す度に、自分のわがままな所、甘ったれな所、ずるい所、だらしない所を見せつけられる様で、劣等感と自己嫌悪で頭の中がいっぱいになってしまうんだ!!

だから、おばあちゃんの性格をインプットしたドレミを見る度、まるで自分の駄目な部分を責められてる様な気がして、もうどうにも耐えられなくなってしまうのさ・・・。

解ってる!!・・・本当は、それを直さなけりゃいけないって事。

おばあちゃんが死ぬ直前、ボクはおばあちゃんと約束したんだ。

おばあちゃんが居なくても、ボクひとりで頑張れるよ・・・って。

だけど、駄目なんだ!!ボクには・・・。ボクにはもう夢も希望も、自分が生きてる意味すら見出せないんだもの・・・。

やめろ!!そんな目でボクを見るな!!そんな悲しそうな顔で・・・。

ああ・・・。ボクはどうすりゃ良いんだ・・・。

不毛・・・ただただ不毛・・・。

これから先・・・。

こんなボクが、救われる事なんてあるはずがない。

ボクは一生・・・。

報われる事なんかないんだ!!

(つづく)

実録「レコード・コレクター地獄変」⑥「亡者の述懐(中編)」

(前編からのつづき)

さて、いよいよ本邦初公開!!これがジョニー氏のノート(表紙)だ!!
ノート表紙

ところで、彼は二度程、コレクター引退宣言をしている。ただし一度目は「やめさせられた」感が強かったため完全に未練を断ち切れずリバウンドで復活してしまったが、二度目は本当に生活に困窮していたがゆえの、ある種“自己破産”に近いものであった・・・。

そして、その一度目の引退後、件のノートに記されていた400点にも上るおびただしい数のWANTリストは、一瞬確かにゼロになった。

ところがその後、これだけはどうしても手に入れないと悔いが残る・・・と、まずは、わずか30点のレコードがリスト・アップされ・・・。

しかも更に、ジョニー氏は半年も経たぬうちにコレクター道に復帰してしまったため、その間に手放してしまったレコードをもう一度取り戻すと言う愚かな夢までも抱き、WANTリストは50、100と、次第に増えて行った・・・。

その挙句、引退する前には400点であったWANTリストの数が、復帰後には500点に膨れ上がる始末。・・・・逆に増えとるやん!!

だがその後、アパートの家賃を滞納し過ぎたためにセミ・ホームレスとなり、今度こそ本当にレコードの収集をやめざるを得ない状況となった訳なのであるが・・・。

驚くなかれ、それで彼の物欲が完全に失せてしまうと言う事は到底なかったのである。

ジョニー氏曰く・・・「女性歌謡曲はみんなが欲しがるせいで人気があってバカ高いから、もう絶対買っちゃ駄目ね。でも私の欲しい民謡とか童謡のレコードは人気がなくて安いから、これは買っても問題ないでしょ。」

・・・と、そんなとんでもない理屈から、彼はシャワーを浴びにネット喫茶に立ち寄る際、インター・ネット・オークションをチェックする事を覚え、欲しいレコードを見つけるや、私に代理入札を頼む様になったのであった。

よって私は、いくばくかの手数料を頂き、彼のためにレコードを仕入れてあげる事にしたのだが・・・。

えっ!?そのくらい無料でしてあげろって?冗談言わないでよ~!!だって年に一回や二回なら良いけど、ジョニー氏、放っとけば毎月でも頼みに来るんだもの。実際、代理落札もあれこれ手間がかかって面倒臭いし、こっちもそんな事してる暇や余裕無いって~の!!

しかも、引き受ける際には、ジョニー氏に対し必ず小言を言う様にしているし・・・。

私「ジョニーさん、またデスか~!?そんな寝る所もなくて毎日メシが喰えるかどうかも解らない状態だってのに、こんなレコード買ってて良いんデスか?そんな金あったらカップ麺とか何個でも買えるでしょうに~!!」

ジョニー「いや、良いんデスよ。女性歌謡のシングルは高いけど、私の集めてる民謡とか童謡は値段が安いからね~。」

私「安い・・・たって、自分の生活レベル考えてモノ言って下サイよ~。だってレコード・プレーヤーどころか住む部屋さえないんだから、レコード買ったって聴けないでしょうに・・・。」

ジョニー「いいのいいの。私、この表紙(=レコード・ジャケット)の絵柄が好きで集めてるだけだから。」

私「あっ、そうデスか・・・。(余計悪いっちゅうの!!)」

そんな調子なもんで、私も断りきれず依頼を受けるのだが、問題なのは金の支払いである・・・。

(後編につづく)

禁未来小説「ドラへもん」その96「孤独な暴君」の巻

ボクは、夕食のカレーに入れられた人参が大きかったと言う、ただそれだけの理由でドレミを呼び出した。そして、密かに作成した自作の高電圧発生装置に取り付けられた2本のスティックを、それぞれドレミの右腕に近づけた・・・。

のひ太「ウフフフ・・・。どうやらこの腕に問題がある様だな~。」

そして、左右のスティックがドレミの右腕に触れるか触れないか、その瞬間!!

バチバチッ!!

もの凄い衝撃音と閃光が発せられたかと思うや・・・。

ドレミ「フギャピ~!!」

・・・と、ドレミは大声を出して床にもんどりうった。

のひ太「アハ・・・アハハハハハ!!なんだいなんだい、どうしたそのザマは!!これはまだホンの小手調べだってのに!!どれどれ、お次は下腹部の辺りを・・・。」

ドレミ「モギャプピギョヘ~!!」

のひ太「アハハハ!!面白~い!!それぢゃあ、ここはどうかな?」

ドレミ「ブゴパピドベピ~パラレロボナピ~!!」

のひ太「アハハハハハハハハハハハハハハ!!何だよそれ!!・・・ハァハァ・・・もう!!おかしすぎてお腹がよぢれそうだよ!!」

ドレミ「ノピタタマ・・・オキモツハワカリマスガ コノママデハ ワタクシコワレテピマイマフ・・・。」(訳:「のひ太様・・・。お気持ちは解りマスが、このままでは私、壊れてしまいマス・・・。」

のひ太「何~!?お前にボクの気持ちが解るだと~!!」

ドレミ「省略」(訳:「まだ甘えたい盛りの小学生だと言うのにママさんが家を出て行ってしまって・・・。だから、のひ太様がいつもどんなにつらい思いをしているか、そしてその孤独感と寂しさが私には良く解りマスです。」

のひ太「嘘付け!!だいたいお前、ただの機械ぢゃないか!!お前なんかに、ロボットのお前なんかに人間であるボクの気持ちが解るはずないだろ!!それを生半可に、さも自分は理解者のつもりでございってな振りしやがって!!マジムカツクんだよ!!善人ぶってんぢゃねえ!!でたらめコイてんぢゃねえ!!適当な事言ってんぢゃねえ!!調子に乗んぢゃねえ!!ふざけるのもいい加減にしやがれ・・・だ!!」

そしてボクは、一方のスティックをドレミの口に無理矢理押し込み、もう一方のスティックをドレミの頭のてっぺんに近づけた!!

ドレミ「ドビバラホゲフガハゲヒラドゴ~ン!!」

のひ太「何だ~!?もう!!それぢゃ何言ってるかさっぱり解んないだろ!!」

ドレミ「うう・・・どうしてこんな・・・。のひ太ちゃんは、本当はこころの優しい子供だったはずなのに・・・。」

のひ太「キィ~!!またボクのおばあちゃんの真似か!!それが一番頭に来るって言ってんだよ!!よ~し!!そんなにボクの気持ちを解りたいなら、た~っぷり解らせてやろうぢゃないか!!」

ボクがこれまで受けてきた残酷な仕打ちの数々、ボクがこれまで胸の奥底にひた隠しにしてきた孤独の苦しみ、そして踏み躙られ苛まされ続けたボクのこころの悲しみや痛み・・・。

それを全部、これからお前にも一生味合わせ続けてやる!!

死ぬまで・・・そう、お前がぶっ壊れるまでずっとだ!!

(つづく)

中学生棺桶「逆芳香」(DVD-R)入荷!!

★中学生棺桶 
■「むすめ戦争中」(CD)¥2100発売中!!
■「偏見喰らい」(SETE STAR SEPTとのスプリットCD)¥1050品切れ中
■「告白を強いる伝染源」(CD)¥2100発売中~最新フル・アルバム!!
■「逆芳香」(DVD-R)¥2000新入荷!!
「2008年のライブ映像を集めたDVD-R。全14曲・74分、ギッチギチに収録。」・・・との事!!
逆芳香
各会場の「物販席」限定で手売り中の品デスが、今回も特別に販売させて頂ける事となりマシタ!!内容充実!!映像も非常に綺麗デスので、お早めにどうぞ~!!

■上記の作品は当店(←3月20日よりA業再開予定)にて販売中!!通販も可能!!

ちなみに・・・中学生棺桶のギタリスト広末氏と、先に紹介させて頂いた“かたすかし”のドラマー菊治郎氏が参加している“えんだぶあ”と言うバンドがあるのデスが、これがなかなかの爬虫類系(?)ハードコア・パンクで非常にカッコ良いので、皆様、要チェックですよ!!

C.O.Pの続きやら取り扱い商品の解説等は、また時間と気力と体力のある時にでも・・・。(^^;)

実録「レコード・コレクター地獄変」⑤「亡者の述懐(前編)」

今にして思う・・・。

本連載のタイトルは、レコード・コレクターうんぬんではなく、レコード・ジャンキー、あるいは「レコード亡者地獄変」にすべきであったと・・・。

ジョニー氏。そう、彼の脳は既に、レコード収集欲・・・否、物欲を満たす事によってのみでしか自己の存在を確認出来ない程に、焼き焦げ燃やし尽くされているのだ。

そもそも、彼の収集対象はシングル盤オンリー。今でこそ落ちぶれてはいるが、全盛期はシングル盤2万枚のコレクションに対し、LPレコードは14枚しか持ってないと言う、異常な偏りを見せていた。

更に、彼が主にコレクションしていたのは女性歌手のシングル盤であり、それも5万~10万クラスの超レア盤から’80年代アイドル、女性ニュー・ミュージック・シンガー、果てはマイナー歌手・・・それもどっかの田舎のホステスやら金持ちのマダム(=くそババア)が自主制作で出した様なレコード・・・と、それこそ「ゆりかごから墓場まで」とでも言わんばかりの無節操にして際限の無い、まさしく無明の地獄道を行くかの如し有様だったのである。

しかも、せいぜいアニメ番組の主題歌シングルのみならまだしも、表紙(←彼はレコード・ジャケットの事をそう呼ぶ)の絵柄が好きだからと言う理由だけで、民謡のレコードからレクリエーション用(フォーク・ダンスの伴奏等)のレコード、しまいには効果音のレコードにまで手を出す始末・・・。

まあ、そんな無謀な集め方をしているくらいだから、ジョニー氏の日常は、寝ても覚めても常にレコードの事で頭の中がいっぱいなのであった。

彼と初めて出会った日の事。・・・それを私は今でもハッキリと記憶している。だがしかし、その話はおいおい語るとしよう。何故なら、ジョニー氏は現在も生きて生活しており、今もなおホット過ぎるネタを私に提供し続けてくれているのだから・・・。

そんなジョニー氏の、今回はノートの話。

現役時代・・・とあえて言うが、先に述べた様なレコードの集め方をしていつつそれでもなお彼のノートは、ミミズの這った様な文字のWANTリスト(=入手希望レコードのリスト)が、鉛筆でびっしり書き込まれていたのであるが、驚くなかれ、その数何と400点以上・・・。

なお、そのリストの内訳は、過去にレコード屋で見たけど買わず後悔してるもの、オークション・リストに掲載されていたものや落札出来なかったもの、雑誌や書籍で紹介されていたレコード等・・・と、情報源は各種様々なのであるが、ただそれだけで400点もの未所有レコードのリストを作れようはずがない。

しかるに、その種明かしをしてしまえば、何と彼はわざわざ国会図書館にまで出向き、情報の少ない’70年代前半以前に発売された女性歌手のレコードをしらみつぶしに調べ上げ、そこでWANTリストを作成していたのであった・・・。

それはまさにレコード気○い・・・あるいは、レコードと心中する覚悟でなければ出来ぬ、まさしく地獄への片道切符を手に入れんとする自己破壊的行為であったとしか言えまい。

そして現在もなおジョニー氏は、自らの欲望が生み出した呪縛がもたらす悪夢から未だに目を醒ましてはいない様子なのであった・・・。

(中編につづく)

禁未来小説「ドラへもん」その95「透明人間の証明」の巻

そもそも・・・。

ロボットなんかに人間の教育係をやらせようって事自体が間違いなんだ!!

それがすべての・・・ボクの人生をメチャクチャにした諸悪の根源さ。

だからボクはその逆に、ドレミの奴に対して、ロボットは人間に絶対服従する奴隷の様な存在であるべきだって事を、徹底的に教えこんでやるんだ!!

ウフフ・・・。現在製作中の、この装置が完成すれば・・・。

ドレミが時折見せる悲しそうな表情や素振りなんて、ただ単に人間にプログラミングされただけの表面的かつ機械的なリアクションに過ぎないんだって事を証明してやる。

そして何より、あいつの善人ぶった仮面の、その化けの皮をひっぺがしてやるんだ!!

・・・かくて、決行の日は来た。

ボクは学校から帰ると、すぐにドレミを呼びつけた。

のひ太「おい!!ちょっと来い!!」

ドレミ「なんでございましょう、のひ太様。」

のひ太「フン!!いつまでそうやって上品にしていられるかな?」

ドレミ「ええっ!?それは一体・・・。」

のひ太「おまえ!!ボクがあれほど言ったのに、またカレーに大きな人参入れたろ!!」

ドレミ「そんな・・・それはレシピの方が元々そうなっておりマスので・・・。」

のひ太「うるさいうるさいうるさい~!!ごちゃごちゃ言い訳すんな~!!」

そしてボクは、とある機械を取り出した。

ジャ~ン!!

のひ太「フフフ・・・ドレミ君、これはボクが先週末に秋葉原で必要な部品を仕入れ、コンビニでも買えるある品物を改造して作った、超特製のお仕置き機だよ。」

ボクは、その機械の両端に取り付けられたコードの先のスティックを左右の手に持ち、それぞれの先端部分をゆっくりと近づけた・・・と、その瞬間!!

バチバチッ!!・・・と大きな音がしたかと思うや、近づけたスティックの先からもの凄い火花が飛び散った。

そう・・・ボクはドレミを更にいたぶるために、高電圧発生装置・・・すなわちスタ○ガンの様なものを自作したのであった。

のひ太「ウヒヒ・・・イヒヒヒヒ・・・さあて、どこから責めるとしようかな~!!」

ドレミ「ああ!!そんな・・・!!」

(つづく)

かたすかし「ドタバタ二人羽織り」(CD-R)入荷!!

★かたすかし
■「ドタバタ二人羽織り」(CD-R)トール・ケース仕様¥300
<収録曲目>「宗教飽和」、「メンヘルメルヘン」、「18万のギター」、「ソニプラみたいな女」。+<ボーナス・トラック>「思、長患い」(ライヴ)。
かたすかし
かたすかしとは、日沼菊治郎(ドラム、朗読、歌のようなもの)、寺子屋寺子(ギタア、絶叫、唄のようなもの)による、バンドとしては最小単位である二人編成のグループ。

彼らの音楽は、ソリッドかつストレートなギターの音色と力強くタイトなドラムを組み合わせたメリハリのあるサウンドを基調としており、キャッチーでありながらもブレイクを多用したシンプルな構成の楽曲は実にユニークで、さながら掛け合い漫才、あるいはショート・コントの様な、極めて明快にして痛快な性質を持ったものである。

また、そう言ったユーモラスな作風ではあるものの、その構造を形成する基盤となっているのはあくまでも風刺の精神に満ちた辛辣な言葉と攻撃的なサウンドであり、ただしそれらを組み合わる際にちょっとした茶目っ気と言うか遊びごころみたいなものが加わる事によって、彼らはリスナーに対し自らのメッセージをよりいっそうスムーズかつ明確に伝える事にも成功しているのだ。

なお、そんな彼らの最大の魅力がラディカルにしてコミカルなその作品自体にあると言う点に関して疑う余地はないのだが、更に言及するならば、音数の少ない二人編成であるがゆえにワン・パターンになりがちな楽曲群を、時には迫力ある怒声、時には猫撫で声、時にはアニメチックな声で・・・と、多種多様な表情で変幻自在に彩る寺子嬢の歌声は、このバンドの特筆すべきもう一つの魅力であると言えよう。

かたすかし。彼らはシンプルな音とシンラツ(辛辣)な言葉で勝負する、「ソニプラみたいな女」ならぬフリスク(清涼菓子)みたいな、スカッと爽快なバンドである。

■上記の作品は当店にて発売中!!通販も可能!!

大好きや~!!

てへへ・・・。しばらく書くまいと思ってたけど、我慢出来なかったんだよ~!!

山口百恵、大好きや~!!

久々に更新したと思ったら・・・って?

ここ数日、ちょっとしたマイ・リバイバルの真っ最中なんだから、放っといてんか!!(^。^)

しかしながら・・・。

「絶体絶命」、超痺れる~!!

「美・サイレント」でゾクゾクさせられ・・・。

「秋桜(コスモス)」に思わず涙し・・・。

「曼珠沙華」に至っては、もう・・・“圧巻”の一言!!

「ロックン・ロール・ウィドウ」まで行くとちょっと違うかな~って思うけど、「愛の嵐」とかカッコ良すぎて思わずもらしちゃうわ~!!

フランソワーズ・もれちゃう!!・・・って、古いか。

だって奥サン!!・・・「“狂う”と書いて“ジェラシー”」でっせ!!どやねん、これ!?

他にも・・・って言うか、全部名曲や~!!

私は、弱い男(←ただし、意図的に自分の弱い部分をちらつかせる男ではなく)と強い女、すなわち自分に正直な人間の歌が好きなのデス!!

何にせよ、とにかく嘘っぽいのは白けちゃうんだよね~。

こう・・・うっとりさせて欲しいと言うか、その歌が描き出す世界観に、こちとら心底のめり込ませて欲しい訳なのよ。

山口百恵に復帰して欲しいとも思わないし、死んでも何とも思わないかも知れない。だけど、制作に関わった作家の方々共々、良い歌をたくさん残してくれたって事には本当に感謝ッス!!(T。T)

古いも新しいも関係ない!!

人間が抱きうる至極真っ当な感情をちょっとばかし劇的に綴ったリアルな詩に、多彩な情景を見事に描き出すダイナミック・レンジの広い楽曲と演奏、そしてそこにエモーショナルな歌唱が乗っかるとなれば、聴き手がその感情を揺さぶられないはずがありマセン!!

もう!!たまんない~!!

キャ~!!ヨンさま~!!

・・・って、違うか。

でへへ・・・。(^^;)
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