Mr.エレクトの独り言 2009年05月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

水族館劇場、只今公演中!!

水族館1
現在、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館では「水族館劇場20年の航跡」と題された曲馬館時代からの貴重な資料の数々を展示する催し物が(~8月3日)、駒込大観音境内特設蜃気楼劇場/異神の森においては本公演「死の舞踏」が(~6月8日)、それぞれ行われておりマス。なお、スケジュール等の詳細は「水族館劇場」で検索して各自ご確認下サイませ。
水族館2

★ちなみに、水族館劇場には、一時退団していた元ハニカムのセシル嬢が再入団して出演しておりマス。

禁未来小説「ドラへもん」その100「つかの間の休息」の巻

★連載100回を記念して行う予定だった作者への直撃インタビューは、「先入観を抱かせる事への危惧」により、中止イタシマシタ。★


ある日の事・・・。

庭に干してあった洗濯物の取り込みを終え、夕食の支度に入る前のしばしの休憩を取っていたドレミに、ボクは声をかけた。

のひ太「あの・・・あのさ~。いや、これは別に無理にって訳ぢゃないんだけど、お前にちょっと頼みがあるんだけど・・・。」

ドレミ「ハイ!!何でございましょう。のひ太おぼっちゃま。」

のひ太「いやその、お前がいやなら別に構わないんだけど・・・。ちょっと思い出したい事があってさ。」

ドレミ「ハイ?それは一体?」

のひ太「いや、あの・・・ボクのおばあちゃんってどんな人だったっけなって、ふと思ってさ。それで・・・もしかしたら、膝枕でもしてもらったら思い出すかな~・・・なんて思いついたんだけど・・・いや、無理なら別に良いけど・・・。」

ドレミ「膝枕でゴザイマスか!!その程度の事デシタら、全然構いマセンです事よ!!・・・ここだけの話、本当はオプション価格が必要なんデスが、今日は特別にサーヴィスして差し上げましょう!!」

のひ太「そうか・・・ありがとう。」

ついコナイダまで苛めて苛めて苛め抜いたドレミにこんなお願いをするとは、我ながら照れくさいと言うか恥知らずにも程がある事は百も承知の上さ。だけど、ボクは何て言うか、“人のぬくもり”みたいなものに飢えていたのかも知れない。

のひ太「ぢゃあ、その言葉に甘えて・・・。」

ドレミに膝枕をしてもらい、ボクは驚いた。最近のロボットは性能はかなり向上しており、ドレミのボディは、まるで本当の人間の様に体温が上昇し、どこからか年老いた人間の体臭さえ香ってくるのだ。

そしてその感触は、幼少期にボクをかわいがってくれたおばあちゃんの事をたやすく思い出させた。

のひ太「うう・・・おばあちゃん・・・。」

悔しい・・・悲しい・・・寂しい・・・苦しい・・・。そんな想いがボクの頭の中を駆け巡った。

おばあちゃん!!どうして・・・どうしてボクだけこんなつらい思いをしなくちゃいけないんだよ・・・。

うう・・・。

そしていつしか、ボクは眠りに落ちていた・・・。

翌日。いつもの通り、ボクは学校へ出かけた。学校では相変わらず目立たぬ様に死んだふりを続けるボクだったけど、こころの中にはさわやかな風が吹き、ボクは何だか暖かい気持ちでいっぱいだった。

こんな気持ちになったのって、何年ぶりだろう・・・。

どこでどう足を踏み外したのか、悲惨な人生を送る事を余儀なくされてたボクだけど・・・。

でも、何だかもう大丈夫な気がするよ。

ボクはきっとこれからは独りでも頑張って生きていける!!

ボクは、そんな自信と言うか希望の芽生えを強く実感していた。

地獄の様な日々は、もうこれっきり終わりにしよう・・・。



だがしかし、それがほんの一瞬の、つかの間の休息でしかなかったと言う事をすぐさま思い知らされようとは、その時のボクは全く知る由もなかった・・・。

(つづく)

教訓

やさしくするだけでは、人から自発的な努力する気持ちを奪ってしまい、結果的に駄目にする。

厳しくするだけでは、人がついてこない、あるいは離れて行く。

教育する能力ってものがあるとするなら、何をどれだけ知ってるとか、何をどれだけ出来るかって事よりも・・・。

やさしさと厳しさ、その両方を良いバランスで兼ね備えている事の方が大事なのかも知れない。

音楽を堕落に導く経済活動との不純な関係

音楽とはかくあらねばならない・・・と言う考え方は個人個人異なって然るべきで、それぞれが個別の価値観を持つに至った理由なりきっかけと言うものは、幼少期や思春期にそれぞれが音楽が持ついくつかの魅力のうちの一体どこに感動を覚えたのか?と言う、その部分に大きく左右されるものである。

そしてそれは文学や絵画に対しても同様であろうし・・・。

おそらく人間(他人)に対しても同様である。

そもそも、人間と言うのは基本的に「喜びたい」生き物であり、そのために色々考えて努力したり工夫したり行動したりする訳であるからして・・・。

自分とはあまりにも価値観がかけ離れている人間も、やはり自分の行動原理同様、「喜びたい」からそうしているのだと推測される。

よって、批判されるべきは「自分と異なる価値観を持つ者」などではなく・・・。

「喜びたい」と思わない者。

「喜びたい」ために自ら努めて行動しない者。

「喜びたい」人間の邪魔をする者。

・・・等であろうか。

「金がなければ生きられない」なんて、嘘っぱちである。

人間として恥ずかしくない・・・と言うか、最低限の社会生活を送るため、見栄や体裁を保つため・・・に、お金が必要なだけだ。

人間としての幸せや喜びを得る事と、経済的な活動が本来は無縁である様に、音楽の良し悪しと経済的な成否とは本来無縁だったはずである。

創作活動と経済活動を両立させる事は、多くのミュージシャンなりアーティストの夢であり目標ではあるだろうが、音楽から得られる喜び、音楽からもたらされる感動は、そもそもそんな所にはない。

それでは、音楽が本来持つ魅力や影響力を取戻すためには、どの様にすれば良いかと言えば・・・。

それは経済的に成功する事などではなく・・・。

創作活動と経済活動とを切り離す事・・・であり、それ以外の何物でもない。

経済活動を成立させられない者を認めないだとか、その様な人間は創作活動をしてはいけないなどと言う迷信は、人間に経済活動を強いる事によって利益を得ている人間によって流布された詭弁である。

だがそれもまた、音楽なり創作活動の価値を経済活動より上に置く私個人の、自分にとって都合の良い意見でしかないと言う事も事実。

話変わって・・・。

ブログを書くのは楽しい。

何故なら、経済活動とは無縁に好き勝手な事が言えるから。(厳密に言えば仕事に費やすべき時間と労力を削ってはいるのだが・・・。)

よって、もしもこのブログへの来訪者一人毎に一万円の収益があるとすれば、私はこう書くであろう。

「アハ!!いつもこのブログを読んで下さって、ありがとうゴザイマ~ス!!(ハートマーク)」

・・・と。

そんなの読みたいか?

木幡東介次回ライヴ告知!!

『foolishly & sexily』
日時:5月24日(日)
場所:新大久保アースダム(PC)/(携帯)
    東京都新宿区大久保2-32-3リスボンビルB1 TEL03-3205-4469
出演:THE FOOLS
    ニッキー&ザ・ウォリアーズ
    木幡東介(マリア観音)
前売:2500円/当日:2800円(別途ドリンク代500円)
開場:18時30分/開演:19時00分

■木幡の出演はトップとなりマス!!

「屁理屈」(推敲不足だったため更に改定)

思えば、幼少時の私は家庭内において屁理屈ばかり言う子供であった。

・・・否。正確に言うなれば、「屁理屈ばかり言うな!!」と怒られてばかりいる子供だった・・・のだ。

「今でもそうでしょ!!」って?違うっちゅうの!!これからそれを説明するから!!

そう。私は屁理屈なんて言ってないのだ・・・と言うか、屁理屈を言ってるつもりなど毛頭ないのである。

そもそも、“理屈”などと言うもの自体が、ただ単にその時点で明らかに多くの人から良しとされるものを言葉によって説明したもの・・・と言うか、さもそれが未来永劫誰の目にも正しいものであるかの様に都合良く理論付けしたものに過ぎないのだから、その基準や嗜好が合致しない少数派にしてみれば、「そっちの方こそ屁理屈」と言うか、排他的抑圧的ご都合主義的な蛮行とさえ呼べる異なる価値観や人生観の押し付けでしかないのだ

○○人には○○人の、○県民には○県民の、身長○センチの人には身長○センチの、読書好きには読書好きの、それぞれ異なった理屈があって当然。

あの時、私の親は私に対してこう言うべきだったのである。

「我が家の理屈(掟)に従え!!」・・・と。

すなわち、あれは屁理屈なんかではなく、理屈と理屈の対決であり、価値観と価値観の対峙であり、異なる考えを持つ者同士の対(タイ)トルマッチだったのだ!!

・・・と、下らない駄洒落はさておき・・・。(^^;)

しかし、唯一共通するものと言えば、やはり「人間は必ず死ぬ」って事に尽きるだろうか。

人間はいつか必ず死ぬ。貴方も私も・・・。

○○人も、○県民も、身長○センチの人も、読書好きの人も・・・。

だから、あんまり偉そうにするものではない。

「どうせいつかは死ぬくせに。」

・・・と、私は謙虚に自分を戒める。

それにしても「死」ってやつは、何故にここまで偉そうに人間を威圧し畏怖させ萎縮させるものなのであろうか・・・。

ゆえに、「生きると言う事」は、「死」を遠ざけ、「死」を避け続け、放っておけば「死」に向う人間の宿命に抗い逆らい歯向かい続ける事でもあるのだ。

つまり、要するに私が「理屈」だか「屁理屈」だかを主張するその理由とは、生きようとするがゆえに、自分を脅かしたり頭ごなしに抑えつけようとする“力”みたいなものに対して反発しているだけの事なのである。

よって、貴方の子供が貴方にとって不都合な理屈・・・すなわち貴方が“屁理屈”と断罪する様な反論をしたならば、頭ごなしに叱るのではなく、「ああ、この子は必死に生きようとしているんだな。」・・・と、誉めてあげて欲しい。

その子は将来きっと、自分の力で自分の人生を切り開く事でありましょうぞ。

子供を抑圧し過ぎて、○したり、逆に○されたりしないようにしたいものデスわね。

オホホホホ・・・。

「仕事なので」

RC初期のレパートリーで、KCRが他人に提供した作品に、「仕事なので」と言うものがありマシテ・・・。

あの日以来、ヤホークでもKCR関係のものが売れまくってマスな。

他の人ならいざ知らず、今回は流石に私も悩みマシタ。

出品するべきか否か・・・。

だけど、仕事なので・・・ね。

今何が売れてるかをチェックして、需要があるものを提供するのが、この仕事だからさ。

不用品を順番に処分するのとは訳が違うんだよ。

ただし、「追悼」なんて言葉は絶対に使わないけどね。(このブログでも使ってないし。)

まあ、お陰で約1週間仕事が手につかなかった訳だし、それを取戻すためにはおセンチな事言ってらんないってのが実情なんだけど・・・。

自宅からも色々発掘して持ってきたしね。

でも、そう考えると・・・。

「あの人そろそろ・・・」な商品は、売らずにストックしておこうかな、なんて不純な考えも芽生えたりしてね。

「何て不謹慎な!!」・・・だって?

冗談ぢゃねえ!!一旦手放したくせに、今頃になって買い戻してる様な奴が悪いんだ!!

・・・な~んてね。ほんのジョークですよ。

お買い上げ、誠にありがとうゴザイマ~ス!!m(_)m

えじそんのおじさん

ちょっとショックな出来事があったため、ここ数日、十代の頃にマインド・トリップしておりマシタが、その際に色んな事を思い出したので、ここに書き記しておこう。

中学生時代、KCRを知る以前に好きだったKAIよしひろに対しては、共感なんて偉そうな感情ではなく、憧れみたいな気持ちが強かった。何と言うのか、明るく活発な先輩みたいなもの・・・とでも呼ぶべきか。更に言えば、気障で良く喋る兄貴・・・みたいな。

そして、それ以前の小学生時代、私が初めて共感し、かつ尊敬出来ると思った人物が、実は一人居た。

それは・・・かの発明王エジソンである。

教師に「何故?」「どうして?」と、質問ばかりして学校を追い出されたと言う、小学生時代のエジソン。

そのエピソードに、いたく私は共感したものである。

それ以降、私の夢は「発明家になる事」・・・であった。

思えば、体力も気力も精神力も根性もない上に、ひねくれて天邪鬼だった私の事である。家庭内における様々な障害なり軋轢を乗り越え・・・ないで何とか上手く回避するためには、それこそありとあらゆる嘘と言い訳と屁理屈を編み出す必要があった。よって、脳だけが異常に発達し、こんなにも知能指数が高くなってしまった訳なのであるが・・・。(←さらっと自慢してみたりして・・・。)

そんな私が、発明家を志すのは無理からぬ事であったと言えよう。

何故なら・・・。そう、何故なら発明には体力が要らないのだ。

・・・要するに、私はあまりにも体力が無さ過ぎるため、あるひとつの作業を出来るだけ少ない労力でこなさねばならないと言う切実かつ切羽詰った理由があったゆえ、物事を合理化したり簡略化する事は私が生きていく上では命題とも言うべき課題であった。しかしその点、一度何かを発明して特許を取ってしまえば残りの人生はその特許使用料で楽に過ごせると言う夢の様な発明家の仕事は、まさに我が意を得たりと言うか、これぞ我が天職だと思わせる程の魅力があったと言う事は、もはや言うまでもないだろう。(←すべてを言い尽くした後で言うのもなんだが・・・。)

まあそれは良しとして・・・。

今回私が述べたいのは、「好きである事」の強さ・・・である。

好きでもなんでもないものは長続きしない。

好きでもなんでもないものを勉強しようとは思わない。

好きでもなんでもないものに関して意欲なんか湧かない。

好きでもなんでもないものに対して努力する気など起こらない。

・・・のだ。

そう考えると、何かを「好きになる事」、それ自体が才能なのではないかとさえ思えてきたりもする。

・・・それにしても。


相変わらず、地獄だよ。

世“終”議員

セシュ~ギ~ン、あるいはニセ~ギ~ンに関して某所で発した私の意見を、ここにも記録しておこう。

本当は国民が日本全体の利益を考えて投票すれば良いのでしょうけど、結局自分にとって有利な候補者に入れるからニセ~ギ~ンに既得権益が引き継がれる訳で、それを法律で取り締まらなければ食い止められないって事は情けない事デスよね?

まあそれが民主主義ってやつの限界なのでしょうけど。

イギリスかどっかではニセ~ギ~ンは親と同一の選挙区では立候補出来ないとか?

半分ジョークですが、自分の利益よりも国益を優先し、より有能だと思える人材に政治をやってもらうためには、大阪府の議員を北海道在住者が投票して決める、香川県の議員を山形県在住者が投票して決める・・・なんてやれば面白いかと思いマス。

無責任な意見でスンマセン!!(^^;)

・・・以上。

まあしょせん、何だかんだ言っても投票するのは国民な訳で、ニセ~ギ~ンに入れた方が得だと思ってる有権者が多いからこそ、ニセ~ギ~ンやセシュ~ギ~ンが当選する訳デスからね~。

KCRに関するエピソード

KCR(敬称略)に関するいくつかのエピソードのうち、私は非常に好きなものがありマシテ・・・。

KCRが、「シングル・マン」の編曲を担当した元モップスの星勝氏の自宅にリンコ氏と一緒に押しかけ、「どうやったらアレンジが出来るようになるんですか」と問うたら、それに答えて星勝氏曰く・・・。

星勝氏「アレンジをしたいと強く思う事だよ。」・・・みたいな。

これは要するに、念力だとか超能力だとか言った非科学的な意味合いではなく、アレンジをしたいと強く願うと言う事は、自ずとその事柄に対して時間と労力を割く事に繋がり、自ら進んで色々な努力や工夫を重ねる事にもなるだろうし、求めて情報収集もすれば、ささいな出来事からヒントも見つかるだろう・・・と言う意味においてであろうと思われマス。

そして同様に、KCRが、バンドのボーヤをやってたM●J● CLUBのM氏に言った台詞が・・・。

KCR「お前、家に帰ったらすぐ寝るだろ?それじゃ趣味だよ。寝ないで曲作らなきゃ。」

これはもう、説明不要でありましょう。

KCRの唄を聴いた事がある人ならばお解りであろうが、あの、言葉がハッキリと聴き取れる歌唱。その理由は、鏡を見ながら言葉が一字一句ハッキリと聴こえる口の開け方を研究していたと言う、日々の地道な努力の賜物であり、彼が生まれつき持ち合わせていた能力などではないのでありマス。

またその逆に、K肉少女TのO槻氏の発言に、「メジャー・デビューしたら、急に唄が上手くなるのかと思ってた」なんてのがあって、それはそれで微笑ましいエピソードではありマスが・・・。(^^;)

ところで余談。今週号のFL●SHに、KCRの高校時代の写真や、ドン底の不遇期からのし上がっていく時期のKCRの写真を録り続けたカメラマン(→数年前にKCRの写真集も発売)による写真を数点使用した、モノクロ4ページの記事が掲載されており、華やかなステージを降りたKCRの飾りのない素顔や実像に迫った好企画となっておりマス。特に、ここ数日のマス・メディアによる“キング・オブ・ロック”がどうのこうのと言った表面的な部分のみをあげつらった取り扱い方に辟易している方にはお薦め出来るかと・・・。

・・・とは言え、それもこれもKCR本人が、悪く言えばそのパブリック・イメージを利用、良く言えば悪ふざけして楽しんでたって部分も多々ありマスので、いたしかたのない事ではありましょうか・・・。

お題「自分の個人史におけるRCとは一体何だったのか?」(一行追記アリ)

「好きになる事」って、人間にとっては大きくて、多少の欠点には目をつむる事も出来るんだよね。

欠点・・・つうか、まあ自分にとって好ましくない点や都合の悪い部分って事だけど。

その渦中では何だか解らなかった事も、後になって考えると納得出来たり。

そこで、お題。

「自分の個人史におけるRCとは一体何だったのか?」・・・みたいな。

最初は単純にあの声と曲の良さとで好きになった訳だけど、その後あんなにのめり込む事になったその理由とは?

しかも、私の好みではなかった、あのショウ・アップされた表面的な派手さと対外的なスタンスを差し置いてまでも・・・。

そう考えると、やっぱ何の取り得もなくていつも教室の隅っこに居た様な内向的消極的悲観的厭世的な人間に、「こんなやり方もあるんだよ」・・・って、勇気や希望を与えてくれたって事に尽きるだろうか。

と・・・まあ、もちろんそれはあくまでも私にとっての話であって、この言い分に共感してくれる人ももちろん居るだろうけど、中には(私の世代で言えば)ヒデキやジュリーを好きになる感覚だった人も居るだろう。

ただ一つ言える事は、ある種、あんな格好でお茶の間に登場して、下手したらゲテモノキワモノ扱いされて一瞬のうちに消えてしまう可能性も充分にあった訳で、でもそうならないで何年も人気を保ったって事は、あの表面的な派手さや対外的なスタンスだけではなく、やはり何かしら内面的にも魅力があったのではないだろうか。・・・と。

他人のあそこが嫌い、ここを直して欲しいって事は、もちろん自分もしょっちゅう思うし、あって然るべき感情だとは思う。

だけど、あまり他人に「こうして欲しい」、「こうなって欲しい」、「ここを直して欲しい」って思ったり願ったり怒ったり叱ったりする事って、これも結局ある種、他人に対する“依存心”に過ぎないんぢゃないかな~なんて、最近思う様になった。

自分一人の力で物事を解決したり成り立たせる事が出来れば、何の問題もないんだし。

結局の所、“支配欲”と“依存心”ってのは、表裏一体なんだよね。

自分にとって都合の良い性質しか持ち合わせない、そして自分にとって都合の良い事しか口にしない様な人しか好きになれない人は、何もかも自分の自由に出来るお人形サンでも集めれば良いって事。

人間を好きになると、色々苦労もするし悩みもするよ・・・。

あれ?若い頃は人間嫌いだった私が、何でこんな事言い出してんだろ?

もしかして、人間として成長しちゃったかな!?

・・・と、臆面もなく自分で言ってみたりして。(^^;)

気落ちEm(キヲチ・イー・マイナー)

実は当初、自分がこれほど落ち込むとは思わなかった。

それは実の父親が死んだ時も同様であったが・・・。

故人の死を本当に悼むのであれば、もらってばかりで申し訳ないと本当に思うのであれば・・・。

故人に与えてもらったものを、今度は自分が、自分の家族や友人、そして世の中に対して還元すべきなんだと思う。

そのためには、果たして自分は何をもらったんだろうか?・・・と言う事を良く考える必要がある。

もちろんそれは、人それぞれに異なるのであろうが・・・。

もらってばかりってのはいやなんだ。

「おじさんへの手紙」④

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。

(③のつづき)

おじさん・・・。自宅から密葬会場へおじさんを運ぶ時、雨上がりでもないのに空に二本の虹が出たんだってね。これはすごく珍しい現象で、多くの人に慕われた人がいなくなる時にだけ起こるとの謂れがあるんだとか・・・。石原●次郎の葬儀の時にも出たらしいね。でもこれは不思議な事でもなんでもなくて、おそらく本当に本当に大勢の人が泣いたから、それで空気中の湿気が増えちゃって、まるで雨上がりの様な気象条件が生まれたんぢゃないかな?おじさんどう?この実に科学的な推理?(^^;)

ところで、晩年のおじさんを振り返ってみて、ぼくはこう思うんだ。おじさんは、「発する事」を一生懸命やった上で「伝える事」に心血を注いで、それが報われたからこそ、そしてそうやって目的に向ってまっすぐ生きてきたからこそ、更にその次の段階である「世の中に恩返しする事」を本心から行える人間になったんぢゃないかって。なかなかその境地に達する事の出来る人は少ないんだよね・・・。

「発する事」だけで精一杯な人は、外にエネルギーを放出するだけでその見返りがないから、感謝のしようがない。

「発する事」すなわちやむにやまれぬ情熱や切実な創作動機もないのに、「伝える事」だけに労力のすべてを注ぎ込んでいる様な人は、元より人からもらうためにやってるんだから、何かを得てもそれは当たり前の事に過ぎない。・・・まあ、ある意味それはプロフェッショナルな仕事なんだとも言えるけど・・・。

「世の中に恩返しする事」が出来る人ってのは、人に対して本当に感謝する気持ちがなければ出来ない事だと思うよ。あと、“使命感を持って生きてる人”とでも言うのかな?

・・・とは言え、ぼくは未だに、「発する事」しか出来ない様な人間として偏った不器用な人の音楽も大好きなんだけどね。「シングル・マン」の頃のおじさんみたいな・・・さ。

嘘偽りない作品作りをする事を第一義とせずに、ただ表面的な形式だけを拝借して「伝える事」のみにやっきになって技術や装飾のみに比重を置いてる様な音楽は好きぢゃない・・・て言うか嫌いなんだよ。

そう言えば、こないだ数年前のおじさんのインタビュー映像を観たんだけど、おじさんはこんな事を言ってたね。

「十代の頃に受けた感動ってのは人生を左右する程大きくて、結局大人になってもまた再びその感動を求める様になる。歳くった奴らはみんないつも、RCを再結成しないのかなんて事ばかり聞いてくるんだ。だからこれからは十代の子達に向けて、こんなやり方もあるんだよって事を教えてあげたいんだよね。」

・・・と。(あいまいな記憶で書いてるから若干間違ってる部分もあると思うけど、ニュアンスは伝わるよね?)

それをこれまた、おじさんがとっても悲しそうな顔して言うんだよね。何て言うか、常に新しい事に挑戦したり悪ふざけをして遊べる大人がどんどん減ってく・・・みたいな・・・。

そのインタビュー映像を見て、なるほどなと思ったよ。それまでは、子供が出来た嬉しさで浮かれちゃって、そんな子供向けの歌ばかり作る様になったのかなんて思ってたけど。

確かに、今の世の中を変える事が出来るのは、ぼくらの様な疲れきった大人や夢をあきらめた人ぢゃなくて、未知な可能性を秘めた子供達だからね。その子供達に、楽しみながら人に対する思いやりとか色んなものを学ばせるのに、音楽を聴かせるってのは素晴らしいやり方だと思うよ。

あの頃のぼくにも色んなやり方、特に、こんなぼくが世の中と上手く関わって行くための方法を教えてくれたし・・・。

ここ数日、しばらく疎遠だった最近のおじさんの歌を聴き直してみても、すごく前向きなエネルギーに満ち溢れてるんだよね。しかもそのエネルギーを人にも伝えたいって言うか、夢や希望みたいなものを決して押し付けがましくなく、みんなにあげたいんだって思いがひしひし伝わってくるし。きっと、おじさんには本当に感謝の気持ちがあるからこそ、何の躊躇もする事なく「世の中に恩返しする事」を自らに課す事が出来たんだよね。

だって、嘘っぽいものって、やっぱ解っちゃうもの・・・。

そんなおじさんの、太陽みたいなまぶしさ、そしてその無限のやさしさが、ぼくには何だか照れくさくて、素直な気持ちで見る事が出来なかったのかな・・・なんて。

しばらく子供の頃の自分に戻って、おじさんの事いっぱい思い出しちゃったよ。

だけど、そろそろ仕事に戻らないと・・・。

これを書き終えてしまったら、それが本当のお別れになってしまうのかと思うと、書き終えるのが本当はつらいけど。

だから、さよならは言わない。

おじさん・・・。

そんぢゃあ、またね!!

(^^)/

「おじさんへの手紙」③(誤解を受けそうな箇所をいくつか改定済)

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。

(②のつづき)

今だから言える事だけど・・・。

本当の事を言えば、ぼくはおじさんの奇抜なメイクやド派手な格好が、当時はあまり好きぢゃなかった。だって、ぼくがおじさんの事を初めて知ったのは、雑誌に掲載されていたモノクロ写真であり、ラジオで聴いた音や歌声だけだったし、視覚的な要素で好きになった訳ぢゃ全然ないからね・・・。

だから、当初は“蛮カラ”風なノリのチャボの事が苦手でさ。だけど、チャボが初めてのソロ・アルバムを出した頃、「古井戸時代に人と会うのがいやになってサングラスのレンズをマジックで黒く塗った」って話を知ってからその誤解も解けて、印象が180度変ったけどね。ホントはこの人、今までずいぶん無理してたんだな~って。

それに、ほら、ぼくは食べ物の好き嫌いが異常に多くて一つの料理の中に嫌いな具材が入ってる事なんて日常茶飯事でもう慣れっこだったし、家族の中にあっても父親の存在を抑圧した意識の奥底で抹殺して過ごしてたぐらいだから、“好き”って事の方が勝ってたって言うか、まあそのくらいの不純物くらい見て見ぬ振りする事も全然平気だったんだよね。(←ずるい~人だ~君は~?)

・・・とは言いつつも、アルバム「シングル・マン」が再発されて、それを初めて聴いた時、ぼくはものすごく驚いた。これはきっと別人・・・なんだろうと思った。ビックリしたと言うより、むしろ怖かった。見てはいけないものを見てしまった、見せられた気がした・・・。そのあまりにもな装飾の少なさ、赤裸々を通り越した過剰なまでの露骨さ、おためごかしや誤魔化しの無さに・・・。だから、実はこのアルバムを本当に好きになるのは、もう少し後になってからの事なんだ。

こう何と言うか・・・こころに映る風景を、歪曲する事なく誰に気遣う事もなく、自分に正直かつ誠実に、ただただ純粋に音楽に変換して外部に提示するだけ・・・みたいな。

思うに、表現者としてのおじさんの一番素晴らしい所は、その曇りや穢れのない純真な感性と言う名のフィルターを通して見た光景なり心象風景を、これまたあまりにも馬鹿正直に飾りのない言葉や音に置き換える事によって、その映像を歪んだり淀ませる事なく再び外に発する事が出来る・・・と言う部分なんだよね。

だからあのアルバムは、残酷とまでも呼べる程の辛辣な言葉や、窒息しそうな程の重苦しい雰囲気で覆い尽くされてるんだと思うよ。

「発する事」に関してのみ言えば、これほどのクオリティを持った作品はそうそうないだろう。

だけど、このアルバムは発売当時、全く売れなかったそうで・・・。今やネットで誰でも観る事が出来る、1976年のおじさんのライヴ映像。作品の題材による個人の好き嫌いや音楽的な趣味嗜好をまったく無視して、表現行為の一つとして、そして音楽的な観点から純粋に推し量るならば、この時期が最高峰である事は誰の目にも明らかだと言うのに・・・。

そして、その数年後、おじさんはやり方を変えた。

「発する事」だけ一生懸命にやってたんぢゃ駄目なんだ、「発する事」と「伝える事」とは方法論が全く異なるんだって事に気づいて・・・。

そう言う意味では、ぼくがおじさんを知った時は、おじさんは「伝える事」に関して一生懸命だったその渦中で、だからこそ、人に何かを伝えようとするその“熱意”みたいなものに、ぼくは強烈に惹かれたんだと思う。

おじさんから興味が離れていった理由も、「伝える事」を一生懸命やって、それが報われた(伝わった)後、おじさんの表現が更に次の段階に移行したからなんだろう・・・。

だってぼくは今でも、「発する事」に一生懸命な人や、「伝える事」に心血を注いでる人の演る音楽が大好きだからね。

ただ、これだけは言っておきたい。おじさんの様に「発する事」を一生懸命やった人が、その次の段階として「伝える事」に対して真摯に取り組むからこそ美しいのであって、何にも伝えたい事がない・・・むしろ客から何かを奪い取る(利益や快楽を得る)ために「伝える事」だけを一生懸命にやってる人間の音楽は、醜くて見ちゃいられないって事。・・・いや、「許せない」と言っても良いだろう。もっとも、いつも言う事なんだけど、エンターテイメントは別だよね。あれは元から、御伽噺や夢物語を見せる・・・悪く言えば観客を一時的に騙す事を目的としてるんだから・・・。

あと、今にして思えば、おじさんが反戦や反原発の歌を作り始めたり、子供が生まれた途端に作風がガラリと変わってしまってしまったのも、おじさん自体が変ってしまったんぢゃなく、おじさんの目(こころ)に映る風景が変っただけの事だったんだよね。

おそらくは、もしもこの地球・・・否、人間社会が、愛に満ちた平和で穏やかな世界だったならば、おじさんはきっと、美しい言葉とメロディの歌ばかり奏でる人になった事だろう・・・。

(つづく)

★勢いで一気に書き上げてアップしたため、いつもこのブログを読んでる人以外の方には言葉不足で誤解を受けた箇所があるかと思い、あちこち改定イタシマシタ。(^^;)

「おじさんへの手紙」②

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。

(①のつづき)

確か、「~IN CONCERT」と題されたその30分のテレビ特番で、動くおじさんを初めて観たんだったろうか・・・。そして、その後も綿密な諜報活動の甲斐あって、広島でも極短期間に深夜に放映されてた「ジャム・ジャム’80」での「唄の市’80」(←その日は電気楽器を一切使用しない企画だった)での「エネルギー~」や即興みたいな「イカ」だとか、土曜日の4時とかにこれまた広島では極々一瞬しか放映されてなかったと思われる(その日しか観た記憶無い・・・)加藤和彦司会の「アップルハウス」って番組で、もう「ボス~」発売後であるにも関わらず「雨あがり~」をスタジオで演奏してるのを観たり。もちろん全部ラジカセで録音したけどね。雑誌に掲載されていた記事を切り抜いてインデックス・カードにしたりして・・・。
RC2

それにしても、その年(’80年)の大躍進ぶりはすごかった。6月に「RHAPSODY」が発売され、8月には「シングル・マン」が再発され、年末にトランジスタ・ラジオ~アルバム「PLEASE」が発売される頃には、もはや音楽雑誌で記事を見かけないって事はなくなって・・・。翌’81年4月にはブレイク後初めて、「Please Play it Loud」って題されたツアーで広島にも“来日”。見真講堂ってホールで行われたそのコンサートを観に行くために、ぼくは友人と朝から楽器屋に並んで(←当時はたいていそうだった)チケットを買いに行ったよ。
RC3

ところで・・・話戻って、あれは高校に入りたての頃だったから’80年の4月か5月だったろうか。ある音楽雑誌に、珍しく割と長めのインタビューが載ってて、そこで初めて、ぼくはステージを降りたおじさんのシャイ過ぎる程の普段の性格を知った。あんなにパワフルに歌ってるのに・・・と、そのギャップには正直驚かされた。だけど、その記事を読んで、ぼくはますますおじさんの事を好きになったんだ。

だって、ぼくも人見知りで内向的なこどもだったからね。しかも虚弱体質のくせに天邪鬼と来てる。そんなぼくが、ステージに上がるや超エネルギッシュで、人に何かを伝えようとする時に発する熱量が半端でなく、しかも世間に対する皮肉たっぷりの辛辣な歌詞を書くおじさんが、実はとってもシャイで口数少なく大人しい人だって知った時に抱いた、その親近感たるや・・・。

それ以前には甲斐よしひろが好きで、その他にもラジオや音楽雑誌で知ったアナーキーとかリザードとかフリクションも並行して好きだったし、その後にもモッズ~スターリン~ハードコア・パンクと、音楽の好みはどんどん刺激的なものばかり求める様になるんだけど、あの頃はホント、おじさんの事が大好きだったんだよ。何せ、コピー・バンドまでやってた程だからね。

・・・と言うか、あの時期。・・・今考えれば、ほんのある一時期かも知れないけれど、おじさん以外に、ぼくには好きだと思える大人が一人もいなかった。

そりゃ親も兄弟も友達も居たさ・・・。だけど、ぼくにとってはぼくを抑圧する存在でしかなかった実の父親は、嫌いだとか怖いだとかを超越し過ぎてもはや居ないも同然と言うか、自分の意識から抹殺する以外に、ぼくが生きていく術はなかったし・・・。

みんな嫌いだった。すべてが憎かった。実の家族でさえも・・・。どうしてぼくだけ、考え方や好みがみんなと違うってだけで、こんなにまで孤独な気持ちを味合わなきゃいけないんだ・・・。そりゃ精神力や体力は全然ないくせに食べ物の好き嫌いは異常に多いし、口を開けば不平不満や屁理屈しか言わない、どうしようもない奴だったけどさ。

だからあの頃・・・。今思えば、若き日に陥りがちな熱病に過ぎなかったも知れないけれど、ある一時期、ぼくには好きな大人・・・そしてぼくが憧れる様な生き方をしてる人間が、その頃ぼくの知りえる狭い世界の中ではおじさんしか居なかったし、実の父親には申し訳ないけど、ぼくにとっては実の親以上の存在だったんだ。

ぼくに、ぼくみたいな人間の使い方を、こんなどうしようもないぼくを、この世で生かす方法を教えてくれた・・・。

本当に・・・。本当に大好きだった!!それこそ夢中だった!!ぼくの小さな人生のすべてだった!!

「勇気づけられる」ってのは、おそらくこう言う事を指して言うんだろうね。

だけど、今はもう大丈夫。ぼくは誰の力も借りず、自分独りの力で生きていく事が出来る様になったからさ。・・・あ、いや、お金はまた誰かに借りるかも知れないけど。(^^;)

ぼくが大学に進学もせず一度も就職しなかったのは、間違いなくおじさんと出会ったせいだよ。もっとも、いずれにせよ“出来なかった”かも知れないけどね。

おじさんのやってる仕事、特にあのバンド解散以降の活動には正直興味はなくなったけど、テレビや雑誌で見かけた時には、「あ~あ。あんな着ぐるみなんか着ちゃって、相変わらずしょうがね~な~、あのオッサンは・・・。」なんて思いつつも、「まあでも、あのサーヴィス精神と言うか、お調子モン的な悪ふざけは昔からだもんな・・・。」なんて思って横目で見てたよ。

そんなおじさんの派手で人騒がせな表面的(と言うか対外的)な部分や、子供が生まれてからの表現形態の著しい変化についてのぼくの考えは、また今度述べさせてもらうけど・・・。

そんなに急に居なくならなくったっていいぢゃん。いつも当たり前の様に、そこに居ればいいぢゃん・・・。またどっかで何かしょ~もない事やらかしてさ。これからも、そしてこの先もずっと、ぼくを呆れさせ続けてくれよ・・・。

あんたの代わりを、一体、他の誰が出来るって言うんだ。

いいトシして、しわくちゃの顔にメイクして、相変わらずクレージーでド派手な格好してさ。

おじさんの事を知らない子供や、まったく興味の無い人からすれば、ただの人騒がせな、“変なおじさん”・・・。

でも、ぼくにとっては・・・。

ぼくの好きなおじさん。

ぼくの大好きだったおじさん!!

(つづく)

「A0YAMA R0CK’N R0LL SH0W」

自転車ぶっとばして行って参りマシタ。ものすごい長蛇の列だったし、あんまり時間の余裕もないため、小一時間、門の外から中を眺めるのみとなってしまいマシタが・・・。

「よォーこそ!!」
APYAMA1

「俺んちだと思って、ゆっくりしてってくれよ!!」
AOYAMA2








「暗くなってきたぜィ!!」
AOYAMA3

「えっ!?もう帰っちまうのかい?」
AOYAMA5








「また今度、どっかで会おうぜ!!」
AOYAMA6






<セット・リスト>(18:00~19:00頃)
11. いい事ばかりはありゃしない
12. 自由
13. すべては ALRIGHT(YA BABY)

「おじさんへの手紙」①

おじさんへ。

ぼくがおじさんを知ったのは、ぼくが14歳の時だった。そして、おじさんは29歳。今でこそ29歳なんてまだまだ若造だと思えるけど、当時まだ中学生のぼくからしたら、29歳は充分におじさんと呼べる年齢だったんだ。

そもそも、おじさんとの出会いはラジオ。・・・いや、もっと正確に言えば、とある週間FM情報誌の年末年始増刊号での番組紹介記事だった。

それ以前から、ぼくはAMの深夜放送等で流される曲をテープに録音して、そこから自分の好きな音楽を探すのが趣味だったんだけど、父親が買ってきた、ちょうどその頃登場したばかりのステレオ・ラジカセを勝手に自分専用にして、それでFM放送のエア・チェック(=ラジオ等の電波で送信される放送を録音する事を指す)に凝り始めたばかりでもあったんだ。

1980年1月8日(火曜日)、NHK-FM「サウンド・ストリート」。元々、同番組の水曜日のDJを既に好きになっていた甲斐バンドの甲斐よしひろが担当してた事もあって、水曜日だけは毎週聴いてたけど、森永博史がDJを担当する火曜日を聴くのはこの日が始めてだった。・・・とは言っても、この日は全40分の番組すべてが、おじさんのやってたバンドのスタジオ・ライヴだったんだけどね。

そうそう、前述の雑誌の記事は切り抜いて、そのテープのインデックス・カード(ジャケット)にしちゃったんだけど、確かモノクロ1/2ページ大で、下の画像にもある通り「~がステップのテンポで今、話題を呼んでいる」なんてキャッチ・コピーが付いてた。もちろん、その時点では見た事も聴いた事もない全然知らないバンドだったんだけどさ。

RC①よォーこそ②RHAPSODY③SWEET SOUL MUSIC④STEP!⑤スローバラード⑥雨あがりの夜空に(収録場所:NHK STUDIO 505)

ところで、ぼくの実家は国道二号線がすぐ近くを通ってて、ラジオをエア・チェックする時はいつもタクシーやトラックの無線が混入して大変だったんだけど、この日は奇跡的に無線の音も入らず、曲を途切れさす事もなく45分テープの裏返しにも成功したんだ。

・・・て言うか、それより何より、ライヴ自体の内容が最高だった!!そしてそれから何度も・・・。そう、それこそ何百回、このテープを繰り返し聴いた事か。悪いけど、多分おじさんが出したどのレコードよりも、このテープを聴いた回数の方が絶対に多いと思うよ。レコードなら、やっぱLP「シングル・マン」が一番好きだけどね。

だけど、何がそんなに良かったかって、やっぱまず第一におじさんの歌に尽きるかな。あの一語一語噛み締めるかの如くハッキリと明瞭に発音される歌詞とも相まって、強烈な個性とインパクトを併せ持った粘っこく絡みつくかの様な力強いその歌声は、今でもぼくの耳と脳裏に焼きついて離れないよ。もちろん楽曲自体も大好きだけどね。それに、バンド全体が一体となった熱気溢れる演奏と密度の濃いアンサンブルも魅力的だったかな。

だからぼくは今でも、だだっ広いホールぢゃなく狭い空間に音が充満してる様な感覚が大好きで、それで未だにライヴ・ハウス通いをしてるって訳なんだけどね。

それにしても、東京では既におじさんのバンドは人気急上昇で、ライヴ・ハウスはいつも満杯だったらしいけど、広島県の片田舎では、しかも中学三年生だったぼくの同級生はおじさんの名前なんて誰も知らなくてさ、「これいいから聴いてみて」ってともだちにテープを貸しても、「何?この下品な歌?」って言われちゃって終わりだったよ。もちろん、別のクラスには知ってた子も居たかもしれないけど、そいつはきっとかなりのラジオとか深夜放送のマニアだったと思うよ。だって、音楽の話題って言えばドリフの全員集合とか「ザ・ベストテン」に代表されるテレビの歌番組がすべての時代だったからさ。(補足:実際には「ステップ」発売時にテレビに出まくってたみたい・・・。)

実際、レコード屋に行っても前述のライヴのMCでも紹介してたアルバム「シングル・マン」なんて置いてない訳。まあ廃盤だったから当然なんだけど・・・。東京ぢゃあ再発実行委員会とか盛り上がってたから、自主再発されたものが買えたんだと思うけど。

そしてその日から、ぼくの諜報活動が始まったんだ。本屋へ行けばすべての音楽雑誌に目を通し、おじさんのやってたバンドの情報が載ってる雑誌はどんなに小さな記事であろうと買いあさったよ(or違法な手段で入手^^;)。・・・とは言っても、そもそも記事が掲載されてる事自体がまだ稀だったから、全部買ってもたかが知れてたけどさ。でも確か「ヤング・ロック」なんかには結構大々的に取り扱われてたし、「ロック・ステディ」なんかは他にも好きになるバンドをたくさん知るきっかけにもなったんだよね。

更に、当然の事ながらFM番組情報誌もくまなくチェックして、AM・FM放送はもちろんテレビの音楽番組紹介ページにも目を通し、広島では主に深夜にやってた東京や大阪がキー局のマイナーな音楽番組を、ビデオ・デッキなんかまだ普及してなかったからラジカセをテレビに繋いで音だけ録音したり・・・。

当時はまだ、インター・ネットで調べればすぐに何でも知る事が出来る現在と違って、必要な情報は自分自身の足や目や耳で探さなきゃ手に入れる事の出来ない時代だったからね。

そんな矢先、高校に進学して間もなく、あれはどっかの公民館のロビーだったか学校の図書館だったか忘れたけど、そこに設置してある新聞を何気なく開いてみると、何とテレビの30分の特番でおじさんのバンドのライヴを放映すると書いてある小さな記事を発見!!それこそが、後にアルバム「RHAPSODY」として発売するための音源を収録するために行われた久保講堂でのワンマン・ライヴを編集したものであり、’90年代半ばにしてやっと映像作品(当初はレーザー・ディスク)として発売された「RHAPSODY~the video~」そのものだったんだ。

(つづく)

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。