Mr.エレクトの独り言 2009年05月09日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「A0YAMA R0CK’N R0LL SH0W」

自転車ぶっとばして行って参りマシタ。ものすごい長蛇の列だったし、あんまり時間の余裕もないため、小一時間、門の外から中を眺めるのみとなってしまいマシタが・・・。

「よォーこそ!!」
APYAMA1

「俺んちだと思って、ゆっくりしてってくれよ!!」
AOYAMA2








「暗くなってきたぜィ!!」
AOYAMA3

「えっ!?もう帰っちまうのかい?」
AOYAMA5








「また今度、どっかで会おうぜ!!」
AOYAMA6






<セット・リスト>(18:00~19:00頃)
11. いい事ばかりはありゃしない
12. 自由
13. すべては ALRIGHT(YA BABY)

「おじさんへの手紙」①

おじさんへ。

ぼくがおじさんを知ったのは、ぼくが14歳の時だった。そして、おじさんは29歳。今でこそ29歳なんてまだまだ若造だと思えるけど、当時まだ中学生のぼくからしたら、29歳は充分におじさんと呼べる年齢だったんだ。

そもそも、おじさんとの出会いはラジオ。・・・いや、もっと正確に言えば、とある週間FM情報誌の年末年始増刊号での番組紹介記事だった。

それ以前から、ぼくはAMの深夜放送等で流される曲をテープに録音して、そこから自分の好きな音楽を探すのが趣味だったんだけど、父親が買ってきた、ちょうどその頃登場したばかりのステレオ・ラジカセを勝手に自分専用にして、それでFM放送のエア・チェック(=ラジオ等の電波で送信される放送を録音する事を指す)に凝り始めたばかりでもあったんだ。

1980年1月8日(火曜日)、NHK-FM「サウンド・ストリート」。元々、同番組の水曜日のDJを既に好きになっていた甲斐バンドの甲斐よしひろが担当してた事もあって、水曜日だけは毎週聴いてたけど、森永博史がDJを担当する火曜日を聴くのはこの日が始めてだった。・・・とは言っても、この日は全40分の番組すべてが、おじさんのやってたバンドのスタジオ・ライヴだったんだけどね。

そうそう、前述の雑誌の記事は切り抜いて、そのテープのインデックス・カード(ジャケット)にしちゃったんだけど、確かモノクロ1/2ページ大で、下の画像にもある通り「~がステップのテンポで今、話題を呼んでいる」なんてキャッチ・コピーが付いてた。もちろん、その時点では見た事も聴いた事もない全然知らないバンドだったんだけどさ。

RC①よォーこそ②RHAPSODY③SWEET SOUL MUSIC④STEP!⑤スローバラード⑥雨あがりの夜空に(収録場所:NHK STUDIO 505)

ところで、ぼくの実家は国道二号線がすぐ近くを通ってて、ラジオをエア・チェックする時はいつもタクシーやトラックの無線が混入して大変だったんだけど、この日は奇跡的に無線の音も入らず、曲を途切れさす事もなく45分テープの裏返しにも成功したんだ。

・・・て言うか、それより何より、ライヴ自体の内容が最高だった!!そしてそれから何度も・・・。そう、それこそ何百回、このテープを繰り返し聴いた事か。悪いけど、多分おじさんが出したどのレコードよりも、このテープを聴いた回数の方が絶対に多いと思うよ。レコードなら、やっぱLP「シングル・マン」が一番好きだけどね。

だけど、何がそんなに良かったかって、やっぱまず第一におじさんの歌に尽きるかな。あの一語一語噛み締めるかの如くハッキリと明瞭に発音される歌詞とも相まって、強烈な個性とインパクトを併せ持った粘っこく絡みつくかの様な力強いその歌声は、今でもぼくの耳と脳裏に焼きついて離れないよ。もちろん楽曲自体も大好きだけどね。それに、バンド全体が一体となった熱気溢れる演奏と密度の濃いアンサンブルも魅力的だったかな。

だからぼくは今でも、だだっ広いホールぢゃなく狭い空間に音が充満してる様な感覚が大好きで、それで未だにライヴ・ハウス通いをしてるって訳なんだけどね。

それにしても、東京では既におじさんのバンドは人気急上昇で、ライヴ・ハウスはいつも満杯だったらしいけど、広島県の片田舎では、しかも中学三年生だったぼくの同級生はおじさんの名前なんて誰も知らなくてさ、「これいいから聴いてみて」ってともだちにテープを貸しても、「何?この下品な歌?」って言われちゃって終わりだったよ。もちろん、別のクラスには知ってた子も居たかもしれないけど、そいつはきっとかなりのラジオとか深夜放送のマニアだったと思うよ。だって、音楽の話題って言えばドリフの全員集合とか「ザ・ベストテン」に代表されるテレビの歌番組がすべての時代だったからさ。(補足:実際には「ステップ」発売時にテレビに出まくってたみたい・・・。)

実際、レコード屋に行っても前述のライヴのMCでも紹介してたアルバム「シングル・マン」なんて置いてない訳。まあ廃盤だったから当然なんだけど・・・。東京ぢゃあ再発実行委員会とか盛り上がってたから、自主再発されたものが買えたんだと思うけど。

そしてその日から、ぼくの諜報活動が始まったんだ。本屋へ行けばすべての音楽雑誌に目を通し、おじさんのやってたバンドの情報が載ってる雑誌はどんなに小さな記事であろうと買いあさったよ(or違法な手段で入手^^;)。・・・とは言っても、そもそも記事が掲載されてる事自体がまだ稀だったから、全部買ってもたかが知れてたけどさ。でも確か「ヤング・ロック」なんかには結構大々的に取り扱われてたし、「ロック・ステディ」なんかは他にも好きになるバンドをたくさん知るきっかけにもなったんだよね。

更に、当然の事ながらFM番組情報誌もくまなくチェックして、AM・FM放送はもちろんテレビの音楽番組紹介ページにも目を通し、広島では主に深夜にやってた東京や大阪がキー局のマイナーな音楽番組を、ビデオ・デッキなんかまだ普及してなかったからラジカセをテレビに繋いで音だけ録音したり・・・。

当時はまだ、インター・ネットで調べればすぐに何でも知る事が出来る現在と違って、必要な情報は自分自身の足や目や耳で探さなきゃ手に入れる事の出来ない時代だったからね。

そんな矢先、高校に進学して間もなく、あれはどっかの公民館のロビーだったか学校の図書館だったか忘れたけど、そこに設置してある新聞を何気なく開いてみると、何とテレビの30分の特番でおじさんのバンドのライヴを放映すると書いてある小さな記事を発見!!それこそが、後にアルバム「RHAPSODY」として発売するための音源を収録するために行われた久保講堂でのワンマン・ライヴを編集したものであり、’90年代半ばにしてやっと映像作品(当初はレーザー・ディスク)として発売された「RHAPSODY~the video~」そのものだったんだ。

(つづく)

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。