Mr.エレクトの独り言 2009年05月11日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「おじさんへの手紙」③(誤解を受けそうな箇所をいくつか改定済)

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。

(②のつづき)

今だから言える事だけど・・・。

本当の事を言えば、ぼくはおじさんの奇抜なメイクやド派手な格好が、当時はあまり好きぢゃなかった。だって、ぼくがおじさんの事を初めて知ったのは、雑誌に掲載されていたモノクロ写真であり、ラジオで聴いた音や歌声だけだったし、視覚的な要素で好きになった訳ぢゃ全然ないからね・・・。

だから、当初は“蛮カラ”風なノリのチャボの事が苦手でさ。だけど、チャボが初めてのソロ・アルバムを出した頃、「古井戸時代に人と会うのがいやになってサングラスのレンズをマジックで黒く塗った」って話を知ってからその誤解も解けて、印象が180度変ったけどね。ホントはこの人、今までずいぶん無理してたんだな~って。

それに、ほら、ぼくは食べ物の好き嫌いが異常に多くて一つの料理の中に嫌いな具材が入ってる事なんて日常茶飯事でもう慣れっこだったし、家族の中にあっても父親の存在を抑圧した意識の奥底で抹殺して過ごしてたぐらいだから、“好き”って事の方が勝ってたって言うか、まあそのくらいの不純物くらい見て見ぬ振りする事も全然平気だったんだよね。(←ずるい~人だ~君は~?)

・・・とは言いつつも、アルバム「シングル・マン」が再発されて、それを初めて聴いた時、ぼくはものすごく驚いた。これはきっと別人・・・なんだろうと思った。ビックリしたと言うより、むしろ怖かった。見てはいけないものを見てしまった、見せられた気がした・・・。そのあまりにもな装飾の少なさ、赤裸々を通り越した過剰なまでの露骨さ、おためごかしや誤魔化しの無さに・・・。だから、実はこのアルバムを本当に好きになるのは、もう少し後になってからの事なんだ。

こう何と言うか・・・こころに映る風景を、歪曲する事なく誰に気遣う事もなく、自分に正直かつ誠実に、ただただ純粋に音楽に変換して外部に提示するだけ・・・みたいな。

思うに、表現者としてのおじさんの一番素晴らしい所は、その曇りや穢れのない純真な感性と言う名のフィルターを通して見た光景なり心象風景を、これまたあまりにも馬鹿正直に飾りのない言葉や音に置き換える事によって、その映像を歪んだり淀ませる事なく再び外に発する事が出来る・・・と言う部分なんだよね。

だからあのアルバムは、残酷とまでも呼べる程の辛辣な言葉や、窒息しそうな程の重苦しい雰囲気で覆い尽くされてるんだと思うよ。

「発する事」に関してのみ言えば、これほどのクオリティを持った作品はそうそうないだろう。

だけど、このアルバムは発売当時、全く売れなかったそうで・・・。今やネットで誰でも観る事が出来る、1976年のおじさんのライヴ映像。作品の題材による個人の好き嫌いや音楽的な趣味嗜好をまったく無視して、表現行為の一つとして、そして音楽的な観点から純粋に推し量るならば、この時期が最高峰である事は誰の目にも明らかだと言うのに・・・。

そして、その数年後、おじさんはやり方を変えた。

「発する事」だけ一生懸命にやってたんぢゃ駄目なんだ、「発する事」と「伝える事」とは方法論が全く異なるんだって事に気づいて・・・。

そう言う意味では、ぼくがおじさんを知った時は、おじさんは「伝える事」に関して一生懸命だったその渦中で、だからこそ、人に何かを伝えようとするその“熱意”みたいなものに、ぼくは強烈に惹かれたんだと思う。

おじさんから興味が離れていった理由も、「伝える事」を一生懸命やって、それが報われた(伝わった)後、おじさんの表現が更に次の段階に移行したからなんだろう・・・。

だってぼくは今でも、「発する事」に一生懸命な人や、「伝える事」に心血を注いでる人の演る音楽が大好きだからね。

ただ、これだけは言っておきたい。おじさんの様に「発する事」を一生懸命やった人が、その次の段階として「伝える事」に対して真摯に取り組むからこそ美しいのであって、何にも伝えたい事がない・・・むしろ客から何かを奪い取る(利益や快楽を得る)ために「伝える事」だけを一生懸命にやってる人間の音楽は、醜くて見ちゃいられないって事。・・・いや、「許せない」と言っても良いだろう。もっとも、いつも言う事なんだけど、エンターテイメントは別だよね。あれは元から、御伽噺や夢物語を見せる・・・悪く言えば観客を一時的に騙す事を目的としてるんだから・・・。

あと、今にして思えば、おじさんが反戦や反原発の歌を作り始めたり、子供が生まれた途端に作風がガラリと変わってしまってしまったのも、おじさん自体が変ってしまったんぢゃなく、おじさんの目(こころ)に映る風景が変っただけの事だったんだよね。

おそらくは、もしもこの地球・・・否、人間社会が、愛に満ちた平和で穏やかな世界だったならば、おじさんはきっと、美しい言葉とメロディの歌ばかり奏でる人になった事だろう・・・。

(つづく)

★勢いで一気に書き上げてアップしたため、いつもこのブログを読んでる人以外の方には言葉不足で誤解を受けた箇所があるかと思い、あちこち改定イタシマシタ。(^^;)

「おじさんへの手紙」②

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。

(①のつづき)

確か、「~IN CONCERT」と題されたその30分のテレビ特番で、動くおじさんを初めて観たんだったろうか・・・。そして、その後も綿密な諜報活動の甲斐あって、広島でも極短期間に深夜に放映されてた「ジャム・ジャム’80」での「唄の市’80」(←その日は電気楽器を一切使用しない企画だった)での「エネルギー~」や即興みたいな「イカ」だとか、土曜日の4時とかにこれまた広島では極々一瞬しか放映されてなかったと思われる(その日しか観た記憶無い・・・)加藤和彦司会の「アップルハウス」って番組で、もう「ボス~」発売後であるにも関わらず「雨あがり~」をスタジオで演奏してるのを観たり。もちろん全部ラジカセで録音したけどね。雑誌に掲載されていた記事を切り抜いてインデックス・カードにしたりして・・・。
RC2

それにしても、その年(’80年)の大躍進ぶりはすごかった。6月に「RHAPSODY」が発売され、8月には「シングル・マン」が再発され、年末にトランジスタ・ラジオ~アルバム「PLEASE」が発売される頃には、もはや音楽雑誌で記事を見かけないって事はなくなって・・・。翌’81年4月にはブレイク後初めて、「Please Play it Loud」って題されたツアーで広島にも“来日”。見真講堂ってホールで行われたそのコンサートを観に行くために、ぼくは友人と朝から楽器屋に並んで(←当時はたいていそうだった)チケットを買いに行ったよ。
RC3

ところで・・・話戻って、あれは高校に入りたての頃だったから’80年の4月か5月だったろうか。ある音楽雑誌に、珍しく割と長めのインタビューが載ってて、そこで初めて、ぼくはステージを降りたおじさんのシャイ過ぎる程の普段の性格を知った。あんなにパワフルに歌ってるのに・・・と、そのギャップには正直驚かされた。だけど、その記事を読んで、ぼくはますますおじさんの事を好きになったんだ。

だって、ぼくも人見知りで内向的なこどもだったからね。しかも虚弱体質のくせに天邪鬼と来てる。そんなぼくが、ステージに上がるや超エネルギッシュで、人に何かを伝えようとする時に発する熱量が半端でなく、しかも世間に対する皮肉たっぷりの辛辣な歌詞を書くおじさんが、実はとってもシャイで口数少なく大人しい人だって知った時に抱いた、その親近感たるや・・・。

それ以前には甲斐よしひろが好きで、その他にもラジオや音楽雑誌で知ったアナーキーとかリザードとかフリクションも並行して好きだったし、その後にもモッズ~スターリン~ハードコア・パンクと、音楽の好みはどんどん刺激的なものばかり求める様になるんだけど、あの頃はホント、おじさんの事が大好きだったんだよ。何せ、コピー・バンドまでやってた程だからね。

・・・と言うか、あの時期。・・・今考えれば、ほんのある一時期かも知れないけれど、おじさん以外に、ぼくには好きだと思える大人が一人もいなかった。

そりゃ親も兄弟も友達も居たさ・・・。だけど、ぼくにとってはぼくを抑圧する存在でしかなかった実の父親は、嫌いだとか怖いだとかを超越し過ぎてもはや居ないも同然と言うか、自分の意識から抹殺する以外に、ぼくが生きていく術はなかったし・・・。

みんな嫌いだった。すべてが憎かった。実の家族でさえも・・・。どうしてぼくだけ、考え方や好みがみんなと違うってだけで、こんなにまで孤独な気持ちを味合わなきゃいけないんだ・・・。そりゃ精神力や体力は全然ないくせに食べ物の好き嫌いは異常に多いし、口を開けば不平不満や屁理屈しか言わない、どうしようもない奴だったけどさ。

だからあの頃・・・。今思えば、若き日に陥りがちな熱病に過ぎなかったも知れないけれど、ある一時期、ぼくには好きな大人・・・そしてぼくが憧れる様な生き方をしてる人間が、その頃ぼくの知りえる狭い世界の中ではおじさんしか居なかったし、実の父親には申し訳ないけど、ぼくにとっては実の親以上の存在だったんだ。

ぼくに、ぼくみたいな人間の使い方を、こんなどうしようもないぼくを、この世で生かす方法を教えてくれた・・・。

本当に・・・。本当に大好きだった!!それこそ夢中だった!!ぼくの小さな人生のすべてだった!!

「勇気づけられる」ってのは、おそらくこう言う事を指して言うんだろうね。

だけど、今はもう大丈夫。ぼくは誰の力も借りず、自分独りの力で生きていく事が出来る様になったからさ。・・・あ、いや、お金はまた誰かに借りるかも知れないけど。(^^;)

ぼくが大学に進学もせず一度も就職しなかったのは、間違いなくおじさんと出会ったせいだよ。もっとも、いずれにせよ“出来なかった”かも知れないけどね。

おじさんのやってる仕事、特にあのバンド解散以降の活動には正直興味はなくなったけど、テレビや雑誌で見かけた時には、「あ~あ。あんな着ぐるみなんか着ちゃって、相変わらずしょうがね~な~、あのオッサンは・・・。」なんて思いつつも、「まあでも、あのサーヴィス精神と言うか、お調子モン的な悪ふざけは昔からだもんな・・・。」なんて思って横目で見てたよ。

そんなおじさんの派手で人騒がせな表面的(と言うか対外的)な部分や、子供が生まれてからの表現形態の著しい変化についてのぼくの考えは、また今度述べさせてもらうけど・・・。

そんなに急に居なくならなくったっていいぢゃん。いつも当たり前の様に、そこに居ればいいぢゃん・・・。またどっかで何かしょ~もない事やらかしてさ。これからも、そしてこの先もずっと、ぼくを呆れさせ続けてくれよ・・・。

あんたの代わりを、一体、他の誰が出来るって言うんだ。

いいトシして、しわくちゃの顔にメイクして、相変わらずクレージーでド派手な格好してさ。

おじさんの事を知らない子供や、まったく興味の無い人からすれば、ただの人騒がせな、“変なおじさん”・・・。

でも、ぼくにとっては・・・。

ぼくの好きなおじさん。

ぼくの大好きだったおじさん!!

(つづく)