欠点・・・つうか、まあ自分にとって好ましくない点や都合の悪い部分って事だけど。
その渦中では何だか解らなかった事も、後になって考えると納得出来たり。
そこで、お題。
「自分の個人史におけるRCとは一体何だったのか?」・・・みたいな。
最初は単純にあの声と曲の良さとで好きになった訳だけど、その後あんなにのめり込む事になったその理由とは?
しかも、私の好みではなかった、あのショウ・アップされた表面的な派手さと対外的なスタンスを差し置いてまでも・・・。
そう考えると、やっぱ何の取り得もなくていつも教室の隅っこに居た様な内向的消極的悲観的厭世的な人間に、「こんなやり方もあるんだよ」・・・って、勇気や希望を与えてくれたって事に尽きるだろうか。
と・・・まあ、もちろんそれはあくまでも私にとっての話であって、この言い分に共感してくれる人ももちろん居るだろうけど、中には(私の世代で言えば)ヒデキやジュリーを好きになる感覚だった人も居るだろう。
ただ一つ言える事は、ある種、あんな格好でお茶の間に登場して、下手したらゲテモノキワモノ扱いされて一瞬のうちに消えてしまう可能性も充分にあった訳で、でもそうならないで何年も人気を保ったって事は、あの表面的な派手さや対外的なスタンスだけではなく、やはり何かしら内面的にも魅力があったのではないだろうか。・・・と。
他人のあそこが嫌い、ここを直して欲しいって事は、もちろん自分もしょっちゅう思うし、あって然るべき感情だとは思う。
だけど、あまり他人に「こうして欲しい」、「こうなって欲しい」、「ここを直して欲しい」って思ったり願ったり怒ったり叱ったりする事って、これも結局ある種、他人に対する“依存心”に過ぎないんぢゃないかな~なんて、最近思う様になった。
自分一人の力で物事を解決したり成り立たせる事が出来れば、何の問題もないんだし。
結局の所、“支配欲”と“依存心”ってのは、表裏一体なんだよね。
自分にとって都合の良い性質しか持ち合わせない、そして自分にとって都合の良い事しか口にしない様な人しか好きになれない人は、何もかも自分の自由に出来るお人形サンでも集めれば良いって事。
人間を好きになると、色々苦労もするし悩みもするよ・・・。
あれ?若い頃は人間嫌いだった私が、何でこんな事言い出してんだろ?
もしかして、人間として成長しちゃったかな!?
・・・と、臆面もなく自分で言ってみたりして。(^^;)
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