やさしくするだけでは、人から自発的な努力する気持ちを奪ってしまい、結果的に駄目にする。
厳しくするだけでは、人がついてこない、あるいは離れて行く。
教育する能力ってものがあるとするなら、何をどれだけ知ってるとか、何をどれだけ出来るかって事よりも・・・。
やさしさと厳しさ、その両方を良いバランスで兼ね備えている事の方が大事なのかも知れない。
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音楽とはかくあらねばならない・・・と言う考え方は個人個人異なって然るべきで、それぞれが個別の価値観を持つに至った理由なりきっかけと言うものは、幼少期や思春期にそれぞれが音楽が持ついくつかの魅力のうちの一体どこに感動を覚えたのか?と言う、その部分に大きく左右されるものである。
そしてそれは文学や絵画に対しても同様であろうし・・・。
おそらく人間(他人)に対しても同様である。
そもそも、人間と言うのは基本的に「喜びたい」生き物であり、そのために色々考えて努力したり工夫したり行動したりする訳であるからして・・・。
自分とはあまりにも価値観がかけ離れている人間も、やはり自分の行動原理同様、「喜びたい」からそうしているのだと推測される。
よって、批判されるべきは「自分と異なる価値観を持つ者」などではなく・・・。
「喜びたい」と思わない者。
「喜びたい」ために自ら努めて行動しない者。
「喜びたい」人間の邪魔をする者。
・・・等であろうか。
「金がなければ生きられない」なんて、嘘っぱちである。
人間として恥ずかしくない・・・と言うか、最低限の社会生活を送るため、見栄や体裁を保つため・・・に、お金が必要なだけだ。
人間としての幸せや喜びを得る事と、経済的な活動が本来は無縁である様に、音楽の良し悪しと経済的な成否とは本来無縁だったはずである。
創作活動と経済活動を両立させる事は、多くのミュージシャンなりアーティストの夢であり目標ではあるだろうが、音楽から得られる喜び、音楽からもたらされる感動は、そもそもそんな所にはない。
それでは、音楽が本来持つ魅力や影響力を取戻すためには、どの様にすれば良いかと言えば・・・。
それは経済的に成功する事などではなく・・・。
創作活動と経済活動とを切り離す事・・・であり、それ以外の何物でもない。
経済活動を成立させられない者を認めないだとか、その様な人間は創作活動をしてはいけないなどと言う迷信は、人間に経済活動を強いる事によって利益を得ている人間によって流布された詭弁である。
だがそれもまた、音楽なり創作活動の価値を経済活動より上に置く私個人の、自分にとって都合の良い意見でしかないと言う事も事実。
話変わって・・・。
ブログを書くのは楽しい。
何故なら、経済活動とは無縁に好き勝手な事が言えるから。(厳密に言えば仕事に費やすべき時間と労力を削ってはいるのだが・・・。)
よって、もしもこのブログへの来訪者一人毎に一万円の収益があるとすれば、私はこう書くであろう。
「アハ!!いつもこのブログを読んで下さって、ありがとうゴザイマ~ス!!(ハートマーク)」
・・・と。
そんなの読みたいか?