「金●マ」って番組で、松●シュ~ゾ~が子供達に合宿でテニスのコーチをする企画をやっており・・・。
残念ながらその時は番組の後半部分しか観る事が出来なかったのだが(前半は翌日、Y0u tubeで観た。もう削除されてるけど・・・)、いやホント、それは実に素晴らしい内容であった。
簡単に言えば、自らの意志で「世界のテニス・プレーヤーを目指す事」を目標とする子供にのみ、その対象を限定し、こころを強く鍛える事を主眼としたトレーニングが、そこでは繰り広げられていたのだ。
よって、自らそれを望まない者には何ら強制をする事なく、あくまでもその目標を自主的に選択・決定した子供達が自ら望んで合宿に参加し、それぞれの能力やレベルに適応した課題をクリアして行く事により、彼らは目覚しい成長を遂げて行く。
ここで重要なのは、誰かに命令される訳でもなければ、あまりにも自身の現状とかけ離れた無理難題を押し付けられたりはしないと言う事・・・である。
実際、彼らはそれぞれ、ほんの少し(←いやしかしそのほんの少しがなかなか出来ないのであるが・・・)のやる気と努力と本気度を出す事によって壁を乗り越え、「やれば出来るんだ」と言う自信をつけ、本来備わっているはずの潜在能力を発揮するコツを覚えて行くのだ。
例えば、ある子供に対してシュ~ゾ~氏はこう言った。
「技術や能力が無いから出来なかったんじゃない。自分には無理だと思ってあきらめたから出来なかったんだろ!?」・・・と。
いや~!!ミーハーな私は、テニスどころかスポーツ全般に殆ど興味ないくせに、一発でシュ~ゾ~氏のファンになってしまいマシタよ。(^^;)
やっぱ人を育てるのって難しい。
「教える」だけなら、相手がどんな人間であろうが、こっちが勝手に理屈なり知識をただただ提示すれば良いだけの話だけど・・・。
「育てる」ためには、その対象物の資質なり現在の能力の度合いを、個別かつ正確に把握しなければ絶対に出来ないのだ。
そして、そのレベルに合わせて、少し高めの要求を課して行き、更には、あくまでも本人の自主性によって、それを乗り越えさせて行く事が必要なのである。
何故なら、そうしなければ、それはただの「動物に対する躾」であり、「ロボットの改造」になってしまうからに他ならない。
子供自身の意思を無視し、本人にその気がないにも関わらずやりたくもない事をやらせて子供を歪ませたり、あまりにも無理な要求をして子供から自信を奪ってしまってる親って多くないデスか?
子供には本来、多様な可能性と未知な潜在能力が眠っているはず。
子供の気持ちを無視した親のエゴで、その未来の希望を奪う事だけはやめて頂きたいもの。
愛情とは、「自分がどれだけ相手の事を思っているかと言う独り善がりの度合い」ではなく、「自分がどれだけ相手の事を本気で理解しようと努力しているかって事の度合い」・・・ではないでしょうか。
シュ~ゾ~氏、あるいは例えばタレントで言えばベッキ~みたいな、「自己の優位性を誇示する事なく、人に勇気や元気を与える人」が、私は好きデス。
何故なら、おそらく彼らの明るさと自信は、それぞれに生まれつき備わった能力ではなく、彼ら自身が自らの努力によって勝ち取って来たものなのであろうと思えるからなのでありマス。
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