月末で忙しいゆえ、ほんの一言だけ・・・。
「“労働なき富”は“社会的大罪”」などとほざいて多くの国民からツッコまれたのは我が国の首相であるが、これって元はガンディー(=ガンジー)の言葉なんだってね。
おそらくはガンディーも、毎月の家賃支払いに追われて苦しんでたんだろうな・・・。(←それは違うと思う!!)
それにしても、何と言うか・・・。
ただただ日本を良くしようとするのが生きがいで、資産も豪邸も地位も名誉も要らないってな政治家はいないのかね?
そんでもって、母国を食い荒らす寄生虫もどきの売国奴どもをバンバン退治してもらいたいってもんだよ。
結局の所、あいつらが力を入れるのは“政治活動”なんかじゃなくて、“選挙活動”だけじゃねえか。
いつかテレビで、馬鹿面下げた立候補者のオッサンが田舎の農村で有権者に走り寄って汗だくで握手してる姿見たけど、あんなのが当選してるんだとしたら、とんでもない国だよここは。(TT)
うう・・・本当はもっと真面目に勉強して、自分自身が政治家を目指すべきだったんだよね、きっと・・・。
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美しさとは・・・?
動物や昆虫であれば、それらが本来持つ形態なり生態に忠実である事。
・・・たとえそれが、人間から見て如何に醜悪であると感じられようとも。
それでは人間は?
ヒトが、自分より強い者に媚びへつらってる姿を、果たして美しいと呼べるだろうか?
そしてそれは対人間に限らず・・・。
“美しいとされている”もの、“正しいとされている”もの、“美味しいとされている”もの、“心地良いとされている”もの・・・。
「どう?私って美しいでしょ?正しいでしょ?美味しいでしょ?心地良いでしょ?」
これでもかこれでもかと言わんばかりに押し付けられる、過剰なおもてなし。
「これだけ権威に頭を下げてるんだから、貴方も私の美しさを認めなさいよ!!」
・・・さあ、それはどうかな?
少なくとも、施しを受ける事が嫌いな自立した人間にとっては、その様な至れり尽くせりは不快でしかない。
・・・かも知れないぜ。
美しさの基準まで、多数決で決められてたまるかよ。
人間にとっての“美しさ”とは、己の美意識に殉ずる事・・・だ。
(画像は元プラズマティクス~WENDY.O.WILLIAMSのソロLPの裏ジャケ。)
先の記事でJ-POPがどうだこうだと書いてしまったが・・・。 J-POPの“J”は、ジャンクかジュニアの“J”であろうか? これは昨日、ネットで観た某有名バンドの映像が原因である。しかも、期待を込めて4~5曲もはしごして聴いてみたと言うのに・・・。 何と言うのだろうか、私には、先日のM-1で優勝したPBBに似たものを感じてならなかったのである。 もちろん、売れてたり人気があるからには、ある一定の水準はクリアしてるのだが、しかしまたその反対に、ある一定のラインは決して超えない・・・みたいな。 過去に既に世間から認知された部品、“良いもの”とされるパーツのみで構成された、非常に良く出来た優良な作品。 ・・・否。何も作ってなどいないのだから、これを“作品”と呼ぶ訳には行くまい。 語るに値する過去もなければ、語るべき思想や理想すらなく・・・。 そもそも、ステージに立つなり人前で作品を発表する資格のある人間と言うのは、あくまでも一握りの人間であり、もし仮にそうでないとしても、いずれにせよその栄誉ある座に君臨し続ける事が出来るものは、やはり極少数であり、そのジャンルなり分野のクオリティを保ちなおかつ高めていくためには、絶対にそうあるべきなのだ。 奇人、変人、天然、天才、そして超人。 彼らは生まれつき、あるいはその後の努力によって、好むと好まざるに関わらず、自らを少数派に追いやっていく生き物。 そしてそれは、自分が多数派に所属している事によって安心感を得たり、自らの能力によってではなくただ単に多勢に無勢で少数派を迫害して優越感に浸っていられる様な凡人なんかでは決して在り得ない。 例えばエンターテイメント界のスターは、手が届かない程の憧れの存在であり、彼自身もまた生まれつきの、そしてその後の努力によって、その座・・・すなわち少数派である事の栄誉に預かっているのだ。 また、明らかに一般大衆とは異なる容姿や精神構造を持ったフリークスも、また然り。 テレビの世界ではサザエさんが人気者かも知れないが、上野動物園の人気者は犬や猫ではなくパンダなのだ。 要するに、誰もが持ちえている様な長所や特技程度では、あちら側には立てないのだと言う事。 生まれつき、もしくはその後の努力で自らに、一般大衆から遠くかけ離れた能力なり魅力を身に付ける事によって初めて、観客席ではなく舞台に上がる事を許されるのだ。 一般人ではない人、一般人とは異なる人、一般人を超える事の出来る者こそがステージに立つべきであり、その座・・・すなわち異人なり偉人、更には超人を目指す事こそが、芸事に生きる者の宿命なのである。 それは、隣のお兄さんや隣の未亡人の様に、ちょっとの努力で手が届きそうな存在なんかでは絶対にあってはならない。 そこを目指す者は、現在そこに居座ってる者を凌駕する以外に、そのポジションに取って代わる方法などないのだ。 本来、芸事の道においては、投資する資金の額や経済的な成功の有無など、その演目の本質的な評価とは全く無縁なのである。 ましてや、家畜扱いされている事に対して不満も疑問も抱かぬ国民にも選挙権を与えると言う、何とも野蛮な民主主義とやらを掲げる我が国。 経済活動と言う足枷がある限り、ましてや文化が経済の奴隷であり続ける限り、この国に超人など生まれ得まい。 あるとすれば、人気や人格に関わらず、秒数や得点によってシビアに勝敗の決まるスポーツの世界くらいだろうか・・・。 人間と言う生き物に生まれて・・・。 音楽の世界において、自分が成れないのであれば・・・。 せめて、私は観たいのだ。 ・・・超人ってやつを。
J-POPなんて言葉、生まれて初めて使うのだが・・・。(←それは言い過ぎ) もちろんこれは、後からJ-POPの仲間入りをさせられた昭和のシンガー・ソング・ライターには当てはまらないと言うのが大前提である。 それにしても、何て言うのだろうか、私にとって昨今のJ-POPとは、“やさしさ成分”のみで構成されているって言うか、“誰かを傷つける可能性ゼロな安全な部品”のみを使用しているだけ・・・だとしか思えないのだ。 そしてその結果、そこには孤独感を味合わされる事もない代わり、何かを代償にして勝ち取る喜びもなく、ただただこころの葛藤から目をそらし続けているだけで、かと言って更に高度な快楽を強く求めている訳でもない・・・と言う風にしか私には感じられないのである。 平和だからって幸せな訳ではなく、安定しているからって幸福な訳でもない。 それらは、ただ単に幸福な位置に留まっている・・・すなわちその場所に居ると言う事実があるだけであり、“困ってない”状態であると言うだけに過ぎないのだ。 ・・・とは言え、まあ誰も好き好んで困りたくはないものではあろうが。 しかるに、幸福感とはあくまでも、平常心・・・と言うか、こころが日常的に在る位置から上向きに上昇した場合の、なおかつそれが元あった位置と比較してどれだけ変化したかと言うその差異からもたらされるもの。 ゆえに、日常が平和であれば更にそれを大きく上回る快楽やサプライズ的な喜びを必要とし、その逆に日常が牢獄に繋がれた囚人の如しであれば鉄格子の外に出て太陽の光を浴びる事のみでそれを得る事が出来るかも知れないものなのだ。 よって、その振幅や起伏の度合いが少ない場合は、当然の事ながら、その喜びも薄いのではなかろうか?・・・と、私の様な人間は考える次第なのであるが。 ・・・否。しかしまた、それらの考えを更に一歩推し進めてみるならば・・・。 その程度のささいな喜びや、安心感が継続する事によって得られる安定に浸る事で幸福感を感じられると言うのであれば、それは何とも燃費の良い人生であろう事か・・・とも。 いずれにせよ、現世を無難にやり過せば、あの世かどっかで誰かに褒めてもらえるか、何かしら素敵なプレゼントでももらえるのであろうか?・・・などとも想像してみたり・・・。 だがしかし、人間にとって一番悲しい事は、与えられた肉体の能力なり精神の許容量を使い切らずに死ぬ事である。 ・・・と、私が考えるだけであるが。 何にせよ、“繊細”と“臆病”との違いと言うか、その処世術に長けた危なげの無さは、物足りなさを通り越して気持ち悪い程でさえあるのだ。 生きているのか死んでいるのか解らないオタマジャクシがプカプカ浮かぶ水槽・・・。 それが私にとっての、偽らざるJ-POP観である。 J-POP好きな方には本当に申し訳ないのだが、“困った人”・・・だとでも思って許してね。(^^;)
★昨年11月の新大久保アースダムに続き、広本晋バンド(DDD)のライヴが再び行われマス!!今回もまた、尺八/パーカッションにマリア観音の木幡東介、ヴォーカルには“かたすかし”のメンバー2名が参加イタシマス。
■「ヒカリノ香車 presents "頼りにしてるぜ"」
日時:2010年1月15日(金)
出演:
ヒカリノ香車 、P.I.M.P.、広本晋バンド(DDD)、他未定。
場所:
幡ヶ谷CLUB HEAVY SICK 東京都渋谷区西原2-27-4 B1
TEL/03-3466-1445
地図:
PC /
携帯 詳細未定
◆広本晋バンド(DDD):広本晋(G/P.I.M.P.)、清水玲(B/soh band、コヨーテ)、オカジ(D/ヘブンズダスト)、日沼菊治郎(Vo/かたすかし)、寺子屋寺子(Vo/かたすかし)、木幡東介(尺八、パーカッション/マリア観音)。
◆広本晋バンド(DDD)の出演は21時からとなりマス!!
★急な決定で大変申し訳ありマセンが、皆様のご来場、こころよりお待ちしておりマス。m(_)m
<言い訳>たはは・・・。作成してた文章が途中で消えてしまった上に、その後も日々忙しく、更に昨年は清志郎が死んだりして意気消沈したせいもあるとは言え、(つづき)のまま、ほぼ1年間もお待たせしてしまい、申し訳ありマセンでした~!!(^^;)
(過去掲載記事)
■「広島パンク~ハードコアの歴史」(番外編)~「C.O.P(CORRUPTION OF PEACE)」① ■「広島パンク~ハードコアの歴史」(番外編)~「C.O.P(CORRUPTION OF PEACE)」② ■「C.O.P.復活ライヴ~CD発売記念ライヴ告知」 ■「広島パンク~ハードコアの歴史」(番外編)~「C.O.P(CORRUPTION OF PEACE)」③ (~のつづき)
さて、C.O.Pの進化の軌跡が持つ真の意味合い、そしてハードコア・パンクの歴史に残したその重大な意義とは何であるのか?と言う点についてだが・・・。
わが国日本においては、ハードコア・パンクのみならず、そもそも音楽自体が、欧米から輸入された最新流行品にいくらか手を加えて日本流にアレンジすると言うのが主流であった。そしてそれは革新的な精神を持っているはずのパンク・ロックにおいても同様であり、むしろポスト・パンクの方が斬新なスタイルを発明する可能性がいくらかは残されていたのだが、しかしそれもまたポスト・パンク的な音楽スタイルをただ踏襲するだけと言う元も子もない状況だったと言うのが一般的な見解であろう。
そんな中にあって、日本のハードコア・パンク・バンドも、メタル・コア化、ノイズ・コア化、スラッシュ化等々、様々な変化を見せる訳であるが、その殆どはいずれも既存の音楽的スタイルを選び取っているだけに過ぎず、当初はハードコア・パンク・バンドとしてデビューしたソドムに至っては最早ハードコアのハの字もない流行の最先端の借り物音楽へと次々モード・チェンジを繰り返す有様であった。・・・とは言えもちろん、その一方ではガーゼの様に結成当初からその後何十年にも渡ってエクストリームで過激なサウンドを独自に追求し続けるバンドも居れば、エクスキュートの様にリーダーでありギタリストであるLemmy氏が持つ美意識を忠実に楽曲へ反映させて行ったバンドも居たと言う事もまた事実ではあったが・・・。
そしてそれらを踏まえ、再度C.O.P.について考えてみると、もちろん彼らもUKハードコアに端を発し、バッド・ブレインズ等USハードコアの影響もモロに受けてはいるものの、アルバムに収録されている楽曲を作曲者ごとに見比べて行くと、そこにはまるでそれぞれのメンバーの異なる嗜好やその後の方向性が楽曲を通して垣間見えるかの様であり、そう言った各々の人間性に基づく音楽的な発展形態の選択肢の多さと、それらをブレンドする事によって更に広がる可能性の振幅の大きさこそが、彼らの、単にハードコア・パンクと言う借り物の音楽スタイルを踏襲し再生産するだけのバンドに比べ大いに異なる点なのである。
また、それら個々の嗜好や方向性の差異を補って余りあるメンバー間の結束力の高さによって、彼らはバンド自体をまるで一つの生き物の様に成り立たせており、そう言う意味においても、もしも彼らがこの先も活動を続けていたらどの様なバンドに進化していったのだろうかと言う点は非常に興味深い事柄なのであるが、(色々な裏事情があったとは言え)短命に終わってしまったがゆえに、その点は想像するしか手立てがないのが惜しまれてならない。
ちなみに、C.O.P.の様なバンドを他に挙げてくれと言われれば、私はLIP CREAMではなく、むしろ故チェルシー氏のバンドであるPAINT BOXを挙げるだろう。何の迷いもなく・・・。
最後に。次回(←性懲りもなく続く?)はアルバムを作曲者ごとに追って解説する予定なので、今回は今まで語りそびれていたKEVIN氏に関しての想い出等を記述して終わるとしよう。
当時としては画期的な外国人ヴォーカルであったKEVIN氏。彼の最大の魅力は、やはりその流暢な英語の発音にあった・・・と言うのは半分冗談だが・・・何をおいても素晴らしい彼の特色とは、当時高校生だったと言う事もあるだろうが、やはりそのストレートかつ全身全霊を込めた歌唱にあると私は考える。支配者や権力者による抑圧や偽善に対する抵抗や怒りがパンク・ロックにとって最も重要なアティテュードであると言う点に関して何の異論もないと言うのであれば、彼こそはまさしく正真正銘のリアル・パンク・ロック・シンガーであると言えよう。当時、客席からステージが良く見える目黒鹿鳴館でのライヴにおいて顔を真っ赤にして熱唱していたKEVIN氏の姿は、今でも私の脳裏に刻み込まれており、そしてそれはまた、20年以上の時を経た再結成ライヴにおいても同様であった。
(つづく)
(画像はC.O.P.参加のコンピ・テープ。)
■今回、NASHI(なし)のEPを特別に入荷する事となりマシタ。以下、発売元レーベル様からのインフォとなりマス。
2010年1月15日発売予定
CRUST WAR-039
NASHI "NO CALL A NAME" 5songs EP
『退屈でうんざりするシーンに蹴りをくらわせるFUCK-YOU ATITTUDE!!! 凶暴で華やか、恐ろしいほどリアルな衝動』(NISHIDA from ダンスマカブラ)
NASHI(なし)は、LAUGHIN'NOSE加入以前のPON(B.)を中心に79年秋に結成された特異なビート感覚を持つバンドだった。半年程の活動を経てKOSHI(Vo.G.)が加入し高速パターンへと進化していったその過程は当時PONのベースがモールスベース(モールス信号のような矢継ぎ早のピッキングのベース)と呼ばれていた事からも想像できるが更に80年代初頭の関西シーン中枢で常に一歩先から存在感を示していたであろうKOSHIの毒の入ったヴォーカルとギター、当時最高速と言っても過言ではないビートを叩き出す敏腕女性ドラマーYONのドラムが加わったそのサウンドは正にハードコアパンクの何物以外でもないだろう!! 本作品はDr.のYON在籍時 NASHIのベストメンバーで録音されたものでパンク~ハードコアへと移行する1982年の大阪をリアルに体感できる音源だ!
発売元 CRUST WAR RECORDS
税込み店頭価格 840円
SIDE-A
1. UWASA
2. SLUM
3. BLACK MAIL
SIDE-B
4. MIND MIND
5. HINOMARU
■日頃取引がないレーベル様の商品である事から、入荷ロットが少々多めとなっておりマスので、皆様、是非ともご注文の程、ヨロシクお願いイタシマス。m(_)m
やあ、諸君・・・。 とうとうここまで、ボクの話を聞いてしまいましたね。 ボクこと“のひ太”が、家庭教師ロボットの“ドラへもん”と出会った時、「地獄」が待ち受けていたように・・・。 「あなた」にも!! ここまで“のひ太”の物語を、ただの作り話として聞いてきた「あなた」にも・・・。 これから災いが降りかかるのデス。 「地獄」が待ち受けているのデス。 何故なら、これから待ち受ける「地獄」は、ボク個人のドラマではありマセン。 読者全部が巻き込まれてしまうのデス・・・。 「あなた」も例外ではない。 「あなた」も参加するのデス。 これを読んでいる「あなた」も、ボクが受けたと同様の・・・「地獄」を味わうのデス!! そして、「あなた」は・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・。 その後も、ボクは相変わらず、まるで透明人間の如く、こころが死んだフリをしながら学校へ通っていた。 そして、もうすぐ小学校5年生の2学期も終わろうかと言う12月の、とある日、彼女は現れた・・・。 そう。少年時代のボクを、更なる地獄へと突き落とす、あの女・・・。 元々、今のクラス担任の男性教師は高齢だったのだが、体を悪くして入院する事が決まったため、その代理として赴任して来た、若い女性教師・・・。 その名前、仁浦夏子。 ・・・通称、ナチコ先生。 これから始まる、この女教師とボクことのひ太、そしてトロヲこと不具多吐露男とが織り成す、悲惨にして陰惨な地獄の日々・・・。 それは間違いなく、その後のボクの人生を大きく変える転機となるもう一つの出会いであり、最後の地獄と呼ぶに相応しいものだった。 ウフフ・・・。 これぞまさしく、語るも地獄なれば、読むも地獄・・・。 ウフフフフフフフ・・・。 皆様・・・。 もうしばらくお付き合いの程、何卒よしなに・・・。 (つづく) ★作者注:今回、本文中において某名作漫画「デ●●マン」の一場面をパロディとして使用させて頂きマシタ。過去にも漫画「ア●ギ」やTVアニメ版「タ●●●マスク」における名台詞をパロディとして使用した回もあったんだけど読者諸君は気づいたかな?まあそもそも、この小説自体が「ド●●●ん」のパロディなんだから、何を今更?って話だけどさ。(^^)
先月パソコンが故障してメアド等のデータも消失したため、こちらから連絡を取る事が出来なくなってしまった方が何名かおりマス。以下の他、お心当たりのある方は当方までメールにてご連絡下サイませ。m(_)m ①----------------済------------------------ ②サディ・サッズのEPをWANTされていた方。 ③その他。 erectrecord★joy.ocn.ne.jp(←★を@に変えて)