Mr.エレクトの独り言 2010年03月
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

ベンキョー・ビジネス

最近、仕事の合間に・・・否、仕事の時間を削ってまでネットで政治経済について勉強しているのだが・・・。

感情的になった人達の「俺の方が正しい」的な議論を見るとがっかりするが、「正しい事とは何であるのか?」と言う事を理性的に追求するために議論している人達の姿は、フィギュア・スケートなんかよりも全然美しいものである・・・とか何とか思ったりなんかして。(^^;)

ところで、ネット上に存在する様々な情報のお陰で、長年刷り込まれ続けた我が国の歴史における自虐史観みたいなものもだいぶ薄れはしたが、しかしやはり疑問に残るのは、仮にあの戦争が回避出来ずやむを得ず始めたものだったとしても、その状況を国民が正確に理解していたかと言えばそんな事はなく、やはり国家・・・と言うか特権階級の既得権益を守るために国民が騙されて戦争に駆り出されたと言う事も否定し得ない事実ではなかろうか・・・と。

・・・否、騙されたと言うと言葉が悪いなら、まんまと乗せられた・・・とでも言うべきか。

そしてまた、それは昨年の政権交代劇にも言える事で・・・。

要するに、どんな国であれ、特権階級が既得権益を奪い合い、そのお陰で国民の労働力や財産が搾取される様な現状こそが、まずは否定されるべきであり、その根本的な元凶を改善せずして景気が安定したとて、それはただのごまかしや気休めに過ぎないのではなかろうか。

そう言う意味においては、不景気も悪くない。

・・・とは言え確かに、既に大勢の犠牲者が出ている事も事実ではあるのだが・・・。

親や教師から言われるままに、何の疑問も抱かず勉強を・・・と言うか、皆と同じ事を記憶する競争に進んで参加していた人達自身にも、その原因の一端はあるのだ。

実際の所、高校に入ってから落ちこぼれとなった私に、ある日、こんな閃きが脳裏に浮かんだのだった。

「皆が必死で勉強してる事と同じ事を自分も覚えたって意味ねえや!!」・・・と。

かくて、授業中は睡眠学習に勤しみ、勉強もせず読書もせず、好きな音楽を聴く生活ばっか続けていた訳であるが・・・。

その甲斐あって、ミュージシャンにこそなれなかったものの、まがりなりにもレコードを売り買いする商売でメシを食う事が出来る様になった。

これは一重に、高校時代、まったく勉強しなかったがゆえの賜物である。←ジョークよん!!(^^;)

だから今頃になって、必死で勉強してるのかって?

・・・否、それは違う!!

誰に強制された訳でもなし、私はただ単に自分が興味のある事をもっと知りたいと思っただけの事であり、要は相変わらず好きな事に対して夢中になってるだけって話なのだ。

つまり、ある意味、遊び呆けてるって事でもある。

「解ってるんなら、さっさと仕事しろよ!!」←自分を戒める天の声。(^^;)

・・・だってさ~。

あまりに知らない事ばっかなもんで、勉強するのが楽しくて仕方ないんだもの!!(^^)


<注>私の文章は本音とジョークが混在し過ぎて誤解を生みやすいため、今回はセルフ・つっこみを多用イタシマシタ。あしからず・・・。
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自衛隊増強案(追記アリ)

日本の未来を考えたら・・・。

陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の他に・・・。

マス・メディアの偏向報道や他国の洗脳工作による情報操作から国民を護るために・・・。

思想自衛隊ってのを増設すべきだよね。

う~ん?それともこれは、やっぱ個人個人でやるべき事かしら?

(以下追記)

・・・と言うのも、常日頃、マス・メディアは信用出来ないと頭では思いつつも、「まさかそんなに酷くはないだろう」とか、どこかで「報道における良心」みたいなものを期待していたのだが、それは大甘だったと言う事だ。

特にテレビにおける偏向報道は悪質で、例の“驚愕の子供手当て”(←今でこそ少しは報道される様になったが、既に昨日成立してしまった・・・)を初めとして、“現代の治安維持法と言われる人権侵害救済法案”等、一見すると世のため人のためになるような美名を纏った命取りの法案が次々切り出されてくるにも関わらず、その危険性を全然報道しないのだから。

非実在少年で有名な東京都青少年育成条例は、漫画家等の有名人が騒いだから、流石に大きく報道されたけど・・・。

また、これはどっかで読んだ話だが、そもそも人間ってのはパソコンと一緒で、どんなに頭の良い人でも知識や思考の源は入力情報に依存せざるを得ないから、日々インプットされる偏った情報によって思想が限定されてしまう事は充分有り得るし、いくら想像力があったとて知らない事に対しては危機感など抱きようもないののである。

そう言う意味においても、国防及び国民の生活を守ると言う観点からも、我が国に不利益をもたらす情報操作や洗脳工作に対する監視と言うものは必要不可欠なのではなかろうか。

・・・とは言え、それらの情報操作が他国からの戦略としてではなく、自国の権力者もしくはその支持者らが行っているとしたら・・・。

今度はまた、その逆に権力者にとって都合の悪い報道を取り締まる口実にもされかねないか・・・。

トナルトやはり、権力を持たせる事、そして権力の行使に対しては私達自身が目を光らせるしかないのであろう。

それにしても・・・。

今さらながら、「甘い言葉には気をつけろ」と言う教えを、ひしひしと実感する今日この頃なのであった・・・。

「哀れな理想主義者」訂正予告

その後の勉強により、社会主義と共産主義に対する認識の誤りに気がついたので、後日訂正イタシマス。m(_)m

独白者

先日、「私は愛国主義者でも排他主義者でもない」と述べマシタが、今回は後者について解説をば・・・。

どうやら、「外国人参政権」に対する危機感を訴えたため誤解されたふしがありマスが、私は今まで、国籍によって人種を差別した事は一度もありマセン。

・・・否、むしろ特定の国籍の人種を十把一絡に扱う様な人間を軽蔑してさえいるのデス。

それは、このブログを昔から読んでる方なら、私の親兄弟もしくは古い友人よりも良く知っているはず。

何故なら、国や地域、親や家系を、本人が自ら選んで生まれてくる事など出来ないからでありマス。

私はただ単に、日本がチベットやオランダの様になってしまうのがいやなだけデス。

また、私が国名を出して何かを批判する時は、その国の政策や方針・・・(もちろんそこには民意も含まれはイタシマスが)指導者の思惑や国家の在り方に対してでありマス。

・・・とは言え、私は人種差別を全然しないのかと言えば、そう言う訳ではありマセン。(←ええっ!?)

ただし、その際に用いる“人種”とは、国籍に基づくものでは絶対になく、あくまでもその人間個人個人の特質に基づいて・・・でありマス。

すなわち、既得権益の上にあぐらをかいて自分は何の努力もせず他人の財産(及び労働力)をむしり取る様な人種、人々を無益な競争に駆り立てて私利私欲を満たすために利益を貪ろうとする様な人種、質を落として大量生産した安物を売りさばいて文化や歴史の価値を貶める金の亡者に過ぎない人種・・・等々、あくまでも人間の生き方や価値観にその選択基準を置くと言う事デス。

話変って・・・。

それにしても、最近最も驚いたのは、私は今まで民主主義国家に独裁政権など生まれないものと思い込んでいたのデスが、むしろ日本の様に国民の気質が右倣え(今は左倣え?)の国の方が危ないのデスね。

考えてみれば、ナチス党も選挙で選ばれたんデシタっけか。

恥ずかしながら、昨年の衆議院選挙において、私は投票を棄権イタシマシタ。

何故ならば、「どうせ誰に入れても同じ」だし、「大して良くもならなけりゃ悪くもならないだろう」と高を括っていたからでありマス。

しかし、特定の政党を圧勝させてしまう事の危険性を、今回はイヤと言う程味わいマシタ。

これらは一重に、私に自衛意識、そして国防意識が欠けていたからであると、今は猛省しておりマス。

よって次の選挙では、たかが一票・・・そしてそれは決して報われる事のない死に票に過ぎない知れマセンが、後悔せぬよう有効に使うつもりデス。

メモ

反・貨幣価値(集金力)至上主義

職人的技術尊重主義

進歩的愛国主義論(追記/補足アリ)

先日、「私は愛国主義者でも排他主義者でもない」と述べたが、今回は前者について解説をば・・・。

思うに、基本的に私は「愛国者」である。ただ、その際に用いられる“国”とはあくまでも“国民”であり、“国家”に対してではない。

そう言う意味においては、私の“国家”に対する思いは“憂国”的な意味合いに近いものではなかろうかと思われる。

また、もし仮に私が広い意味において“愛国主義者”であったとしても、“「愛国主義」信奉者”では有り得ない。

ここ数日、ネット上で色々な意見を読み漁ったが、大雑把に言って80パーセント共感出来るものがあったとしても、100パーセント同意同調出来るものはなかった。

・・・否、それで当然である。

100パーセントの同意や同調などと言うものは既存の思想に対する依存に過ぎず、それこそがまさしく、人々から自分で考える意志を奪い、思考停止をもたらす悪癖であろう。

例えば、自衛隊を軍隊にするだとか日本も核武装すべきうんぬんと言った考え方に対し、これまで私は「この人達は、なんでそんな物騒な事ばかり言うんだろうか・・・」との思いを頑なに抱き続けていたが、現在「これはやはり一度は再考してみるに価する事柄ではなかろうか」と、その考え方が若干変って来た。

・・・ただし、まだまだ知識不足ゆえ発言する段階ではないと考え、(新しいアイデアは“不足”から生まれ得るゆえ、それはそれで良いと言う見方もある事を踏まえた上で、)今回は割愛するが・・・。

あと、てんのうせいに関しても思う所多々あるのだが、少なくとも日本の文化やアイデンティティが滅亡の危機に晒されている現在、これを廃止してしまうのは、国民の結束力の源と言うその存在意義においても非常に危険な事であろう。

しかし遠い将来、我々日本国民が本当にてんのうへいかやこうぞくの方々を敬う気持ちがあるのであれば、いずれはあの方達を日本国の象徴と言う特殊にして不自由な身分や公務から解放して差し上げる必要があるのではなかろうか?・・・とも。

もしくは、その反対にあくまでもてんのうせいを継続して行こうと言うのであれば、“国益”と“地球及び人類の平和”を維持する事を前提とし、それらを政府や自衛隊等が保持する権力や武力の不正な行使によって脅かされそうな時には、それを牽制するための“発言権”くらいはお持ち頂いてしかるべきではないか・・・と。

要するに、現在の様なお飾り・・・否、むしろ悪政に利用されかねない立場ではなく、むしろ国家の在り方を健全に保つためのお目付け役として存在した方が、今よりもっと国民からの信頼と尊敬を得られるであろうし、我が国にとっても有益な事なのではなかろうかと思うのだ。

そして更に言えば、愛国主義者=保守派であると言う考えが、どうも私には腑に落ちないのである。

国家なり国民を愛すると言う事は、もちろんそれらの良い所を愛し慈しみ後世まで護り伝えていく事であろうが、悪い所には目をつぶったり放ったらかしのままで良いと言うのでは、ただの懐古主義もしくはナルシシズム(自己愛)に過ぎず、更には国粋主義がエスカレートして全体主義に向かう危険性も孕んでいる気がしてならないのだ。

よって、無批判かつ無思慮な“愛国心”ではなく、あくまでも“憂国者”的立場に基づいて述べさせて頂くならば、愛国主義=保守的ではなく愛国主義=進歩的とし、良い所は残しつつも悪い部分は改善して行く事こそが、本当の意味で自国を愛していると言う事の証明ともなり、他国から賞賛や敬愛を得られる事に繋がり、それらが結果的には、我が国に“国益”をもたらす事にも結びつくのではないだろうか。

少なくとも、ただ金をばらまくだけの政策では、民度の高い人々からの尊敬など決して得られる事はないだろう。

<追記/補足>実際は、一口に“保守”と言っても、それはあくまでも急激な変革に反対する事であって、必ずしも現状維持する事のみを指すのではない・・・との事。


★色々と偉そうな事を書き連ねてしまいマシタが、これらはすべて日本と言う国を愛し、その将来を憂うがゆえの暴走であるとの意をお汲み頂き、平にご容赦の程。m(_)m

(TT)

「民死党、国会法改正案を了承」→言わば独裁政権法!!

「東アジア共同体、5月具体化=破屠山首相が取りまとめ指示」→1000万人移民受け入れ→オランダの二の舞!!

■以下はネット上で見つけたものをコピペ。
新しい戦争 その名も「乗っ取り戦争」
★スイスの永世中立を支える、スイス政府民間防衛より。
第一段階 「工作員を送り込み、政府上層部の掌握。洗脳」
第二段階 「宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導」
第三段階 「教育の掌握。国家意識の破壊」
第四段階 「抵抗意思の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用」
第五段階 「教育や宣伝メディアなどを利用し自分で考える力を奪う」
第六段階 「国民が無抵抗で腑抜けになった時大量移民」

我が国の未来(解説追加)

う~む・・・。

結局の所・・・。

元の父(じみ夫)は、母を馬車馬の様に働かせ、そのお金を愛人(アメリ子)に貢ぎに貢いだ挙句、母にあいそをつかされ離婚(落選)。

年老いた母はその貧しさゆえ、目先の子供の養育費(=手当て)に目が眩み、新しい父(みん夫)と再婚(政権交代)。

ところが新しい父は、家の中に色んな女(=移民)を連れ込み住まわせ、母を家畜同然の扱いで更に働かせ、しかもそうやって稼いだお金さえ好き勝手に使い放題。

かくて、用無し(失業者)となった母は無一文で家を追い出され、住む所さえ失うはめに・・・。

我が国の未来って、こんな所?

死神単独公演支援告知

死神ワンマン

★完全単独演者の死神氏が、初の単独公演に挑戦するとの事デスので、支援の意味を込め、当ブログでも告知させて頂きたいと思いマス。日曜日の昼間デスので、お間違えなく。m(_)m

以下、死神「偏屈声明文」より抜粋。
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死神 第1回単独公演まであと2週間。
あと2週間です。


損はさせません、是非お越しください。


3月28日(日)・昼
池袋手刀

初の単独公演を行います。

死神 第1回単独公演
「自縛自爆、血しぶき刺身」

12時開場
12時30分開演

3部構成・実演1時間10分
14時00分終演予定
(途中10分休憩あり)

前売1500円+飲代500円
当日1800円+飲代500円
(*チラシ持参で前売り扱い)


出演

死神


叩き語り、弾き語り、踊り語り、
完全「独」演。
これは個体の限界への挑戦である。

本当にヤバイのはこれ!!

「人権侵害救済法案」

・・・と更に、おまとめセット!!

「外国人住民基本法」

いずれも各自で検索・検証の事。m(_)m

今後の計画

え~・・・昨年主催に関わったイベントのブログでも述べマシタが、私のモットーは「文句ばかり言って何もしない」でもなければ「文句も言わずにやる」でもなく、「文句言いながらやる」なので、実は既に今後の計画に向けて着々と行動中でありマス。

とりあえず、5月か6月に新企画のシリーズ・ライヴをスタートさせるつもりで、先日とある店に出かけ、その話し合いを済ませて参りマシタ。

基本的には、「独りの人間の孤独な時間無くして、この世に天才や超人など絶対に生まれ得ない!!」との考えの下、そんな「自らを少数派に追いやっていく様な人達」を応援する企画にしたいと思っておりマス。

ちなみに、現時点で決定している事は、開演時間を20時以降にする事(&リハーサル必須)、出演者は単独(ソロ)演奏者縛りで、それも1日に2アーティストか多くても3アーティストのみ、・・・って所でしょうか。

また、次回木幡が単独公演を行う吉祥寺フォース・フロアは、あらかじめ客席にテーブルやソファーや椅子が設置されている店ゆえ、ゆったり落ち着いてライヴを鑑賞出来る環境が整っており特に問題ないのデスが、今回新企画の開催を予定している店は通常がスタンディング・ライヴ形式ゆえ、同日はフロアにテーブルや椅子を設置するなどして、観客の皆様がじっくりとライヴを堪能出来る様に色々工夫したいとも考えておりマス。

私自身にせよ、賑やかでノリの良いロックン・ロール・パーティー的なライヴも決して嫌いな訳ではありマセンが、舞台上の演奏者なり表現行為と真剣に向き合う様なライヴも大好物でありマスゆえ、要はその路線にも、もっと注目を集めたいってのが、この企画の主要な開催動機な訳デス。

既知の価値観なり権威で武装もしくは偽装された“力”ではなく、あくまでも独りの人間それぞれが持つ固有の人生観に基づく、自らの意志によって獲得した“力”。

そう言った、個人の能力なり技術が駆使された独自の表現行為、独りの人間がその精神と肉体と生命を酷使する事によって創り上げた自らの分身とも呼べる作品、それらに対し敬意を表し、その存在価値を高めて行く事。

・・・それが、この新企画の大きな目的なのデス。

どれほど文明が発達し、どれだけ楽器や機材等の性能が発達しようと、舞台上でその真価が本当に問われるのは、独りの人間、その一個人が獲得し確立し得た独自の“形状”なり“魅力”であるべきだと、私は常に考えておりマス。

無事開催実現の折には、皆様是非ともご来場の程、ヨロシクお願いイタシマス。m(_)m


・・・とは言え、まだどうなるか解んないんだけどね~。(^^;)

つぶやき

体力は無いが、忍耐力ならある。

貨幣(制度)の正体

貨幣とは言わずもがな、国家(及び国家間)と国民との契約に基づいた社会的信用によって成り立っている。

よって、自分の所有物であるリンゴを、そのもの自体は食用ではない貨幣と交換しても、再び自分がその貨幣で他人から食料を購入する事が出来るから、手元のリンゴを失ってもとりあえず飢え死にする事はない。

・・・否、むしろ、リンゴだけいっぱいあってもしょうがないし、リンゴは放っておけば腐ってしまうから、それを一旦貨幣に交換して保存(貯蓄)しておけば、たとえリンゴがその後不作になったとしても、いつでも自由に好きな食料を購入する事が出来る。

ゆえに、人は貨幣を求め、自分の未来・・・ひいては自分の子供の将来や子孫のために貨幣を集め増やし貯蓄に励む訳であるが・・・。

超大規模な地球的災害が起き国家が消滅・・・とまでは言わなくとも、食料が大幅に不足すれば、いくら貨幣を持ってても、誰かに食料を売ってもらえなければ空腹は満たせないのである。

すなわち貨幣とは、法律なり掟によって形作られた国家なり社会的な集団あってこその便利な道具に過ぎず、それがいつまでも続くものであるとの信用(幻想)の下に、貨幣制度は成り立っているのだ。

しかるに、これが例えば、雪山で遭難中の二人であればどうだろう?

ある程度までは友情や人情で何とかなるであろうが、極限下におかれた場合、一方がもう一方の持つ一かけらのチョコレートを売ってくれ(貨幣と交換してくれ)と懇願したとして、果たしてそれが受け入れられるだろうか?

この場合、圧倒的に力を持つのは一かけらのチョコレートであり、後に命が助かる見込みもない状況で、仮に一億円と言う大金を提示されても、(それが後日、確実に遺族に支払われると言う確証でもない限り)それに応える者は一人もいないだろう。

しかも、下手すると殺し合い・・・すなわち暴力によるチョコレートの奪い合いすら発生しかねないのである。

また、今度はこれが無人島に漂着した二人であればどうだろう?

果実なり獲物を獲得する能力がない者が、その能力のある者に対し貨幣を差し出して交換を要求しても、能力のある者が収穫物(果実なり獲物)の保有数に余裕がなく自分が飢えをしのぐのに精一杯であれば、その願いは到底聞き入れられまい。

要するに、その価値を国家が保障するからこそ、そしてまた私達が貨幣の価値を信用しているからこそ貨幣制度は成り立つ訳で、その信用が失われた状態もしくはそれ以上に最重要とされる価値(極限下における飢えを凌ぐための食料等)が存在する場合は、貨幣など何の力も持ち得ないものなのだ。

・・・とは言え、チョコレートを暴力で奪う者が優遇される様な原始的かつ野蛮な世の中が良いかと言えば、もちろんそんなはずはない。

しかしながら、果実なり獲物を獲得する能力を初めとした、人それぞれが持つ固有の能力や技術と言うものは、本来ならば貨幣なんかよりもずっと価値のある事であるはずなのだ。

ところが貨幣制度と言うものは、その人それぞれが持つ固有の能力や技術なんかよりも、貨幣を多く所有する者のみに力(自由や権利)が与えられる・・・否、そうするための制度だと言っても過言ではない。

・・・そもそも、法律自体が権力者や資本家を護り優遇するためのものなのだから、それもむべなるかなではあるのだが・・・。

それらを踏まえて考えれば、私達が本当に敬意を払うべきものとは一体何であるのかって事が、お解り頂けるものと思う。

そう・・・。

いつなんどき覆されるかも知れぬ約束を信じ、ただただ貨幣を求め、貨幣を蓄えようとする人生の、何と虚しい事か。

ましてやそれを崇め奉り、その制度に屈服するなんて・・・。

それにつけても、この景気の悪さよ・・・。

あ~あ・・・。

もっと金があればな~・・・。

これが本音・・・。(TT)


<関連記事>
「バカ王子のための貨幣制度」
「音楽を堕落に導く経済活動との不純な関係」

禁未来小説「ドラへもん」その107「ナチコ先生の提案」の巻

この日の出来事を、ボクは一生忘れないだろう・・・。

そしてまた同時に、その瞬間、ナチコ先生こと新任の女教師夏子に対するボクの淡い恋心にも似た憧れや慕情も、あっけなく崩れ去ったのさ・・・。

ナチコ先生「さて、今日から私がこのクラスを受け持つ事になった訳だけど、やっぱこの機会に心機一転が必要かなって私は思ってるんだけど、みんなはどうかな?」

女子生徒A「え~!!ナチコ先生、それってどう言う事デスか~!!」

ナチコ先生「ウフフフ、そうねえ・・・。気分を一新するためにも、いっちょ席替えなんてどうかしら?」

男子生徒B「賛成!!オレ、この席いやだったんだよな~!!」

女子生徒C「え~!!私、今のままが良いな~!!」

教室内は、ナチコ先生が持ちかけた突然の提案にとまどいを隠せず、教室内はざわつき始めた・・・。

ナチコ先生「みんな静かに~!!と・こ・ろ・で・・・私が考えてる席替えは、ただの席替えぢゃないのよ。」

・・・と、ナチコ先生はそのハキハキとした口調で、とんでもない・・・そう、とんでもない提案をボク達生徒に持ちかけてきたんだ。

その提案とは・・・。

ナチコ先生「私が女性だからって事もあるけど、これからの時代は女性がもっともっと社会に進出して活躍出来る社会になると思うの。そう言う意味でも、今のうちから女子のみんなには、積極性と自立心を養ってもらいたいって思う訳。そこで・・・。」

・・・そこから先は、ボクの口から説明しよう。

ナチコ先生の提案ってのは、まず女子に自由に挙手させ、その先着順にその女子生徒自身が自分の隣に座らせたい男子を自ら選び、教室内の好きな座席を選んで行く・・・と言うものだった。

フフフ・・・。勘の良い人なら、すぐに察しただろ?

これが、どう言う結果をもたらすかって事を・・・。

すなわち、これって一見、女子生徒の積極性を尊重し自主性を伸ばすための提案・・・であるかの様に見せかけてはいるけど、その実態は選ばれる側の男性生徒の人気投票・・・ひいてはヒエラルキー(階級)を、しかも他の生徒みんなが見てる前で、まるで晒し者にするかの如く明確にしてしまうって事さ。

・・・否、本来の目的がそこにあるかどうかは別として、結果的にそうなってしまうって事は疑いようのない事実!!

しかも・・・ボクはこの学校へ途中編入した上に、出来るだけ目立たない様に存在を消して生活してるし、それより何より例のシズコちゃんとの一件から、おそらくこのクラス全員からは見下されている存在のはず・・・。

そんなボクにとっては、こんな席替え、恥晒しの見世物にされるだけで何の得にもなりゃしないぢゃないか!!

・・・ところが、クラスの連中、特に女子のやつらと来たら、既に男子を品定めするかの様にそわそわしながら教室中を見回してやがる。

そんな中、クラス中にふざけたり大声を出すお調子者の男子生徒が・・・。

男子生徒D「うひゃ~!!オレ、照れちゃうな~!!」

女子生徒E「馬鹿ね~!!誰もあんたなんか選ばないわよ!!」

ナチコ先生「ウフフフフ・・・。」


馬鹿な!!本当にやるつもりかよ!!

焦るボクの不安をよそに、事態は既に公然の決定事項として着々と進行しつつあった・・・。

そう、着々と・・・。

(つづく)

タイムマシン論

今日は、科学・・・否、SFのお話。

タイムマシンは製造可能か?・・・と言うより、過去に戻る事は出来るか?

私は、「出来ない」と思う。

何故なら、過去とは人間の記憶に残されていたり、印刷物なり磁気データやフィルム等に記録として記されているものに過ぎず、実際にはその瞬間瞬間に常に消滅して行くと言うか、現時点においても“現在と言うこの一瞬の場面なり状態”のみが現実に存在するものとして、次々に刷新され続けているものと考える次第であり・・・。

写真で言うなら、今この瞬間に撮影した1枚を残し、古い写真はすべて破り捨てている様なもの・・・とでも言うのだろうか。

要するに、例えばビデオ・テープの様に、現時点において現在より以前の状態を時間の経過と共に記録した媒体を、現在あるいはそれ以降に再び巻き戻して鑑賞するのとは訳が違うのではないかと思うのだ。

そもそも、過去に戻ると言う事は、目の前にあるコップに注がれていた既に飲み干したはずのジュースが、再び元の量まで注がれた状態に戻ると言う事であり・・・。

それが仮に、大自然なり宇宙の法則に従ってもたらされた変化であれば、雨の雫が雪の結晶になったものが再び雨の雫に戻る様な現象が起こりうる可能性もなきにしもあらずではあるが、生命体である何者かの意志によって(時間の経過に伴う自然の法則による経年変化に逆らう形で)意図的に変化させられた物体なり状態が、まさしくビデオ・テープの映像を巻き戻したかの様に都合の良い瞬間の状態に戻るなどとは、私には到底思えないのである。

それこそまさしく、SFの読み過ぎ・・・とでも言うべき妄想であろう。

思うに、コップ等の人為的に作成されたものが壊れた場合は、やはり知的生命体の意志によってでしかそれを元の状態には修復出来ず、自然に消滅した気体なり生成された物質にせよ、後にそれが別の形もしくは構成する成分をいくらか変えた同様の形状で再び顕れる事はあっても、どこをとっても一寸違わずまったく同じものが自然のうちに形成される事など、ほぼ有り得ないのではないかと・・・。

もしも、その物体を原子だとかの実に小さな単位で推し量るのであれば話は別だが・・・。

道路は経年変化によってその姿を少しずつ変えながらも、いくらかの時間の経過の後にも現実に存在し、急に消滅したりなんかしないからこそ、Uターンして今来た道を引き返す事も出来るし、後向きに進んで元の場所に戻る事も出来る。

しかるに、時間・・・と言うか“現在そして現時点におけるその一瞬の状態”と言うものは瞬間瞬間毎に消滅しつつ生まれる・・・すなわち刷新され続けているに過ぎないゆえ、過去と言うものは常に消滅して行くと言うか現在に書き換えられている訳なのであるからして・・・。

それゆえ、逆に言えば、未来へ行くタイムマシンの製造は可能である・・・とも言えるのだ。

ただしそれは、単にその旅行中、自分の年齢・・・と言うか自身の肉体や生命を経年変化が起きない(もしくはそれが緩やかな)状態に置いておき、その差が開いた時点で目を覚ます事によって、「本人は10分しか経ってない気がするにも関わらず、まわりの世界は10年経っていた」と言う状態であるに過ぎないと思われる。

よって、その10年間の間、他人から見れば自分は眠っている(時間が止まっている)状態に置かれており、間違ってももう一人の自分と10年後に再会する事など有り得ないのだ。

そう言う意味においては、既に私達は未来へ向うタイム・マシンに乗り込んでいると言えなくもないし、しかしその過程において時間の経過をどう感じているかは個人個人で異なって当然なのである。

実際、自分自身の感覚にせよ、苦しい時間は長く感じられ、楽しい時間はあっと言う間に終り非常に短く感じるもの・・・。

繰り返しになるが、仮にタイム・マシンが製造出来たとしても、過去には絶対に戻れない。

戻る事が出来るとすれば、それは個人個人の意識の中、そして精神世界の上でのみ・・・の事。

しかし、未来はまだ白いキャンバス・・・否、書きかけのキャンバスなのだ。

そのキャンバスを自分自身が望む作品として完成させようとするか、あるいは時の流れ(経年変化)に身を任せ汚れていくままにするのかどうかは、個人の自由。

・・・とは言え、戻りたくなる様な過去(想い出)があると言う事は、それだけでも幸せな事なのかも知れないな。

米二スト

詳しい理由は良く解らないが、日本は食料自給率が低いにも関わらず減反政策とやらによって米作量を減らし、それに伴ってかどうかは知らないが、米の消費量自体も減っていると言う・・・。

しかるに、超偏食家の私としては米がなくなったら生きていけない訳なのでありマシテ・・・。

そこで今回は、またも誇大妄想に過ぎないと思われてしまうかも知れないが、私の率直な考えを述べてみたい。

まず、いきなり話はそれるが消費税・・・である。

消費税は誰にでも公平な税制であると言われるが、実際にはいくら年収が多いからと言って人の2倍飯を喰う訳ではないのであるからして、結局は収入が少なければ少ない程、それが重くのしかかる訳で、本当は食料品や生活必需品には消費税などかけず贅沢品にのみかければ良いでのはないのかとも思ったりなんかしつつ・・・。

実際には消費税をどうこうしようって訳ではなく、あくまでもそう言った考え方を踏まえた上での話であると言う事で・・・。

いわゆる政府米と言うのでしょうか?それを生産する農家はすべて国営にして米の生産量をもっと増やし、失業者をどんどん米作に従事させてはどうだろうか?・・・と。

もちろん、コシヒカリ等の特別な米を作る農家は民営のままで。

そして、政府米は超安価で流通させ、不正に需給されている可能性のある生活保護や失業保険その他の一部も現金ではなく政府米で支給する。

それで、お金に余裕があって、なおかつ政府米より美味しい米を食べたい人は、それぞれ自由に高価なコシヒカリ等を買えば良いのではないか・・・と。

そもそも、自分が稼いだ金で美味しいモノを食べる権利は認めるべきだし、かと言って貧乏人が安い米を買ってるからって文句言う金持ちもいないだろう。

何と言うか、自分の望みを叶えるためであるとか、欲しいモノを手に入れるために金を稼ぐって事は悪い事ではないと思うし、貧乏人より良い米を食べられる事で充分に優越感も得られる訳なのであるからして、いくら弱肉強食の競争社会とは言え、貧乏人に飢え死にしろとまでは誰も言わないと、私は考える次第なのである。

また、特に派遣切りにあった失業者の方々を見る度に感じるのだが(←もちろんすべてがそうであるとは言わないが・・・)、会社に勤めて働いて得た金で生きていくための食料なりなんなりを買う・・・と言った行為が、私には何とも回りくどい用に思えてならないのである。

(ここで、「あんたの物言いの方が回りくどいわ!!」・・・って突っ込みを入れてネ。)

そう言う意味においても、労働によってダイレクトに食料を得る事・・・すなわち農業に従事すると言うのは非常に良い事であると思うし、それ以前に元より就職口がないのだから、一旦お金を得る事自体がままならない訳なのであるからして、これからの時代を生きていくに当たって、これくらいの意識革命は当然なのではなかろうか・・・とも。

何せモノが売れない時代、ましてや自動車なんか作っても、庶民はなかなか買い換えてくれない時代である。

しかも、モノを作って売ると言っても、資本家の立場でなければそれは労働力と時間・・・すなわち命を切り売りして、しかもそこから得られる利益をピンハネされた上で収入を得て、そして更に原価に利益が上乗せされた食料を買わされるのだから、これではまさしく血を売って生きていると言うか自分の手足をちぎって食べている様なものではなかろうか。

・・・とまあ、それは良いとして。(←良いのかよ!!)

日本人なら米を食べよう!!

・・・と言いつつ、さっき菓子パン食べちゃった!!(^^;)

絶滅危惧種

てへへ・・・。

最近の記事から、ちょっとばかし誤解を受けられたかも知れマセンが、私は別に愛国主義者でも排他主義者でも何でもありマセンよ。

しかしまあ要するに、(特権階級ではなく虐げられた)少数民族や絶滅危惧種に対して、どうしても肩入れしてしまうんデスな。

かつて、ニホンオオカミが滅びた様に・・・。

現在は、“ニホンジンと呼ばれる種族のアイデンティティ”が絶滅の危機にあるって訳デス。

その他に心配なのは、“プロフェッショナルな仕事に対する敬意”・・・でしょうか。

ウフフ・・・。

そのうちきっと、お金出しても買えなくなりマスよ。(^^)

無題

また・・・である。

3歳の娘を暴行死させた義父に続き、「夫に似ていて憎たらしかった」だとか「妹の方がかわいかったから」などと言う理由で5歳の男児を餓死させた母・・・。

否、これらの事件は氷山の一角に過ぎない。

まだ幼い子供の小さなこころの内が、そしてその目に映る世界のすべてが、どれほどの大きな悲しみと絶望とで埋め尽くされた事であろうか・・・。

毎日毎日、他に頼るべき者が一人もいない状況で、誰かに助けを求める事すら出来ず、無償の愛で結ばれた存在であるはずの肉親から酷い仕打ちを受け続け・・・。

それを想うと、ただただ痛ましいとしか言い様がない。

それにしても・・・。

親が為すべき事とは、幼い子供の小さなこころの内を、生きて行く上での喜びや、未来への明るい希望でいっぱいにしてあげる事ではないのか!!

鬼か・・・。

それとも・・・。

狂人なのか・・・。

お前ら・・・。

それでも人間か!!


自らのこころの内に悲しみを感じた者は、一生涯、それを忘れてはいけない。

そして、自分が感じたその悲しみを、自ら再び、他の誰かに味合わせてはならない。

ましてや、自分より弱く小さな存在に対して・・・。

サヨナラ日本

定額給付金もそうであったが、子供手当てなんか支給しても結局有効に使われず、馬鹿な親が遊行(パチンコ等)に使うだけ・・・みたいに言われてマスね。

あるいは、一般家庭でも貯蓄に廻すだけではないか・・・とも。

そこで私は、お金を配る(税金の一部を返却する)のではなく、子供を育てるに当たって実際に使用する経費なり商品を割引するなり一律無料にすれば済む事ではないかと思う訳なのでありマス。

例えば、小学校の給食費を無料にするとか・・・。

そうすれば、遊ぶ金はあるのに給食費を払わないとんでもない親に更に遊行資金を渡す様な馬鹿げた結果にはならないし、ちゃんと給食費を支払ってる家庭は、その浮いたお金で他の買い物が出来るかも知れない・・・と。

もちろんそれでも、その浮いたお金は貯蓄に廻されてしまうかも知れないが・・・。

更に、そもそも子供を育てるのがそれほど苦しくない程の年収がある家庭に子供手当てなんか渡したって、何の意味もないし、逆に年収の少ない一般家庭では、この程度の支給額で「子供を産もう」なんて思えるかと言えば、そんな訳あるはずないのではなかろうか。

・・・と、そんな事を考えていた矢先に、ネットで「子供手当て」の驚くべき真実を知る事となった・・・。

(「驚愕の子供手当て」で検索してね。)

何とこの法案、もしや合法的に海外にお金(国民から徴収した税金)をばらまくために作ったのか!?

そんな事しても、国内の景気対策にも、ましてや少子化対策にもなりゃしないじゃないか!!

恥ずかしながら、最近になってやっと、あの党が売国党と呼ばれる理由が解ったよ・・・。

たとえそれが日本国民に不利益をもたらす行為であろうとも、一旦法律や制度が定まってしまったら、それを覆す事はたやすい事じゃないからね~。

個人の努力じゃどうにもなんないんだよ。

泥だらけの水槽の中で、自分だけは健康に生きていけると思ったら大間違い。

自分の身を守るだけの資産が既にあるのなら別だけど・・・。

このままじゃ何百年後かには、日本人固有の文化どころか、日本語すらなくなってるかもね。

一部の人間の私利私欲を満たすために奉仕させられ続けた挙句、お金のためなら何でも売り渡してきた国の、それが結末か。

お金がないせいで貧しいだけならまだしも、何ら誇る文化どころか、アイデンティティさえも失って・・・。

サヨナラ日本・・・。

サヨナラ日本人・・・。

サヨナラ・・・。

サヨナラ・・・。

Mr.エレクトの「独立宣言」(その2~反・愚民化政策)

これまで私は、ニュースでどっかの会社が潰れただなんだと報道されてても、それについて何か書くと世間の不景気感がますます増大してしまうのではないかと危惧し、あえてそう言った事には触れずにいたのだが・・・。

サクラYA全館閉店って・・・。

こりゃもうかなり、尋常ではなくヤバイ状態だよ。

こんだけ経済が疲弊化した上に、外国人参政権なんかが認めた日には・・・。

サクラチル・・・って言うか・・・。

「平和日本!!平和日本!!平和日本!!おしまいさ!!」(by THE EXECUTE)

・・・になっちゃうヨ!!

いつまでも人任せ、政治家任せなんかにしてたら・・・。

「数十年後には日本って国はなくなってるかも知れない」って説は妄想でもなんでもなく、紛れもない現実でっせ!!

私にとって、ピノキオをアレンジした「樫の木モック」ってアニメは幼少期のトラウマの一つなんだけど、毎日毎日(放映は毎週)遊園地で遊び呆け続けるモックを見て、子供心にも「モック!!そんな怠惰な毎日を過してて大丈夫なのかよ!!」って心配させられたもんだけど、今の日本ってそれに近いよね。

夢から覚めたらロバにさせられてた・・・みたいな。

(ロバ:ウマ科の哺乳類。古代エジプト時代から家畜化され、体は頑丈で粗食・労役に耐える。)

政治への無関心と無知によって・・・。

無関心無関心(昔昔)、勤勉な日本人は馬車馬の様に働いて働いて働いて働いて・・・。

気が付いたら無知(鞭)打たれ働かされるロバになっておりマシタ。

・・・てか?

まあこれがロ~バ心(老婆心)なら良いんだけど、どうもそうじゃなさそうだよ。

見てみろよ今の日本を。

「空気を読め」に代表される同調圧力によって個人の意見を封殺し、ネット・コミュニケーション・ツールの氾濫によって人々から自分と真剣に向き合う孤独な時間を奪い、手軽な娯楽の繁栄によって真面目に物事を考える事など馬鹿らしいと切り捨てる風潮がそこかしこに蔓延してるじゃねえか!!

これが日本人を愚民化しロバ(家畜)化する政策以外の何だって言うんだ!!

こんな不毛な土地にいくら種を蒔いたって、こんな底なしのどろ沼でどれだけ個人が努力したって、そしてそれをどれほど美化して語ったとて、何も変わりゃしない!!

独りの人間の孤独な時間無くして、この世に天才や超人など絶対に生まれ得ないのだ!!

よって私は、そんな「自らを少数派に追いやっていく様な人間」を、今後も積極的に応援して行くつもりでありマス。

国民総愚民化政策への、せめてもの抵抗として・・・。