Mr.エレクトの独り言 2010年03月11日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

禁未来小説「ドラへもん」その107「ナチコ先生の提案」の巻

この日の出来事を、ボクは一生忘れないだろう・・・。

そしてまた同時に、その瞬間、ナチコ先生こと新任の女教師夏子に対するボクの淡い恋心にも似た憧れや慕情も、あっけなく崩れ去ったのさ・・・。

ナチコ先生「さて、今日から私がこのクラスを受け持つ事になった訳だけど、やっぱこの機会に心機一転が必要かなって私は思ってるんだけど、みんなはどうかな?」

女子生徒A「え~!!ナチコ先生、それってどう言う事デスか~!!」

ナチコ先生「ウフフフ、そうねえ・・・。気分を一新するためにも、いっちょ席替えなんてどうかしら?」

男子生徒B「賛成!!オレ、この席いやだったんだよな~!!」

女子生徒C「え~!!私、今のままが良いな~!!」

教室内は、ナチコ先生が持ちかけた突然の提案にとまどいを隠せず、教室内はざわつき始めた・・・。

ナチコ先生「みんな静かに~!!と・こ・ろ・で・・・私が考えてる席替えは、ただの席替えぢゃないのよ。」

・・・と、ナチコ先生はそのハキハキとした口調で、とんでもない・・・そう、とんでもない提案をボク達生徒に持ちかけてきたんだ。

その提案とは・・・。

ナチコ先生「私が女性だからって事もあるけど、これからの時代は女性がもっともっと社会に進出して活躍出来る社会になると思うの。そう言う意味でも、今のうちから女子のみんなには、積極性と自立心を養ってもらいたいって思う訳。そこで・・・。」

・・・そこから先は、ボクの口から説明しよう。

ナチコ先生の提案ってのは、まず女子に自由に挙手させ、その先着順にその女子生徒自身が自分の隣に座らせたい男子を自ら選び、教室内の好きな座席を選んで行く・・・と言うものだった。

フフフ・・・。勘の良い人なら、すぐに察しただろ?

これが、どう言う結果をもたらすかって事を・・・。

すなわち、これって一見、女子生徒の積極性を尊重し自主性を伸ばすための提案・・・であるかの様に見せかけてはいるけど、その実態は選ばれる側の男性生徒の人気投票・・・ひいてはヒエラルキー(階級)を、しかも他の生徒みんなが見てる前で、まるで晒し者にするかの如く明確にしてしまうって事さ。

・・・否、本来の目的がそこにあるかどうかは別として、結果的にそうなってしまうって事は疑いようのない事実!!

しかも・・・ボクはこの学校へ途中編入した上に、出来るだけ目立たない様に存在を消して生活してるし、それより何より例のシズコちゃんとの一件から、おそらくこのクラス全員からは見下されている存在のはず・・・。

そんなボクにとっては、こんな席替え、恥晒しの見世物にされるだけで何の得にもなりゃしないぢゃないか!!

・・・ところが、クラスの連中、特に女子のやつらと来たら、既に男子を品定めするかの様にそわそわしながら教室中を見回してやがる。

そんな中、クラス中にふざけたり大声を出すお調子者の男子生徒が・・・。

男子生徒D「うひゃ~!!オレ、照れちゃうな~!!」

女子生徒E「馬鹿ね~!!誰もあんたなんか選ばないわよ!!」

ナチコ先生「ウフフフフ・・・。」


馬鹿な!!本当にやるつもりかよ!!

焦るボクの不安をよそに、事態は既に公然の決定事項として着々と進行しつつあった・・・。

そう、着々と・・・。

(つづく)

タイムマシン論

今日は、科学・・・否、SFのお話。

タイムマシンは製造可能か?・・・と言うより、過去に戻る事は出来るか?

私は、「出来ない」と思う。

何故なら、過去とは人間の記憶に残されていたり、印刷物なり磁気データやフィルム等に記録として記されているものに過ぎず、実際にはその瞬間瞬間に常に消滅して行くと言うか、現時点においても“現在と言うこの一瞬の場面なり状態”のみが現実に存在するものとして、次々に刷新され続けているものと考える次第であり・・・。

写真で言うなら、今この瞬間に撮影した1枚を残し、古い写真はすべて破り捨てている様なもの・・・とでも言うのだろうか。

要するに、例えばビデオ・テープの様に、現時点において現在より以前の状態を時間の経過と共に記録した媒体を、現在あるいはそれ以降に再び巻き戻して鑑賞するのとは訳が違うのではないかと思うのだ。

そもそも、過去に戻ると言う事は、目の前にあるコップに注がれていた既に飲み干したはずのジュースが、再び元の量まで注がれた状態に戻ると言う事であり・・・。

それが仮に、大自然なり宇宙の法則に従ってもたらされた変化であれば、雨の雫が雪の結晶になったものが再び雨の雫に戻る様な現象が起こりうる可能性もなきにしもあらずではあるが、生命体である何者かの意志によって(時間の経過に伴う自然の法則による経年変化に逆らう形で)意図的に変化させられた物体なり状態が、まさしくビデオ・テープの映像を巻き戻したかの様に都合の良い瞬間の状態に戻るなどとは、私には到底思えないのである。

それこそまさしく、SFの読み過ぎ・・・とでも言うべき妄想であろう。

思うに、コップ等の人為的に作成されたものが壊れた場合は、やはり知的生命体の意志によってでしかそれを元の状態には修復出来ず、自然に消滅した気体なり生成された物質にせよ、後にそれが別の形もしくは構成する成分をいくらか変えた同様の形状で再び顕れる事はあっても、どこをとっても一寸違わずまったく同じものが自然のうちに形成される事など、ほぼ有り得ないのではないかと・・・。

もしも、その物体を原子だとかの実に小さな単位で推し量るのであれば話は別だが・・・。

道路は経年変化によってその姿を少しずつ変えながらも、いくらかの時間の経過の後にも現実に存在し、急に消滅したりなんかしないからこそ、Uターンして今来た道を引き返す事も出来るし、後向きに進んで元の場所に戻る事も出来る。

しかるに、時間・・・と言うか“現在そして現時点におけるその一瞬の状態”と言うものは瞬間瞬間毎に消滅しつつ生まれる・・・すなわち刷新され続けているに過ぎないゆえ、過去と言うものは常に消滅して行くと言うか現在に書き換えられている訳なのであるからして・・・。

それゆえ、逆に言えば、未来へ行くタイムマシンの製造は可能である・・・とも言えるのだ。

ただしそれは、単にその旅行中、自分の年齢・・・と言うか自身の肉体や生命を経年変化が起きない(もしくはそれが緩やかな)状態に置いておき、その差が開いた時点で目を覚ます事によって、「本人は10分しか経ってない気がするにも関わらず、まわりの世界は10年経っていた」と言う状態であるに過ぎないと思われる。

よって、その10年間の間、他人から見れば自分は眠っている(時間が止まっている)状態に置かれており、間違ってももう一人の自分と10年後に再会する事など有り得ないのだ。

そう言う意味においては、既に私達は未来へ向うタイム・マシンに乗り込んでいると言えなくもないし、しかしその過程において時間の経過をどう感じているかは個人個人で異なって当然なのである。

実際、自分自身の感覚にせよ、苦しい時間は長く感じられ、楽しい時間はあっと言う間に終り非常に短く感じるもの・・・。

繰り返しになるが、仮にタイム・マシンが製造出来たとしても、過去には絶対に戻れない。

戻る事が出来るとすれば、それは個人個人の意識の中、そして精神世界の上でのみ・・・の事。

しかし、未来はまだ白いキャンバス・・・否、書きかけのキャンバスなのだ。

そのキャンバスを自分自身が望む作品として完成させようとするか、あるいは時の流れ(経年変化)に身を任せ汚れていくままにするのかどうかは、個人の自由。

・・・とは言え、戻りたくなる様な過去(想い出)があると言う事は、それだけでも幸せな事なのかも知れないな。