民“数”党がマスコミの偏向報道によって与党となり、民“捨”党とでも呼ぶべき売国法案を次々成立させている昨今・・・。(マジでシャレにならない一党独裁政権化法案の数々はテレビでは殆ど報道されないので、各自がネットで調べてネ。)
そんな現実に迫った危機は一旦置いといて、私も権力者になった気分で夢の法案を考えてみた。
まずは、病気やなんかで本当に働く事が出来ない人は別として、働く能力もあり、働く意欲もあるのにも関わらず、仕事が見つからず生活保護等を受給している人の場合。
これって、その人自身の能力も生かされない上に、(仮に本人に何ら責任はないとしても)税金も無駄に投入される訳だから、我が国及び国民にとっても二重に損だと思う訳。
そして、ところがまた一方で、アマチュア・ミュージシャンなり役者や絵描きの卵等、やりたい事がありつつも、まだそれでメシを食えず、バイトをしながら創作なり表現活動をしている人っているよね?
・・・トナルト、あれれ?何かしら人生に目標のある人が創作や表現活動に費やすべきその貴重な時間を、誰にでも出来る単純労働に費やしていると言う事は・・・。
そのせいで、何かしら創作や表現活動に時間と労力を費やしている訳でもない上に、働きたくても仕事がない人は、何もせずに国から(・・・と言うか、元は税金だから国民から)お金をもらうしかない状況に追いやられるって訳だよね?
そしたらさ、「アマチュア・ミュージシャンなり役者や絵描きの卵等、やりたい事がありつつも、まだそれでメシを食えず、バイトをしながら創作なり表現活動をしている人」は仕事をやめて、「何かしら創作や表現活動に時間と労力を費やしている訳でもない上に、働きたくても仕事がないから何もせずに国からお金をもらうしかない人」に仕事を回してあげるべきではないだろうか?
そうすれば、今はまだ金を稼げない状態の「アマチュア・ミュージシャンなり役者や絵描きの卵等、やりたい事がありつつも、まだそれでメシを食えず、バイトをしながら創作なり表現活動をしている人」は仕事にあぶれ失業し、それゆえに生活保護等を受給する事が可能となり、それまでバイトに費やしていた時間をも創作なり表現活動に当てる事が出来るのではなかろうか・・・と。
そう言う意味では、これはある種、生活保護と言うよりも文化育成のための助成金とでも呼ぶべきだろうか。
・・・とは言え、もちろん将来性と言うか、最低限の水準なり努力の度合いと言うものを審査する必要はあるだろうが・・・。
何にせよ、(仮に本人に何ら責任はないとしても・・・)やはり何もせずしてお金をもらえると言うのは良くない事であるので、上記のアイデアではないにせよ、働きたいのに仕事がないゆえに生活保護を受けていると言う人は、せめて公園の掃除であるとか道路のゴミを拾うだとか、何かしら社会への奉仕活動を義務付けるべきではないかと私は常々考えている。
義務なき権利、責任なき自由は、世の中を悪くする最大の元凶なのだ。
ガンディー(ガンジー)曰く・・・「労働なき富は社会的大罪」。
ゆえに、国がやらないのであれば、本来は資産家もしくは経済的に成功した者こそが、そう言った文化を育成する事に対して投資・・・否、支援すべきなのである。
竹中労はこう言った、「経済は文化に奉仕すべきなんです。」・・・と。
この国・・・ひいてはこの世界に、人々を感動させる事の出来る質の高い音楽や文学や絵画や映画や漫画等がもっともっと満ち溢れるのであれば、そんな素敵な事は他にないではないか。
手前自身の欲望のみを叶えようとする事を、私は“夢”とは呼ばない。
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