Mr.エレクトの独り言 2010年07月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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禁未来小説「ドラへもん」その110「公開処刑の落とし穴」の巻

ナチコ先生の提案により始まった、人気投票ならぬこの残酷な公開処刑も、いよいよクライマックス。

早々と自分好みの男子を選んだ女子は、教室の後方から席に着いて行き、選民作業に乗り遅れた女子は教室の左前方に、そして残された男子5名・・・すなわちボクやトロヲ達は、ナチコ先生の指示により、教壇の上に並ばされる事となった・・・。

ぐぐぐ・・・あの女・・・この期に及んで、どこまでボク達に辱めを与えるんだ・・・。

こんな事して・・・こんな事して、一体何になるってんだよ!!

・・・うんにゃ!!今はそんな事どうでも良い!!とにかく一刻も早く、ボク一人だけでも、この惨めでブザマな状況から抜け出さなくっちゃ!!

だから・・・。

早く!!

ボクを選べ!!

ボクを救え!!

ボクさえ・・・ボクさえ助かりゃそれで良いんだ!!

トロヲ初め、残り物のこいつらの事なんか知った事ぢゃない!!

早く!!・・・一秒でも早く、ボクはこの悲惨な状態から抜け出したい!!

・・・が、そんな祈りにも似た願いも虚しく、残り5人のうちの1人目は、教壇に向って一番左・・・つまり残りの女子に最も近い方の男子が選ばれた。

・・・ぐっ!!駄目か!!

そして残り4人から選ばれた男子も、やっぱり教壇の左端、残りの女子から最も近い距離に居た男子が選ばれて行った。

あっ!!そうか!!そうだったのか!!・・・どうして・・・ボクはどうして、こんな簡単な事に気がつかなかったんだ!!

そもそも、残りの女子は、残り物の男子を選んでなんかいない!!

考えてみれば・・・さっさと男子を選んで着席した積極的な女子とは全く対照的に、残りの女子は大人しくて自己主張もしない引っ込み思案な子達ばかり・・・。

だから、彼女達は男子を選ぶ以前に、その顔を見る事はおろか一瞥すらせず、ただただ事務処理的に自分に一番近い場所に居る男子に決めているだけだったんだ・・・。

そうか・・・そうだよな。

この悪趣味な選民プレイによって苦しめられてるのは、何もボクら残り物の男子だけぢゃないって事か・・・。

いやいや!!そんな心配してる余裕なんか、今のボクにはない!!

何故って!?・・・だって、ボクの立ち位置はその全く逆・・・つまり残された女子から最も遠い教壇の右端なんだから!!

何とか・・・何とか、このピンチを脱しなきゃ!!

・・・ところが、そうやって焦りまくるボクを尻目に、残り3人のうち1人が選ばれ、気が付けば教壇の上には、トロヲとボクの二人だけとなっていた・・・。

そして更に・・・この大事な土壇場において、思いもよらぬ事態が発覚したんだ・・・。

ウフフ・・・。

面白い。

これが運命ってやつか・・・。

ウフフフフ・・・。

アハハハハハハ・・・。

(つづく)
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「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」開催告知!!(終了)

★お陰様で、無事に終了イタシマシタ!!(TT)/

■7月26日(月)@新宿URGA(自主企画)
http://www.urga.net/pc/news/
「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」
20100726
フライヤー(切り絵:木幡東介 デザイン:平野勇 原案:Mr.エレクト)

出演:seven、広本晋、木幡東介。
開場:19時30分/開演:20時00分
当日券のみ2000円(+1ドリンク600円)
★出演者はすべて単独演奏者のみ。会社勤めの方でも間に合う様、開演は20時より。また、当日はゆったりと鑑賞出来るよう、客席にはテーブルとイスを出しマス。

■出演者プロフィール■

<seven>(sevenZ、los doroncos)
1960年代後半より音楽活動を開始。
70年代にドロップアウトして金沢のコミューン『やさしさの夢』にころがり込む。 
以降らりはと自称。 
70年代後半には福生チッキンシャックを中心に活動し、
『pattern Z(その後『Z』に改名』を結成し吉祥寺マイナーにも出演するが、
その後すぐに空中分解。 
80年代は吉祥寺を中心に『secrets』(dr 秋田昌美)として活動。 
80年代後半からコンピュータ・プログラマとしての生活を始める。 
以降PCでのハンドル名『seven 』を使い始める。 
90年代静香バンドにベースとして参加。 すぐにクビになるが何度か復帰。 
90年代後半『sevenZ』を開始。 
以降メンバーを度々変えながらも現在も活動中。 
21世紀に入りドロンコと再会し一時 DAS に参加する。 
09年に川口雅巳氏主催の los doroncos に参加・・・現在に至る。

<広本晋>(DDD)
東京都 荏原郡 松沢村 生まれ。私立松沢幼稚園中退(学校を幼稚園で中退してしまったために、読み書きがほとんどできないと言われている、、、)
幼少の頃は、ヨットで生活していた。陸に上がってからは、海への望郷の念からか、スケートボートに熱中するも、次第にギターにスイッチ。
その後、運命のイタズラにより伝説の縄師、明智 伝鬼氏の伴奏を勤めるようになる。明智氏の死去後は、ドイツ人縄師、スティーブ長田氏の伴奏などを勤めながら、次第にソロ活動に入る。
現在は、ソロ及び、DDD、3つ子病院(休止中)とゆうバンドで活動中。
ファンタズム研究家としても知られている、、、、、、、、

<木幡東介>(マリア観音)
1987年、西洋のロックを模倣する日本の音楽シーンの潮流に逆らい、日本人による日本語の表現を追及すべく「マリア観音」を結成。
「犬死に」、「髑髏」、「開き盲目」など数多くの作品をリリースした後、2000年代前半にバンド活動を休止。
その後は多重録音SEをバックに配して行われるエレキ・ギター弾き語りやドラム・ソロ等を中心に、常に独自の方法論を模索しながら、音楽による「自己表現の限界」に挑み続けている。

■企画主旨■

基本的には、「独りの人間の孤独な時間無くして、この世に天才や超人など絶対に生まれ得ない!!」との考えの下、そんな「自らを少数派に追いやっていく様な人達」を応援する企画にしたいと思っておりマス。

よって、出演者は単独(ソロ)演奏者縛りで、それも1日に2アーティストか多くても3アーティストのみとさせて頂きマシタ。

また、URGAは通常スタンディング・ライヴ形式の店デスが、同日はフロアにテーブルや椅子を設置するなどして、観客の皆様がじっくりとライヴを堪能出来る様に色々工夫したいとも考えておりマス。

私自身にせよ、賑やかでノリの良いロックン・ロール・パーティー的なライヴも決して嫌いな訳ではありマセンが、舞台上の演奏者なり表現行為と1対1で真剣に向き合う様なライヴも大好物でありマスゆえ、要はその路線にも、もっと注目を集めたいってのが、この企画の主要な開催動機な訳デス。

既知の価値観なり権威で武装もしくは偽装された“力”ではなく、あくまでも独りの人間それぞれが持つ固有の人生観に基づく、自らの意志によって獲得した“力”。

そう言った、個人の能力なり技術が駆使された独自の表現行為、独りの人間がその精神と肉体と生命を酷使する事によって創り上げた自らの分身とも呼べる作品、それらに対し敬意を表し、その存在価値を高めて行く事。

・・・それが、この企画の大きな目的なのデス。

どれほど文明が進歩し、どれだけ楽器や機材等の性能が発達しようと、舞台上でその真価が本当に問われるのは、独りの人間、その一個人が獲得し確立し得た独自の“形状”なり“魅力”であるべきだと、私は常に考えておりマス。

2010年3月5日/Mr.エレクト(エレクトレコード代表)

本日26日(月)@新宿URGAにて!!(無事に終了イタシマシタ!!)

■「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」

いよいよ本日26日(月)!!開演20時~木幡の出演はトップとなりマス!!

以下2点は当日より販売開始!!

■ECR-004(CD-R)¥1000
ECR-004

■EDR-006(DVD-R)¥1000
EDR-006

★皆様のお越しを、こころよりお待ちしておりマス!!m(_)m

神より偉い人々

仮に、神と呼べるものが存在するとして・・・。

神に対して何かお願いすると言う事は、すなわち、神を自分よりも上の存在として尊敬なり畏敬の念を抱いていると言う事であるからして・・・。

もしも、その願いが聞き入れられられなくとも、それは当然の事である。

しかるに、自分の願いが聞き入れられなかったと言って、神を侮辱したり冒涜する様な事があったとすれば・・・。

貴方は元々、本心では神を尊敬してなどいなかったのであろう。

何故なら、もしも本当に神を至高の存在であると考えているのであれば、自分の如き凡人の願いなど叶えてくれなくとも、お願い事をさせてくれただけでもありがたいと思うはずだからである。

要するに、貴方は神に願い事をしていたのではなく、神に命令していただけに過ぎないのだ。

だから、その願い・・・もとい、命令が聞き入れられなかった事に腹を立てるのである。

そこで、もう一度考えてみよう。

もし仮に、神と呼べるものが存在するとして・・・。

それが、全宇宙及び全生命的観点から見て、“善”なる存在であるならば・・・。

そもそも、「自分を救って欲しい」だとか、もっとひどいのになると「幸せになりたい」だとかと言った、すなわち自分だけを何とかして欲しいと言う利己的な考えを持つ者の願いなんぞ、聞き入れてくれるだろうか?

ましてや、お金や資産と言った物質的な貢物をする事で、その見返りに望みを叶えてくれる神様だなんて、そんなものは“資本主義における神様”・・・否、“資本主義における王様”でしかない。

しかも、何かしら自腹を切るのであればまだ、「騙された」などと大騒ぎするその気持ちも解らなくもないが、ただ祈っただけで何かもらえると考えるなどとは、KOJIKI以下の発想ではなかろうか。

だいたい、神様のご機嫌取りをする事で願いを叶えてもらおうと考える事自体が、社会的に偉い地位や身分の人間にゴマをする事で自分だけが得をしよう楽をしようとする事と同様に、人間としてとんでもなく下品な生き方なのである。

・・・とは言え、“人間を作り出したと言われる神と言う存在”を作り出したのは人間なのだから、“神を作り出した人間と言う存在”は、おそらく、神よりもっと偉いご身分なのであろう・・・。

ゆえに、今日も明日も人間は、例えそれが叶わぬ願い・・・もとい、聞き入れられぬ要求であろうとも、そのしもべである神に命令し続けるのだ・・・。

「俺の願いを叶えろ!!」

「俺だけを救え!!」

「俺をこの世で一番幸せにしろ!!」

・・・と。

禁未来小説「ドラへもん」その109「肥溜めの希望」の巻

しかしまあ・・・。

ボクは自分を含めた残り物の男子5名の顔を見渡し、ため息をついた。

よくぞまあ、これだけパッとしないサエない奴らばかりを集めた・・・いや、残ったもんだ。

でも大丈夫!!いくらなんでも・・・。

いくらなんでも、こんな奴らよりはボクの方が少しはマシなはず!!

ボクがこんなショボイ奴らと一緒にされちゃたまんないよ!!

・・・て言うか、逆に言えば、ボクは途中転入組だから知名度が低いせいで運悪く売れ残りになってしまったけど、むしろ拾い物と言うかお買い得と言うか、残り物には福があるってもんさ!!

とにかく、現時点においても超最悪でバッドな状態だけど、せめて・・・せめて最下位だけは避けたい!!

ボクが・・・このボクが、こんな駄目な奴らの更に最下層だなんて、そんな事あっちゃいけないんだ!!

・・・と、ボクは何かにすがる様な気持ちで、地獄の渕に光明を、奈落の底に救いを、肥溜めに希望を、無理にでも見出そうとしていた。

いやだ・・・。

最後の一人なんて絶対に!!

・・・ウフフ。

でも大丈夫!!

何故かって!?

このクラスには、何たってこいつが居るからさ!!

そう!!そいつの名は、トロヲこと不具多吐露男!!

ボクがこいつ以下って事は、絶対にあり得ない!!

うんにゃ!!そんな事、絶対に許されないはず!!

絶対に!!

・・・おそらく。

・・・多分。

・・・きっと。

・・・だから。

・・・頼むよ!!

・・・お願いだから!!


・・・ところが、ボクの悲壮な祈りとは裏腹に、事態は予想だにしない方向に進展するのであった。

そうか・・・考えてみればそうだよな。

ウフフ・・・ウフフフフ・・・。

(つづく)


★「読むといやな気分になる」と評判の当連載。作者の私としては、これほどまでに笑えるギャグ小説はないと自負しているのでキュウが・・・。そこで、自分でも少し読み返してみた所・・・。確かに・・・とってもいや~な気分になりマシタ。(TT)

「自慢話復権論」③

(②のつづき・・・)

さて、①においては、「私達は決して自慢話が嫌いな訳ではなく、他人の幸福が嫌いであるか、もしくは他人の不幸が好きなだけなのである。」・・・と言う事を明らかにし、②においては、自慢話と依慢話との違いを明確にした。

そこで、依慢話についてもう少し補足するならば、生まれた家庭や家系、生まれた地域や国籍等、その本人が自分自身の努力で獲得した手柄や功績などでは絶対に在り得ないものをひけらかす事は、自慢話などではなく、自身の卑しさやみっともなさをひけらかすだけの行為に過ぎない訳なのであるが・・・。

更に恐ろしい事に、世の中には「自分が人間である(・・・もしくは人間に生まれた)」と言うだけで、何だか知らないが地球上で一番偉い身分であるかの様に思い込んでいらっしゃる方も居る様で・・・。

言わずもがな、人間とは、人間と呼べる生き物にまで成長する可能性を備えてこの世に生まれ落ちはするが、その先は親なり世間なり教師なり友人なりから良い影響もしくは悪い影響を受けつつも、自らの意志で人間に“成る”ものであって、生まれつき所属する種族や身分に拠ってのみ、その質や存在意義の優劣が保証されている訳では決してないのである。

前回も述べたが、人間とは本来、当人の出自などではなく、自身がその人生において自ら為した行為や成果によってのみ、評価もしくは断罪されるべきなのだ。

・・・と、自慢話と依慢話との違いについての定義を明確にした所で、しかしながら、いくら仲の良い友人であれ、愛する家族の一員であれ、あまりに自慢話ばかり聞かされるのはうんざり・・・とおっしゃる方も多々おられる事であろう。

しかるに、私が定義した通り、依慢話・・・すなわち自分の努力や能力や労力に依拠しない手柄話をする様な卑しくも愚かな人種が世間の人々から疎まれ淘汰されて行けば、自ずと本来の自慢話・・・すなわち自身の努力や能力や労力によって成功を収めた人々にのみ賞賛が集まる様になるはずであり・・・。

そうなれば、そもそも人が自慢話をするその動機とは、「人から褒めてもらいたい」もしくは「多くの人から賞賛を得たい」ゆえにであるのだからして、その欲求が社会的に充分満たされる様になれば、あえて身内にまでしつこく自慢話を繰り返しスピーチする事もなくなるであろうと予想されるのだ。

ゆえに、私達はもっともっと、(本来の意味での)自慢話が市民権を得る様にしなければならない。

そしてその反対に、依慢話をする事で自分が偉くなったつもりになっている様な人間には、最大限の軽蔑や哀れみをとことんくれてやるべきなのである。

・・・とは言え、命を永らえる事のみが生きる事であると思い込まされている、現世利益こそがすべてだと考えている様な人間にとっては、こんな私の話など馬の耳に念仏と言った所であろうが・・・。

「自慢話復権論」②

(①のつづき・・・)

それが自分の好きな人や興味のある人もしくは家族や身内等であろうが、そのまた逆に自分の嫌いな人間であろうが、そう言う事とは全く無関係に、他人の自慢話・・・それも幸福に対し、私達はあまりにも盲目的に嫉妬し嫌悪し過ぎなのではないだろうか?・・・と言うのが今回のお題。

例えば、「自分、ポルシェに乗ってるんスよ」と言われた場合、ただその表面的な事象のみを捉えて、何でもかんでも「コイツ、偉そうに自慢しやがって」と考えるのは、貧乏人(発想が貧困であると言う意味も含めて)の悪い癖だと私は思うのだ。

何故なら、それは単なる事実の報告に過ぎないからである。

・・・とは言えもちろん、発言者の側には、「自分は貴方よりすごいでしょ?」との優越意識や、「自分を褒めて!!」と言う気持ちが少なからずある事も否定は出来ない。

しかるに、ポルシェに乗ってるだとか持ってるだとかと言う、その物理的な事実のみで人を妬んだり羨んだり憎んだりしてしまうって事は、あまりにも早計にして単純過ぎる思考反応なのではないか・・・と。

これがもしも、その本人が毎日毎日バイトに明け暮れて、自分で苦労して稼いだお金でポルシェを買ったのであれば、そのお金の使い道の趣味の善し悪しは別として、私達は素直にその努力や労力に対し敬意を表明してしかるべきではなかろうか?

しかしまたその逆に、その車が、自分では何の苦労も努力もせずして、金持ちの親だか何かにポンと買ってもらったものだとしたら、それは自分の能力や労力に“拠って”獲得したものではない訳であるからして、それは元より自慢話・・すなわち自分の手柄話などではなく、言わば“依慢話”とでも呼ぶべき事柄なのではないかと私は思うのである。

ちょっと考えれば解る事・・・そもそも、生まれた家庭や家系、生まれた地域や国籍などは、その本人が自分自身の努力で獲得した手柄や功績などではないのだから、その人物自身が素晴らしい訳でも偉い訳でも全然ないのだ。

まあしかし、百歩譲って、それは本人の運命や運勢が良かったせいだと言えなくもないが・・・。

・・・であるにも関わらず、自分が生まれた家系や国籍を、まるでさも自分の手柄や功績であるかの様に自慢する様は、何と卑しくみっともない姿ではなかろうか。

・・・否、先も述べた通り、それは自慢話でも何でもなく、単なる依慢話、もしくは威慢話に過ぎないのだ。

よって、その様な、他人に自慢し得る“自分自身の力によって獲得した手柄”を何も持ち得ない人種に対して私達は、軽蔑や哀れみをくれてやれば良いだけの話。

もちろん、厳密に言えば生まれついての素質や素養、生育環境による格差と言うものは明らかに存在しはするが・・・。

ゆえに私は、むしろもっと前向きに、誰もが盛んに(卑しい依慢話などではなく)自慢話をするべきであり、他人はそれに対し嫉妬するのではなく、逆に憧れ、尊敬し、自らを鼓舞する励みとし、どんどんその真似をすべきなのだ・・・と考える次第なのである。

自ら行動する人間、自らの力で何かを獲得しようと努力する人間、自らの力で何かを成し遂げようと日々困難と格闘する人間・・・。

その様な人達に対して、何の努力もしようとしない人間が嫉妬心を抱くなど、とんでもなく傲慢かつ愚かな話ではなかろうか。

人間とは本来、当人の出自などではなく、自身がその人生において自ら為した行為や成果によってのみ、評価もしくは断罪されるべきなのだ。

(③につづく)

「自慢話復権論」①

まず最初に、自慢話と言うもの定義するならば、それが仮に失敗談だとしても、自分の身の上に起きた出来事や自身に関しての話題を語ると言う意味において、それは自慢話の範疇であると言える。

「今日、こんな事があってさ~」・・・みたいな。

また、世間一般では「自慢話をする人間は嫌われる」・・・と言われているが、それは大きな間違いだ。

何故なら、自分の好きな人や興味のある人、家族や身内等による自慢話に関して、私達は何ら不快感を持たないはずだからである。

例えば、自分の息子や娘が、「パパ~(orママ~)!!今日ね~、こんな事があったの」と自慢気に話をする、もしくは失敗談を語る時、私達はいやな気持ちになるだろうか?

・・・一部のひねくれ者は別として。

しかしその逆に、自分の好きでない人間や興味のない人間が自慢話をする場合、私達は途端に不機嫌、不愉快、不寛容になるのである。

「それがどうした!?」「そんな事知ったことか!!」・・・と。

しかるに、それが失敗談、しかも自分の嫌いな人間のそれであれば、話は別かも知れない。

そんな時、私達はきっと、こう感じるであろう。

「ざまあ見ろ!!」・・・と。

要するに、私達は決して自慢話が嫌いな訳ではなく、他人の幸福が嫌いであるか、もしくは他人の不幸が好きなだけなのである。

しかも、それが自分の嫌いな人間であれば尚更・・・。

だから、今後は自慢話の事を、それ自体に関してそんなに悪く言わないで欲しい。

ただし、ここで気をつけなければいけないのは、それが本当に自慢話なのかどうか?・・・と言う点についてであるが・・・。

(②につづく)

偏見流

(先の記事のつづきみたいなもの)

・・・と、この様に、一口に右寄りだの左寄りだのと言っても、その中で更に色んな分類が為される訳で、それを単純に右と左に二分して十派一絡げに批判する事は、肌の色だとか国籍だとかのみでその人間の性質を定義する事と同様に愚かな行為なのである。

ましてや、巨人ファンと阪神ファンの口喧嘩など、見られたものではない。

また、何故その様な偏見とも呼べる物言いに及ぶかと言えば・・・。

それはただ単に、自分と異なる価値観や考え方に対し、不快感を表明しているに過ぎないのである。

・・・いえいえ、私は何も、それが悪い事であると頭ごなしに決め付けようって訳ではない。

真っ当な人間であれば、嫌いなものを嫌いだと、いやなものはいやなのだと口にしなければ、ストレスが溜まって精神がもたなくなるであろうから・・・。

しかるに、それでは何も解決しない。

・・・とは言えど、貴方がこれから先も一生、ただやみくもに不快感を表明し続けるだけの人生に耐えられるのであれば、それはそれで構わない。

しかしながら現実には、のそのそと現れたゴキブリに対し不快感を表明・・・すなわち「ゴキブリ嫌い!!」と叫ぼうが、「ゴキブリなんて絶滅すれば良いのに」と願おうが、ゴキブリ=不快感を根絶する事など不可能だと言う事なのである。

それでは、不快感を解決=ゴキブリを根絶するにはどうすれば良いのか?

・・・その答えは一つしかない。

それは、不快感の正体を突き止める事・・・今回の場合で言えば、まずはゴキブリについて正しく深く正確に知る様に努める事以外に術はないのだ。

ゴキブリの事をもっと良く知れば、それを駆除する方法も自ずと見つかるはず。

・・・であるにも関わらず、「嫌い」だの「許せない」だのと不快感を表明するだけで、ゴキブリ(現実)から目をそらしてばかりいては、何にもならないのである。

ゆえに、嫌いなものであればある程、それが不快なものであればある程、私達はそれを良く観察し、調査し、研究しなければならない。

そうすれば、きっと・・・。

もしかすると、いつかは貴方もゴキブリが持ち得る良い特性にも気づき、その存在意義を認める事が出来る様になるかも知れないのだ。

実際、世間ではこの様にも言われている・・・。

「偏見は無知から、もしくは中途半端な知識から生まれる。」

・・・と。

私見と独断による分類(随時改訂中)

■ニセウヨク=愛国とは無縁の利権団体~○○○

■エセウヨク=愛国とは名ばかりの権威主義/排外主義者~米国(と言うよりも国際銀行家)に従属するGミン党支持派

■シンノウヨク=自主独立志向~民族派

■シンノサヨク=反権力~反帝国主義

■エセサヨク=権力志向~階級闘争/社会主義革命(弱者救済)の美名を纏ったエリート独裁主義

■ニセサヨク=反日~他国のスパイ/工作員

木幡東介/新作発売情報!!(2010年7月17日号)

★新作映像作品2点発売中!!いずれも、DVDプレーヤー及び、パソコンでは「PowerDVD」でのみ再生可能。(個人撮影につき、多少のドロップやノイズがでる場合がございますが、ご了承下サイませ。)

■木幡東介ライヴDVD-R(EDR-004)
2009年7月11日@新宿スモーキンブギ
「脱権力の地図」其の壱より
EDR0041.反逆の地図
2.羽衣蝶の詩
3.渓谷、深山の民
4.棄脱の天地
5.野いちごおとし
6.薄羽蜉蝣
収録時間:約45分(完全収録)

★現在では木幡東介単独公演として行われている自主企画ライヴ・シリーズ「脱権力の地図」其の壱より。木幡特有の立体的な骨格としっかりとした輪郭を兼ね備えたメロディー・ラインが魅力的な名曲でありながらも、これまであまり作品化(初?)されていなかった「反逆の地図」を初めとし、ソロ期のライヴでは滅多に披露されないバンド編成時代の名曲「羽衣蝶の詩」等、当日演奏された楽曲全6曲を完全収録。

切り絵/木幡東介
撮影/長尾明浩
制作/エレクトレコード

■木幡東介ライヴDVD-R(EDR-005)
2010年4月10日@吉祥寺Fourth Floor
如月の今豚(Kong-Tong)+エレクトレコード共同企画
「脱権力の地図」其の参~木幡東介単独公演
EDR005
1.溶け合う1つの色に向かって
2.いつも足もとに居る黒い犬
3.二つ目小僧
4.棄脱の天地
5.野いちごおとし
6.出さなかった手紙
7.秋から冬へ
8.絶滅
9.かまきりの詩
10.薄羽蜉蝣
アンコール
1.渓谷、深山の民~狩猟民族の唄~
収録時間:約83分(完全収録)

★現在は共同自主企画として開催場所を変えて続けられている「脱権力の地図」シリーズにおける、木幡東介単独公演としては初の映像作品(同日の公演は音源作品としても発売中)。生演奏のバック・トラックとして流される多重録音SEが当日の機材トラブルによって一部音飛びしてしまう箇所があるものの、現在確立した演奏スタイル(SE+生演奏)の完成形とも言える単独公演の記録を残す意義を重視し、発売に踏み切った。濃密な心象風景描写力と音楽的芳醇さとが見事に融合された当日の演目を、アンコール含め全11曲・約83分完全収録。

切り絵/木幡東介
撮影/長尾明浩
制作/エレクトレコード

★上記の作品はライヴ会場及び当店にて通販可能。(店舗は長期休業中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/
★いぬん堂ネット・ショップでも取り扱い中!!
http://inundow.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=42287&csid=21

木幡東介、DDDにツイン・ドラムで参加!!(無事終了イタシマシタ!!)

■7月13日(火)@新宿LOFT/BARステージ(出番は18:50頃)
~変更アリ!!~
ドリンク代込み1000円(要予約)
予約先(広本晋):gcdf9d6fd7g7r★softbank.ne.jp(←★を@に変えて)
★DDD(広本晋/清水玲/オカジ)にツイン・ドラムで参加して出演。なお、キーボーディストが参加する予定デシタが、今回はリハが間に合わなかったため不参加となりマシタ。


<ライヴ・レポート>
先程、DDDだけ観て、既に店に戻って参りマシタ。

何と言うのでしょうか、演奏する四人が一つの生き物の様な・・・それも、あまりそこらでは滅多にお目にかかれない珍しい生き物の生態を鑑賞するかの如き状況を、トゥー・マッチなまでに味合わせて頂いたとでも言うべき気分でありマス。

それにしても、流石に現役のプロ・ミュージシャン数名を含むユニットだけあって、転換の多い激しい楽曲にも関わらず、実に完璧な演奏でありマシタ。

しかるに、それらは生まれつき備え持った能力(・・・もちろん、生育環境や素質にいくばくかの差はあれど・・・)などでは絶対にあり得ず、彼らがこれまで独りの時間を如何に過してきたか、更にその独りの時間をどれほど費やしてきたか、すべてはそう言った孤独な作業を積み重ねる事によってのみ初めて獲得する事が出来る技術であり成果なのデス。

よって、常に誰かと関わっていたり、いつも仲間に囲まれる事によって、孤独な時間・・・すなわち自分自身と向き合う事を避け続けて来た人間には絶対に到達する事の出来ないその境地に対し、私はこころから素直に頭が下がる思いなのでありマス。

本日のTwぶやitter

結局、どっちが勝っても消費税は上げるんかい!!

・・・と、それは置いといて。

柔道が得意な女性を政治の世界に引きずりこむなんて、日本のスポーツ界の損失以外の何物でもない!!

ましてや、当選さえしなかった体操のお兄サンて・・・。(TT)

「政治の世界が少し見えた気がする」なんて言ってくれちゃったりして・・・。

それを言うなら「選挙の厳しさを知った」・・・って言うか、お前が人望無いだけやん!!

しかし、ここまで来ると選挙って、もはや人気投票だね。

ところで・・・。

Yうパック遅配問題とかYうちょ銀行システム障害って、もしかして内部テロ?

以上、あまりの蒸し暑さに頭がイカレたため、思いつくまま無責任に発言してしまいマシタが、関係者の皆様、何卒お許しを。(^^;)

「死に票」

これは以前から感じていた事であるが・・・。

いくら選挙に参加しても、自分が投票した候補者が当選しなければ、自分が持つ一票は死んだも同じなのではないか?

・・・と言うより、選挙を行う事で民主主義の名目は保たれるが、逆に言えば、そもそも選挙とは少数意見を体よく抹殺するためにあるのではないか?・・・とも。

しかも、10ある自分の考えのうち8を満たす候補者に投票し、その候補者が当選したとて、(無所属でなければ)最終的には所属してる党の意見に従わねばならないから、その候補者自身の考えも10のうちいくつ通せるかどうか解らない上、更にその意見すらも国会での多数決で否決されてしまうかも知れない訳である。

つまり、そうやって多数決に負け、長いものに巻かれ続けた結果・・・。

何度もふるいにかけられ続けた私の意見及び私の一票など、そこにはおそらく一片足りとも残っていないのではないだろうか・・・。

もしも本当に議会制民主主義が上手く機能しているのであれば、こんなに国民から、しかも日常的に政治に対する不満が出る事などないはずなのではないか?

ましてや政党政治なんてものは、議会における権力装置に他ならない訳で・・・。

自分の意見がその政党の意見に完全に合致しているのであれがともかく・・・。

中には、10ある自分の意見のうち、それを1つでも2つでも多く通すために、出来るだけ力のある政党に所属(身売り)する事で、時には自分の考え(=投票した有権者の期待)を覆してしまう議員が居る事も充分考えられるのである。

要するに何と言うか・・・少数意見を黙らせ、排除し、抹殺するために、これ(議会制民主主義)は非常に都合の良いシステムなのではないか・・・と。

一見すると、実に公平かつ公正であるかの様にも見えるし・・・。

そもそも、選挙において与党が過半数を占めたら、その時点で、(次の選挙の事を考えればそんなに無謀な事も出来ないとは言え・・・)如何なる法案も通し放題だなんて、それじゃあ議論はおろか国会開く意味なんてないし、だからこそ政治家が政治活動ではなく選挙活動にのみやっきになって力を注ぎ込むのもむべなるかなと言う所であろうか。

更に、(とりあえず「選挙区毎の人口の差による一票の格差問題」を除外した上で言うならば、)4万票集めて余裕で当選した議員も、1万票集めてぎりぎり当選した議員も、国会においては同様の権限しか持てないって事も、なんかおかしい気がする。

その差である3万票・・・すなわち3万人の一票の価値って一体!?・・・みたいな。

ちなみに某団体は、死に票を減らし持ちうる票を最大限に生かすため、党内のどの候補に構成員のうちの誰が投票するかを、かなり細かい単位までコントロール出来ているのだとか・・・。

考えるに、言うなればこれは出来レースと言うか、結論は最初から決まっていて、その結論を導き出させるために、その結論に辿りつく前段階の方式を色々いじくっているだけ・・・みたいな?

あと、「議論がいつまで経ってもまとまらないから、議員の数は少ない方が良い」ってな意見も耳にするが・・・。

どうせ最終的には(議論の結果ではなく)多数決で決めるんだったら、3人だろうが3万人だろうが、どっちだって同じなのでは?

むしろ、議員の人数は多くした方が民意には近づけられるよね。

ただし、もちろん議員一人頭の給与は思いっきり安くしてさ。

あっ!!でも、せめてその人数は奇数にしとかなきゃね。

だって、偶数だと下手すると同数引き分けで、いつまで経っても決着つかないからさ。

「思うド壷」

どうにもこうにも腑に落ちない。

一連の政権交代騒ぎ。

フテンマ問題ドタバタ騒ぎ。

そして、あまりにも突飛過ぎる消費税ブーイング騒ぎ。

あいつらがそんなに馬鹿だとは思えない。

あいつらほど強欲にして狡猾な人種はいないのだ。

いちいち怒らされたり、いちいちあきれさせられたりと、次々起きる出来事に素直に反応して自分の正直な感情に身を任せていたらロクな事にならない。

・・・様な気がしてならないのである。

どちらに転んだ所で・・・。

予定通り?

目論見通り?

シナリオ通り?

二元論は危険だ。

上だとか下だとか、右だとか左だとか、社会が悪いだとか個人の責任だとか・・・。

一方を悪と定義する事で、もう一方を正しいと錯覚させる。

この世には、完全な悪もなければ完全な善もない。

信用や信頼は常に腹八分で止めておかなければならない。

100パーセントの確信は、思考停止をもたらす元凶なのだ。

むしろ、自分の考えは間違っているのかも知れないと思い続けている方が良い。

何故なら、自分の考えに自信がなければ、常に思考を働かせ、情報収集及び検証をし続けなければいけないからである。

学校では“覚える事”は教えるが、“考える事”は教えてくれない。

その理由はおそらく、私達が“考える事”をし始めたら、困る人達がいるからであろう。

ゆえに、私達は常に謙虚であらねばならない。

・・・自分があまりにも無知であると言う事に対して。

特に、人を騙したり欺いたりする事が得意でない人は・・・。


繰り返しになるが・・・。

私には、あいつらがそんなに馬鹿だとは思えない。

あいつらほど強欲にして狡猾な人種はいないのだから・・・。

「選挙法改革案」②

ウフフ・・・雨の中、投票に行って参りマシタ。

ちゃんとした人を選んで書いたかって?

もちろん!!

漢字で書くと間違えちゃうかも知れないんで、平仮名で・・・。

「まついじゅりな」

・・・って書きマシタYO!!(^^)/

・・・あっ!!しまった!!クレージーSKB48だかなんだかの総選挙と勘違いしてた~!!

・・・とまあ、ジョークはこの辺でやめにして・・・。

しかしアレですな。

本音を言えば、是が非でも投票したい人が居ないってのはつらいもんで・・・。

かと言って白票入れるためにわざわざ貴重な時間を割くのも馬鹿らしいし・・・。

そこで私は考えマシタ!!

その名も、「マイナス投票」!!

これはつまりどう言う事かと言えば、どうしても入れたい候補者が居ない場合、こいつだけは落としたいって候補者の名前を投票用紙に書けば、その候補者の得票数を一票減らせると言う画期的な案なのである。

こうすれば、日頃は馬鹿らしくて選挙に行かない人も、少しは行く気になるのではないだろうか?

しかも、ついでにその理由も詳しく書いたりしてね。

「街頭でギャースカうるさいからじゃ~!!」・・・とか。

なんか今のままの選挙のやり方じゃ面白くないもんね。(←そう言う問題ではないが・・・。)

まるで、七夕の願い事みたいに、「幸せになれマスように」って短冊に書いてるだけみたいな・・・。

それじゃ、あまりに虚し過ぎる・・・。

それに、そんな願い事した所で、七夕(タナバタ)ならぬタナボタ的に幸せになれるはずなんてないしね。

だからこそ、憎しみのエネルギーをプラスの方向に生かすのだ!!

・・・みたいな。(^^;)

本日のレシピ

まずは3クスにて、「ごはん(小)」と「月見納豆刻みオクラ入りとろろそば」を購入。

月見納豆刻みオクラ入りとろろそば1

そして、本来はそばと混ぜるべき納豆と半熟玉子を、ごはんにぶっかける。

すると、何と!!ただの白飯が、納豆たまごかけごはんに早変わり~!!(@@)/

月見納豆刻みオクラ入りとろろそば2

ウフフ・・・納豆たまごかけごはん、ダ~イッ好き!!

月見納豆刻みオクラ入りとろろそば3

ゴチソウサマデシタ~!!(^^)/

★そう言えば、イッキセンセの漫画にも何度か似たようなネタが出てきたな~。あっちは天ぷらそばとライスだったけど。(^^;)<追記>いや・・・あっちは天丼とかけそばだったっけか?

木幡東介ライヴ!!本日、新大久保アースダムにて!!(お陰様で無事に終了イタシマシタ!!)

■7月9日(金)@新大久保アースダム(店企画)
http://www1.odn.ne.jp/shinjuku-dom/index.html/dom.html
EARTHDOM PRESENTS「"comfort refused"」
20100709
共演:裏窓、中学生棺桶、HIKO(GAUZE)&平川恵里彩(大橋可也&ダンサーズ) DUO。
開場:18時30分/開演:19時00分
前売2000円/当日2500円(いずれも+1ドリンク500円)

★受付で「木幡東介あるいはマリア観音を観に来た」とおっしゃって頂ければ、前売り料金でご入場して頂く事が可能デス!!

★前売発売店舗★
EARTHDOM 03-3205-4469
NAT RECORDS 03-3368-8262
e-plus http://eplus.jp/earthdom
(6月6日より発売)

●ちなみに現在、裏窓では平野勇がドラムを担当しておりマス!!

本日の名言

「嫉妬とは、自ら努力した者にのみ、抱く事が許される感情である。」(Mr.エレクト)

「音楽の限界」(リズム編)

リズムは揺れてしかるべき。

ただし、その“揺れ”が主題に沿っているかどうか?・・・と言う点が重要。

例えば、リズム・マシンの如く、楽譜の通り1ミクロンもずれずにドラムを叩いたとすれば・・・。

「アア キョウハトテモタノシイイチニチダッタナア」

・・・となってしまう訳である。

・・・とは言え、もちろん元々その楽曲が、通常の楽譜で使われるオタマジャクシを10分の1の小さな単位まで分割したもので構成されていれば、話は別かも知れない。

しかしながら、いずれにせよその楽曲の主題が人間の感情に基づくものであるのならば、その微妙な揺れや乱れさえもが正確かつ精密に楽曲(=音符の並び方)に反映していなければ、その主題である感情を的確に伝え得ないのではないか?と、私は思うのだ。

よって、嬉しい時には嬉しいなりに、悲しい時には悲しいなりに、あくまでもその感情の動きや起伏に沿った揺れは、あって然るべきなのである。

そうすれば、先程の例文も・・・。

「あぁ・・・(余韻=記憶を辿る瞬間)、今日は、とっても楽しい一日だったな~・・・(余韻=快楽を反芻する瞬間)」

・・・と、なる訳である。

しかるに、当然の事ながら伝えたい事が何であるか?・・・と言う点が最重要課題であるがゆえに・・・。

例えば、規則性や規律正しさに美や快楽を見出そうとする場合は、可能な限り、リズムの“揺れ”や“乱れ”は排除されねばならない。

要は、主題に沿っているかどうか?目的に合っているかどうか?求める結果に適合しているかどうか?・・・と言う点がどれほどの度合いで満たされているかどうかって事が肝心なのだ。

ゆえに、理想を述べるならば、元々の楽曲が通常の楽譜で使われるオタマジャクシを出来得る限り小さな単位まで細かく分割したもので構成されており、なおかつそれを実際の音として正確かつ緻密に再現出来る事が望ましい。

・・・と、それ以前に、そこには主題との因果関係・・・すなわち主題を楽曲(音符の並び方)に変換する際の写実的なデッサン力が伴っていてこその話ではあり・・・。

また、余談ではあるが、商品を作る場合はこれとは全く異なり、デッサン力よりもむしろデザイン力と言うかデフォルメ力?・・・つまり、より多くの人の趣味嗜好に適合する事を可能にするため主題は出来る限り広く浅く薄めるべきであり、複製しやすく大量生産しやすい様に誰にでも製造もしくは再現出来るシンプルさ(=部品の少なさ)が求められる・・・にしても、もちろんどこかに一つだけで良いからキラリと輝く魅力(=売りとなる部分)が備わってなければ話にならないが・・・。

さて、話を元に戻して。

“偉業”(賞賛を受ける事)は偶然に左右されてもたらされる場合が多いが・・・。

“異形”(前例のない前衛)は必然に基づいて表されなければ意味がない。

要するに何が言いたいかと言えば・・・。

“品質”を高める事は重要ではあるが・・・。

“本質”を極めた所で儲かりゃしない!!・・・テコト。

そしてそれが、そもそも音楽・・・と言うか、受動的娯楽の限界なのである。

ぽえむ「寄生虫」

汚れた場所に巣食って生きる。

ボクは寄生虫。

街が奇麗になったら困るんだ。

ボクの居場所がなくなるからね。

だから、街を奇麗にしようと掃除している人の邪魔をする。

徹底的に揚げ足を取る。

仲間を集めて馬鹿にする。

真面目にやる気をなくさせる。

真っ当な考えを捨てさせる。

自分で考えて行動する事が馬鹿らしいと思わせる。


ボクは寄生虫。

薄暗い部屋の隅でこそこそ生きる。

電気を点けないで!!

カーテンを開かないで!!

窓を開けないで!!

ドアをノックしないで!!

ボクの本当の姿を見ないで!!


ボクは寄生虫。

光を避けて生きていく。

一生陽の目を見る事はない。

でもそれでいい。

ずっと暗がりに隠れていたい。

自分の醜い姿を誰かに見られなくて済むから。

自分の醜いところを誰かに指摘されずに済むから。

自分の醜いこころを誰にも知られずに済むから。


ボクは寄生虫。

ボクは寄生虫。

だけど・・・。

独りじゃ生きていけない。

ぽえむ「飼われしもの」②

家畜の群の中で、楽しみを得る。

家畜の群の中で、漁夫の利を得る。

家畜の群の中で、優越感を得る。

群の中に居なければ成り立たない。

飼い主が居なければ成り立たない。

飼い主には決して逆らわない。

優良な家畜。

優秀な家畜。

裕福な家畜。

ぽえむ「読書習慣ロボット」

ロボットが本を読む。

・・・と言うか、もっと正確に言えば、そこに並んでいる文字を認識する。

ロボットが本を読んだ。

・・・と言うか、「本を読む」と言う動作を行った。

ロボットが本を読む。

そこに並んでいる文字を認識する。

「本を読む」と言う動作を行う。

ロボットが本をたくさん読んだ。

そこに並んでいる文字をたくさん認識した。

「本を読む」と言う動作を繰り返し行った。



だけど・・・。

ロボットはいつまでもロボットのままだった・・・。



ロボットが本を読む。

そこに並んでいる文字を認識する。

「本を読む」と言う動作を行う。

ロボットが本を・・・。

そこに並んでいる・・・。

「本を読む」ロボットが・・・。

「物々交換券」のつづき

その後、ちょっと調べてみると、愛知県のどこぞで今年の5月から「おむすび通貨」なる特定地域内でのみ使える物々交換券が発行され始めたらしい。

しかもこの券は、金(=GOLD)本位制度ならぬ米本位制度を基本としており、現物としてのコメを担保とする事で価値が保障されているのだ。

よって、時間が経てば経つほど価値が下がる→貯蓄しても意味がない→早く使わなければならない→券の流通スピードすなわち物々交換が盛んになる→地域が活性化する・・・と言う風に、従来の通貨が持つ悪しき特性を殺す事にも成功しているのである。

そもそも、考えてみれば通貨なんてものは物々交換をスムーズに行うためのツールに過ぎず、言わばどこかへ出かけるための自転車みたいなもんなんだから、それを誰かが倉庫に貯蔵して独り占めにし、市中に出回らない様にしてしまえば、誰も出かけられなくなる(=景気が悪化する)のが当然。

それに、前回述べた通り、結局最終的には既に通貨を大量に所有している人=入手した通貨を別の買い物に転用しなくても良い人の所に戻ってくる事になるのだから、それを市中から吸い上げて独り占めにするって事は景気を益々悪化させ、結果的に自分の首を絞める事になるだけなのではないだろうか?

しかるに、そこで登場するのが“金貸し”ってやつである。

たとえ店頭に商品をいくら並べていても、購入したい人が物々交換券を持ってなければ買物出来ないし、自分も店の商品が売れなければ物々交換券を手に入れられないがゆえに他所で買物出来ないし・・・となると、その打開策としては誰かしらがまず物々交換券を借りてでも使用しなければいけなくなり・・・。

ところが、自分が何かを買う事で巡り巡ってそれが自分の収入なり給料になった時には当然目減りしてる訳で、しかしながら物々交換券を返す際には元金に利子を乗せて返さねばならず、そうなるとますます困窮~借金地獄と言う負のスパイラルに陥ってしまう訳なのである。

要するに、物々交換券を独占する事、及びそれを貸し出す事によって利子を取る事、これらは人々を苦しめる結果をもたらしこそすれ、世の中にとって何ら良い影響などもたらしはしないのだ。

百歩譲って、大豪邸を建てたいだとか宇宙旅行に行きたいと言う夢を実現させるために物々交換券を必死で集めているのであれば、それが使用される時に多くの人が物々交換券を手に出来るのだから良しとしよう。

だが、使う気のない物々交換券を独占する事は、市中における物々交換の活性化を妨げる要因であり、犯罪的であるとしか言い様がない。

そう言う意味では、冒頭で紹介した「おむすび通貨」なるものは、貯蓄する事がデメリットになると言う点において、非常に評価出来るものなのである。

今日一日採れた茄子で、明日必要な物資を手に入れる。

今日一日働いた時間の分だけ、明日必要な食材を手に入れられる。

今日一日汗を流した分だけ、明日必要な休暇なり、欲しかった趣味の品を手に入れられる。

それこそが、人として真っ当な生き方なのではないか?

それこそが、本当に仕事なり労働と呼べるものなのではないか?

物々交換券を独占する事で人々を苦しめ、物々交換券を貸し出す事で更に利益を得る・・・これほど犯罪的にして反社会的な行為が、他にあろうか?

・・・とは言え、法律は彼らの資産や利益を守るために、彼らの傀儡が都合良く作り上げたものに過ぎないのだから、現時点ではどうしようもないのではあるが・・・。

それゆえに、私達がしなくてはいけないのは、出来得る限り物々交換券(=現行通貨)に頼らぬ生き方をする事・・・であろうか。

(以下は余談)

そこで当店も考えた・・・。電器屋を経営してる方でレア盤を集めてる方、売れ残りの新品のカセット・テープ・デッキをお持ちであれば、うちで売ってるレコードと物々交換イタシマセンか!?あるいは自転車屋経営の方、そろそろマイチャリの具合も悪くなってきたので、自転車でも良いデスよ。(^^;)

「物々交換券」

消費税を10パーセントに上げて、低所得者には還付金・・・って。

それだったら、最初から消費税なんか上げずに、高額所得者から多目に税金を徴収すれば済む話なんじゃないの?

・・・と言うか、高額所得者はまだ良い方で、問題なのは高額不労所得者、もしくは高額貯蓄者って事かな。

そもそもこの不景気な昨今、消費する人は神様で、お金持ってるのに消費しないで溜め込んでる人こそ罪悪なんだから、“消費しない税”っちゅうか高額貯蓄税をこそ徴収すべきだよね。

ところで、ふと考えるに、貧乏・・・って言うか生活が苦しい人に1000円支給すると、その人がコンビニで何か買物して、その売上げでコンビニの店主なりバイト君が本屋で買物をして、本屋の店主なり店員が電車に乗って・・・と、誰も貯蓄額は増えないけど、誰もが何かしらを手に入れる事が出来る訳で・・・。

つまり、たったの1000円が人の手から手に渡って移動するだけで、何人もの人が必要な品物を購入したり目的を達成したりする事が出来る様になる・・・と。

そんで、最終的にその1000円が誰のものになるのかと言えば、結局は貯蓄があると言うか使わないで取っておけるお金をたくさん持ってる資産家の所に落ち着く訳で・・・。

そう考えると、貯蓄のある人の所にいくらお金が蓄積されていっても、使わなければ(=世の中に再び流通させなければ)誰も潤わない訳で・・・。

更に考えると、最初に支給した1000円って、別にお金じゃなくても良いと言うか、何にでも使える物々交換券に過ぎないっちゅうか・・・。

要するに何が言いたいかと言えば、最後の資産家を除いて、誰もお金が欲しい訳でも溜め込みたい訳でもなくて(・・・もちろん将来働けなくなった時のために備えてもいる訳ではあるが・・・)、ただ単に自分の労働力を食料なり日用品なり趣味の品に交換したいだけであって・・・。

結論として、とりあえず町や村の小さな単位で良いから、その地域でのみ通用する物々交換券を発行すれば良いだけの話なのではないだろうか?

・・・とは言えもちろん、その物々交換券ですら、労働量と言うか利益率の大きい人の元にどんどん集まっていってしまうが・・・。

しかし、その物々交換券はその地域内でしか使えないのだし、更に使用期限などを設ければ、貯めてても仕方ないから使う・・・使えばまた他の人達もその券で買物出来る・・・となる訳で・・・。

最終的には、誰もが必要な分だけ必要なモノを得る事が出来る様になり、百歩譲って、働かない者のみが何も得る事が出来ない様になるのではなかろうか。(もちろん、病気や何かで本当に働けない人には、それなりの保障が必要ではあるが・・・。)

・・・とまあ、しかし過去にもその様な・・・つまり現行の通貨の価値を無に帰せしめる、特定の地域内でのみ通用する、ある意味新しい通貨を発行しようとの試みも実際に行われたらしいが、その目論見は国際資本家の手によってあっけなく潰されたらしい。

まっ、考えてみれば、そりゃそうだよね。

彼らは自らの手で“この世の中で絶対的な価値を持つ紙切れ”を作り出し、なおかつそれを誰よりも多く溜め込んでるんだから。

・・・単に“物々交換券”に過ぎない紙切れを・・・さ。

以前に述べた無人島の例えではないが、ちょっと考えればすぐに解る事。

そんな紙切れをいくら溜め込んでたって、本当に偉い訳でもなんでもなくて・・・。

せめて、純粋に自分の能力なり労力なり努力のみで、その紙切れを世の中からたくさん回収する事が出来ている人は、尊敬に値するかも知れないけどネ。

基本的に、物々交換券を独り占めする事及びその力によって、更に物々交換券を増やし溜め込んでいる人間は、軽蔑されこそすれ、本心から尊敬される事など在り得ないのだ。

それに、物々交換券を貧乏人にばらまいた所で、いずれにせよ自分の元に戻ってくるんだしね。

お金を溜め込んでいる(生かしていない)人間よりも、お金を稼いでいる(動かしている)人間の方が、まだなんぼかマシって事。

しかるに、現行通貨以外の何かしらの紙幣なり物々交換券を発行出来ないとなれば・・・。

休日とかに、どっかの公園に自分の店で売れ残った商品や自分の家で眠ってる不用品を持ち寄って、物々交換会なんか開くってのが良いかもね。

そうすりゃ消費税も、更には所得税すら支払わなくて済むしね。

それもこれも元を辿れば、誰かさんが物々交換券を独り占めにして、必要な人にもっと使わせてくれないからいけないんだよ。

「労働無き富は社会的大罪」(by ガンジー)

・・・にプラスして。

「必要以上の貯蓄は社会的大罪」

・・・テトコか。

そう考えるとアレだな・・・。

単なる“物々交換券”を貸し出し、その利息で儲けるなんて商売は、ある意味犯罪的だよね。

“物々交換券”を、本来の目的である物々交換をするため以外の商用目的(金貸し等)で使用するのは違法である・・・って事にすりゃ良いんじゃねえか?

・・・って、私が勝手に、紙幣や貨幣を“物々交換券”呼ばわりしているだけの話ではありマスが・・・。(^^;)

例のコンビニ

あまりに接客態度が悪いんで、「もう一生行かねえ!!」と宣言した近所のコンビニ。

今日、久々に店の前を通ったら・・・。



潰れてマシタ!!(^^;)

実録「レコード・コレクター地獄変」⑩「さらばジョニー!!」(中編)

(前編からのつづき)

ある日の22時近く、深夜の出品作業に備えて仮眠していた私を揺り起こす、公衆電話からの着信・・・。

私は受信ボタンを押し、携帯を左耳に当てた。

・・・すると!!


「あのもしもし?私、ジョニーなんデスけど。」


私は自分の耳を疑い、こう尋ねた・・・。

私「ええっ~!?ジョニーさんって、あの・・・ジョニーさんを救うために自ら別室に堕ちた私を見殺しにして、自分だけが救われたい一心で星を独り占めにして船を下りようとした、あのジョニーさん!?」

(・・・「カイジ」読んでない人には解らないネタでゴメン・・・。)

以下、書き直し・・・(^^;)

私「ええっ~!?ジョニーさんって、あの・・・死んだおばあちゃんの遺産を独り占めにしたいがために、私から借りたお金を踏み倒して逃げた、あのジョニーさん!?」

ジョニー「いえいえ、そのジョニーさんかどうかは解らないんデスけど・・・。」

私「そのジョニーさんが何デスか!?またボクにレコードの落札を頼みたいとか?」

ジョニー「いやそうぢゃないのよね。エレクトさんにもお金返さなきゃと思って・・・。」

私「ええっ!!テコトは、遂におばあちゃんが死・・・。」

ジョニー「いやそれが、まだ死んでないのよね、これが。」

私「それぢゃ、お金返すったって無理でしょ?」

ジョニー「いやあの私、おばあちゃんに保険証作り直してもらって、最近ちゃんと働きに出てるもんでね。」

私「へ~!!ホントですか!!そりゃ良かったぢゃないデスか。それで、働いたお金で借金を返してくれる・・・と?」

ジョニー「それがまだ働き始めたばっかりなもんで、だけど今なら仕事があるから、またサラ金から借りて一括で返そうと思うのよ。エレクトさんもその方が良いでしょ?」

私「そりゃ・・・まとめて返してもらうに越した事はないけど・・・。特に今月は全然売れてなくて超ピンチだし・・・。」

(後略)

うわ~!!こりゃまさに渡りに船と言うか、もしホントにお金返してくれたなら、ジョニーさんは奇跡を起こす救いの神だわ~!!(TT)

しかし・・・そんなやり取りの数日後。

ジョニー「ごめんなさいね~。やっぱサラ金の審査、通らなかったのよ。」

私「あら~!!まあ、そりゃそうっスよね。世の中こんなに不景気なんだから、サラ金も厳しいでしょうしね~。」

ジョニー「それでやっぱり働いたお金から返そうと思うんだけど、仕事始めたばかりだから、最初の月はあんまりもらえないのよ。それにそこは、2ヶ月働いたら次の1ヶ月は休まなきゃいけない職場でね。だから、次の月には多目に返せるけど、また次の返済は先になっちゃうね。」

私「そうスか~!!まあそんなに期待してなかったデスけどね・・・。いやいやそれでも全然良いっスよ。ホント、今月は超厳しいんで・・・。」

・・・ところが数日後、ここで更にどんでん返しが!!

何とジョニーさんは、おばあちゃんからお金を借りて私に一括でお金を返し、おばあちゃんには自分で働いたお金を少しずつ返して行く事にしてくれたのだ!!

私「いや~!!あの頑固なおばあちゃんが、良くお金貸してくれマシタよね~。」

ジョニー「私も仕事が決まったからね。今は信用があるのよ。」

私「へ~!!まあ、どうせお金返す前におばあちゃんも・・・(自粛)・・・デスしね~。何にせよ、こちらとしては大助かりっスよ。」

そして数日後、ジョニーさんは貸したお金をきちんと返してくれマシタ。いや~・・・これで今月の史上最悪な売上げを、少しはカバー出来る・・・。(TT)

なお、今回この連載の続きを書くきっかけとなったのは、ジョニー氏が私にお金を返してくれたと言う事・・・すなわちジョニー氏の名誉回復のためでもあったのデス。

思えば、自分自身が借金まみれの私が、何故にジョニーさんにそんな大金(10万円以上)を貸す羽目になったのか、その理由はまた次回・・・。

(後編につづく・・・)

★ジョニー伝説最終話も、いよいよ佳境!!それにしても、ホントに助かりマシタ。ジョニーさん、ありがとう!!(TT)
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