Mr.エレクトの独り言 2010年07月22日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「自慢話復権論」③

(②のつづき・・・)

さて、①においては、「私達は決して自慢話が嫌いな訳ではなく、他人の幸福が嫌いであるか、もしくは他人の不幸が好きなだけなのである。」・・・と言う事を明らかにし、②においては、自慢話と依慢話との違いを明確にした。

そこで、依慢話についてもう少し補足するならば、生まれた家庭や家系、生まれた地域や国籍等、その本人が自分自身の努力で獲得した手柄や功績などでは絶対に在り得ないものをひけらかす事は、自慢話などではなく、自身の卑しさやみっともなさをひけらかすだけの行為に過ぎない訳なのであるが・・・。

更に恐ろしい事に、世の中には「自分が人間である(・・・もしくは人間に生まれた)」と言うだけで、何だか知らないが地球上で一番偉い身分であるかの様に思い込んでいらっしゃる方も居る様で・・・。

言わずもがな、人間とは、人間と呼べる生き物にまで成長する可能性を備えてこの世に生まれ落ちはするが、その先は親なり世間なり教師なり友人なりから良い影響もしくは悪い影響を受けつつも、自らの意志で人間に“成る”ものであって、生まれつき所属する種族や身分に拠ってのみ、その質や存在意義の優劣が保証されている訳では決してないのである。

前回も述べたが、人間とは本来、当人の出自などではなく、自身がその人生において自ら為した行為や成果によってのみ、評価もしくは断罪されるべきなのだ。

・・・と、自慢話と依慢話との違いについての定義を明確にした所で、しかしながら、いくら仲の良い友人であれ、愛する家族の一員であれ、あまりに自慢話ばかり聞かされるのはうんざり・・・とおっしゃる方も多々おられる事であろう。

しかるに、私が定義した通り、依慢話・・・すなわち自分の努力や能力や労力に依拠しない手柄話をする様な卑しくも愚かな人種が世間の人々から疎まれ淘汰されて行けば、自ずと本来の自慢話・・・すなわち自身の努力や能力や労力によって成功を収めた人々にのみ賞賛が集まる様になるはずであり・・・。

そうなれば、そもそも人が自慢話をするその動機とは、「人から褒めてもらいたい」もしくは「多くの人から賞賛を得たい」ゆえにであるのだからして、その欲求が社会的に充分満たされる様になれば、あえて身内にまでしつこく自慢話を繰り返しスピーチする事もなくなるであろうと予想されるのだ。

ゆえに、私達はもっともっと、(本来の意味での)自慢話が市民権を得る様にしなければならない。

そしてその反対に、依慢話をする事で自分が偉くなったつもりになっている様な人間には、最大限の軽蔑や哀れみをとことんくれてやるべきなのである。

・・・とは言え、命を永らえる事のみが生きる事であると思い込まされている、現世利益こそがすべてだと考えている様な人間にとっては、こんな私の話など馬の耳に念仏と言った所であろうが・・・。
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