Mr.エレクトの独り言 2010年08月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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エリートの傲慢(2011年7月5日少し改定)

そもそも、「自分には能力がある」だなんて思い込んでいる人間に権力を与えると、ろくな事にはならない。

公務員批判に対する反対意見として、彼らを擁護する際に「官僚になる人は民間に行けばもっとたくさんの給料をもらえるのに・・・うんぬんかんぬん」との論調を良く聞くが、「だからもっともらって良いんだ」と言う事にはならない。

だいたい、そんなにお金が欲しいなら民間に行けば良かったろうし、それ程までに「自分には能力がある」だなんておっしゃる優秀な方が民間で働けば、さぞ我が国の景気も良くなる事でありましょう。

ただ、そうは言うけど民間にせよ能力があれば誰もが高給取りになれるかと言えば、そんなはずはない訳で・・・。

元を正せば、その「自分には能力がある」と思い込む事自体が大きな間違いなのである。

・・・否、確かに豊富な知識はあるのであろう。

そしてまた、彼らは所謂勤勉さと言うか、スポーツ選手になれる程の運動神経は無いにせよ、遅刻しないで学校なり会社に通い、毎日コツコツと勉強するなり働く事の出来る、ある一定の体力と精神力とを備えている。

・・・が、実はそれこそが駄目なのだ!!

彼らは、自身はもちろんそう言った朱(種)にも交わってこなかったために、人間の本質を知らないと言うか、人間が持つ愚かさや醜さをあまりにも知らな過ぎる!!

だから、まずはそう言う人間を見下し、「自分には能力がある」のだから高給を取っても良いんだ・・・となるし、そう言った愚かな人間が居るのだから世の中を良くして行く事など無理な話だと自分勝手に思い込み、そう言った自身の(人間としての)愚かさにさえも気づかない心理状態に陥るのだ。

しかし、「人間は愚かである」と言う事を自覚しつつも、なおかつ世の中を良くしたいと考えている様な人間が権力を手にしたならば、「人間は愚かである」事を前提に物事を考えるため、そう言った人間が持つマイナス面を克服するための社会の仕組みを必死で考えようと知恵を絞るはずなのである。

・・・とは言えもちろん、それ(愚かさ)は自身で克服すべき・・・と言う意見もあろう。

しかるに、誰もが健全な肉体、健全な精神、健全な家庭、健全な環境等を持って生まれる訳ではないのだ。

ゆえに、本来は子供にだけではなく親に対しても、権力者や既得権益者のみに利益をもたらすための“飼育”ではなく、人を育てるための“教育”が受けられる様にしなくてはならない。

ところが・・・実はそうすると困るのは権力者や既得権益者はもちろんの事、「自分には能力がある」と思い込んでいる人達なのであるからして、誰もが優秀になってしまったら自分の地位が脅かされる恐れがあるため、彼らはそれを積極的にしようとはしないのである。

要は、下は下で、皆が馬鹿のままでいないと自分だけが取り残されるのがいやなもんだから、物事を真剣に考えようとしている人間や少しでも自分の愚かさを克服しようとしている人間の足を引っ張ろうとする馬鹿も居れば、上には上で、やはり人々が無知で居てくれた方が都合の良い人間も居るって事か。

更には、「自分には能力がある」とおっしゃるが、そりゃ確かに知識は人よりたくさんあるだろう・・・何故なら、そのためにそれまで貴重な時間を費やして来たのだから。

だが、本当に重要なのは、その知識と知識を繋ぎ合わせる事もそうだが、そこに新たな発想を加える事によって、現在既に在るものをより良く改善して行く事なのであるからして・・・。

しかも、余計に知識がある人程、「それが無理だ」って事も既に知ってる・・・って言うか、「それは無理だとされていた」昨日までの古い知識に囚われがちだから、もうそこからして駄目なんだよね。

もし本当に、「自分には能力がある」と言うのであれば、「無駄な公共工事もやらないよりマシ」なんて言わずに、もっともっと「有用な公共工事」でも考え出してもらいたいのもんだし、それが出来ないと言うのなら、それこそまさしく「無能」って事なんじゃないの?

・・・と言うかそれ以前に、理想とまでは言わないけれど、自身の将来の生活設計以外に、目標と呼べる指針さえあるのかどうかさえ疑わしいと思えてしまう。

結論としては、知識だけで世の中が平和になり人々が幸せになるんであれば、巨大コンピューターにでも管理を任せれば良い訳で、そう考えると・・・。

あくまでも建前上は、官僚(公務員)は国民のしもべであり、政治家は国民の代弁者なんだから、国民が「消費税上げたくない」と言うのであれば、官僚は持てる知識を生かし頭をひねり知恵を絞って、「消費税を上げなくて済む方法」を考え出すべきなのである。

それが出来なきゃ無能なんだから、「自分には能力がある」だなんて思い違いはさっさとやめて欲しいし・・・。

その反対に、もしもそれを可能としたならば・・・。

官僚初め公務員の方々は、今以上に国民から尊敬を集め、少々高い給料(税金)をふんだくっても、誰からも文句など言われないのではないだろうか。

以上、とある自営業者の傲慢な独り言・・・デシタ。(^^)b
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禁未来小説「ドラへもん」その112「ナチコ先生の招待」の巻

ナチコ先生提案による残酷な選民ゲームは、たった今、終りを告げた・・・。

そして、教壇に残された男子は、ボク一人。

フフッ・・・ウフフフフ・・・面白い!!・・・こんな面白い話があるかってんだよ・・・。

最下位どころか、クラスの女子の誰一人からも選ばれない残り物になるなんて。

くく・・・本音を言えば、悔しい!!悔しくて悔しくてたまんないよ!!

どうしてボクだけが、こんな惨めな思いを味合わさせられなきゃいけないんだ!!

どうして・・・どうしていつも、ボク一人だけが・・・。

それもこれもすべて、こんな馬鹿な事を考え付いたあいつのせいだ!!

今日赴任して来たばかりの新任女教師、ナチコの野郎の!!


・・・ところが、そんな拭い去れぬ恥辱にまみれ不貞腐れていたボクに、思いもかけぬ意外な展開が訪れたんだ!!

ナチコ先生「あらあら、男子一人残っちゃったって訳ね・・・。これは流石のナチコ先生も、責任を感ぢずにはおれないわね~!!それで、貴方の名前は・・・と」

畜生!!ボクの名前なんてどうだっていいよ!!早くボクを空いてる席に座らせろって!!・・・と、ボクはこころの中で念ぢつつも、早くこの場を立ち去りたい一心で、ナチコの質問に答え、自分の名前を口にした。

のひ太「○○のひ太・・・デス。」

ナチコ先生「のひ太クン・・・え~と、前任の先生からの引継ぎによると・・・ふむふむ、貴方には色々と問題があるようね。よし解った!!女子が一人足りない分、先生がのひ太クンを引き受けるわ!!今日は特別に先生が補習授業をしてあげるから、放課後教室に残ってなさい。それぢゃ、さっさと空いてる席に座って、さあ授業を始めるわよ!!」

何と!!これは一体何がどうなっているのか、ボクにはすぐには理解出来なかった・・・が、クラスの男子生徒からは、「え~!!ナチコ先生の個人授業を受けられるなら、俺が残り物になれば良かったよ~!!」なんて無責任な声が・・・。

ふざけるな!!フィンガー5の歌ぢゃあるまいし・・・誰からも選ばれず残されたボクの気持ちになってみやがれ!!

だけど・・・そう、ボクは当初の怒りもどこへやら、もしかしたらナチコ先生はそんなに悪気はなくて、ちょっとばかし不器用なだけで、本当はやさしい女性なのかも・・・と思い始めていた。

今にして思えば、それは甘い・・・実に甘っちょろ過ぎる考えだった・・・。

でもその時のボクは、そうとでも思わなければ、自分を保てない状態だったんだ!!

だからこそ、ナチコ先生の言われるままに、まんまと補習授業の約束を受け入れてしまったのさ。

本当は、もっと早く気が付くべきだった・・・。

赴任早々、あんな残酷なゲームをボク達にやらせる様な女だぜ?

しかも、彼女はもっと大きな秘密を抱えていたんだ。

知りたいかい!?

ウフフ・・・。

どうやらボクの人生は、とんだ疫病神に取り付かれているみたいだよ・・・。

今頃になって・・・。

おっと、この先はまだ言えない。

すべては放課後。

ボクの人生における最大の地獄の、その扉がいよいよ開かれるんだ・・・。

フフフ・・・。

面白い事になるぜ。

それにしても・・・。

どうしてこんな事になってしまったのかな。

どうして・・・。

ボクの人生・・・うんにゃ!!違う!!

ボクの地獄は・・・。

まだまだ終らないって事さ!!

(つづく)

「無慈悲な善人」(少し改訂)

まず初めに、善人の定義とは?

私が考える善人とは、世間で言う所の善人・・・すなわち善のみで構成された偏った人間の事ではない。

人間とは本来、当人の出自や資質などではなく、自身がその人生において自ら為した行為や成果によってのみ、評価もしくは断罪されるべきゆえ・・・。

私が考える善人とは、こころの内に善も悪をも内包しつつ、しかしなおかつその悪を退けて善を選び取り行使出来る人間の事を指す。

何故ならば、善のみで構成された人間は元より悪を知らぬがゆえ、その狭間で精神の葛藤に苦しむ訳でもなければ、強靭な精神で自身の利己的な欲求を抑えつけている訳でもなく、ただただ自分の出来る事や得意な事を当たり前の様に行っているに過ぎないからである。

よって、もっとも厄介な問題は、彼らは善しか知らぬゆえに、自身の行為をすべて善であると思い込んでしまいがちであると言う点にこそあるのだ。

言わずもがな、誰かの善意に基づく行為が、必ずしも他の誰かに喜びや幸せをもたらすとは限らない。

例えそれが善意以外の何物でもない真心に基づいていようとも・・・である。

しかるに、善しか知らぬ者は、自らのこころの内にも、もしかしたら他人にとっては悪となり得る要素があるのではなかろうかなどと言う事を疑いさえもしなければ、自分のしている行為がもしかしたら他の誰かにとっては善ではない可能性が少なからずあるのかも知れないと言う事に対し思いを巡らせる事すらしないのだ。

・・・とは言え、それもむべなるかな。

彼らは自分のこころの内に善しか持ち得ぬゆえに、他人のこころの内に善と悪が共存していようなどと言う事に対しては、露とも想像力が働かないのである。

これが、自らのこころの内に善と悪とを併せ持つものであれば、他人のこころのうちにも、おそらく善と悪が共存してるものとの発想にも容易に至るのであろうが・・・。

ゆえに、彼らが悪を憎む気持ちは、まさしくこの世に存在してはならない凶暴なケダモノを見るかの如しであろう事も、想像に難くない。

だからこそ、彼らは悪人を必要以上に憎むのであり・・・。

当然の事ながら、そこには共感と呼べる感情など芽生え得ようはずもない。

・・・否、確かに多くの人間はこころの内に善も悪をも内包しつつ、しかしなおかつその悪を退けて善を選び取り行使する事が出来るがゆえに、それが出来ない人間は断罪されてしかるべき。

しかし、こころの内に善も悪をも内包している人間にしてみれば、それは未来の自分かも知れないと言う気持ちがこころのどこかに必ず燻っているがゆえ、ただただ悪事を働いたと言う点のみではなく、どれ程の欲望に耐え切れなかったのかと言う、その度合いこそが重要な判断材料となるのである。

ちっぽけな目先の欲望のために弱者を踏みにじったのであれば、それは許せないであろう。

・・・がしかし、理不尽な抑圧に耐え切れず、勇気を出して自分よりも強い者に刃向ったのであれば、その場合は・・・?

だがしかし、こころの内に善しか持たぬ者にとっては目に見えて現れた悪人や悪事がすべてであり、この世の中に既にそれが常識であり正義であるかの様に厳然と存在する一部の者にとっては“私利私欲を満たすための方便”でしかない事柄に関してもまるで無批判・・・と言うか、むしろそれを疑う事なく従う事こそが正しい行いなのであると思い込んでさえいるのである。

繰り返しになるが、善しか知らぬ者は、自らのこころの内にも、もしかしたら他人にとっては悪となり得る要素があるのではなかろうかなどと言う事を疑いさえもしなければ、自分のしている行為がもしかしたら他の誰かにとっては善ではない可能性が少なからずあるのかも知れないと言う事に対し思いを巡らせる事すらしないのだ。

また、彼ら善しか知らぬ者には他人のこころの内にある“悪”を見る事など出来ないし、もし仮に、自分のこころの内に無い要素が他人のこころの内に存在したとしても、そもそも自分が知らぬものを、それが何であるかなどと認識する事など不可能なのである。

それゆえに、善しか知らぬ者にとってみれば善が常識であり常識は善であり、それが如何なる悪意の下に創造された常識であろうとも、疑う事なく従い続ける事こそが善なのだ。

かくして、善しか知らぬ者すなわち悪を知らぬ人間が蔓延る社会は、こころの内に善と悪とを内包する凡人には非常に生き難い世の中となり・・・。

その様な押し付けがましい常識とやらに迫害された人間が世間の隅へ追いやられ、行為としての“悪”を為す結果とも成り得るのである。

いずれにせよ、他人の気持ちが解らない人間に他人を救う事など出来るはずもなく・・・。

今日も明日も、粛清と言う名の弾圧は続くのであろう。

善しか知らぬ無慈悲な人達による・・・。

朝の一言

自分が「私利私欲もしくは私情に振り回されている」のかそうでないのかを自覚出来ていない人間には、それと同様に、他人が「私利私欲もしくは私情に振り回されている」人間なのかそうでないのかを見極める事など出来ない。

乃田吊「第七官界崩壊」(CD-R)入荷しておりマス!!

■乃田吊「第七官界崩壊」(CD-R)¥500
乃田吊1
<収録曲目>
1.透明人間
2.薄桃色は映らない
3.花
4.関西援交 ひとみちゃん
5.夕焼けの子

ゲスト:ユサ(壊れかけのテープレコーダーズ/Key,Org~1.2.5.)

ジャケットモデル/デザイン:高橋里奈
写真撮影:三浦陽一郎

★まず初めに・・・ジャケには女性が写っているが、本作は男性シンガーによる作品なので、その点お間違えなく・・・。(^^;)

思えばあれは僅か1年~1年半前、私は初めて乃田吊氏のライヴを目の当たりにし、その後も数回観る機会があったのだが、その頃の彼の演奏は実に酷いもので、例えて言うならばそれは、自ら買い揃えた食材を丁寧に調理して出来上がった料理に対しわざわざ泥をぶっかける・・・と言った有様で、「この人は客観視と言うものがまるで出来ていない・・・」と思わせるに足り過ぎて余りあると言った状態であった。

しかしその後、ある日を境に彼の演奏は一変する。彼が持ち得る才能が最も発揮されていると思われる歌詞の、その主成分である言葉の絶妙なる配分及び配列具合によって描かれた情景を、より一層的確に伝えるための音作りが、少しずつであるが為される様になったのだ。

しかるに、そもそも乃田吊氏が紡ぐ歌詞とは、時が経てば消え失せてしまう、そんな脆く移ろい易い思春期~青年期のはかない心情、もしくは脳裏に焼きついた鮮烈な記憶とを、巧みな言語選択のセンスと構成能力によって文章化したものであり、それらは直感的な所作のみならず、たっぷり時間をかけて練り上げる作業をも絶対に必要とするものゆえ、その方法論を音作りの際にも応用すれば良いだけの話なのである。

また本作は、「壊れかけのテープレコーダーズ」のメンバーであるユサ嬢(キーボード/オルガン)をゲストとして迎え入れた事によって音楽的にも色彩豊かなものとなっており、なおかつレコーディング・スタジオで数日かけて録音された音源であるとの事で、いくばくかのコストを覚悟してでも現在の身の丈以上にクオリティの高い作品を作り上げんとするその行為は、今後彼の実力を大幅にアップさせる効果をもたらすであろう事は想像に難くない。

・・・何故ならば、少なからず自己の美意識なりこだわりと呼べるものを持つ表現者であれば、常に自分の過去の作品以上のものを作らねばならないと言う使命感が、必ずやこころの内に芽生えるからである。

この作品が、どれほど多くの人々に支持されるかは解らない。しかし、繊細過ぎる程の感性とシュールな発想、更にはちょっとばかしの技巧派ぶり(=あざとさ)をも顔を覗かせるこれらのうたの数々を耳にする時、それと似たような経験や感傷を過去に味わった事がある者であれば、まるで自分がその時その場面に居た瞬間の心情や風景を容易に思い起こす事であろう。

最後に、敢えて苦言を呈すならば、歌詞とメロディーを創作する事・・・すなわち完成度の高い設計図を仕上げると言う観点における乃田吊氏の現時点での能力や方向性に関しては、もはや他人がどうこう言うべき領域ではない・・・がしかし、その図面を基に再構築された音楽作品としての完成度に対しては、その再現能力(=歌唱力及び演奏力)において、この先まだまだ精進が必要であると、希望を込めつつ私は述べたいと思う。
乃田吊2
<追伸>
推測するに、彼の主たる創作動機とは喪失感を埋める事であり、その目的ゆえに、その時の自分の感情が時間の経過と共に変質してしまわぬ様、作品として形に遺す事・・・に他ならず、よって、もしもその表面的な形状にではなく志向性や立ち位置が最も近いアーティストを無理に挙げるとするならば、達成度においてはまだまだ遠く及ばぬものの、森田童子をおいて他には居ないと私は考えるものである。

<乃田吊参加作品紹介記事>
<緊Q告知!!>コンピ盤、完成~入荷イタシマシタ!!

★上記の作品は当店にて通販可能。(現在店舗は長期Q業中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/

「イヤミ礼賛論」

ゲヘヘ・・・皆様ご存知の通り、私はイヤミな発想や発言を最も得意とする人間でゴザイマス。(^^)

しかるに、イヤミを言うためには、高度な言語選択能力はもちろんの事、過剰なユーモアを司る知性と攻撃性、そして更に対象となる相手の事を出来るだけ正確に理解しようと努める誠実さが必要不可欠なのデス。

また、イヤミとはあくまでもレジスタンス・・・すなわち強者の傲慢さを、弱者の側から狙い撃ちするものでなくてはなりマセン。

何故なら、これが例えば生まれつき備わった身体の形状なり出自(国籍や家庭環境)等、その本人の努力では覆す事や克服する事が出来ない事柄を非難するのであれば、それはイヤミなどではなく、単なるイジメになってしまいマスゆえ。

よって、私にイヤミを言われた貴方は、私から見れば強者であると認識されている訳でありマスからして、それは喜んで良い事なのでゲスよ。(^^)

ゆえに、私が最もがっかりさせられるのは、私が発したイヤミに対する返答が、あまりにもユーモアに欠けるものであったり私の急所をズバっと一突きにするものでもなく、ただ単に「そう言う自分はどうなんだよ!!」だとか「お前に言われたかねえよ!!」みたいな、知性や品性に欠けた獣的反応とも呼べる言葉であったりする場合なのでありマス。

しかし、もしもそこで、私が発したイヤミ以上のクオリティを持ったイヤミな返答が為されたならば、私はその悦びと快楽によって悶絶死してしまうかも知れマセン。

例えるならば、それはまるで、殺虫スプレーを浴びせられて断末魔の苦しみに悶えるゴキちゃんの如く・・・。(^^;)

そう・・・その時の私の心情を解説するならば・・・。

地球上では(現時点においては)人類のみに操る事が出来るとされる言語能力の、その限界を更に超える事が出来る人類の未知なる可能性を目の当たりにさせられた事に対し、私の知識欲や進歩欲が過剰なまでに奮い立たされる・・・とでも申しましょうか。

そして更には、それほどまでに真剣に私の急所を見つけ出すべく能動的な態度で臨み、しかも私に最上級のイヤミを投げかけたその相手に対して、私は「貴方こそは私の真の理解者だ!!」と、思わず抱きしめたくなる衝動にさえもかられてしまうのでありマス。

これは想像でしかないが、おそらく武道の高段者やスポーツの上級者同士の対戦においても、これと同様の感動がもたらされているものと、私は推測する次第。

それゆえ、私の発言がイヤミである事にすら気づかない方がいるとするならば、それはそれで私のイヤミ能力(=理解力及び言語能力)が足りないせいであろうと反省もせねばなるまい。

イヤミこそは、人類のみが持つ言語能力を最大限に生かし得る、最上級の娯楽なのだ!!

高度なイヤミを発明する努力、それこそが人類をその獣性(利己的な本能)から解き放つ、最善の方法なのである!!

イヤミ万歳!!

イヤミ最高!!

イヤミは地球を救う!!

イヤミの主成分は、対象物に対する愛(=相手を出来るだけ正確に理解しようと努める精神)に他ならないのだ!!

木幡東介/新作発売情報!!(2010年8月16日号)

★新作2点、同時発売中!!

■木幡東介ライヴCD-R(ECR-004)¥1000
2010月6月5日@吉祥寺フォースフロア
水無月の今豚(Kong-Tong)+エレクトレコード共同企画
「脱権力の地図」其の四~木幡東介単独公演
ECR-004
1.背徳の扉
2.女郎蜘蛛
3.棄脱の天地
4.二つ目小僧
5.渓谷、深山の民~狩猟民族の唄~
6.溶け合う1つの色に向かって
7.夏の闇を真似る擬態
8.夏の二人
9.野いちごおとし
ボーナス・トラック
1.薄羽蜉蝣(未発表スタジオ・ヴァージョン)
収録時間:65分22秒(アンコールのみ差し替え)

■当日のアンコールにおいて、生演奏のバック・トラックとして流される多重録音
SEが機材トラブルにより音飛びを起こし、演奏途中に幾度かの中断を余儀なく
されたため、同曲のみ未発表のスタジオ・ヴァージョンに差し替えてありマス。

★多重録音SEをバック・トラックとして行われるエレキ・ギター&ギター・シンセ弾き語りを中心としながら、エレキ・ギターのみの弾き語りによる「背徳の扉」や「二つ目小僧」等を交えたライヴ本編全9曲に加え、当日は上記注釈にもある通りアンコール曲において機材トラブルによる演奏中断を余儀なくされたため、本作においてはアンコール曲「薄羽蜉蝣」のみカットし、同曲の未発表スタジオ・ヴァージョンに差し替えた。しかしながら、ライヴ録音とはまた異なるテイストの同テイクがラストに挿入される事により、まるで映画のエンド・ロールを観ているかの様な効果がもたらされた事は、予想外の収穫であったと言えよう。

切り絵/木幡東介
録音・編集/吉澤裕史
制作/エレクトレコード

■木幡東介ライヴDVD-R(EDR-006)¥1000
2010月6月5日@吉祥寺フォースフロア
水無月の今豚(Kong-Tong)+エレクトレコード共同企画
「脱権力の地図」其の四~木幡東介単独公演
EDR-006
1.背徳の扉
2.女郎蜘蛛
3.棄脱の天地
4.二つ目小僧
5.渓谷、深山の民~狩猟民族の唄~
6.溶け合う1つの色に向かって
7.夏の闇を真似る擬態
8.夏の二人
9.野いちごおとし
アンコール
10~11.薄羽蜉蝣
収録時間:約71分(完全収録)

■DVDプレーヤー及び、パソコンでは「PowerDVD」でのみ
再生可能。(個人撮影につき、多少のドロップやノイズがでる
場合がございますが、ご了承下サイませ。)

★本作は、ビルのギタリストである久保偽札犯氏撮影によるもの。多重録音SEをバック・トラックとして行われるエレキ・ギター&ギター・シンセ弾き語りを中心としながら、エレキ・ギターのみの弾き語りによる「背徳の扉」や「二つ目小僧」等を交えた全10曲を収録。また、同日録音CD-R作品の注釈にもある通り、当日はアンコール曲において機材トラブルによる演奏中断を余儀なくされたのだが、本映像作品においては悪戦苦闘の瞬間を記録に残す意味合いをも重視し、敢えてその模様を一切カットする事なく完全収録した。

切り絵/木幡東介
撮影・編集/久保偽札犯
制作/エレクトレコード

★上記の作品はライヴ会場及び当店にて通販可能。(店舗は長期休業中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/
★いぬん堂ネット・ショップでも取り扱い中!!
http://inundow.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=42287&csid=21

「流行語怠症」

他人を侮辱する際に、流行語を使用するのは良くない。

・・・と、これはあくまでも私がそう考えているだけの話ではあるが・・・。

何故なら、他人を侮辱する際に流行語を使用すれば、自分の頭を使わずして望むべき目的を簡単に達成出来てしまえるからである。

・・・自身の持ち得る現時点での能力や努力の有無に関係なく、言葉で相手を打ち負かす・・・と言う目的を。

しかも、流行語と言うものは多くの人が使用しているからこそ“流行”と言う冠が付いている訳で、要するにその言葉を使用する事によって、まるで世間の大半の人々が自分の味方に付いてくれたかの様な錯覚にも陥り易いのだ。

これでは、自分の価値観は誰に否定されようとも絶対に正しいのだと言う信念や自信の下に勇気ある罵倒が行われているのでもなんでもなく、多勢に無勢・・・すなわち数の力を借りて目の前に居る相手を問答無用で打ち負かそうとしているだけに過ぎない。

流行語を使用すれば、他人を侮辱する言葉を自分の頭で考えなくて済む。

流行語の力を借りれば、他人より自分が正しく優れているかの様な気分を味わえる。

流行語を使用する事で得られる愉悦や恩恵は、一度知ってしまうと、なかなかそれを断ち切れない。

・・・それもそのはず。

だって、労せずして誰でも手軽に快楽や利益が得られるのだから。

そりゃ、使うだろうよ。

だけど、そうやって流行語に依存し頼り切ってばかり居ると言う事は、常に数の正義によるジャッジに服従し続けると言う事でもあり・・・。

いつしか、流行語・・・すなわち多数意見を疑うどころか、自分で物事を考える事さえ出来なくなるのではなかろうか。

・・・否、安易に流行語を濫用する事自体が、自分で考える事を放棄する以前に、自分の価値観を確立しようと言う人間として真っ当な在り方から目を背けた怠惰な精神に基づくものなのであるからして、そもそもそんな人間は、自分で考える事が出来ないのではなく・・・。

自分で考える事を“しない”のであり・・・。

それは、それが如何なる理不尽な要求であろうとも、目の前の困難に対して決して抗わないと言う事でもある。

・・・とは言え、そう言った人達をも弁護するならば・・・。(←私は常にフェアでありたいがゆえ)

おそらく彼らは、これまでの人生において自分で物事を考える必要性・・・がなかったのであろう。

そして、自分で物事を考える必要性がないとはどう言う事であるかと言えば・・・。

一口に言えば、困った事がない人間・・・もっと言えば、自分の存在を否定された事がない程に優秀(=平均値を大幅に下回る事がないと言う意味で)か、もしくは生育環境が精神的な意味において裕福であったために理不尽な抑圧を受けた事がなく、それゆえに世間の価値観(=多数意見)をどうやったら覆す事が出来るだろうかなどと必死に考えあぐね頭を悩ませた経験がなかったのではないかと推測される。

・・・あるいはそうでない場合・・・すなわちその逆に、仮に親や世間及び多数意見による迫害を受け続けた者であっても、今度は自分がそれを誰かに行うと言う、負の連鎖を断ち切れぬ最悪なパターンもあるにはあるだろう。

・・・と言うか、実際には後者が殆どなのであるが。

いずれにせよ、流行語を口にする事で他人を貶めていい気になっている人間に対して、私には哀れみの情しか芽生えない。

ああ、おそらくこの人は、過去に親や世間からこの様に苛められてきたのだな・・・と。

自分の考えを持つと叩かれる。

自分の考えを持つと怒られる。

自分の考えを持つと嫌われる。

だから、流行語の威を借りて、権威を傘に着て・・・。

大多数の側につく。

強い者の側につく。

必ず勝てる側につく。

しかるに、本当にまともな人間ならば、権威に縋って他人を侮辱する前に、きちんと自分自身の意見を述べるべきであろう。

もしも、自分の考えと呼べるものが本当にあるのならば。

・・・と、これはあくまでも私がそう“考えて”いるだけの話ではあるが・・・。


それにしても、流行語こそが“思考停止”の元凶であるにも関わらず、その“思考停止”と言う言葉自体が流行語になってしまっていると言う、この現実・・・。(TT)

本日の教訓

その対象物を褒めたりけなしたりする事よりも難しいのは、その対象物の在り様を正確に理解しようと努める事・・・である。

イコライジングの鬼知識

日頃は穏やかで優しい人間の振りをしている私であるが・・・。

ことイコライジングに関しては、鬼になる。

よって、おそらく私には、人間の子育てなんぞ絶対無理であろう!!

きっと、子供のやる事なす事、いちいち気になって仕方なくなる事は目に見えている。

そう言う意味において、これは子供に過度の期待なんぞしてはいけないと言う教えなのであろう。

子供を自分の思い通りに育てたいと思うのであれば、少なくとも、一生家の中に閉じ込め、外部の情報をすべて遮断しなければ無理なのだ。

そして・・・。

あれ駄目これ駄目!!ここをこうしろ!!あれをああしろ!!・・・と、私はかなり口うるさい親になるであろう事は想像に難くない。

・・・とは言え、しょせん子供は親の庇護の下でしか生きられぬゆえ、ある種、それは仕方のない事でもあろう。

・・・が、それではやはり、子供が可哀想だと思ってしまう自分も居る。

ゆえに、いくら自分より弱い存在であろうとも、子供の人格を尊重した育て方をせねば、子供は単に親の奴隷であり社会の家畜にしかならくなってしまうのではないか・・・と。

しかしその点、ライヴ音源は自分が自由に加工出来るモノなのであるからして・・・。

理想の音質目指し、情け容赦なくイコライジングさせてもらいまっせ~!!

・・・てトコだろうか。

以上、イコライジングの鬼知識(?)デシタ。m(_)m

スピーカーの豆知識

最近、仕事の合間にコツコツとライヴ・テープのデジタル化をしているのだが・・・。

新しいデッキは、どうも低音が出ない(カットしてる?)のか、イコライザーでかなり低音をかなりブーストする必要がある。

しかも、作った音をパソコンで聴くと異常に音が悪い。

しかし、いくらうちのパソコンの音質が良くないと言えど、普通のCDはオーディオでもパソコンでも良い音で聴こえる訳であるからして、これはきっとどこかに何かしらの問題がありそうだ。

・・・と思っていたら、どうやら音作りする際のモニター用スピーカーから出る音自体に低音の成分が含まれていない事が判明。

ひえ~!!オーディオもしくはスピーカーまで買い替えろってか!?

このままじゃ、いくらスピーカーのそばに耳を近づけて音作りしても、理想の音質なんて追求出来っこないよ~!!

・・・と、一瞬青ざめた私であったが・・・。

またもやネットで調べると、何と、オーディオとスピーカーを繋ぐ線は各々2本あるのだが、それぞれちゃんと正しい方に繋がないと、低音が出なくなるのだとか・・・。

そう言えば、いつぞやスピーカーの接触が悪いもんで、一度抜いて繋ぎ直したよな・・・。

それが原因か!!

そこで、正しく繋ぎ直して見ると・・・確かに、低音がバッチリ出る様になった!!

ぐえ~!!最近作った音源5~6個、すべて一からやり直しだ~!!

まあそれでも、気づくのが早くて良かったと思うべきか・・・。

以上、今回はスピーカーの豆知識デシタ。m(_)m

皆様も・・・。

「気をつけなはれや!!」(TT)/

カセット・テープの豆知識

もうすぐ期限の切れるYフーのポイントがたまってたので、先日、新しいテープ・デッキを購入イタシマシタ。

以前に使用していたものは時々テープを咬む様になってしまってたので、気軽に再生する事が出来ず困っていたのでありマス。

だって、大事なテープ咬んじゃうと、すんごいヘコむんだよね~・・・。(TT)

まあしかし、この夏は(・・・て言うかここ1年くらい)、殆ど外出せず店にこもって出品データ作成→出品作業をただただ繰り返す日々ゆえ、毎日のデスク・ワークの傍ら、この機会に古いテープをじゃんじゃんデジタル化しておこうかな・・・と。

ところで、そんなに過酷な場所に保存していた訳ではないのに、とある音源を収録したカセット・テープが、テープ自体が固まってしまったのか再生どころか早送りや巻戻しも出来なくなってしまった。

しかも、安物の100円テープなら解るが、当時(20年以上前)はその軽やかで安定したテープ走行が気に入り、いつも愛用していたTDKのテープが・・・である。

ふえ~ん!!もしかして湿気でテープとテープが貼り付いちゃったのかしらん!?

保存してた場所は、そんなに悪い環境じゃないはずなのに~!!

指を差し込んで手動で回転させても超キツキツだし・・・。

ネットで調べると、磁性体が貼り付いて剥れぬよううんぬんかんぬん・・・との解説も。

しゃあねえ・・・とりあえず手で少しずつ巻く事によってテープとテープの間に空気を入れて、少しでも改善するか。

・・・と思いつつも、私はふと、さっきネットで見た「カセット・テープのシャーシ(本体)が熱で反ってると摩擦でテープが回転しにくくなる」・・・との記述を思い出した。

え~!?反るって、そんなバカな・・・。

まあそれでも、ダメ元で良いからやってみっか・・・と、テープの両脇を握り、軽く前後にグニグニとほぐしてみる私。

すると、あら不思議!!さっきまでデッキに入れても固くて殆ど回転しなかったカセット・テープが、今度はスムーズに走行するではないか!!

へ~・・・こんな事ってあるんだね~!!こんなちょっとした事で、回転したりしなかったり・・・。

よって皆様、古いカセット・テープが固まって回転しなくなっても、すぐにあきらめて捨てたりせず、テープの両脇を握って、ちょっとグニグニしてみて下サイませ!!(^^)/

以上、カセット・テープの豆知識デシタ。m(_)m

禁未来小説「ドラへもん」その111「残酷な結末」の巻

そしてついに・・・教壇の上に残されたのは、ボクことのひ太と、トロヲの二人だけとなった・・・。

しかも、最後の最後になって、またもやとんでもない事実が発覚したんだ。

女子生徒A「あれ!?ナチコ先生!!女子はもう残り一人デスよ!!」

ナチコ先生「あら?ホントね~!!そっか、男子と女子の数はどのクラスもぴったし同ぢって訳ぢゃないものね。先生、失敗しちゃったな~!!」

・・・バカな!!そんな、今頃になって!!・・・ぐぅ!!・・・しかし、その女生徒が言った事は本当で、確かに・・・改めて良く見ると、残った女子は既に一人しか居なかった。

・・・ところが!!この予期せぬトラブルが、ボクに勝機を与えてくれようとは!!

ホンの一瞬、そう本当にそのホンの一瞬、生徒全員の目が残り一名の女子生徒に向けられたその瞬間、ボクはトロヲの腕を掴み、グイと引き寄せるや、無言でこう命令した。

「場所を代れ!!」(←こころの声)・・・と。

すると、それまでうつむいていたトロヲは少しばかり驚いた様子だったけど、何が何やら解らぬうちに、ボクの立ち位置を入れ替われとの要求を言われるがままに受け入れたんだ。

やった!!これで間一髪救われた!!アハハハハ!!どうだ見たか!!物事は、やっぱ最後の最後まであきらめちゃ駄目って事さ!!

これで最下位・・・しかも誰からも相手にされず独りぼっちになってしまう最低最悪のケースだけは免れた!!

ウフフ・・・ボクはなんて頭が良いんだろう・・・。

そして最後の選択の儀式、案の定、残りの女子は顔も上げずにボクのそばに近づいて来る・・・。

ボクはその女子を睨み付け、またもやこころの中で、こう念ぢ続けた。

「良し良しイイぞ!!この残り物のクソ女め!!早くボクを選ぶんだ!!」・・・と。

・・・がしかし!!ここでまた、最悪のどんでん返しが起きた!!

ナチコの何気ない一言が、ボクにとってこんなに致命的な結果をもたらそうとは・・・。

ナチコ先生「あらあら、もっとしっかり男子の顔を見て、ちゃんと自分の好きな方を選ばなくちゃ駄目よ~!!」

その言葉を聞いて、残りの女子はハッと我に返ったかの様に、ボクの顔を見上げたんだ。

その時のボクの顔と来たら・・・おそらく、ものすごく恐ろしい形相だったに違いない。

だって、まるで憎しみをぶつけるかの様に、「ボクを選べ!!ボクを選べ!!」と、その子を睨み付けながら無言で訴え続けていたんだから・・・。

そして、そんなボクの鬼の様な顔を見て驚いてしまった彼女は、慌ててボクを避け、隣に居たトロヲの方を選んでしまったんだ!!

うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ・・・!!

そんなバカな!!・・・こんな事って・・・。

しかも更に、教室に居た生徒の誰かしらから意味不明の拍手が沸き起こり、そのせいでボクのこころは抗いがたい羞恥と恥辱の念で埋め尽くされ、まるで頭の上から生暖かい糞をぶっかけられた様な気持ちにさせられたんだ・・・。

ナチコ先生「あらあら、それにしても、最後に男子が一人余っちゃうなんて、ナチコ困っちゃう~!!」

その言葉を聞いて、教室は爆笑に包まれた。

ふざけるな!!今頃になって困っちゃうも何もねえ!!

こんな惨めな・・・こんなみっともない姿を大勢の前にさらして・・・。

ああもう、ボクは今すぐここから消えてしまいたい!!

この屈辱・・・一生涯忘れないぞ!!

ぐぎぎぎぃ~!!ナチコめ~!!この怨み、どうしてくれようか!!

(つづく)

死神「音源集/情念独掻演歌大全」(CD-R/トール・ケース仕様)¥800~入荷しておりマス!!

■死神「音源集/情念独掻演歌大全」(CD-R/トール・ケース仕様)¥800
情念独掻演歌大全表
<収録曲目>
一、お悔やみ申し上げません
二、なにやってんだ
三、土砂づまり口中
四、人間団子
五、粘土遊び
六、死に化粧
七、そうか唱歌
八、真夜中の台所
九、案山子
(エレキ・ギター弾きぼやき六曲/太鼓叩きぼやき三曲)
情念独掻演歌大全裏
写真デザイン協力:北原一宏

★本作は、本年度より開始されたエレキ・ギターでの弾き語りをメインとした、スタジオ・レコーディング作品。盤自体はCD-Rながら、プロ・カメラマン撮影による写真を用いたジャケットの装丁は実に丁寧な作りとなっており、なおかつ死神氏の芸風をも実に的確に描写したデリカシー溢れるものとなっている。

そして、その内容はと言えば、正式に発売された作品としては初披露となるエレキ・ギター弾き語りによる楽曲においても、これまでと同様に日本の伝統芸能である能楽の様な“間”が存分に活かされており、言葉=思想を舞台上で体現するに当り日本語を用いる以上、これは当然の帰結であろう。何故なら、そもそもその地域なり国で生まれ、少しづつ形を変えながらも伝え続けられている“言語”と言うものは、長きに渡ってそこに住みつき生活している人々の精神の在り方や思想形態を如実に反映しているものであるがゆえ、まがりなりにも自己の思想を最大の売り物にするのであれば、その演目や楽曲の構造は主として使用される言語のイントネーションやリズムに沿ったものになるのが、自然であり必然なのだ。

また、死神氏の演目において最も特徴的なものは、曖昧模糊とした部分を徹底的に排除する事によって重要な主題を明確かつ強烈に際立たせると言う手法であり、偶然や誤解に依存しないその硬派な姿勢は本作においても健在で、コントラスト(明暗)のハッキリとしたモノクロのジャケット・デザインにも、それは顕著に示されている。

・・・とは言え本来、自己表現の在るべき姿とは自己の本性を偽る事などでは絶対になく、常日頃から自己の本心と誠実かつ真剣に向き合い取拾選択を繰り返す事、そして更に自己に巣食う脆弱性を弛まぬ鍛錬によって克服して行く事に他ならない訳であるからして、これは真っ当な活動方針が貫かれているがゆえにもたらされた至極当然な成果であると言い切れるのだ。

よって、その様なストイックな精神を生き写しにした本作は、受動的快楽のみを必要以上に追い求める方にとってはあまりにも不向きな作品であると言えるかも知れない。

しかるに、作品の“品質”を高める事はより多くの人に聴いてもらえる可能性を拡げる行為であるが、作品の“特質”を極める事は、好むと好まざるに関わらず聴き手を限定してしまう可能性をも含む行為であるのだから、それもむべなるかな・・・と言った所であろうか。

<死神取り扱い商品等紹介記事一覧>(一部の商品は既に品切れとなっておりマス。)
■「変人の変人による変人のための演奏会~其の二~」
■自主制作商品新入荷情報(2006年10月7日号)
■死神/第四作品集「死神公葬映像録」(DVD-R)¥500
■死神第五作品集「死神私葬映像集」発売中!!

★上記の作品はいずれも当店にて通販可能。(現在店舗は長期Q業中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/

「放棄園」④

・・・とは言え、“自己の不快感を解消する事”も大事な行為であり、それを溜め込むんでしまうと、ある意味、事件とは無関係な自分も被害者の一人となってしまうとも言える訳であるからして、とりあえず怒ったり悲しんだりする事も必要ではあろう。

しかるに、自分を苦しめるその元凶(←弱い自分自身も含め)を見極め、せめてそれら(or自分より強い者)に直接復讐するなり、あるいは弱さを克服するために厳しい現実に立ち向かうなりと言った行為をせず、自分より更に弱い者や無関係な者を犠牲(=巻き添え)にすると言う、不毛な弱肉強食の負の連鎖を繰り返した犯人に対しては、野次馬たる私達が怒らなくともそれなりの処罰が下されるはずであろうから、更に私達の怒りのエネルギーをそこに注いでしまうのはもったいないのではないかと私は思うのである。

要するに、これでは部屋にゴキブリが出る度に驚いたり怒ったりしている様なもので、こんな対症療法ばかり続けていたのでは、未来に起こり得る悲劇を無くすどころか、減らす事すら出来ないのではないか・・・と。

さて、それではどうしろと言うのかと問われれば・・・。

これはやはり、生贄たる犯人自身や事件の表面的な部分のみならず、その更に内面及び背景にも目を向け、根本的な発生原因を根絶すべきであろう。

具体的に一例を挙げれば、まずは彼女や彼の人格形成を担った親にも、その矛先は向けられてしかるべき。

ただし、ここで誤解して欲しくないのだが、私は何も犯人を庇おうだとか、罪を軽減すべきなどと言っているのでは全くない。

何故なら、如何に不幸の星に生まれようとも、如何なる理不尽な抑圧を受けようとも、他者の生命や財産を奪う様な事は絶対にしないと言う人間が実際には殆どであろうし、皆それぞれに、その運命を甘んじて受け入れるか、あるいは撥ね返そうと日々努力しているのだから。

そもそも、自分の子供に対し、「どんなに苦しくとも、どんなに生活に窮したとしても、他人に迷惑をかける様な事をしては駄目」・・・と言う事をきちんと教えておく事は、親として当然の責務であるはずなのだ。

ゆえに、親にもどんどん罪を背負わせ、罰を与えなければいけない。

そして、そうする事によって、生半可な気持ちで子供を産んで育てようなんて言う人間を少しでも減らすのである。

子供が将来犯すかも知れない罪を背負う覚悟もなしに、子育てをして欲しくない。

・・・と言うか、そもそもの問題は、人が子育てをする際、それはたいてい初めての経験であり、その手本となるのは自分が親からどう言った育て方をされたかと言う事が主要なデータとなり、それを良しとする場合はその方法を真似し、それが悪しきと思った場合はそうならないよう反面教師とするのが主であるが、その中でも特に良くないのは、まずい子育てをする親のやり方を知らず知らずのうちに踏襲してしまうケースであり、それこそまさしく負の連鎖を断ち切れぬがゆえの最悪のケースであると言えよう。

そんな行き当たりばったりの、自分がした子育ての結果に責任を持たなくても良いやり方を続けていたのでは、いつまで経っても真っ当な子育てなど出来やしないし、負の連鎖を断ち切る勇気のある大人も生まれ得ないのである。

否・・・、むしろ、下手な親なら居ない方が良い場合すらあるだろう。

子供は言葉を覚えるのも、人への接し方を学ぶのも、善悪の基準を知るのも、すべてそばに居る親なり親代わりの保護者なり大人から教育もしくは影響を受けるのであり、学習や真似をするその対象にすべての情報源を依存しているのだ。

狼に育てられた子供は何年経っても、人間と接しない限り、いきなりヒトの言葉を話し始めたりなんかしないのである。

よって、そう言う意味においては、彼女(放棄親)や彼(秋葉原)がした非道な行いは、親(の育て方)に対する仕返し(復讐)だったと言えなくもない。

・・・だとすれば、それはそれで大問題である。

家庭内の怨恨問題は家庭内で処理すべきであり、それを社会にまで持ち込んで、しかも無関係な他人に危害を加えるだなんて、とんでもない話であるとしか言いようがない。

そもそもは、個人の欲望にしか過ぎない“夢”などと言ったものを親が子供に押し付け、弱肉強食の競争社会に放り出すだけ放り出しておきながら、しかし夢叶わず敗れた者を受け入れる場所などどこにもなく、自分が持ち得る運や能力以上の夢を抱いてしまったがゆえに負け犬気分で死ぬまで生きなければならない人間がその鬱屈した気分をはらす方法が更なる“弱い者虐め”しか思いつかないと言う、“想像力の欠如”にこそ最大の原因がある。

子供の親に対する自発的な愛情など、そこには微塵もない。

子供は親から愛されたいだけ。

だがしかし、親に愛される方法は一つしかなく、しかもその道を絶たれてしまったのだ。

それもこれも、親から押し付けられた価値観や選択肢に対し疑う事も抗う事もせず、強い者の言いなりになって来た子供の側にも責任があると言えなくもないが・・・。

所詮、弱い者は強い者に頭を下げなければ生きる事の出来ない世の中。

もし仮に、弱い自分を克服して強くなった者が居たとしても、強くなったらなったで、やはり弱い者を虐げる様になるのだろう。

同様に、親になったらなったで・・・。

自分より弱い存在である子供に対し、その人格を形成する手助けをするのではなく、ただただ自分の思い通りにしようとするのであろう。

弱肉強食の名の下に・・・。

負の連鎖が断ち切られる事はなく。

服従の連鎖が断ち切られる事はなく。

復讐の連鎖が断ち切られる事はない。

(おしまい)

<関連記事>
★「人間の皮を被った獣の教育」

「放棄園」③

前回、(おしまい)と書いたけど、まだ続くのでありマシテ・・・。

ところで、今回の事件に対してや①で書いた文章を読んで、怒りや悲しみの感情を抱いた方は、人間としては基本的に正常な感覚を持った人だと思いマス。

しかるに、そうでない人(・・・ただし、自分の知らない人が死んでも実感が沸かないと言う、自己の本心を偽らない人は除き)、すなわち死んだ子供達に自分の気持ちを重ね合わせてもなお、何ら哀れみの情さえ芽生えない人が居るとすれば・・・。

それはおそらく、この弱肉強食の人間社会において獣的価値観に基づく“力”を行使する事によって利益なり快楽を得ている既得権益者か、もしくはその全く逆に、むしろ死んだ子供達よりも自分は弱い存在であると自覚させられ続けている者であろう。

要するに、そもそも“可哀想”であると言う認識なり感覚は、あくまでも自己の幸福度や充足度を基準として、自己と同等の苦しみを背負った者、あるいはそれ以下の者に対してにしか生まれ得ないと言う事なのだ。

よって、前者にとっては「だからどうした?」でしかなく、後者にとっては「俺の方が可哀想だ!!」となる訳なのである。

また、前回述べた通り、ある一線を踏み外してしまった駄目人間に対して怒りをぶつけても、自己の不快感の解消にしかならず、体力がない私などからしてみれば、問題を根本的に解決しようとする態度とは程遠いその様な行為を繰り返す人々に対しては、「ああ、この人達は何かある度にいちいち怒るのが好きな人達なのだな。」・・・と判断する次第。

実際、良く考えてみれば、今回の件にせよ秋葉原での一件にせよ、自分を苦しめるその元凶(←弱い自分自身も含め)を見極め、せめてそれら(or自分より強い者)に直接復讐するなり、あるいは弱さを克服するために厳しい現実に立ち向かうなりと言った行為をせず、自分より更に弱い者や無関係な者を犠牲(=巻き添え)にすると言う、不毛な弱肉強食の負の連鎖が繰り返されている事こそが問題な訳で・・・。

あれ?・・・となると、その様なあまりにも弱すぎるゆえに他者に迷惑をかけてしまう人間に対し、ただやみくもに怒りの感情をぶつけるだけの私達ってのも、もしかしたら、自分より弱い人間に無茶振り(無理強い)する事で、弱肉強食の負の連鎖に少なからず加担しているのではないのか?・・・とも。

否・・・、もちろん積極的には虐めに加担しているつもりなどないのであるが、知らず知らずのうちに、弱者を迫害し、その弱者が更に弱者に危害なり被害を加えてしまう事を無意識のうちに後押ししているのではないだろうか?・・・と。

それもこれもすべては、口では「虐めは良くない」と言いつつも実は無意識のうちに自分も弱肉強食の社会に服従してしまっている事、そして人間及び自己が持つ獣的(利己的)本能に対しあまりにも無自覚なせいであろう。

100パーセントの自己責任論を説くのであれば、今回の事件で言えば「助けも呼べない子供が悪い」となり、秋葉原の一件で言えば「自分の身を守る能力のない被害者が悪い」と言う事にはならないのだろうか?

・・・と言うのは、もちろん暴論に過ぎないと言う事は重々自覚してはいるが・・・。

そうやって突き詰めて考えてみると、「じゃあ一体何が、誰が悪いって言うの!?」・・・テコトになる訳で・・・。

日頃は弱肉強食の理論に虐げられていながら、自分もそれを否定し逆らう事なく獣的本能で服従し、立ち向かうべき元凶から目をそらし、自分より更に弱い者に対し弱肉強食の理論を振りかざし反社会的な行為によって危害を加えた犯人も当然悪いが・・・。

自分も含め、その問題を人間が持つ獣的(利己的)本能に基づく弱肉強食の負の連鎖であると言う事を認識する事もしないどころか、自分のこころの内にも脈々と根付くその思考回路に対し疑問を抱く事はおろか自覚すらせず、ただただ“自己の不快感を解消する事”で良しとする、その態度にあるのではないだろうか・・・と。

だがしかし、それでも良いのだ。

貴方がその、弱肉強食の論理を受け入れると言うのであれば。

・・・だとすれば、貴方はおそらく、私が冒頭で述べた「この弱肉強食の人間社会において獣的価値観に基づく“力”を行使する事によって利益なり快楽を得ている既得権益者」なのであろう。

もしくはその全く逆に、むしろ死んだ子供達よりも自分は弱い存在であると自覚させられ続けている者・・・すなわち、そう言った理不尽な要求に対し、それに応える能力もなければ逆らう気力すらも芽生えない程に虐げられ続けた者・・・であろうか。

いずれにせよ、弱肉強食の世の中とは、力のある者は幸福を得る事が出来て、力のない者は降伏する以外に道はないと言う、実に生きやすい理想的な社会であると言えよう。

ただし・・・。

優れた獣的能力を持った者、そして自己の獣的本能に無自覚な者にとってみれば・・・の話ではあるが。

「放棄園」②

①の解説:訳あって設定を姉妹とかに変えたりしてマスが、もちろん大阪のあの事件に関して・・・デスよ。

私なりに、“憤り”みたいなものを、“怒りの感情”以外の形態で表現してみマシタ。

やみくもに怒れば、とりあえず気分も落ち着くかも知れないけど、それで解決するのは“自己の不快感が解消される事”だけかな・・・と。

それに、今回の事件は自発的積極的に悪を為した訳ではなく、ただ単にだらしない・・・と言うか、苦しい状況に追い込まれた時に自分の快楽を優先して他(=子供)を切り捨ただけの話だから、そんな精神の弱い人に対して怒っても無意味なんだよね。

要するに、結果として子供が二人死んだけど、そもそもそう言った状況に陥るまで事態を放置していた事こそが問題なのではないかと。

もっとも、そんな状況に追い込まれない様、世間の人々は日々頑張って生きてる訳デスけどね。

だいたい、孤独ったって働いてる職場もちゃんとある訳だから、とにかく誰でも良いから悩みを打ち明ければ、こんな事にはならなかったはずなんだけど、ああ言う人は弱いくせに“見栄”張るからさ・・・。

(まあ、父子家庭に育って、その父も育児放棄してたって過去もデータとしては押さえておく必要があるけど・・・。)

しかも、他者から自分の価値を認めてもらうと言う目的(・・・と言うか目先の欲望)を手っ取り早く満たすためだけに、金銭さえ差し出せば無批判・無条件に自分をちやほやもてはやしてくれるホスト・クラブなんかに通って・・・。

だから、そう言った精神弱くてだらしないくせに見栄っ張りで受動的に愛されたいだけの人間に今さら怒っても遅いって言うか、そもそも無理な注文なんだよね。

それに、あの母を怒る事で自己の不快感を解消するって事は、物事を根本的に解決しようとする態度とは程遠く、ただ単に“出来ない事を押し付け続ける事”によって、実は自分が常に優位な立場に居る事を確認してるだけって気もするし・・・。

更に言えば、自分は常に安全な場所に居ながら、映画でも観てる気分で、自分の感情の揺れ動きを楽しんでるだけの様にも思えたりなんかして。

しかるに、そう言った“獣”的な反射神経で彼女個人に怒りの感情をぶつけた所で、それはただ単に力の強い者が弱い者を蹂躙しているだけであって、そんな人間の利己的な本能に逆らわない、ましてや弱肉強食の法則に対しても従順な人間が、何を偉そうにしていられるのか・・・とも。

・・・とは言え、ある意味、彼女ら(秋葉原含む)は弱肉強食の社会における落ちこぼれなのであるからして、そんな駄目人間は迫害を受けて当然なのかも知れない。

そう・・・現代社会においては、“弱い事”こそが“悪い事”なのだ。

ゆえに、そう言った弱い人間には徹底的に罵声を浴びせ、正義の怒りをぶつけ、私達が不快感を解消する生贄とすれば良いのである。

だって、私にせよ貴方にせよ、この弱肉強食の世の中で歯を食いしばって必死に戦っているんでしょ?

よって私達は、弱い人間が強くなるために手助けする必要もなければ、「どうやったら強くなれるのか?」と言った具体的な方法を提示する義務や責任すらなく、ただただ弱い人間を非難し罵倒し続ければ、それでオッケーなのである。

そして・・・。

その結果、幼い命が如何なる無残な死を遂げようが、何の問題もないのだ。

もしそうなったらそうなったで、その時はまた・・・。

私達は勝手に悲しんだり怒ったりして、“自己の不快感を解消する事”のみにやっきになれば、それで良いではないか。

(おしまい)

★上記の文は、文章を表面的な言葉や態度だけではなく、そこから人間の本心を汲み取る事の出来る方、もしくは本意を読み取るべく能動的に務めようとする方にのみ捧げマス。m(_)m

「放棄園」①

きがついたときにはいつもそばにいた

そのひとはいつもえがおで わたしにごはんをたべさせてくれたり とてもやさしくしんせつにしてくれる

そのひとはじぶんのことを ままとよびなさいといった

わたしはままのことだいすき

あるひ わたしよりちいさなこがあらわれた

ままは それはわたしのいもうとだといった

きっとままがいないあいだ わたしがひとりでさびしそうだから つれてきてくれたのかしら

ままがいないときは わたしがいもうとのままがわり

だけど

いつごろからだろう

ままは でかけてからもどるのがおそくなりはじめ

だんだん そして しょっちゅうおこりっぽくなっていった

たまにきげんのいいときは おもちゃをかってきてくれるけど

そんなのいらない

わたしはままがいつもそばにいてくれればそれでいい

いもうともそうおもってるはず


きがついたときにはいつもそばにいた

ままはいつもえがおで わたしたちにごはんをたべさせてくれたり とてもやさしくしんせつにしてくれる

だけど

きょうは いつまでたってもままがもどってこない

いもうとがなくので わたしもないた

ないてもないても ままはかえってこない

だれのへんじもない

おなかすいた のどがかわいた おといれにいきたい

でも どあがあかない

わたしはいもうとをひっしではげました

だいじょうぶ ままはきっともどってきてくれるって

そとがくらくなり あかるくなり またくらくなる

あれからどれだけじかんがたったんだろう

まま いつになったらもどってきてくれるの

わたしたち もういたずらしない

ままをおこらせたりしない

だから はやくもどってきて


もう わたしもいもうとも からだがうごかない

もしかしたら

ままのからだにもなにかあったのかも

ままのことがしんぱい

まま どこにいったの


それからしばらくして

いもうとはもうなかなくなった

わたしがゆさぶっても もうめもあけない

わたしも もう


きがついたときにはいつもそばにいた

そのひとはいつもえがおで わたしにごはんをたべさせてくれたり とてもやさしくしんせつにしてくれる

そのひとはじぶんのことを ままとよびなさいといった

わたしはままのことだいすき

もういちど ままにあいたい

・・・・・

木幡東介次回ライヴ予定!!(8月1日現在~随時更新中)

■8月にはライヴの予定はありマセン。m(_)m

(一部のフライヤーにて、木幡東介単独公演8月15日開催決定の記述がありマスが、これは延期になりマシタ。)

■10月には第三回目の個展が開催されマス!!

■10月31日(日)、吉祥寺フォースフロアにて単独公演開催決定!!

「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」終了報告

■「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」終了報告

当日ご来場頂いた方々、出演して頂いた方々、お店の方々、誠にありがとうゴザイマシタ!!

この日は正直言って、動員及び経済的には歴史的な大敗を喫しマシタ。(TT)

もっとも、借り賃の安い店で小規模に行えば、そんなに問題なかったのだとは思いマスが・・・。

まあそれもこれも、集客の法則に真っ向から逆らった私が悪いのでゴザイマス。

すべて単独演奏者縛りで、しかも3アーティストのみの出演だなんて・・・。

しかしながら、日頃は“数の正義”に異を唱えている私が、こんな時だけ“数”を頼りにする訳にはいかなかったと言う事も事実なのでありマス。

・・・とは言え、よくよく考えてみれば、お店は一日の営業が成り立ち、出演者はライヴを無事に行う事が出来、観客の方々はお世辞半分にせよ口々に良い企画だったとおっしゃって下さってはおりマシタので、皆様が楽しい一時を過せたのであれば、それはそれで大成功だったのではないかと。

もちろん、私は当日の赤字の支払いでコテンパンにされた状態ではありマスが・・・。(^^;)

何にせよ、このくらいでへこたれてたら、こんなに何年も続けてなんかいられなかった!!・・・テコトで、少し間が空く事とは思いマスが、今後も懲りずにこの様な無謀な企画を続けていく所存でありマス。

負ける事よりタチが悪いのは、負けもしない代わりに、かと言って勝つ訳でもなく、自分のした行いの成果が明確にならないまま生き続ける事なのデス。

それにしても・・・現実は超キビシ~でやんす~!!(TT)

それでは皆様、またの機会がありマシタら、何卒ヨロシクお願いイタシマス~!!m(_)m

2010年8月1日/Mr.エレクト(エレクトレコード代表)

「変人の変人による変人のための演奏会-其の七-」(無事に終了イタシマシタ!!)

■8月1日(日)@新宿JAM(死神企画)
http://jam.rinky.info/
「変人の変人による変人のための演奏会-其の七-」

共演:死神、謹成祝花、かえる、井乃頭蓄音団。
開演:11時15分/開演:11時30分
前売1500円+飲代/当日1800円+飲代

★日曜日の昼間に行われる、今までにない発想の新しい試みデス。

<以下は主催者からのメッセージ>
死神「情念独掻演歌大全」レコ発
真昼間なのに真夜中より暗い。
変人=偏人。
8月1日昼。
武器=独自性、自主性。
人間の闇博覧会。
「どん底の暗さ」をご堪能あれ。
死神(ギター弾きぼやき、太鼓叩きぼやき、踊りぼやき)
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