Mr.エレクトの独り言 2010年09月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「酷使の美学」④

先日、無事にVIRGIN ROCKSのDVDも発売された訳でありマスが・・・。

思えば、バンドにしてみればライヴをやれば「WA-KA-ME(初期カムズの曲)やって~!!」と野次られ、ファンにしてみれば再結成カムズやVIRGIN ROCKSの魅力を周りの人間にいくら説こうが「カムズが良いのは初期だけでしょ」と軽くあしらわれ、不当に迫害を受け続けた同バンドも、今回の貴重映像と来月発売となるベスト編集CDによって、音楽的にもきちんと再評価される事でありましょう。(:;)

ちゃんと聴けば、実はカッコ良い曲がいっぱいあったんだって事が解ると思いマスYO!!(^^)b

・・・さて、それでは本題。

「人間は追い詰められると本性が出る」とは良く言われる言葉でありマスが、「酷使の美学」において、その辺りをどう考察するかと申しマスれば・・・。

要は、如何なる極限状態にあろうとも理性を失わない事・・・すなわち全力を尽くし全能力を注ぎ込んでなお、確固たる美意識を貫き続ける姿勢こそが、それに当りマス。

そもそも、自分が持てる能力の範囲内で何かを為すのであれば、まだまだカッコつける(体裁を保つ)事などいくらでも出来る訳なのでありマスが、自分が持てる能力のすべて、もしくはそれ以上のエネルギーを搾り出して創作や演奏を行ってなお、更に自分の定めた「こうあらねばならない」と言う“美の基準”を保ち続けると言うのは、そうたやすい事ではないのデス。

私が何故、THE EXECUTEを活動初期に比べ世間の評価が低い後期まで通い続け、今も愛聴しているのかと言えば、LEMMY氏の創る楽曲には現在の活動形態であるDARKCELLに至るまで、作品中にそう言った美意識が一貫して透徹されているからであり、表面的なスタイルや形状とは無関係に、自らをその厳しい審美眼によって律し続ける姿勢にこそ、ハードコア・パンクの精神を、そして「酷使の美学」を感じてやまないからなのでありマス。

そしてそれはそのまま、マリア観音にも当てはまる事なのデス。

過去に私が考えた、いくつかのキャッチ・コピーの中に・・・。

「マリア観音の魅力とは、ある一線を越えるトゥーマッチなまでの爆発力であり、更にはそのエネルギーが無秩序に暴走せぬ様、揺るがぬ規律によって貫かれる事によってのみ現出する恍惚的なまでの美しさ。それらは狂人の如き肉体の酷使と、強靭な理性の行使を以って初めて成し得る極めて稀な成果である。」

・・・と言うものがありマスが、これこそまさしくマリア観音/木幡東介が音楽を通して表現し続けた「酷使の美学」を言葉で言い表したものとなりマス。

全力を尽くし全能力を注ぎ込む事とは、言わばすべてをさらけ出して裸になる事。

そこでは、洋服をとっかえひっかえする事によって成り立つ表面的な美、すなわち地位や名誉や人気や権威など通用せず、あくまでも一人の人間が持ち得る誇りと矜持の度合いのみが問われるのデス。

よって、いくら見栄えが良くとも、中途半端に余力を残したまま世間からの批判を浴びぬ程度にうわべの体裁のみを保つ、燻り淀んだ死にぞこないの生命などと言うものは、真の美にあらず。

むしろ、目的を達成するために死の一歩手前まで自らを追い込んでなお、自らを律する美意識を手放すまいとする事・・・それこそが、「酷使の美学」と呼べるものなのでありマス。

ゆえにそれらは、人を創作に向わせる原動力となる感情の起伏の激しさもさる事ながら、そのエネルギーに秩序を与え形あるものへと変換するための、執念とも呼ぶべき徹底度がなくては不可能であり、そのどちらか一方が欠けても成り立たないものなのデス。

それにしても、何と素晴らしいのでしょうか。

「人間が目的に対して自己の能力を最大限に発揮する姿」・・・と言うものは。

この世で最も高級な娯楽は、人が命をすり減らしてまでも何かを為そうとする瞬間を見届ける事なのでありマス。

・・・であるからして。

「酷使の美学」無くして、人を感動させる音楽など創作し得ない・・・と、私は常々考えている次第なのデス。

(つづく)

「酷使の美学」③

「酷使の美学」とは何であるかを考える際において、じゃあその最上級が何であるかと言えば、それは出産時の母親と、子育てにかかりっきりになっている母親の姿以外にはないと、私は思う。

出産時の母親の味わう痛みや苦しみに関しては述べるまでもないが、生後間もない乳幼児を育てる事は実に大変で、化粧だとか髪のセットだとかの自分の世話など後回しになる事はもちろん、食事や睡眠の時間も不規則になる等、自分の生活のすべてをそのために捧げ尽くさなくては不可能な大仕事なのである。

・・・とは言えもちろん、それは血の繋がった我が子のためにであり、突き詰めてみればそれはすべて自分の喜びのために行っている事なのだから当然の事だ・・・との言い方も出来るだろう。

しかるに、これを音楽に当てはめてみればどうなるか?

出産とはまさしく、作曲者が生みの苦しみを一身に引き受け、命をすり減らしながらも自らの分身とも呼べる楽曲を生み出さんとする“作曲”と言う行為に他ならず・・・。

子育てとは子供を強く正しく健やかに育て上げる事であるがゆえ、演奏者が生まれた楽曲に魂を吹き込み、その作品を本来あるべき理想の姿へと成長させるためには、自分の持てる演奏能力のすべてを楽曲に捧げ尽くす事以外に術はない・・・と、こうなるのである。


さて、それでは話を戻して・・・。

メンバー・チェンジを機にVIRGIN ROCKSと改名した再結成カムズであったが、音楽性の変化によって初期カムズのファンの殆どは再結成後に離れてしまい、当時はいわゆるインディーズ・ブームの真っ只中ゆえ人気こそあったが、私の様なチトセの個人的ファンの人達以外は同バンドの音楽的成長の過程を目の当たりにしてはおらず、VIRGIN ROCKSはレコードもシングルやコンピ参加曲しか発表していないため、その魅力が正確に伝わっている状態とはとても言い難い。

よって、同バンドの事をあれやこれやと語った所で、なかなか共感を得られないと言うのも、また一つの事実。(TT)

そんな訳で、今回のDVD発売と次回のベスト編集CD発売が、彼らの再評価に繋がれば、一ファンとしてはこれに勝る喜びはない訳なのであるが・・・。

ところで、再結成カムズ期の音楽性に関しては前回述べたが、私はあのミニ・アルバム(「POWER NEVER DIE」)のメジャー・ロック的な大味な音色も、同作品の賛否両論の一因ではなかったと考える。あれがもう少し固く尖った音色であれば、収録されているいくつかの楽曲が持つ切迫感がもっと増して、現在の様な評価に甘んじる事もなかったものと思われてならないのだ。

そこで、今回発売されたDVDであるが、この日はVIRGIN ROCKSも参加したコンピレーション盤「REBEL STREETⅣ~SOME GIRLS」発売記念GIGであり、共演はレコード会社の関係からか、メジャー・デビュー直前のZIGGY。しかも、私の知る限りでは、その後同企画のツアーで京都と名古屋でライヴが行われるものの、この日がVIRGIN ROCKSの東京でのラスト・ライヴであったはずである。

また、この日のライヴの顕著な特徴は、日頃のライヴに比べ楽曲のテンポがいずれも明らかに速く、初っ端と何故かラストにも2度程、「GET ALONG WITH YOU」と言う、簡単に言えば「クソ野郎!!どっか行け!!」ってな歌詞の楽曲が演奏されており、チトセが「大嫌い!!」と言うセリフでステージを去った事もあり、おそらくはメジャー・デビューを射程距離に置いているがゆえに起きるバンド内かもしくは事務所に対するゴタゴタでもあったものか?と、当時はぼんやり考えていたのだが、その理由は本DVDの解説書にベースのTETSU(O)氏が詳しく書いているので、そちらをご参照の事。

しかし如何なる理由にせよ、上記の通り、この日のライヴは異常に殺気立った鬼気迫る演奏ぶりが披露されているので、最初にVIRIGIN ROCKSを聴くなら、私はこのDVDを真っ先にお薦めする。

なお、某チェーン店の初回特典であるライヴCD-Rを聴いてもらえば、私が述べた演奏スピードの違いが明確にお解り頂けるものと思う。(同CD-Rには、1987年1月15日@新宿LOFTにおけるワンマン・ライヴから、「FREEDOM」のセリフ入り別アレンジ初演ヴァージョン、他全3曲が収録されている。)

ただ、超ミーハー的な観点から言えば、この日のチトセの衣装や髪型はちょっと・・・な感も否めない。それ以前はもっとパンクっぽいファッションだったのに・・・。だが、映像を観ているうちにそんなささい事はどうでも良くなってくるから不思議である。それに、そもそも4カメ使用のプロ・ショットが残されていただけでも奇跡なのだから、細かい事にあまり文句は言うまい。(実際、この映像を初めて観た時は、あまりに懐かしすぎて涙が出ちゃったし・・・。)

その他、同DVDは再結成カムズ時代から演っている曲を初めとして、VIRGIN ROCKSになってからの曲、そしておそらくこの日が初演の新曲も含めた、言わば集大成とも呼べる内容となっているので、入門編的作品としても最適であろうと思われる。

何にせよ、とにかく最初から最後まで喉を酷使してシャウトしっぱなしのチトセの姿を、そして「人間が目的に対して自己の能力を最大限に発揮する姿」すなわち「酷使の美学」と呼べるものを、是非見届けて欲しいのデス。

そして、いよいよ来月にはレコード音源を初めとしたベスト編集CDが発売されるので、これは私としても本当に楽しみにしている次第なのでありマス!!(^^)b

(つづく)

VIRGIN ROCKS LIVE DVD「SHUT UP !! Live at 新宿LOFT 1987」
VIRGIN ROCKS DVD


「酷使の美学」②

まず初めに、「酷使の美学」とは「目的に対して自己の能力を最大限に発揮する事こそが人間として最も美しい姿であるとする思想」・・・の事を指す。

ところで、’80年前後にパンクを好きになってからと言うもの、精神構造が単純な私は、歌謡曲・・・ましてやアイドルと言うものが嫌いになり、それは’70年代の歌謡曲を再評価する様になる’80年代後半頃まで続くのであるが・・・。

それゆえに、彼女らをアイドルなどと呼ぶのは滅相もないが、私にとって現在もアイドルと呼べる日本の女性シンガーを挙げるならば、それはやはり山口百恵と森田童子と梶芽衣子とチトセ(いずれも雲の上の人ゆえすべて敬称略にてご容赦を・・・)が、今以って断トツで上位を独占し続けている事は紛れもない事実なである。

山口百恵はあの若さで、しかも超多忙なタレント活動やハイ・ペースな歌謡曲のシングル発売ローテーションの中、大人の女性の恋愛観によって綴られた歌詞を、まるでその登場人物に自分の魂を移し換えたかの様に見事なまでにリアリスティックに歌い上げ、人気絶頂の最中、僅か21歳にしてマイクを置いた。

森田童子は、胸のうちに刻まれた心象風景を出来るだけ正確にうたに変換しようとするその実直さと生真面目さゆえに、風が吹けば消え去ってしまいそうなか細い声でありながらも、自らのこころに生じる微弱な振動さえをも一寸の濁りも歪みも許さぬ強固な美意識を以ってリスナーに伝えんと誠実かつ精密に喉を震わせ、自分の役目を終えた後は、そのトレード・マークであるサングラスを外し、引退・・・。

そして、梶芽衣子こそ本業が役者であるがゆえに現在も現役で歌手業も再開してはいるが、作品の登場人物に完全に成り切るそのプロフェッショナル振りで、特に“女囚さそり”の頃のイメージ濃厚な歌唱作品は、40年近くの時を経た現代においてなお、海外の好きモノや国内の幅広い年齢層から支持され続けている。

そう考えると、チトセも最後のバンドであるTHE WRECHED解散後、一切の音楽活動から身を引いてしまった訳で、それを“潔い”と褒め称えるか、“損失”であると考えるかは人それぞれなのであろうが・・・。

さて、それでは歌手としてのチトセの魅力はと言えば、あのまるで常に太マジックで書かれた文字の様な・・・すなわち徹頭徹尾異常に喉を酷使し続ける全力疾走の歌唱スタイルにある事を疑う余地は無い。

かくして、ただひたすら自分の肉体を痛めつけ虐め続けるかの如き所業の果て、まるで自らの命を削り差し出す事と引き換えに魂を吹き込まれたとでも言うべき歌唱作品の数々に対し、「酷使の美学」の価値を知る者であれば、必ずや感銘するものと私は信じる。

・・・ただし、再結成カムズは初期のカムズに比べ世間の評判も著しく悪く、とは言えあの最強メンツの初期カムズに比べる事自体がナンセンスでもあるのだが、現実的に楽曲のクオリティが下がった事も否めない事実。

何故なら、そもそもバンド内における作曲者と演奏者の役割分担を考える際において、「良い楽曲とはどの様なものを指すのか?」との問いに答えるならば、それは作曲者がバンドのメンバーの能力を最大限もしくはそれ以上に引き出すために演奏者が全力を出し切る事以外には成り立たない様な楽曲を提示する事と共に、演奏者は演奏者でその楽曲を自己の全能力を振り絞ってでも完成させようとする、そう言った相互の共闘関係の果てにのみ、作曲者及び演奏者個々の魅力の向上が、そしてバンド全体の魅力をも倍増すると言うマジック・・・否、現実的な成果がもたらされ得るのであるからして・・・。

(しかるに、理想と現実・・・すなわち楽曲の難易度と演奏能力との間にあまりにも大きな隔たりがあると、時にはメンバーが死ぬ事もあるので注意が必要ではあるが・・・。)

例えば、それが誰とは言わないが、とあるバンドに居た頃はメンバーが作曲した楽曲によって強烈な魅力を発揮していたヴォーカリストが、そのバンドを脱退して別のバンドに移ったりソロ活動を始めて自分で作曲して唄う様になった途端、まるで気の抜けたサイダーの様な音楽しか出来なくなるなんて事は良くある話なのだ。

そこで、再結成カムズに話を戻すと、楽曲自体はハード・ロック調とは言え、実はトリッキーな要素も多分に含んだ非常にユニークなものだったのではあるが、リズムやリフの密度が濃くないがゆえにチトセと言う高性能な楽器の能力を最大限に引き出すまでには至っておらず、直線的なリズムを得意とするマツムラ氏にもあまりフィットしていなかった様に感じる。

ちなみにマツムラ氏は、やはり初期カムズや、まだハードコア・パンク調だった頃のガスタンク、そして再びチトセと組んだ最後のバンドであるTHE WRECHEDにおける演奏の方が、その生真面目かつストレートなドラミングの魅力を最大限に発揮しているものと思う。

・・・とは言え、それまで国内トップ・クラスだったバンドにいきなり加入して曲作りを始めたギターのマサキ氏やベースのテツ(TETSU.O~以下O)氏にそこまで求めるのは酷と言うもの・・・。

しかし、ドラムのマツムラ氏が元グールのテツ(TETSU.M~以下M)氏にチェンジした事をきっかけに、カムズはVIRGIN ROCKSと改名する訳であるが、その後はメンバーそれぞれが各々の持ち味を最大限に生かしたバンドに成長していくのである。

まずは、どちらかと言えば繊細なギターを弾くマサキ氏と、硬質なベースを弾く気の強そうなテツ(O)氏との異なるカラーが、同バンドに冠された「華麗で過激」とのキャッチ・フレーズを見事に体現するかの如く、キャッチーでありながらもハードに畳み掛ける様なサウンドの楽曲がどんどん増え、それがチトセの全身全霊の咆哮と歌唱力を更に引き出させる事にも繋がり、バンド自体を日に日に魅力的なものに変貌させていくのであった。

また、そう言った激しく密度の濃い楽曲であるがゆえに、職人肌のマツムラ氏よりも新加入したテツ(M)氏の様な不良っぽいタイプ・・・言わば気性が荒く派手好みな手数の多いドラムは同バンドに非常にマッチしており、ゆえに私は、やはりVIRGIN ROCKSになってからの方が、名実共に初期カムズの威光に頼る必要のない、チトセをヴォーカリストに据えた同バンド独自の魅力を初めて確立したものと考える次第なのである。

それでは次回は、今回発売となるDVDに収録されている、当時私も目撃したライヴ当日の想い出などを書き連ねてみたいと思う・・・。

(つづく)

VIRGIN ROCKS LIVE DVD「SHUT UP !! Live at 新宿LOFT 1987」
VIRGIN ROCKS DVD


「ブラマヨ 本当は」で検索←もう消されてた・・・(TT)

以前観た事あるロンハーの格付が、再度Y○u Tubeにアップされてて・・・。

ぶらまよヨシダ、オモロ過ぎや~!!(^0^)/

腹がよじれて死ぬ~!!(@@;)

コメントがいちいち、こっちの想像を遥かに超えてるんだもん!!

“芸”人と言うからには、やっぱこうでないとネ!!(^^)b

「酷使の美学」①

「自己の頭脳と肉体と生命を社会全体の正しい繁栄のために酷使する事が出来る人間こそが、人々から尊敬と信頼を得るべきなのである」・・・と言うのが、私の基本的な考えであると言う事を大前提として・・・。

今から遥かに時間を遡り・・・10代半ばに音楽雑誌で読んだ東京ロッカーズやアナーキーの記事が、私がパンクに目覚めるきっかけだった訳であるが、そこからクラッシュにピストルズにダムドを知り、国内ではザ・モッズのファンになり、その後に聴いた負の感情を曝け出す事を肯定するかの様なザ・スターリンの「trash」によって、それまでのパンクの概念を覆された私ではあったが、更にそれを上回る衝撃を私に与えたのが、ハードコア・パンクの登場であった。

洋楽を別にすれば、最初に聴いた日本のハードコア・パンクは「CITY ROCKERS」収録のガーゼであったが、その頃のガーゼのサウンドからは、まだスターリン以上の衝撃は受けなかった。

しかし、その後に聴いた「OUTSIDER BOOTLEG」に収録されていたカムズをいっぺんで好きになり、更にその直後、(以前にも述べたが)THE EXECUTEの1stソノシートを聴いた時の衝撃は、今でも忘れられない。その瞬間、私にとってスターリンは、もはや過去のものとなったのだ。

また、ザ・スターリンが持つ負の感情を曝け出すかの様な精神性を引き継ぎ、更にそれを増幅したバンドとしては、やはり「OUTSIDER BOOTLEG」に収録されていたマスターベーションや通販で1stソノシートを買った奇形児へと、私の好みは完全に移行して行くのであった。

それにしても、私が何故ハードコア・パンクをそれ程までに衝撃的かつ熱狂的に受け入れたのか?・・・今にして思えば、そこには明確な理由があったのである。

(これを言うと多くの人に怒られるのだが・・・)実は私は、DISCHARGEに代表される英国のハードコア・パンク・バンドの事を、当時の日本のハードコア・パンク・バンドに比べ、そんなに好きな訳ではない。何故なら、英国のバンドはやはり紳士的と言うか、どこか大人しい印象を受けるからなのだ。・・・とは言え、唯一まあDISORDERには少しばかり惹かれるものを感じはしたが・・・。

カムズは、やはり女性ヴォーカルが終始ひたすら叫び続けると言うのが最も衝撃的であったし、演奏のテンポも当時としては桁外れに速く、一見デタラメとも思える一筆書きの様な在り得ないコード進行の楽曲も、あのスピードで演奏されるとメチャクチャカッコ良く聴こえるのだから不思議なものだ。

そしてTHE EXECUTEも、怒りに満ちた咆哮とでも言うべきヴォーカリストのシャウトの仕方がハンパでは無く、一見個性もバラバラに見えるアクの強いメンバーが火花を散らしながら猛スピードで楽曲を演奏している姿がまるで目に浮かぶ様であったし、その後すぐにメンバー・チェンジしてから活動後期に至るまでは、激しい中にもまるで中世の騎士を思わせる気高く強固な美意識がすべての楽曲作品を通して見事に貫かれているのである。

いずれにせよ、それらに共通するものが何であったか?と言えば、それは・・・。

そもそも「全力を出し切る事以外の方法では演奏する事の出来ない様な楽曲を作る事」であり、更にはその「楽曲なり演奏に自分達の持てる能力のすべてを注ぎ込む事以外には成立し得ない音楽である」・・・と言う点に他ならない。

要するに、(特に日本の初期)ハードコア・パンクとは、手抜きなんぞ絶対に許されず全力を尽くす以外に演奏する術が無い様な構造を大前提とする音楽であると言う事こそが、10代の私をとんでもなく感動させ、それらにのめり込ませたと言っても過言ではないのだ。

もちろん、その後はもっとテンポの速い音楽もたくさん生まれ、日常的にそれを聴いて育った人間からすれば、当時のハードコア・パンクのスピードは遅いとさえ感じるかも知れない。しかし、当時はただあの程度速く演奏すると言う事だけでも今では考えられない程困難であり至難の業だったのである。

しかも、私の様な日常を過す事でさえ全力(←健康な人からすれば微力)を必要とする虚弱体質の人間からすれば、全力を出す事など当たり前の事に過ぎぬゆえ、これこそまさに自分が求めてきたものと思い込み、それから数年間は普通の音楽を聴く事すら出来なくなる程だったのだ。

更にその後、ハードコア・パンクをあまり聴かなくなってからも、私の好みは大して変わらない。

当初は演奏のスピードにおいて限界を超えようとする音楽としてハードコア・パンクがその入り口ではあったが、もっと色んな面からも、すなわち官能的な旋律をどこまでも追求するだとか、神経過敏なまでの超デリケートな演奏であるとか・・・いずれにしても、「自己の肉体と精神と指先とを極限まで酷使する様な楽曲を作り演奏する事」以外に、私が求めるものなどないのである。

だから、いくら作曲能力や演奏技術があっても、それを出し惜しみする様な、「自分に出来る事以下もしくは自分に出来る範囲内の事しかしようとしない」ミュージシャンに対しては、到底感動など出来っこないのだ。

ちなみに上京後、都内のライヴであれば99.9%以上、私が意識的に熱心に通い続けたアーティストとは、THE COMESのチトセ(残念ながら再結成後のカムズ~改名後のVIRGIN ROCKS活動停止まで)とTHE EXECUTE(BAKI氏脱退後~活動停止まで)と、マリア観音の3つだけである。

・・・あと、すぐに解散してしまったものの、C.O.P.も都内でのライヴには4回共すべて通ってたか・・・。

これらのアーティストに共通するのは、美しさと激しさとが相互に作用しつつ共存していると言う点にあり、とことんまで美意識を追求せんとする激しい精神の在り方と、自らの精神や肉体を酷使する事で成り立つ演奏や表現行為の果てに初めて現出する美しさ・・・すなわち、どこまでも激しく、しかしどこまでも美しい「酷使の美学」と呼べるものが、そこには間違いなくあったのだ。

・・・その他では、好きになるタイミングを逃してしまったのでライヴに通いこそしなかったが、後期のDEATH SIDEにもそれを感じるかな・・・。

敢えて付け加えるならば、いずれも生身の人間が抱く感情の激しい起伏やこころの振幅が生き写しの様に楽曲に反映されていると言う事も重要な点であろうか。

(つづく)

実は今回、今月の25日に私の好きだったVIRGIN ROCKSのDVDが、来月には同バンドの編集CDが発売されると言う事なので、それに合わせてこの文章を書いている。

よって次回は、その魅力の根源であるヴォーカリストのチトセ(敬称略)について、初めて語ってみたいと思う。

VIRGIN ROCKS LIVE DVD「SHUT UP !! Live at 新宿LOFT 1987」
VIRGIN ROCKS DVD


木幡東介/マリア観音~ライヴ年表作成中

とりあえず以下は、私が初めて観た日からほぼ毎回ライヴに通って録音したカセット・テープ(◆)と共演者記録メモ、及びフライヤー類より抜粋した、1990年3月頃までの記録となりマス。

<1988年>
◆1004@下北沢屋根裏(ライトサイダ→/CAMUS/ナイトメア)
◆1111@下北沢屋根裏(カマクラ/へたくそ/ポテトチップス)
◆1114@下北沢屋根裏(LA-MEN/PEX/カケラ)
◆1206@下北沢屋根裏(GOTZ/4ピースモーターウェイ/なんにもないだろーず)
◆1217@下北沢屋根裏(マーガレッツ/へたくそ/モダンヒップ)
<1989年>
◆0101@下北沢屋根裏
◆0125@新宿アンティノック(KIDLOW&SLIM/フーライボー/ガイズ)
◆0129@下北沢屋根裏(ビクター・チャーリー/ロス・チャイルド/QV)
◆0204@新宿LOFT<昼の部/オーディション・ライヴ>(WELLSもしくはBEAMS?/ダムダムダム)
◆0218@下北沢屋根裏(へたくそ/たちくらみ)
◆0219@下北沢屋根裏(M・E・X/CRACK DOWN/MUDDY LEGS)
◆0303@新宿JAM(イカメラクラブ/ザトペック・サッカー/HI-BRITS)
◆0314@下北沢屋根裏(ブレッキーズ/ジェイル・サティスファイド)
◆0316@代々木チョコレート・シティ(突ダン←突撃ダンスホール?/PICOダンス/へたくそ)
◇0323@新宿アンティノック
◆0408@吉祥寺クレッシェンド(ラッパーズ/オフマスク00/琴桃川凛)
◆0416@下北沢屋根裏(ZAKOBA/PICOダンス/雑奏)
◆0528@新宿アンティノック(New Rose/BRM/他)
◆0531@下北沢屋根裏(ラッパーズ/ドイララ?/キャプテンコンドーム?)
◆0611@下北沢屋根裏(セントターク・ホテル?/北ノ工作員/Capitals)
◆0613@代々木チョコレート・シティ(へたくそ/PICOダンス/青ジャージ)
◆0701@下北沢屋根裏(アメユジュトテチテケンジャ/CAPS/ESTROJEN)
◆0721@吉祥寺ロマン劇場(ラッパーズ/他)
0803@小金井名画座→中止となった模様
◆0806@吉祥寺ロマン劇場(アストロ・ディスコ・キング/レディオ・ハッカー/ストジー?)
◆0817@新宿アンティノック(コムソウ/BABY CLUB/クランケ)
◆0824@下北沢屋根裏(DEFENCE/他)
~イカ天出場~
◆0911@下北沢屋根裏(GASH/雑奏/ホロコースト)
◆1001@新宿アンティノック(キャット・ニュー・バンド)
◆1010@吉祥寺バウスシアター(花電車/割礼)
◆1015@下北沢屋根裏(ドイララ/他)
1021@京都どん底ハウス
1022@大阪難波ベアーズ
◆1103@インクスティック芝浦(マサ子さん/梅毒ジェラシー/カブキ・ロックス)
◆1105@下北沢屋根裏(SHAG WHOOP...?/STONE CRAZY/ランブラー)
◆1111@高円寺20000V(ラッパーズ/マーガレット/トレモロ/へたくそ)
(◆←?)1125深夜@高円寺20000V
◆1203@新宿アンティノック(LIP CREAM/FINAL BOMBS/鉄アレイ/DEATH SIDE)
◆1213@下北沢屋根裏(アストロ・ディスコ・キング/他)
<1990>
◆0104@下北沢屋根裏
◆0115@下北沢屋根裏(STILL KAOS?/のいづんずり/ピラルク)
0120@下北沢屋根裏
◆0204@下北沢屋根裏
◆0218@下北沢屋根裏
◆0311@下北沢屋根裏
◆0318@新宿アンティノック(非常階段/マーブル・シープ)

また、上記以前からもバンド自身がライヴを撮影しており、私も1990年末にビデオ・カメラを購入して個人でライヴ撮影しておりマシタので、現在それらを整理をする作業に追われている最中デス!!(^^)/
ビデオ2

ところで余談だけど、8ミリ・ビデオって、たいてい自動でトラッキング調整されるみたいで、録画した当時の機材(修理とか出す前)を使用しないとトラッキングがずれて音がちゃんと再生されないんだよね~。特にS○NY製のは酷いみたいで、自分のは機材もS○NY製だったしテープも同社のものを多用してたから、一度修理に出した後に録画したものを今使ってるHITACHI製の機材で観ようとすると音が全然出なかったりして。しかもネットで調べると、S○NY製の8ミリ・テープは明らかな不良品もある様で・・・。だから、業者に依頼するなら別として、個人でデジタル化する際は色々面倒みたいね。(TT)

禁未来小説「ドラへもん」その113「ナチコ先生の正体」の巻

そして、その日の放課後・・・。

ボクは独り、ナチコ先生の言われるまま、補習授業を受けるために教室に居残っていた。

しばらくすると、ドアが開き、ナチコ先生が慌てて教室へ・・・。

ナチコ先生「赴任の手続きが少し残ってたもんで、待たせちゃってごめんなさいね~。」

そう言いながら、ナチコ先生はボクを教壇のまん前の席に座るよう促した。

ナチコ先生「ウフフ・・・。それにしても、あの席替えでのひ太君が残り物になってくれたのは、ホントに好都合だったわ~。」

のひ太(こころの声)「畜生!!何言ってやがる!!こっちにとっては超災難だっちゅうの!!」

ナチコ先生「それぢゃあ改めて、先生の自己紹介しとこっかな~!!」

のひ太(こころの声)「自己紹介?・・・なんでまた。」

ナチコ先生「今朝のホーム・ルームでも話した通り、先生、中学生の頃は手の付けられないワルでね。だけどその時出合った家庭教師の女性のお陰で更正して、自分も何か教育関係の仕事に携わりたいと思い立って、今こうして小学校の教師をしている訳なんだけど・・・。」

ナチコ先生「実は、その家庭教師の女性って、ロボットなのよ。」

のひ太「ロボット・・・?」

何言ってんだ!!家庭教師がロボットだからって、今の時代、全然珍しい話でも何でもないよ・・・。事実、ボクの家だって・・・って!?も・・・もしや!?

ナチコ先生「ウフフ・・・その驚いた顔を見るに、どうやら察してくれた様ね?」

のひ太「えっ!?何?どう言う事?」

・・・と、ナチコ先生はボクのその問いには答えず、バッグから指輪の様なものを取り出すと、それを両手の人差し指にはめ、ボクのそばに近づいてきた。

そして・・・。

のひ太「フギャア!!痛い!!痛い痛い!!」

何と、ナチコ先生は両手にはめた指輪をボクのこめかみに押し付け、ものすごい勢いでグリグリと圧力をかけてきたんだ・・・。

のひ太「何するんだ!!痛いぢゃないか!!・・・もう!!頭が割れそうだよ!!」

ナチコ先生「痛い・・・そうね。さぞや痛いでしょうね。だけど、先生の恩師の痛みは、こんなものぢゃなかったはずよ。」

・・・そう言いながらナチコ先生は、両手にはめた指輪をボクに見せ付けた。そしてそれは、およそファッション・リングなどと呼べるものではなく、溶かした鉄を無理にリング状にしただけのとても無骨なものだった・・・。

ナチコ先生「それが今や、こんな姿になってしまって・・・。」

こんな姿!?・・・恩師のロボットが?

ナチコ先生「この指輪はね、あんたのせいで家庭教師ロボット失格の烙印を押され、解体されてしまったドウラミ先生のボディを溶かして作った、形見の品なのよ!!」

のひ太「ええ!?あのドウラミちゃんの!?」

ナチコ先生「ドウラミ先生はね、ヒキコモリだった貴方を立ち直らせて、健康的な社会生活を送れるまともな人間にしようとしてたのに・・・それを貴方は・・・。」

のひ太「そんな!!とんだ言いがかりだよ!!あの時、下手すれば死んでたのはボクの方なんだし・・・。」

ナチコ先生「どうやら、やっと思い出した様ね。私を非行少女から立ち直らせてくれたドウラミ先生が、貴方の様な駄目人間のせいで解体されてしまうなんて・・・。私は絶対、貴方を許しマセンからね!!」

のひ太「馬鹿な!!ボクには関係無いよ!!ボクは何の責任も!!ボクは何も悪くない!!」

ナチコ先生「うっせえ!!このガキ!!・・・あらいけない。オホホホ・・・。まあ安心しなさい。私は何も貴方を苛めようって訳ぢゃないのよ。ただ、ドウラミ先生の遺志を継いで貴方を真人間に矯正する事こそ、私のドウラミ先生への恩返しになるかと思ってね。」

のひ太「そんな・・・死んでまでボクにつきまとうなんて・・・あのドウラミの野郎~!!」

ナチコ先生「ん?何か言ったかしら?」

のひ太「いえ・・・別に・・・。」


何てこった!!ドラへもんにせよドウラミちゃんにせよ、うざいロボットがいなくなってせいせいしたと思ってたのに、こんな形で再びボクに災いをもたらそうとは・・・。

せっかく地味に大人しく、出来るだけ目立たない様に学校生活を送ってたってのに・・・。

ボクは・・・ボクは・・・。

また・・・地獄へ逆戻りする運命なのか!?

(つづく)

「銀河鉄道911~見たくないものだからこそ見る」(タイトル改題)

しまった!!一日過ぎちゃった!!・・・まあいいや。

え~、巷には「911陰謀論」と言うのがありマシテ、「これはアメリカ(を支配している人間達)の自作自演である」と考える人も居れば、「陰謀論を信じるなんてナンセンス」であると考える人も居る訳で・・・。

ところで、そもそも「陰謀」と言うものがこの世に存在するのか?と問われれば、それは間違いなく存在する訳で、例えば某真理教の地下鉄サ○ン事件を見れば明らかなのだが、それが発覚する以前の段階においてはそれらは間違いなく「陰謀」と呼べるものであった訳でありマスからして、現時点で発覚していない「陰謀」を何から何まで「無い」とするのはそれこそナンセンスと言うか、大本営発表を信じているだけに過ぎないのではないか・・・と。

要するに、未だに発覚していない「陰謀」と言うものは現実に存在する訳で、それを一切否定して「陰謀など無い」と言い切る事は、全く非現実的な物言いな訳でありマス。

しかし、それでは何故、「陰謀など無い」と言い切る人が居るのか?と言えば、一つには「陰謀があった事を知っていてそれを隠蔽したい人」、もう一つには様々な理由から「陰謀など無いと確信している人」、そして最後に「陰謀など無かったと信じたい人」の、おおよそ三種類に分類出来るのデスが・・・。

「陰謀があった事を知っていてそれを隠蔽したい人」ってのは極少数だから、これに関しては置いておくとして・・・。

「陰謀など無いと確信している人」とは、おそらく現実を直視して科学的に判断したものであろうと思われマスが、それではさて、第7サティア・・・じゃなくて飛行機が激突してもいない第7ビルが崩壊した事を、一体どう説明するのか?・・・もちろん他にも細かな疑惑は多々あるのデスが、第七ビル崩壊1点を取り上げてみても、どう考えてもこれはあまりに不可解な現象であるとしか私には思えないのデス。

そして「陰謀など無かったと信じたい人」でありマスが、これは第7ビルが崩壊した理由を科学的に分析しようと言う姿勢以前に、そもそも「多くの自国民を含む民間人を大勢犠牲にしてまで、あんな事をするはずがない」との、正義感に基づく感情論に囚われ過ぎているものと私は考えマス。

つまり、最後に挙げた「こんな事をするはずがない」と考える人は、悪く言えば現実よりも理想を念頭に置き過ぎと言うか、「人間の利己性に基づく傲慢にして強欲な本性、もしくはその様な考えを抱く者」の存在を知らないか、想像すら出来ないのであって、それが何故かと言えば、彼ら自身のこころの内にその様な利己的かつ邪悪な精神が「無い」か「それに無自覚」であるためなのデス。

よって私は、その様な考えの元に「陰謀論」を否定する人を見ると、「ああ、この人は本当に正義感の強い、こころの清い人なのだな~」と思う次第なのでありマス。

おそらく彼らは、人間の傲慢さ強欲さ邪悪さ下品さ下劣さ狡猾さ残酷さをヒトカケラも持ち合わせないかもしくはあまりにも無自覚であるがゆえに、「傲慢かつ強欲な人間は自己の野望や欲望を達成するために他者の権利を侵害したりその生命を奪う事に対して何の罪悪感も感じていない」と言う現実に対し、想像力が追いつかない状態なのでありましょう。

ところが・・・残念な事に、そう言った傲慢かつ強欲な精神を持った人間は間違いなく存在するんデスよ・・・。

また、あまりにも大規模過ぎるゆえに「そこまでするか」=「そこまでするはずない」との気持ちにもなるでしょうし、「あれだけの事をするからにはもっと綿密に計画を立てるはずだ」との考えが「・・・であるから、自作自演であればあれだけ不自然な証拠を残す訳がない」との考えにも至ってしまう場合もありマスが、それもすべて「信じたくない」気持ちがもたらす「こころを平安に保つための防御反応」とでも言えましょうか。

私達は、もっと人間を、人類と言う名の生物の不完全さを、利己的な精神からもたらされる傲慢さや強欲さを知らねば、そして人間が持ち得る邪悪な本性を信じねばなりマセン。

善人には悪人の気持ちが理解出来ないがゆえに、善人には悪人を退治する事など出来ないのデス。

「人間とは傲慢かつ強欲な精神を持ち合わせ得る事の出来る生物である」と言う現実を受け入れなければ、いつまで経ってもその様な邪悪な人間を野放しにしておく事にもなりかねマセン。

・・・と同時に、「人間は愚かである」と言う事を前提にしないで形作られた社会システムは、いつまで経っても「正直者が馬鹿を見る世の中」のままであり続けるでしょう。

あくまでも、人間が持つ傲慢さや強欲さを直視した上で、それを退けるなり、少なくともそれを行使する事でもたらされる利益を減らす様にしていかないと、いつまで経っても犠牲者が浮かばれる事はないのではないかと・・・。

例えば、ゴキブリを忌み嫌うのであれば、それから目を逸らすのではなく、それ自体を直視した上で退治するなり進入経路を塞ぐなりと言った対策を採らねばならないのデス。

ゆえに、人間の傲慢さや強欲さや愚かさを「憎む」のであれば、そう言った「嫌いなもの」であればあるほど、それを直視しようと努めなければ、何も解決しないのでありマス。

「母イラズ子イラズ」(タイトル改題)

私は世話を焼かれるのが嫌いなタイプでありマシテ・・・。

ほら、飲み会の席とかで、他人の世話をせっせと焼くヒト(特に女性)とか居るじゃないデスか。

これじゃ、せっかく既に死んだ父(抑圧)や母(干渉)から逃れるために家を出たってのに、またそこに逆戻りって訳デスよ。

いや、そう言いつつも確かに、他人が自分の世話を焼いてくれると、何だか自分が偉くなった様な気分に“一瞬”なりマスわ。

だけど、やっぱそう言う主従関係と言うか、上下関係によってもたらされる快楽っちゅうか優越感には、何の魅力も感じないんでね。

むしろ、常に虐げられてる状況から、力のある者に文句言ったり、後ろから石をぶつける(←それは駄目~!!)方が性に合ってるって事。

だから、もしも歳とってから、老人ホームでも何でも良いけど、誰かの世話にならなけりゃ生きて行けない状態になったとしても、まあ結果的にホームレスにでもなってなければ、部屋の中で自分独りでひっそりと死んで行きマスよ。

何て言うのか、もう誰かに何かをしてあげたりする能力もないのに、誰かから何かをもらう訳には行かないデスからね。

よって、これは言わない方が良い事だけど、ついでだから言ってしまうと・・・。

既に世の中に対して何かしらの貢献をする事が出来なくなった人・・・もちろんそれは経済的と言う意味だけではなく肉体的にも精神的にも、ただ生命を繋ぎとめるだけの状態になったならば、ヒトは自ら死を選んでも良いのではないかと、私は考える次第なのデス。

いやいや、それでも「生きていたい」ってヒトはどうぞご勝手に、自分の子供や親族の世話になるなり、それまで貯めてきたお金や年金で老人ホームにでも入るなりして、他人の世話になり続ければ良いのではないでしょうか?

・・・ただ、「私はいやだ」ってだけの話デスので。

自殺したK藤K彦氏やK野Y二氏を思う時、それが良い事か悪い事かは別として、私は彼らに“美意識”と言うか“美学”を見た思いでありマシタ。

世の中から必要とされなくなり、これから先もその可能性がないのであれば、未来のある若者が額に汗して労働して得た金をふんだくってまで、自分達“過去の人”が生き長らえる必要などあるのか?

自分で自分を生かせる様になると言う事は、自分の生命を自分で管理出来ると言う事。

ゆえに、自分で自分の生命を管理出来なくなった時には・・・。


そしてまた、「誰もがそれ(自分の生死)を自分で決定出来る様になる事」こそが、「人間の尊厳を守る事」にも繋がるのではないかと、私は考えるのでありマス。

「重量制選挙法案」

政治と言うか、そもそも民主主義国家における選挙自体が、「個人が私利私欲を追求する事」をあくまでも多数決の原理に則って、その大多数の側にのみ認める・・・と言う事であり。

・・・となると、少々乱暴に言えば、漁師を生業としている国民の多い国は漁業従事者にとって都合の良い国となり、農業を生業としている国民の多い国は農家にとって都合の良い国となる訳で・・・。

否、それはそれで至極もっともな結果と言うか、多数決と言う方式自体が、それに賛同する人数の多い方を選択すれば、自ずと利益を共有出来る人も多くなるはずなのだから、国民全体における幸福度は間違いなくアップするがゆえに、そうしているのだとも言える訳なのであるが・・・。

また、しかしもちろんそれを踏まえた上でなおかつ、「数が少ない人達も救ってあげましょう」と言う考えの下に、ある程度の少数意見所持者の救済策(←ガス抜きの意味もある?)が実行される事も否定は出来ない。

しかるに、その公平性を更に高めるためにも、私はここに柔道やボクシングにおける重量制みたいなものを適用する必要があるのではないか?・・・と、さっきふと思いついたのだ。

要するにこれは、まず性別・年齢・職種に応じてクラス分けをし、各々のクラスに所属する国会議員の定数を国民(=あくまでも選挙権を持つ成人のみに限る)の分布バランスに比例して決定しようと言う考え方なのである。

つまり、国民の男女比が1:1であれば国会議員の男女比も1:1に、そして年齢も同様に20代が何人、30代が何人・・・と、国民の分布バランスに応じた代表者を決定すると言う事。

・・・なので、職種ってのはちょっと蛇足かも知れない・・・と言うか、先に述べた論法と関連付けるためのものでもあるが・・・いやいや、案外そうでもないかも知れない。

うん!!そうなるとそうそう、国会議員にはニュー・ハーフ枠も必要だよね。

・・・と、そんな具合に、男子ミドル級うんぬんではないが、多数決によって選ばれた男性40代自営業者系代表国会議員は男性40代自営業者の意見をある程度代弁出来るだろうし、女性30代専業主婦系国会議員は女性30代専業主婦の意見をある程度代弁出来るのではなかろうか?・・・と私は考えるのである。

あとはあれだよね、収入や資産によってクラス分けすれば、現在の様な二世議員やおぼっちゃま君(=資産家のご子息)系国会議員が殆ど(←かどうかは知らないが・・・)を占めるって事はなくなるよね。

だけど、ここでやっちゃいけないのが、知能別のクラス分け・・・ってやつ。

だって、わざわざ理解能力の乏しい人を国会議員にする必要ないって言うか、そんなのナンセンス極まりない話だもんね~。(^^;)

まあ本当は知能と言うか、ある程度の知性や品性を立候補に必要な要件にすれば良いんだけど、その辺は国民が適切な判断を下すでしょ?(←実はここが問題の本質だったして・・・。)

何にせよ、何で国会議員をクラス分けにする必要があるのか?って事を、もう一度説明するならば・・・。

国民には男女(+その他)の性別があり、色んな年代の人がおり、色んな職種の人がおり・・・と、色んな種類の人間がおり・・・。

それぞれが共存している・・・すなわち同じ土地(地域)で暮らす訳であるからして・・・。

「暮らす訳(くらすわけ」)」=「クラス分け(くらすわけ)」は絶対に必要なのである!!

・・・みたいな。

オチが下らない駄洒落でゴメンナサイ・・・。(^^;)

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マル秘計画、密かに進行中!!

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(^^)b