Mr.エレクトの独り言 2010年09月10日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「母イラズ子イラズ」(タイトル改題)

私は世話を焼かれるのが嫌いなタイプでありマシテ・・・。

ほら、飲み会の席とかで、他人の世話をせっせと焼くヒト(特に女性)とか居るじゃないデスか。

これじゃ、せっかく既に死んだ父(抑圧)や母(干渉)から逃れるために家を出たってのに、またそこに逆戻りって訳デスよ。

いや、そう言いつつも確かに、他人が自分の世話を焼いてくれると、何だか自分が偉くなった様な気分に“一瞬”なりマスわ。

だけど、やっぱそう言う主従関係と言うか、上下関係によってもたらされる快楽っちゅうか優越感には、何の魅力も感じないんでね。

むしろ、常に虐げられてる状況から、力のある者に文句言ったり、後ろから石をぶつける(←それは駄目~!!)方が性に合ってるって事。

だから、もしも歳とってから、老人ホームでも何でも良いけど、誰かの世話にならなけりゃ生きて行けない状態になったとしても、まあ結果的にホームレスにでもなってなければ、部屋の中で自分独りでひっそりと死んで行きマスよ。

何て言うのか、もう誰かに何かをしてあげたりする能力もないのに、誰かから何かをもらう訳には行かないデスからね。

よって、これは言わない方が良い事だけど、ついでだから言ってしまうと・・・。

既に世の中に対して何かしらの貢献をする事が出来なくなった人・・・もちろんそれは経済的と言う意味だけではなく肉体的にも精神的にも、ただ生命を繋ぎとめるだけの状態になったならば、ヒトは自ら死を選んでも良いのではないかと、私は考える次第なのデス。

いやいや、それでも「生きていたい」ってヒトはどうぞご勝手に、自分の子供や親族の世話になるなり、それまで貯めてきたお金や年金で老人ホームにでも入るなりして、他人の世話になり続ければ良いのではないでしょうか?

・・・ただ、「私はいやだ」ってだけの話デスので。

自殺したK藤K彦氏やK野Y二氏を思う時、それが良い事か悪い事かは別として、私は彼らに“美意識”と言うか“美学”を見た思いでありマシタ。

世の中から必要とされなくなり、これから先もその可能性がないのであれば、未来のある若者が額に汗して労働して得た金をふんだくってまで、自分達“過去の人”が生き長らえる必要などあるのか?

自分で自分を生かせる様になると言う事は、自分の生命を自分で管理出来ると言う事。

ゆえに、自分で自分の生命を管理出来なくなった時には・・・。


そしてまた、「誰もがそれ(自分の生死)を自分で決定出来る様になる事」こそが、「人間の尊厳を守る事」にも繋がるのではないかと、私は考えるのでありマス。
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