Mr.エレクトの独り言 2010年10月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

次回進呈予定の特典CD-R

■10月31日(日)神無月の今豚(Kong-Tong)+エレクトレコード共同企画
「脱権力の地図」其の五~木幡東介(マリア観音)単独公演

上記ライヴにて進呈する特典CD-Rのテストプレス完成!!スタジオ録音歌唱作品を全5曲も収録!!
20101031特典テスト表
20101031特典テスト裏
<曲目>
1.溶け合う一つの色に向って
2.夏の闇を真似る擬態
3.夏の二人
4.人の念仏
5.いつも足もとに居る黒い犬

★当日は皆様のお越しを、こころよりお待ちしておりマス!!m(_)m

木幡東介ライヴ特典CD-R

★これまでに進呈した特典CD-Rを紹介!!

■2010年2月21日@高円寺無力無善寺
「脱権力の地図」其の弐~木幡東介(マリア観音)単独公演にて
特典①
<曲目>黒い犬/絶滅/かまきりの詩/棄脱の天地(全4曲収録)

■2010年4月10日@吉祥寺Fourth Floor
如月の今豚(Kong-Tong)+エレクトレコード共同企画
「脱権力の地図」其の参~木幡東介単独公演にて
特典②
<曲目>秋から冬へ/出さなかった手紙(全2曲収録)

■2010年6月5日@吉祥寺フォースフロア
水無月の今豚(Kong-Tong)+エレクトレコード共同企画
「脱権力の地図」其の四~木幡東介(マリア観音)単独公演出演にて
特典③表
特典③裏
タイトル「地犬の掟」
<曲目>進化の坩堝/長すぎる牙/蓑毛の群れ(全3曲収録/インスト)

■ちなみに、次回10月31日に行われる単独公演において進呈するCD-Rには、歌唱作品を5曲収録する予定となっておりマス!! (現在鋭意製作中)

「解剖劇場 第三幕」「国立公民館ライブ」支援告知

解剖劇場第三幕
■「解剖劇場 第三幕」
2010年10月22日(金)
会場:新大久保アースダム
http://www1.odn.ne.jp/shinjuku-dom/index.html/dom.html?w
開場:18:30/開演:19:00
出演:解剖室、FINAL BOMBS、あざらし、悲鳴(茨城)、ACUTE。
★CROWは解散し、解剖室もこの日からしばらく活動休止する模様デス!!

国立公民館ライヴ
■「国立公民館ライブ」
2010年10月31日(日)
会場:国立市公民館(042-572-5141)
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/shisetsu/s_city/001127.html
開場:18:30~
出演:DEEPCOUNT(オルタナティブ)ALLIANCE(アナーコスラッシュ)EX.FVK NEW BAND(横須賀レゲエパンク)
料金:入場無料(カンパ制)
★SUGURU氏(DEEPCOUNTのギター/ブルースビンボーズのベース/PAINTBOXのドラム)主催によるDIY自主企画第一弾。運悪く当方のライヴと被ってるので困っちゃうのデスが、私としては常々、こう言った自主独立的な方法論を応援して行きたいと考えてるので、皆様是非とも足をお運び頂きたいと思いマス。(当方のライヴは吉祥寺にて20時からなので、申し訳ないけど今回だけは途中で抜けてハシゴするって手もアリですZE!!)

■10月18日(月)「FLAG OF NOTHINGNESS 41」(無事に終了イタシマシタ。)

■10月18日(月)「FLAG OF NOTHINGNESS 41」
(木幡東介~ドラム・ソロにて出演)
場所:新宿URGA(03-5287-3390)
http://www.urga.net/pc/-/index.html
開場:18時00分/開演:18時30分
●木幡の出演はトップとなりマス!!
前売:2000円/当日:2400円(いずれも+ドリンク代)
共演:GRIM、Aural Fit、FACIALMESS、森本在臣+内田静男。
★入口で「木幡東介を観に来た」とおっしゃって頂ければ、前売料金で入場可能デス!!

ライヴハウスの楽屋での盗難事件が多発している様デス!!

<お知らせ>

ライヴハウスの楽屋での盗難事件が多発している様デス!!

※盗難場所 難波ROCKETS(10/2) 
ギブソン レスポール スペシャル
MODEL NO. LPJSNACH1
SERIAL NO. 01283384
Gibson PURE

※盗難場所 新宿Motion(10/1)
モスグリーンのノアズアークのケース
赤いジャズマスター
ネックはジャーニーマンでニョロニョロのステッカーが貼ってある
シールドとパッチ合わせて6本
シュアーベータ57のマイク
bossのDD6
ラットのモディファイ

★どんなささいな事でも良いので、何か情報のある方は、各ライヴハウス様宛に連絡してあげて下サイ!!

また、皆様のブログやBBSでのコピペ拡散等も、併せてヨロシクお願いイタシマス。m(_)m

Aマゾンの失策(追記アリ)

ネット・ショッピング・サイトのAマゾンで、その商品とは全く関係ない商品画像を添付されると言ういたずらが多発してるそうだ。

(Aマゾンでは古い時代に発売された商品には画像が添付されておらず、ある基準をクリアした登録者が添付の権利を持ち、また第三者がそれを審査して問題があればAマゾンに報告する事も出来る仕組みとなっている。)

<追記>なお、アマゾンが用意したメイン画像がある商品にも、個人がサブ画像を添付する事が出来るみたいだね。早速、話題となっている某アイドルのカレンダーに一般男性の画像が添付されてたYO・・・。(^^;)

しかし、これはAマゾン自体の失策以外の何物でもない。

何故なら、元々Aマゾンで販売出来る商品はAマゾン側が設定したアイテムのみで、新規にアイテムを追加するには色々と面倒な手続きが必要なのだが、商品画像の添付に関しては、Aマゾン上で一度でも商品を購入した者(←最近導入された銀行振込支払い者は不可かも?)にのみ、その権利が与えられるのであるが、その逆に、Aマゾン上で商品を何万点販売しようが、一度も購入履歴が無い者には、その権利が与えられないと来ているのだ。

まともに考えれば、販売者側の方こそが、販売促進のために画像を添付したいと考えるのが普通ではないだろうか?

しかも、販売者側は契約上の色々な制約があったり、何か不祥事を起こして今後の契約を切られたら困る立場であるが、その点、購入する側は(おそらくであるが・・・)登録し直せば、またいつでも買物を楽しめるのだし・・・。

つまり、どう考えても、画像添付の権利は販売者側にのみ与えるべきであり、百歩譲って両者に与える事はあっても、購入者側にのみその権利を与えるなんて、実におかしな話なのである。

また、画像の無い古い時代の発売商品には、商品データどころか商品タイトルにも不備があるものが多く、Aマゾンは一体どんないい加減な仕事してるんや!!・・・と思う事もしょっちゅう。

私なんか、出品する際にそう言った間違いに気づいたら、すぐに訂正事項をAマゾンに送信する様にしており、情報の改訂に貢献していると言うのに、一度も購入履歴が無いと言うだけで画像を添付する事が出来ない有様なのである!!

・・・とは言え先日、当店のお客サンの依頼でCDの購入を代行してあげたから、今は画像添付の権利もあるものと思われるが・・・。

それにしても、商品販売時にAマゾンから徴収される手数料の利率の高さは何とかならないもんなのか・・・。

更には、その手数料以外に、本なら本、CDならCDで、カテゴリー・マージンってのを徴収されるし・・・。

・・・と言うか、それ以前に全然売れないし・・・。(TT)

<豆知識>
ところで、Aマゾンで1円販売されてる商品とかあるでしょ?あれは、購入者から定額徴収される送料と実際の送料との差額が利益になってるんだよね~。

「限界はどこだ!?」

自営業者にとって「頑張る」と言う事は、「あきらめない(=運命を受け入れない)」事であるが・・・。

労働者(=被雇用者)にとって「頑張る」と言う事は、「あきらめる(=運命を受け入れる)」事・・・だ。

これはある意味、自営業者=狩猟民族であり、労働者=農耕民族とある言う事を示してもいる。

よって・・・。

自営業者の努力に終りはない。

時には夜が明けるまで・・・。

そして時には・・・。

過労死するまで。

「救えねえ!!」

昨日、自宅に戻る日だったのであるが、運良くテレビで「カイジ」の映画版をやっていた。

しかし、原作のエピソードを上手くシャッフルして再構成しているのは良いが、エピソードとエピソードとの繋ぎが唐突過ぎて、まるで連続ドラマの総集編っちゅうか、原作知らないと話が突飛過ぎてついていけないんじゃないのかしら?

・・・と思ったら、テレビ放映に当って、本編をかなりカットしてたみたいね。

それにしても・・・。

やっぱ何と言っても、あの鉄骨渡りのシーンは実写だと超怖え~!!(@@)/

不摂生して大風邪引いた時の心境を思い出すよね。

「この風邪さえ治ったら、今度こそは改心して真面目に生きマスから、どうか早く健康な身体に戻して下サイ~!!」・・・みたいな。(^^;)

・・・と言いつつ、また不規則な生活を繰り返す訳なんだけれど・・・。(TT)

「木幡東介作品展」開催情報!!(無事に終了イタシマシタ。)

■木幡東介作品展■
2010年個展
告知フライヤー:切り絵/木幡東介 デザイン/平野勇

2010年10月11日(祝・月)~16日(土)
11:00~19:00(最終日は18:00まで)
(木幡が同所で待機しているのは11日・13日・15日・16日のみとなりマス。)
会場:ギャラリー代々木
151-0051東京都渋谷区千駄ヶ谷4-30-1
TEL:03-3408-6630
※JR代々木駅西口、大江戸線出口より徒歩2分。

■Web Gallert ST■(ギャラリー代々木と報美社の合同サイト)
http://gallery-st.net/satou/

「ギリヤーク尼ヶ崎 青空舞踊 新宿公演」

昨日、新宿の某高層ビルの広場にて、大道芸人/舞踏家であるギリヤーク尼ヶ崎氏による、投げ銭制の無料公演が行われた。

私は特に舞踏に興味がある訳でもないのだが、友人からの「もう歳だし・・・」とのメールを読み、開催場所も当店から自転車で3分の場所である事もあり、冥土の土産のつもりで観に行く事にイタシマシタ。

・・・実際は徹夜で仕事してたんで、その日は昼過ぎから寝ようと思ってたんだけどネ。(@@)

まあしかし、色々思う所もありマシタ。

基本的には、ギリヤーク氏は既に80歳ゆえ、身体能力が高性能な訳でもなければ、見かけだけで言えば、今時のホームレスでもしてない様なボロボロの格好をしており、ましてや私にその芸を理解出来るスキルがある訳でもないのだが・・・。

ただ一つだけ言える事は、人生の半分を費やし流行や権威に頭を下げる事なく一貫して芸に身を捧げてきた、その頑固さと言うか徹底した生き方に対し、共感などと言えばおこがまし過ぎるが、そう言った生き方をしたらどうなるかって事を「自分の代りに実践してくれてありがとう」・・・と、私は素直にそう思わされたのでありマシタ。

もちろん、ギリヤーク氏の様に認められる事もなく人生を終える方も大勢いるのでありましょうが・・・。

「生きて行くため、もらうために他人に頭を下げ続ける人生」もあれば、「芸に身を捧げ尽くす事でのみ、自分を成り立たせようとする人生」もある訳で・・・。

見かけこそ、“ダンシング乞食”(←山下洋輔トリオ「ダンシング古事記」のパロディね)でしかないギリヤーク氏ではあるが、頭が下がるのは、むしろ私の方でありマシタ。

よってこの度は、本当に・・・。

「おありがとうござ~い!!」m(_)m

■10月7日(木)「THE NIGHT STRANGE 65TH」(無事に終了イタシマシタ!!)

■10月7日(木)「THE NIGHT STRANGE 65TH」
(木幡東介~SE+弾き語りソロにて出演)
場所:新宿URGA(03-5287-3390)
http://www.urga.net/pc/-/index.html
開場:18時30分/開演:19時00分
前売:1600円/当日:1800円(いずれも+ドリンク代)
共演:カルキ、組織暴力幼稚園、はりや&大沼志朗&林栄一TRIO、鈴木放屁。

★「音楽」を「会話」であると考えるならば、いずれの出演者様とも「楽しいおしゃべり」を満喫する事が出来た一日デシタ!!(^^)/

木幡東介新作発売情報!!(2010年10月5日号)

★新作2点、10月7日@新宿URGAにて販売開始!!

■木幡東介ライヴCD-R(ECR-005)¥1000
2010年7月26日@新宿URGA
「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」より
ECR-005
1.羽衣蝶の詩
2.渓谷、深山の民~狩猟民族の唄~
3.棄脱の天地
4.破壊の女神
5.溶け合う二つの色に向って
6.夏の二人
7.野いちごおとし
8.薄羽蜉蝣
収録時間:57分16秒(完全収録)

切り絵/木幡東介
録音・編集/吉澤裕史
制作/エレクトレコード

■木幡東介ライヴDVD-R(EDR-007)¥1000
2010年7月26日@新宿URGA
「日本絶滅動物記」其の18~「独り遊びの思想」より
EDR-007
1.羽衣蝶の詩
2.渓谷、深山の民~狩猟民族の唄~
3.棄脱の天地
4.破壊の女神
5.溶け合う二つの色に向って
6.夏の二人
7.野いちごおとし
8.薄羽蜉蝣
収録時間:約60分(完全収録)

●DVDプレーヤー及び、パソコンでは「PowerDVD」でのみ
再生可能。(店舗据付固定カメラ撮影につき、多少のドロップ
やノイズがでる場合がございますが、ご了承下サイませ。)

切り絵/木幡東介
撮影/新宿URGA
制作/エレクトレコード

★解説(上記2作共通)
本作は、数年ぶりに復活した自主企画「日本絶滅動物記」に「独り遊びの思想」とのサブ・タイトルを冠して行われたライヴの模様を収録したもの。

ちなみに今回の企画主旨は、基本的に「独りの人間の孤独な時間無くして、この世に天才や超人など絶対に生まれ得ない!!」との考えの下、そんな「自らを少数派に追いやっていく様な人達」を応援する事を目的とし、出演者を単独演奏者のみと限定したものであった。

また、収録内容的には、約2年前より実践されている弾き語り単独演奏の完成形たる、多重録音SEをバックに流しつつ生演奏による歌唱+エレキ・ギター+ギター・シンセを被せると言った形式によるものがメインであるが、木幡がこのスタイルを体得するに至るまでには、実は非常にユニークな練習方法が用いられていたそうである。

具体的には鎖国政策とでも言うのであろうか、ある日から木幡は、自分の作る音楽によって自前で娯楽を成り立たせる事・・・すなわち、自分の作品や演奏からもたらされる快楽のみで自給自足が出来る様になるまで、自分が作った音楽以外のものは一切聴かない事を決め、半年間もの長きに渡りその苦行をやり通したとの事。

そしてその結果、それまではキツイ部分であるとかシリアスな面であるとかと言った、ある一側面ばかりが強調される事の多かった木幡の作品に、現存する多種多様な音楽に含まれる快楽の素が数多くブレンドされ、自身の作品や演奏においても、そう言った豊穣なる音楽性が違和感なく発揮される様になったのだ。

・・・とは言え、それは元々、木幡自身が分け隔てなく様々なジャンルの音楽が持ち得る魅力を充分に理解した上で、なおかつそれを吸収しようとの意欲も併せ持っていたと言う点も大きく、これがもしもジャンル的に偏った好みの持ち主であれば、ここまでの成長は望めなかったと思われる。

いずれにせよ、このエピソードが物語るものは、常日頃、私達は他者や外部から受ける刺激に依存してばかりで、実際には自分自身の手によって如何に何も作り出せていなかったかと言う事の証明でもあり、本来はクリエイターであり発信者であるべきミュージシャンが知らず知らずのうちにリスナーや消費者としての立場に片足を突っ込んだまま音楽活動に取り組んでしまっている現状に対する戒めであると受け取る事も出来るだろう。

しかるに、ここで披露されているのは、真にインディペンデントな姿勢に基づく、自らの肉体と精神のみをその原材料として手作り栽培された音楽なのだ。

よって、その成果を是非とも皆様に一度ご賞味頂きたいと、私は切に願うものである。

2010年10月5日/Mr.エレクト(エレクトレコード代表)

★上記の作品はライヴ会場及び当店にて通販可能。(店舗は長期休業中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/
★いぬん堂ネット・ショップでも販売中!!
http://inundow.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=42287&csid=21

中学生棺桶「口でつけて。(矛先に)」(DVD-R)入荷!!

■中学生棺桶「口でつけて。(矛先に)」(DVD-R)¥1500~極少数入荷!!
「口でつけて。(矛先に)」
<収録時間>1時間23分29秒

★現在、新作アルバム「矛先についたガム」及び先行シングル(短冊型ジャケ仕様8cmCD)「Mは三つ目で マゾじゃない」が好評発売中の、同バンド。今回の映像作品も数箇所でのライヴを編集して収録したものであるが、中でも新作のレコーディング場所でもあり一時期彼らがホームにしていた立川BABELでのライヴ映像は、会場内でのスモークや照明の効果とも相まって、視覚的にも非常に高いクオリティを本作にもたらしている。

・・・とは言え、演奏シーン自体は決してお洒落で小奇麗なものではなく、汗や体液の滴り落ちる様子までをも克明に記録した生々しいものなので、どうぞご安心(?)を。

これまで、一体感のあるバンドの演奏や執拗なリフ、練り上げに練り上げられた伝達意識過剰な歌詞等に関しては、そこでもここでも既に語り尽くした感があるゆえ今回はあえて述べないが、各メンバーの個性や人となりが垣間見えるかの様な演奏振りをじっくり鑑賞出来るのは、やはり映像作品ならではの味わいであろう。

また、ジャケットのデザインは某コミックスのパロディとなっており、これが本作を手に取る者に思わず「ウフフ・・・」と笑みをこぼれさせずにはおれない実に最高過ぎる出来栄えで、こう言った悪ふざけをも大真面目にやってのけられる所が、他のバンドには無い彼らの強みの一つではなかろうか。

いずれにせよ、アルバム制作においても過剰な卓いじりを否定する彼らだけあり、ライヴにおけるMCや唾液や鼻水さえをも包み隠す事はもちろんカモフラージュする事も無く堂々と曝け出した本作。遠方の方は仕方ないとして、都内近辺にお住まいの方は是非、実際に彼らのライヴに足を運んで購入する事をお薦めする。

<中学生棺桶参加作品紹介記事>

■「むすめ戦争中」(CD)¥2100
■「偏見喰らい」(SETE STAR SEPTとのスプリットCD)¥1050品切れ
■「逆芳香」(DVD-R)¥2000品切れ
■「告白を強いる伝染源」(CD)¥2100
■マグダラ呪念と中学生棺桶「混血路」(CD)¥1500

■コンピレーション「DO THE INDEPENDENCE!!」(DVD-music)¥3150
★hayashi3(中学生棺桶専属絵師)
■「三十路OLモザイク日記」(書籍)¥1000
中学生棺桶のCDジャケットやライヴ告知チラシのイラストを手がける“hayashi3”による、日常のエロ話を包み隠さず赤裸々かつユーモラスに綴った漫画ブログを書籍化したもの。棺桶メンバーらも実名で登場。

★上記の作品は当店にて通販可能。(現在店舗は長期Q業中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/

「酷使の美学」⑤

そもそも、ただ「カッコ良い」だとか「好き」と言えば済む様な事を、どうしてここまで「何故そうなのか」「何処がそうなのか」などと、くどくど説明するかと言えば・・・。

実は、自分にとって「カッコ良く思えない」ものや「好きでない」ものが、「何故駄目なのか」「何処が駄目なのか」を明確にするために行っていたのだと言う事に気づいた方は、果たして居るだろうか?

・・・と、それは置いといて。

これは良く勘違いされるのだが、基本的に「酷使の美学」とは自己と他者との体力や身体能力の差異とは無関係である。

何故ならば、ここで重要とされるのは自己と他者との相対的な量の比較ではなく、「自分の全力」を出し切っているかどうか?そして「自分の全能力」以上のものを搾り出せるかどうか?・・・と言う点に尽きるゆえ。

また、それは「勇気」などと言う耳障りの良いものに基づいている訳では決してなく、ただただ「感情の起伏の度合いの激しさ」が、「自分の体力や身体能力の限界」を一瞬忘れさせると言うだけの話なのだ。

まあ要するに、これは「やけくそ」とでも言うか「通常は自分の身を守るために働かせている制御装置を自ら取り外す事」ででもあり、そこには「自分の生命を危険に晒す事も厭わぬ程に大切な事が他にある」と言う信念があるからこそであり・・・。

それすなわち、「肉体の死」よりも「精神の死」を最大の恥であると考えるからに他ならない。

ただ、この様な考え方は、所詮人気商売である音楽の世界にはなかなか当てはまらない様で・・・。

しかるに、スポーツや武道・・・中でも特にボクシングなどを見ていて常々思うのだが、全力を尽くして試合で負けた選手を、果たして誰がみっともないなどと罵る事が出来るだろうか?

そしてその逆に、卑怯な手を使って勝利を得たり、能力の差が歴然としている絶対に勝てる様な相手としか試合をしない者に対しては、「醜い」と形容するしか術がないのではなかろうか。

対戦方式である以上、結果的に勝者と敗者が明確になるとは言え、ボクシングに限らず、全力を尽くし自分の全能力を注ぎ込もうとする事でしか成り立たないスポーツや武道に我々が感動させられるのは、もちろん高度な技術の応酬を楽しむと言う観点もあろうが、そこには「人間が目的に対して自己の能力を最大限に発揮する姿」すなわち「酷使の美学」があるからである。

前回も述べたが、この世で最も高級な娯楽は、「人が命をすり減らしてまでも何かを為そうとする瞬間」を見届ける事なのだ。

もし仮に、それが解らない方が居るとするならば、それは「精神の死」よりも「肉体の死」を怖れているからであろうし、その様な人間であれば、私のこの偏った考えに共感など抱きようはずもないし、「酷使の美学」の価値など理解出来なくて当然である。

もちろん、私に言わせれば、目的に対して「全力を出し切らない事」や「全能力を注ぎ込もうとしない事」以上に恥ずかしくみっともない事はないのだが・・・。

さてそれでは、音楽の世界において「酷使の美学」を持たないものが、「何故駄目なのか」「何処が駄目なのか」を具体的に述べよう。(←結局言うのね・・・。)

まず最初に、彼らには原動力・・・すなわち動機に伴う熱量が不足している。

私は「もてたいためにバンドを始める事」を否定する派では全然ないのであるが、如何なる目的にせよ、「それを何としてでも成し遂げるのだ」と言う、半ば人格障害とも呼ぶべき強固な意志がそこになければ、「何かを追求しよう」だとか「何かを突き詰めよう」だのと言った探究心や集中力など生まれ得ないだろう。

更には、そう言った執着とも呼ぶべき探究心や集中力が欠如しているがゆえに、彼らはすぐに逃げる。

例えば、現時点で既に獲得している「人気」であるとか、ルックスだとか美声に代表される「音楽以外の、もしくは音楽を演る以前に持ち得る魅力」・・・に。

つまり、彼らはそもそも音楽に「自分の全力を出し切る」必要も、「自分の全能力以上のものを搾り出す」必要もないのである。

ただし、それならまだ、生まれつき備わったものであったり既に勝ち取った既得権益でもあるのだから、それを利用する事を責めるのは酷と言うものだし、いずれはそれらに頼らずとも揺らぐ事のない自分の魅力を生み出さねばならないのだとの考えに至る可能性も無くはない。

しかし、自分が創り上げた訳でもない「過去に既に良いものであると世間から認知されたもの」を、さも「自分の魅力」であるかの様に偽装したり、更に酷いのになると自分の作品が「過去に既に良いものであると世間から認知されたもの」に似ている事で安心したり「自分の作品にも同様の価値がある」と錯覚してしまう様な、権威の傘に逃げ込む事を良しとする風潮は、やはり批判されて然るべきではないだろうか。

そこに逃げ込めば、「自分の無能さ」とも向き合わずに済むけどね・・・。

現在、これだけ機材も発達し音楽を聴く環境も演る環境も飛躍的に改善されているのであるからして、既にあるものや過去にあるものは絶対に超えなければならないし、むしろ超えられていくのが当然なのだ。

「そんなの無理」と思えばやらなきゃ良いし、そう言った諦念を乗り越えてなお「やる動機」のある者だけがやれば良い・・・と、私は考える。

現代はすべてのパターンが出尽くして「オリジナル」なものなどもう創れない・・・と言う言葉を良く耳にするが、そんな事はない。

確かに、ジャンル分けされ得る様な「表面的な形態の特異性」に関しては殆ど出尽くしたと言えるかも知れないが、「独自性」すなわち「自己と他者との差異」を「内面的な構造の精密性」として追求する事はまだまだ可能どころか、殆ど為されていないのではなかろうか。

私にとってみれば、例えば「表面的にパンクに見える」事など全く無意味であり、それはただ単に「本質を見誤らせる弊害」に過ぎない。

音楽が自己と他者とを繋ぐ伝達作業の一種である事を踏まえた上で、無茶振りを承知で言うならば、音を聴いただけでその人の生き方や考え方が出来る限り正確に伝わる事が理想であり、「痛み」であれば聴く者にそれと同様の「痛み」を与えられる事が最も望ましい。

・・・が、いずれにせよ、これらは表面でしか物事を判断出来ない人には無理な注文であり、それゆえ、私がいくら「酷使の美学」の価値を訴えようが、「知らない者には見えない」のだから仕方のない事。

ゆえに私は、「酷使の美学」を知る者に向けて、ただただこのメッセージを発信し続けるのみ・・・。

ちなみに、「酷使の美学」を知る者を一言で説明するならば・・・。

それは、「肉体の死」よりも「精神の死」を怖れる者・・・となる。