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上記のつづき・・・
・・・とは言え、実はその時点ではまだ、私はマスベの事を大好きになっていた訳ではない・・・と言うか、もちろん好きではあったが、個人の怒りやフラストレーションをストレートに表現したハードコア・パンクを除けば、既に解散してしまっていたものの、人間のこころの内に蠢く劣等感や葛藤を露悪的なまでに曝け出した奇形児の方が、自分にとってはマスベよりも全然リアリティのある存在であったのだ。
参考文献:「奇形児」の思い出
http://erect.blog5.fc2.com/blog-entry-1494.html
言うなれば、その時の私のマスベに対する印象は、おそらく非日常的な生き方をしているロック・スターへの“憧れ”の様なものであったと思われる。
実際、現実と向き合い日常の不満を吐き出すパンク・ロックの生活感あるイメージとは程遠く、その頃の卑龍氏は顔にペイントをしたり演出過多な歌い方をする、私にとっては非常にエキセントリックな存在であったのだ。
ところが、1985年初頭に発売されたばかりの彼らのミニ・アルバム「被害妄想」を聴いて、私は愕然とした。
同作品は元から歌詞カードが付属してないのだが、スタジオ録音ゆえライヴに比べ歌詞がハッキリと聴き取れ、それゆえに1曲目「COMFORT」で歌われる「息苦しい・・・」(歌詞カードが無いので「生き苦しい」とも受け取れた)に対し、私のマスベ・・・そして卑龍氏に対するイメージは一変したのである。(OKレコードから出たCDは、同アルバムのA面とB面の順序が逆に収録されているため、ちょっとピンと来ないかも知れないが・・・。)
その瞬間、それまではどこか手の届かぬ遠い存在の様に見えた卑龍氏が、「息苦しい」と言う言葉と共に、目の前の確かな現実として私の人生に足を踏み入れてきたのだ。
そして、アルバム・タイトルである「被害妄想」はもちろんの事、「置き去りになっても」だとか「現実が歪んで見える」だとかと言った、いわゆるネガティヴな精神から紡ぎ出された言葉が同作品には散りばめられており、それゆえにまた、鬱な気持ちで日々を生きていた私が同バンドに更にのめり込んで行く事は自然の成り行きであった。
事実、その日から、私は同作品をカセット・テープに録音し、繰り返し繰り返し何度も聴き続けたものである。
「被害妄想」を聴く度に私は感じる・・・。
禁忌的な、そして殺伐とした印象の強い同バンドであるが、このアルバムは、まるで子守唄の様だな・・・と。
決して明るくはない・・・と言うより、むしろとことん暗い、しかし私にとってこの作品は、傷ついたこころをやさしく癒してくれ、すべての悪い想い出を闇で覆い隠してくれる、言わば、どす黒い子守唄・・・とでも呼ぶべき存在であろうか。
ゆえに、どの曲も思い入れがあるのだが、やはりB面1曲目の「幻想」が、同作品を聴いている最中の自分の感覚に最も近いものであろうと思われる。
誰も居ない自分独りだけの世界、社会も他人も、そして自分が存在する部屋や空間、更には性別や年齢さえも消え去り、まるで母親の胎内に独り閉じこもっているかの如く・・・誰にも邪魔されず何にも脅かされる事も無く、時間が過ぎるのも忘れ、ただただひたすら自己の内にあるもう一人の自分と対話をし続けているかの様な、穏やかで心地良く、うっとりする程の恍惚とした陶酔感に私は耽溺させらてしまうのだ。
・・・あるいは、このアルバムに収録されているのは、「こんなはずじゃなかったのに!!」と泣き叫ぶ、悲鳴にも似た赤子の泣き声である・・・とでも形容する事が出来ようか・・・。
(後編につづく・・・)
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