Mr.エレクトの独り言 2011年04月04日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「学校教育のススメ」

そもそも、学校教育が良くない。

何故かと言えば、過去に起きた事実(もしくは過去に起きたとされる事実の一部)や、現時点で知られている事柄(もしくは現時点で知らされている事柄のみ)をただただ覚えさせられ、その記憶力なり情報の量を比べ、その点のみで優劣を競うからである。

考えてみて欲しい。調べれば解る事・・・すなわち辞書を引くなり知識のある人に聞くなりすれば事足りる、いわばコンピューターに記憶させておき、後で取り出せば済む様な情報を誰も彼もが、しかも広く浅く覚えるなんて、効率が悪過ぎなのだ。

・・・とは言えもちろん、思考の手順や応用力の基礎となるべき、最低限の学問は必要であろうが。

よって、本当に必要な知識・・・否、知恵とは何であるかと問われれば・・・。

それは、未来を切り拓くための科学の進歩であり、より良い結果をもたらすための技術の開発であり、生活を真の意味で豊かにする生き方を発明する事・・・等ではなかろうか。

しかるに、特に原発推進もしくは原発停止論者の、双方においても垣間見られる事であるが・・・。

あまりにも現時点で認知されている科学、技術、知識に拘り・・・否、囚われ過ぎではないのか?・・・と。

要するに、仮に現時点では原発に頼らなければ電力の需要に応え切れないとしても、事故が起きた際のリスクが大きい、ましてやそれ以前に廃棄物の処理問題さえ解決されていない原発にこれから先も依存しなければいけないかと言えば必ずしもそうではなく、必要があるならそれを変えて行く、すなわち新しい発電方法を開発する事を真っ先に考えるべきではないか?

またその逆に、原発が危険であるならば、それを出来る限り安全に運転出来る様に技術を進歩させて行くと言う発想も必要なのではなかろうか?

それを・・・。

現時点で危険だから、廃止。

現時点で他に有効な発電方法が無いから、これから先も原発に依存。

現時点で需要を満たす電気が作れないから、計画停電。

現時点で避難している被災者は日々の生活もままならない状態なのだから、花見は自粛。

・・・と、現時点での情報や状況に隷従し過ぎではないのか?・・・と。

確かに、出来ない事は仕方ないし、どうあがいても不可能な事もあるだろう。

・・・がしかし、本来あるべき学問の意義とは、現実を理想に近づけるために能力や知識を駆使する事であり、明日の地球のために最大限の叡智を以って問題に対処する事にこそあるのではないだろうか。

もっとも、現在行われている学校教育の本分とは、未来を切り拓くための開拓精神や、個人個人が自立するための独立精神を養う事ではなく、ただただ順応性や適応能力を高め、服従心を植えつけるためにあるのだから、それを望む事自体が無理な注文なのではあるが・・・。

それぞれ立派な大学を出ているくせに、ろくな解決策も打ち出せないどころか、まともに責任を取ろうとする態度さえ見受けられない、政府、東電、原子力保安員、テレビに出てくる御用学者達を見ればそれは明らかであろう。

彼らには、人の上に立つ者の覚悟と言うものが、まったく無い。

それもこれも、学校教育に武士道が取り入れられてないからである。

ゆえに日本人は、原発も、計画停電も、増税も、TPPも・・・。

甘んじて受け入れ・・・。

我慢して耐え忍び・・・。

何度でも乗り越え・・・させられる事だろう。

何度でも・・・そう、何度でも。

そしてその原因は、日本人に学習能力が無い・・・と言うよりは、与えられた知識をより多く覚える従順さこそが優秀だとされる現在の学校教育の有り方にあると言う事に、疑問を差し挟む余地は無い。

こんなもの教育などではなく、飼育の間違いではないのか!?

だがしかし・・・。

春になれば全身の毛を刈られる羊の様に・・・。

生後半年で出荷される豚の様に・・・。

乳が出なくなれば屠られる牛の様に・・・。

ヒトを人間に育てるのではなく、ヒトを家畜に育てるための学校教育は、今日も明日も繰り返されるのである・・・。
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