“株”なるものがある。
先日も、違法にその数字を操作をする事で多額のマネーを動かし逮捕され、馬鹿丸出しのヘア・スタイルで収監された男が居たが・・・。
大自然と格闘しながら額に汗して作物を育てる訳でもなく、手先を器用に動かして製品を作り上げる訳でもなく、他の人にはない特別な能力で人々を喜ばせる行為や作品を世に出す訳でもなく・・・。
ただただ、元手のマネー(数字)を右に左に動かす事でのみ生計・・・否、冨の収奪を目論む輩。
・・・もっとも、儲ける者も居れば損をする者も居る訳であるからして、狡猾・・・もとい、その優秀な頭脳を“働かせる”と言う意味においては、これも一つの才能であり、“仕事”と呼べるものなのかも知れない。
しかるに、これが超ドシロウト考えである事は百も承知なのではあるが、そもそもこの“株を売り買いする”と言う感覚、そしてその差額で資産を増やそうと言う考えが、私には理解出来ない。
・・・とは言え、私の生業は中古レコードの売買であるがゆえ、仕入値と売値の差額で金を稼ぐと言う意味においては、似たようなものかも知れない。
ところが、やはり大きく異なるのは、こちらは“実物(商品なり製品)”を購入し手元に置き、その“実物”を誰かの手元に送り届ける事によって利益を得る訳で、株だの金融商品だのと言った実態の無いモノを売り買いしている訳ではないのである。
また、更に言うなれば、販売を目的として仕入れた商品であれば話は別だが、自分が好きで所有しているレコードの、その相場価格が5万円から1万円に下がろうとも、値下がりを恐れてそれを慌てて売り飛ばす事など、自分には考えられない。
何故ならば、元より自分がそのレコードを好きである理由は、「世間で高額取引されている事」では全く無いからだ。
ゆえに、これが単に店の在庫商品であれば、相場の変動によって下手すれば仕入値を割ってしまう事も充分あり得るため、値下がりする前にさっさと売ってしまわなければ商売にならない訳である。
よって、これを指して“株の売買”とどう違うのか?と問われれば、「大して違わない」と言えなくもないのであるが・・・。
しかし、やはり現物の商品と株との大きな違いとは、現物の商品であればそれを手にした人が新たにそれを使用し楽しむ事も可能だし死去するまで大事に所有してくれるかも知れないが、株とは(自社や親族等の身内が半永久的に所有する場合や、その他の例外を除き)常に売り買いされて行くだけの存在。
私はそう言った株売買の、その会社なり生産物の美味しい所だけを吸い上げようとする魂胆、すなわち寄生虫的な発想が、あまり好きではない。
そもそも、その会社の株を買うと言う行為は、その会社の業績を見込んだ上で、その発展を願うからこそな訳で、もちろんそれはその会社の発展が株を購入した自分に利益をもたらしてくれるからである事も大きな理由ではあるのだが・・・。
要するに、その会社の発展なり衰退、すなわち生き死にの運命を共にする事無く、状況が形勢不利と見ればさっさとその株を手放してしまうと言うのは、如何なものであろうか?・・・と、私には思えてならないのだ。
そこで、私は提言したい。
「株を購入する事は可能だが、それを売却する(手放す)事を禁じるべきである」・・・と。
つまり、株を購入する者は、その会社の半永久的なスポンサーもしくはサポーターとなる覚悟でそれを行い、その社会的責任すらも(株の保有数に応じて分担して)負うべきである・・・と言う事なのである。
そうでなければ、株主と言うのは、その会社の美味しい所だけを吸い取る寄生虫の如き存在に成り下がってしまうのではないか?
これがもしも、その会社の株を所有する事が利益のみならず、自身の社会的地位や名誉にまで影響を及ぼすとなれば・・・。
株主はその会社に対し、利益のみを最優先する事なく、その経営方針や企業倫理に関してさえも、正しい意味において提言する必要に迫られる事になるのではないだろうか?
更に言えば、その会社の株を手放す条件としては、利益の低下ではなく、モラルの低下が著しく認められる時に限る・・・とすべきであろう。
そうする事で、現在はマネー・ゲームでしかない株の売買が、企業経営を道徳的に監視する役割を担う事をも可能とし、消費者もそれを目安に購入する商品を選ぶ様になれば、道徳的にも真っ当な商売を企業が売り上げを伸ばし、その逆に不道徳もしくは危険な商品を販売している様な企業はどんどん淘汰されて行くのではなかろうか。
以上、シロウト考えにて、甘っちょろい理想論かも知れマセンが・・・。
いずれにせよ、「朱に交われば赤くなる」の例えではないが、「木に交わる朱」の如く株の売り買いで利益を吸い上げる事のみを目的とする寄生虫こそが、企業のモラル低下を野放しにする元凶の一つなのではないか?・・・と、ふと思いついた次第。
ましてや、それを時代の寵児(ヒーロー)扱いするなんぞ・・・。
<2012年4月14日追記>
その後の勉強で、その量にもよるが株は所有しているだけで企業の経営権を掌握したり利益を吸い上げる事も出来るのだ・・・と言う事を知りマシタ。
そして、上層部の報酬を確保した上で、そう言った株主への配当金を捻出するために、社員に適正な給料が支払われなかったり、コイズミ政権による派遣法改悪によって、労働者を安い賃金で雇える様にされてしまった様デス。
そして、社員でもあり実体経済に貢献する消費者でもある彼らに充分なお金が支払われない事によって、更にデフレや不景気が深刻になっている・・・と。(--;)
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■あざらし「血肉」(CD)¥2500

<収録曲目>
1. 儀式
2. 埋マラナイ
3. 情念の海
4. 赦サナイ
5. 血色オペラ
6. 薔薇色の日々
7. 逃ガサナイ
8. 吾ガ分裂ノ蟲裂ク時
9. 天使が降る日
<解説>
満を持して発表された、あざらしのフル・アルバム、「血肉」。
音楽的にはこれまで通り、執念深いその血を愛でるかの如く情念を込めて歌い上げる様な楽曲と、生身の肉体を鞭打ち酷使するかの如き激しくスピーディなパンク・ロック・サウンドとを交配させた緩急に富んだ作風となっており、そこにはアルバム収録の9曲を通して一気に聴かせるドラマチック性がしっかりと構築されている。
そもそも、アルバム・タイトルにもある通り、あざらしの作品には血と肉、それも“血生臭い肉塊”が良く似合う。
それをもっと露骨に言い換えるならば、自らの手を下さずして呪い殺そうとする訳でもなければ、かと言って一思いに刺し殺してしまう訳でもなく、己が手を溢れ出る血液で汚し己が手で肉片を抉り、たっぷりと念入りに時間をかけて嬲り殺す事である・・・とでも表現出来ようか。
それはまさしく、この世で最も残酷かつ凄惨な人間の殺し方である事は疑いようが無い。
しかるに、本作収録曲「赦さない」に於いてメグ子嬢は、まるで呪文の如く繰り返し繰り返し、こう呟くのである。
「アイシテイルカラユルサナイ」・・・と。
そう、愛するがゆえにこそ、裏切られたと感じた時は、その反動で憎しみも倍増するのが人の世の常・・・。
過剰なまでに重く深い愛情は、ある瞬間を境に、過剰なまでに重く深い殺意へと姿を変える。
ある意味、その起伏の激しさ、その振幅の激しさ、その落差の激しさこそがメグ子嬢の、そしてあざらしの魅力であるとも言えよう。
ゆえに、これから先のあざらしは楽曲のみならずその演奏に於いても、その起伏の激しさ、その振幅の激しさ、その落差の激しさを損なう事なく、なおかつこころの内の形状や色彩を寸分違わず体現し得るデリカシーを兼ね備えたバンドに成長して欲しいと私は願う。
言うなれば、それはまるで“血生臭い肉塊”を目の前に差し出され、その異臭が実際に漂ってくるかの如きリアリズムを再現すると言う行為に他ならない。
思うに、感受性と言うか感情の起伏の形状や振幅の度合いと言うものは、その人間の幼少期、その家庭なり生育環境によって決定付けられるものであると私は考える。
そう言う意味においては、創作者もしくは表現者にとって感情の起伏の形状や振幅度と言うものは、それイコール芸事に於いて自らの能力を伸ばす可能性の領域を示す指針なのだ。
よって、人前に作品を晒す者に限って言えば、それがトラウマであれ何であれ、過去に味わった感情や体験の量とバリエーションこそは、その人自身の才能の引き出しに蓄積された財産であると言う事と同義なのである。
そして更には、インプットとアウトプット・・・。
「面の皮が厚い」と言う言葉があるが、人は年を取るにつれ本心を出来るだけ外に表すまいと、その“薄皮”をより分厚く武装しようと心がけるもの。
しかし、私がメグ子嬢の歌声に耳を傾け、歌詞をなぞる度、その表面的なグロテスクさや凶々しさとは全く異なる、ある種、その純情とも呼べる素直な心性を感じてやまないのは、彼女がおそらく、意図的にせよ無意識にせよその“薄皮”を保っているがゆえにであろうと思われる。
そして同様に、本アルバムのラストに収録された、森本在臣氏が10代の頃に作った楽曲のカヴァーである「天使が降る日」もまた、あざらしの作風に新たな魅力を吹き込むと同時に、若き日の森本氏がその“薄皮”ゆえに滲み出させた“救い無き絶望の果てに芽生えた悪意”を感じさせて余りある純度の高い作品となっており、鬱な10代を過ごした私はこの詩に密かな共感を覚えてしまったと言う事を、ここに正直に告白しておこう。
あざらしの「血肉」・・・。
生ものゆえ、貴方の感受性が腐らぬうちに、お早くどうぞ召し上がれ。
2011年7月27日/Mr.エレクト

★あざらし★
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★エレクトレコード★
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(現在、店舗は永眠中)
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<ライヴ告知>(終了イタシマシタ)
2011年07月24日(日)
解散レコードpresents
「弟1回 東日本とライヴハウスの為のイベント~EXPLOSION編~」
会場_神楽坂EXPLOSION
開場+開演_16:00
前売チケット代金 ¥3,000(+1drink代金別途)
当日チケット代金 ¥3,500(+1drink代金別途)
あざらし当日新譜購入者、特別料金:4000円(D代別)
<メインステージ>
あざらし
Asohgi×紅日毬子
UM-アム-
顔がない
工藤バーナビーフロムおカラビンカ
死神
見たら死ぬ
<サブステージ>
かものなつみ
芸術創造機SAI
スカイブルー100
DA PUMP OF CHICKEN
fujimiya.tv feat.紅日毬子+大島朋恵+倉垣吉宏+こもだまり
三楽亭どりいむ(落語)
Rhododendron Nikoense
今の日本には、政“経”分離が必要なのではなかろうか?
“経”とは言わずもがな、“経済活動”の事である。
・・・もっとも、政“教”分離もままならないのに、こんな事を言うのはナンセンスかも知れないが、そもそも宗教団体が力を持つ理由も、その“道徳的な教え”とやらでは全然なく、しょせん彼らがかき集めた“貨幣”によるものなのであるからして、それもある種の“経済活動”の成果であると言えよう。
・・・とは言え、戦後の復興期や高度経済成長の時代には、経済の発展は必要不可欠であったかも知れない。
しかるに、経済活動=貨幣収集こそすべてであり、貨幣蓄積量の多さ=尊敬や憧れの対象・・・である様な状況こそが、モラルなき銭ゲバどもを蔓延らせる大きな要因となったのではあるまいか?
「遠い将来に多少の危険があろうとも、今現在儲かれば良い。」
「使い捨ての派遣社員を酷使してでも、経営者の収益が目減りする事を防ぐ。」
「倫理的に問題があろうとも、売れりゃ何でも良い。」
・・・と。
もちろん、消費者側にもそれは言える事で、多彩なバリエーションに囲まれて過ごす事や、新発売の商品を追いかけ続けさせられる事によってこころの隙間を満たす様な物質主義的な生き方が、売る側の道徳心をも麻痺させてしまったのか、もしくは売る側の巧妙かつ過剰な宣伝広告によって買う側が洗脳されてしまったのかも知れないが・・・。
いずれにせよ、そこには物質的欲望ジャンキーと利益最優先ジャンキーとの共犯関係が成り立つ、蜜月の日々があるにはあったのであろう。
かくて、“経済的”に成功する事こそが現世における最大の栄誉となり目標となる価値観が、この国を支配する事となったのだ。
ましてや、本来は“経済活動”の暴走、すなわち利益至上主義によるモラルの低下や秩序の崩壊を監視監督する役目であるはずの官僚や政治家すらも、そう言った経済活動の奴隷であり拝金主義の権化となっているのだから、始末に負えない。
更には、世の人々の堕落を戒め、人間としての真っ当な生き方や在り方を説くべき存在であるはずの宗教団体が単なる集金(冨の収奪)システムとなっている事は、冒頭で述べた通りである。
そんな中で、一体誰が真理を、そして道理を指し示す事が出来るのか?
学校教育は?・・・と言えば、これまた経済至上主義の下、企業に都合の良いロボットもしくは家畜を飼育するための製造機関でしかない。
マス・メディアは?・・・言うまでもなく、その広告主たる企業の言いなりなんだから、もっとたくさんの商品を買わせる事しか頭にないのは当然であり、そのためには視聴者を常に物質的欲望ジャンキーの状態に誘導するための洗脳機関でしかあり得ないのだ。
よって、そこから抜け出す可能性がある者とは、競争社会から脱落した者か、もしくは極稀にであるが経済的な成功は収めたものの真の満足を得る事が出来ず人生に飽き飽きしている者・・・であろう。
ともあれ、後者の様なレア・ケースは除くとして・・・。
競争社会から脱落した者に問われるのは、物質的な豊かさ以外の、言うなれば人間としてのもっと根源的な豊かさと言うものを自分の力で見つけ出さなければならないと言う点にこそある。
しかも、この経済至上主義の、そしてまた貨幣収集能力と蓄積量こそが絶対的な権力であり正義であり価値であるとされる世の中にあってなお・・・。
そしてまた、70歳・・・否、もう少し手加減するならば、80歳を過ぎてもなお経済界を牛耳って利益を独り占めにしようとしている人間の、如何に醜い事か・・・。
人間は、ある程度の成功を手にしたならば、あるいはある年齢を過ぎたならば、速やかに引退し、将来有望な若い人間にその席を譲り渡すべきなのだ。
また本来は、その様な一定の成功を経て経済界を引退した者こそが、後に続く世代に対し、その経済活動におけるモラルを監視監督する役目を負い、そうする事によって初めて、自分自身の成功を下支えしてくれた世の中への感謝の表明、及び恩返しを成し遂げる事も出来るのではなかろうか。
・・・とは言ったものの、我々庶民にせよ、選挙の際には「誰が一番自分に利益をもたらしてくれるか?」と言う観点でしか候補者を選び投票しないのだから、その点においては同罪であろう。
この世は、人間の利己主義を上手に利用する事で、権力者が更に冨と力を得る事が出来る様にのみ、形作られている。
経済活動・・・否、冨の収奪とは無縁な所に目的を置く事、そしてなおかつ経済活動にひれ伏して甘い汁を吸う(儲ける)のではなく、経済活動に一定のモラルを求める(設ける)事こそが、国民の代弁者たる政治家の、本来為すべき責務なのではないだろうか。
★先日、演劇実験室◎万有引力の劇伴バンド、Asian Crack Bandに木幡がドラムとして参加し、同劇団の公演に出演イタシマシタが、今回もやはりドラマーとして、同バンドのキーボーディストでもあったARUHI嬢とのセッションを行う事となりマシタ。
■高円寺MISSION'S × 未確認レコードプレゼンツ■
『なにも知らないくせに。』
2011年7月15日(金) 会場:高円寺MISSION'S
http://www.live-missions.com/open 17:30 / start 18:00
adv.\1,500 / door.\1,800(+1D)
<出演>
少女チャンネル
鳥かご時計(かゆ&吉良from無花果ノスタルジア)
かものなつみ
ザ・ショッキング
ARUHI
CARL
MECCA (O.A)
●出演は三番手との事。皆様のご来場、こころよりお待ちしておりマス。m(_)m
(注:日記のタイトルはエーちゃんのソロ・デビュー・アルバム収録曲「奴はデビル」のパロディです。念のため・・・。)
私の親戚に、まるでデヴィ夫人の様な叔母様がおりマシテ・・・。
それがまた、不思議な事に、顔つきも良く似てらっしゃるのデス。
そしてその方も、デヴィ夫人ならぬ未亡人であり、細かく申せば、その亡夫は私の父の兄に当たる会社社長でありマシタ。
・・・だもんで、下世話な言い方をするならば金回りが良く、そのお住まいも、それほど大きくはないものの洋風の外観で、当時はそれ程ではなかったものの近年私が帰省した際に寄った折には更にドレス・アップしており、ドでかい玄関とその周りにはガーデニング、家の中もまるでテレビで見た事のある成金芸能人の住居風なもので、簡単に言うなれば、お金持ちの叔母様・・・みたいな感じだった訳デス。
・・・もっとも、私が子供の頃は、まだ未亡人ではなかった訳ではありマスが・・・。
それで、何を言いたいのかと申せば、私が幼少の時分、この叔母様は非常に畏怖すべき存在だったのデス。
何の用事だったか忘れたけど、小学校の帰りに、何故かこの叔母様の家に一人で寄らねばならない事があり、非常に緊張した覚えがありマス。
・・・その際、実家では見た事も食べた事のない様な、小洒落た洋菓子を出して頂いた記憶もあったりなんかイタシマスが・・・。
また先頃、私の弟も当時そう感じてたと初めて知り、「やっぱそうだったか」と、再認識した次第なのでありマス。
この叔母様、何と言うのでしょうか・・・良く言えば箱入り娘育ち、悪く言えば世間知らずと言うか、怖いもの知らず・・・なのデスよ。
まず、その口調が暴力的っつうか、要は誰に対してもズケズケ本音を言うので、いつも怒ってるみたいに見えちゃう訳なんデス。
しかし、かと言って間違った事を言ってる訳では決してなく、むしろ叔母様にとっては「正しい事」を、そして「間違いを指摘」してるだけなんデスね。
・・・つまり、自分が感じた事や気づいた事を正直に言う事は、叔母様にとっての「正義感」に基づいて行なわれている訳デス。
ただ、これが普通の人であれば、いくらそれが「正しい事」であるとしても、「間違いを指摘」する事によって、その相手から嫌われたり疎ましく思われるのがいやだから、自ら進んでそう言ったある種「悪役」にはなろうとしないってだけの話なんだと思いマス。
・・・とは言え、言い方って言うか、その口調によって、相手の受取り方も180度変わってくる訳でありマスし・・・。
そうやって考えると、あの叔母様は単に「正義感」が強いと言うよりは、「保身」と言う事柄に対して、まるで無頓着・・・もしくは、「保身」に勝る程の「正義感」がある・・・とでも言い換えるべきでしょうか?
・・・もちろん、叔母様のその「正義感」が、必ずしも万人の価値観に一致するとは限らないって事も事実ではありマスが・・・。
実際、無用な敵を作ったり、意識的に疎遠になる人も増える訳でありましょうし・・・。
しかるに、最近、私はこうも考える訳デス。
結局の所、如何なる言葉も、受け取る側の気持ち次第で愛情にも憎しみにも変るもの。
・・・であるからして。
・・・否。
・・・であるならば、受信者の選択の幅を増やすためにも、発信者側には出来るだけ色々な価値観を持った人が存在する事が望ましい・・・と。
何故ならば、保身の感情に囚われるあまり誰も本当の事を言わなくなり、自分の周りが耳にやさしい事を言う人達しか居なくなったら、「保護」こそしてもらえるものの、自分自身を「成長」させるきっかけを失う事にもなりかねないデスので。
・・・とは言ったものの・・・。
やっぱ、自分の耳に痛い言葉は、出来るだけ聞きたくないよね。
たはは・・・。
駄目だ、こりゃ。(^^;)
★当方の同業者様のお店の近所にお勤めの方がスタッフをやってらっしゃる関係で、告知をさせて頂く事と相成りマシタ。ご興味のある方は、是非とも足をお運び下サイませ~!!(^^)/
■第四回 山本無我東京公演「東京ノ出口」
~山本無我NEW ALBUM「蒲の花穂」発売記念ライブ

場所:APIA40
http://apia-net.com/TEL03-3715-4010
(東急東横線学芸大学駅より徒歩5分)
http://apia-net.com/access/出演:山本無我(exライカスパイダー)
http://www.open-road.org/biography.html日時:7月10日(日曜日)
開場18時30分/開演19時00分
前売2500円/当日3000円
チケット予約/CD購入:「東京ノ出口」オフィシャルサイト
http://www.open-road.org/
「ライブ会場にて先行発売!」
●アルバム解説●
(同フライヤーより転載)
オープン・ロード・プロダクション・リリース第一弾、山本無我「蒲の花穂」。
ライカスバイダーから歌い継がれた名曲の改曲に始め、「東京ノ出口」のレパートリーとなっている新曲をコンパイルした一枚。
「臨終版」から約二年、新たにエレクトリック・ギターに持ち替えた山本の自己を偽らない内側の深渕で残ってしまったフレーズが見事に凝縮。
波乱万丈な半生を駆け抜けた山本無我の自問自答の行く末に到達した一つの啓示録である。
(転載終了)
ここ数年で解った事。
・・・と言うか、身に沁みて思い知った事。
マス・メディアが大騒ぎをしている時は、国民を一部の団体の望み通りの方向に誘動したい時か、もしくは何かを隠蔽したい時である。
コイズミ・フィーヴァーしかり、政権交代フィーヴァーしかり、原発事故関連の御用学者しかり、各種ファシズム的法案しかり・・・。
よって、テレビや新聞や週刊誌が特別に何かを取り上げて大騒ぎしている時は、その報道を見る事によって起きる反応、すなわち自分の素直な感情の動きに従わず、一旦立ち止まって世の中の動きを注意深く観察し直す必要がある。
マスコミは権力の犬。
マスコミは権力の友。
・・・否、マスコミは権力そのもの。
受像機に映る景色は人を釘付けにし・・・。
受動的な娯楽は人を退化させる。
そして気がつかないうちに・・・。
視聴者は受像機の奴隷となり・・・。
視聴者は発信者の奴隷となる。
先日、とある東京都議会議員が自宅で頭にビニール袋を被って死んでおり、警視庁はこれを自殺と判断したそうだが、そんな馬鹿な話があるだろうか。
何にせよ、その真偽の程は別としても、この様な不可思議な出来事に対し「変だ」とも思わなくなる事、そしてその事件があっと言う間に風化して行ってしまう事の方が、私には恐ろしい。
過去には、911テロの際、世界貿易センターに勤務している人達のうち約4000人居たはずの、とある国籍の人達だけが一人も(実際には一人居たらしい)出勤していなかった事を突き止め、それをテレビで発表した数日後、謎の不審死(転落死)を遂げたNHK解説委員の方・・・。
その際も、ろくな捜査どころか、殆ど報道もされなかったのだ。
そして何より、2002年に起きた民主党・石井紘基氏の、暗殺としか言い様のない殺害事件・・・。
同氏が、殺される直前まで調査を続けていたのは、特別会計(・・・すなわち、国家の支出において一般会計とは異なる、およそ200兆円あるとされる予算の事で、主に官僚らの天下り先である各種法人への給与に消える)の実態を解明する事であった。
また、今回の原発事故のお陰で広く知られる事となったが、原子力発電関係だけ見ても、一体いくつの関連団体があるのか!?・・・ってぐらい、どう考えても必要以上の無駄な吸血法人が何十団体も存在するのである。
よって、以前にも述べたが、それらの国家に寄生する金の亡者どもを一掃しない事には、いくら原発だけ止めても、日本に巣食う病理を根本的に解決するには至らないのだ。
ちなみに、天下りの事を批判すると返って来る反論に、「真面目に勉強して良い大学に入り、難しい試験にも合格して官僚になって国のために日夜働いているのに、在職時に彼らは能力に見合った給与を得てない」・・・と言うものが良くある。
しかし、そもそも給与とはその能力自体に対して支払われるのではなく、実務・・・すなわちその能力を駆使する事によって為した業績に対して支払われるものであるはず。
いくらイチローがヒットをバンバン打つ能力があったとて、その能力を買われてプロ球団なりメジャー・リーグと契約しても、実際にヒットを打てなければ一年でお払い箱である事は言うまでもない。
・・・否、官僚なり公務員の仕事を、シビアで厳しいプロ・スポーツの世界と比較するのは酷かも知れないが、もしも本当にその業績と給与に明らかな開きがあるのであれば、退職後に国家予算から金を、それも国民にはなるべく知られぬ様に毟り取る事などせず、在職中に誰に知られても恥ずかしくない程の高給を堂々と受け取れる様にすれば良いだけの事。
それをこそこそと訳の解らぬ寄生虫法人をいくつもいくつもでっち上げ、国民の血税のみならず祖国の未来まで吸い尽くそうとは、それこそ疫病神以外の何者でもない。
更に言うなら、一般の公務員に関しても、「経済活動に貢献してる公務員の給与まで減らせば、景気が更に落ち込む」などと言う論調があるが、そもそも貯金する余裕のある人間の給与を増やしたって景気が良くなるはずもなく、貯金どころか必要なものすら買えない人間に金を渡す方が(←もちろん、働けど働けど子育て等の費用で生活が苦しい人等に限られるが・・・)、景気回復に結びつくであろう事は明らかであろう。
そして、これはだいぶ前にも当ブログで書いた事であるが、官僚が国家公務員時代に得た知識なり情報なり人脈なりノウハウを、その退職後に一個人の利益獲得のために用いても良いものなのか?
既に退職金も受取り年金も確実に支給されるのであるからして、公務員時代の財産を利用して報酬を得た場合、それは国に還元すべきではないのか。
いずれにしても、立派な人ほど早死にし(殺されて)、人の生き血を吸う輩ほど肥え太る。
いつまでこんな世の中が続くのか・・・。
否、いつまでもこんな世の中が続くんでしょうね~。
如何なるシステムも、それを使う人間次第で良くも悪くもなるもの。
インター・ネットを孤独を紛らすためのコミュニケーション・ツールとしてしか使わない人も居れば、知的好奇心や知識欲を満たすために使う人も居る様に・・・。
そしてまた、先の原発事故より遥か昔、何年も前から原発の危険性を訴えていた人達を無視し、無知と無関心によって彼らの切実かつ真剣な行動や発言を踏みにじって来た私もしょせん・・・。
見てみぬ振りの共犯者。
現実逃避の共犯者。
娯楽に逃げ込む共犯者。
自己の利益や快楽のみを追求する共犯者。
自分に被害が及ばない限り何もしない共犯者。
口先だけ(ブログ書くだけ)の共犯者。
怠惰を愛する共犯者。
亡国に加担する共犯者。
B型のドラゴン氏が、そんなに悪い人間には見えないのは、私がひねくれているせいでしょうかね~?(--;)
確かに、悪役を演じる演技力はかなりの大根だけどさ・・・。
辞任後の行動や発言の内容を知れば知る程、私には、そう確信出来るのデス。(^^)b
<追記>
あっ!!でも、各県知事と会見した際の、(真意とは裏腹な)あの高飛車な態度と言葉使いは絶対に真似しちゃ駄目よ!!
まずは元凶の一つである日銀を完全に国営化し、経済を活性化し国益を上げる事、そしてなおかつ国民を豊かにする事を、その最優先かつ最重要な活動目的とする。
ただし、それと同時に現行の「三権分立(行政権、立法権、司法権)」を、そこに「通貨発行権」を加えた「四権分立」とする事によって、国家権力の暴走を防ぐ必要がある。
そして更に、それら行政権(内閣)、立法権(国会)、司法権(裁判所)、通貨発行権(日銀)のうち、立法権を司る国会(=国会議員)のみならず、他の三権に於いても、少なくともその最高責任者(=最高権力者)だけは必ず国民投票によって選出するものとする。
そうする事によって、内閣総理大臣、最高裁判所長官、日銀総裁らは、常に国民の監視下に置かれ、無能だと判断された者はリコールもしくは次の選挙において、その首を即座に飛ばす事が可能となるのだ。
更には、各省庁においても、その最高責任者(=最高権力者)だけは必ず国民投票によって選出し、人事決定権を持たせる事で、各組織内で生じる馴れ合いによる堕落や腐敗を防ぐ役割を担わせ、持てる知識や能力を国民へ奉仕するために使わず私利私欲のためにのみ用いる官僚を一掃する。
また、それら最高責任者の職に就いた者が、過失と呼べる程度の行為であるとは考え難い明らかなる犯罪もしくは背任行為を行なった場合、在職時あるいは解任から何年経った後であろうとも、その正否を問う国民投票を行い、過半数を越す不信任投票があれば、その者は死刑に処し、過半数に満たない場合も、その様な非国民は財産を没収した上で国外へ強制退去させるものとする。
要するに、自ら責任を負い、腹を切る覚悟のある者にのみ、権力を付与する・・・と言う事。
逆に言えば、その大役を見事に成し遂げたリーダーには、勲章でも何でもくれてやろうと言うものだ。
組織に上に立つ人間が尊敬に値しないと言う事は、子供の教育にとっても非常に良くない事である。
どれだけ膨大な知識を持っていようとも、どれだけ素晴らしい能力を持っていようとも、どれだけ莫大な資産を持っていようとも、それを社会のために役立てようとしない者は、尊敬に値しないどころか軽蔑すべき存在である・・・と言う事を、学校のみならず家庭に於いても子供には教えよう。
我らが日本列島に在住する民族は、軍事行動による収奪や金融システムによる搾取を生業とする○○貴族とは、その精神の高貴さに於いて大きく異なるのだ。
そもそも愛国心とは、「祖国を愛する心」ではなく、「愛すべき国を造る心」でありたいものである。
人は必ずしも、「本当の未来を知りたい」訳ではない。
・・・否、むしろ、「真実など知りたくない生き物」であると言い切れよう。
特に、それが自分に不利益をもたらす情報であれば、尚更・・・である。
「当たる」「当たらない」なんぞはどうでも良いのだ。
人は、「自分に都合の良い情報」もしくは「自分を喜ばせてくれる情報」を求めているに過ぎない。
しかしまた、そう言った嬉しい報せも、その現実味や信憑性があまりに高いと「サプライズ感」が目減りしてしまうため、これまた「もらえるかも知れない」的な「ワクワク感」を心地良く受け入れる事が出来なくなる可能性が出てきてしまう。
よって、何かしらのオプション・・・すなわち「努力を怠れば手にはいらなくなる」と思わせるか、「ちょっと頑張れば超えられる程度の障害を用意する」事が、ここでは重要となって来る。
いずれにせよ、人は大なり小なり、「希望があるからこそ生きられる生き物」であり、逆に言えば「希望がひとかけらもなければ」生き辛くなるものなのだ。
また、占いの効能の一つに、「不安材料を打ち消す」事が挙げられる。
ゆえに、人気のある占い師とは、数少ない情報(外見、会話、その他)から顧客の悩み(もしくは望み)を的確に見抜き、解決出来そうならばその解決策を提示出来るか、あるいはとても無理そうであれば第三の道を指し示す事の出来る実力を持っている者・・・と言う事にでもなるであろうか。
そう言う意味においては、占い師とは、言わばカウンセリング業に近い職種なのかも知れない。
何にせよ、そもそも「占いなんぞに頼る事」自体が、自分で答えを導き出せない状態にある訳なのだから・・・。
そしてまた、腕の良い占い師とは、顧客の言葉すなわち“表向きの相談事”のみならず、その本心に隠された本音を汲み取り、更には顧客の得意とする能力や置かれた環境を会話の端々から読み取る事によって、「本当の解決策」ではなく、「精神を安定させる情報」を与える事が出来る者なのではなかろうか。
何故なら、「そんなに簡単に解決出来る事」くらいでわざわざ他人に悩みを相談する人は少ないし、もっと言えば他人から見れば「簡単に解決出来そうな事」をその本人が「自分自身では出来ないと思い込んでいる」かもしくは「現実から目を逸らしている状態」なのだから、そもそも、その人自身が元より「本当の解決策」など求めていないと言う事なのである。
人が占い師に求める解答なり効能と言うのは、「不安の解消もしくは緩和」であり、「自分に都合の良い情報」もしくは「自分を喜ばせてくれる情報」を求めているに過ぎない。
ただ、その「心地良さの種類」は一つではなく、「人それぞれの資質なり育った環境によって左右される」がゆえに、顧客に説教する占いババアに人気が出たりもする訳なのだ。
あと最後に、これだけは言っておきたいのだが、もし仮に「自分が望む解答が得られなかった」からと言って、その占い師を罵倒するのは筋違いである。
これは完全に、「信用した自分自身が悪い」のだ。
占い師を自分で選べない状況であっただとか、占い師の方から「そなたを占ってしんぜよう」などと、声をかけて来たならばともかくとして・・・。
最初から他人を頼ったり信用などしなければ、「裏切られたと感じる事」もなかったはずなのだから。
真に断罪せねばならないのは、占いなんぞに頼った自分、そしてその占い師を選んだ自分・・・である。
だいたい、占い師などに「自分が望む解答を与えてもらおう」などと考える事自体が、そもそもの間違いなのであり、逆に言えば「自分が望む解答すなわち自分自身で発想し得る解答」以外(or以上)のものを得るためにこそ、「占い=見ず知らずの他人に相談を持ちかける」と言う仕事が存在しているとも言えるのだから・・・。
そう考えると、先程の考察を若干覆す事にもなるが、占い師の良し悪し及びその真の力量とは、「顧客の望む解答」を見極めた上で、更にその少し上の解答を提示する事によって「もう少し努力すれば良い事がある」と思わせる事が出来る、言わば「人を励ます能力の度合い」によって推し量られる・・・とでも言い直すべきか。
本当の事を言い過ぎても駄目だが、かと言って、おためごかしでも駄目。
要は、「占い師に頼る様な依存心の強い人間」にさえも、「自分自身でやる気を起させる」すなわち「自己免疫力を高めさせる事」こそが、本来あるべき占い師の使命であり存在意義なのである。
日曜日の朝、ふと目が覚めてから起き上がるまでのうだうだしてる時間、暇つぶしに携帯電話でテレビを観ると・・・。
カタセナナがアシスタントをやってる番組で、1500個の缶詰を食べたと称する評論家による「美味い缶詰ベスト7」ってな企画をやっており、何とその三位に元ラビッツの宮沢正一(宮澤正一)氏が製造している桃の缶詰が選ばれ、同夫婦が写ったスナップ写真まで紹介されていた!!
しかしその後、チャンネルをひねると、なんたらジャパンとか言う名の笑えない女性芸人トリオが出ており、気分が悪くなった私は、すぐさまテレビを消した。
ところで、少し古い話題だが、フクシマで耳のないうさぎが生まれたらしく、その映像がYouTubeにあがっていた。
むっきゅ~!!うさぎって耳が無いと全然個性無いっちゅうか、こんなにもさらりとして特徴が無い動物だったのねん!!
そしてまた逆に言えば、それはうさぎの造形が如何に完成されたデザインであるか(もしくは自分がそれを見慣れ過ぎて洗脳されているか)?って事の証明にもなるんだろうけど・・・。
でも、耳無しうさぎも他のうさぎ同様に一生懸命エサを食べようと(=生きようと)してて、その姿が超けなげでかわい~!!
・・・みたいな。
おしまい。
■木幡東介~今後のライヴ出演予定
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★6月25日@新宿スモーキンブギにおける、木幡東介参加バンドの出演はキャンセルとなりマシタ。ライヴ自体は開催され、VLADIOVOSTOK POWDER GENOCIDE、例のK、イレイサーズ、他が出演する予定となっておりマスので、ヨロシクお願いイタシマス。★
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★木幡東介、Asian Crack Bandにドラムで加入して出演。
http://www.asian-crack.com/index.html演劇実験室◎万有引力
http://www.banyu-inryoku.net/座・高円寺提携公演●6月
ヴァリエティ狂想劇
夢(トポス)の国シンクウカン
-寺山修司の「ラジオのための抒情詩」コラージュ構成による-
2011年6月30日(木)・7月1日(金)・2日(土)・3日(日)
6月30日(木)・7月1日(金)●開場19:15/開演:19:30
7月2日(土)・3日(日)●開場14:45/開演:15:00
会場●座・高円寺1
http://za-koenji.jp/チケット●一般前売・当日3800円/学生前売のみ(劇団のみ取扱い)3500円
チケット取扱い●5月17日(火)前売開始
(詳細は以下ページにて)
http://www.banyu-inryoku.net/main/main.htm

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●皆様のご来場、こころよりお待ちしておりマス。m(_)m