何故なら、今号だけは立ち読みで済ませては失礼な気がしたから・・・でありマス。
K藤K彦氏やK野Yニ氏同様、人生においてある一定以上の成功を収めた彼らがどうして、自らその命を絶ったのか。
その真意を私は、ご本人の最後の原稿を読む事で確認したかったのデス。
おそらくは、一般の人々に比べ、自分の人生を自分が望む通りに生きる事が出来たであろう彼ら。
しかしまた、彼ら自身が成功を収めれば収める程、更なる可能性の扉が開かれるが故に、一度きりの人生ではまかないきれない程の理想や希望の質や量が増して行ったであろう事も、想像に難くない。
・・・のではあるが、それでもなお彼らの人生、そして彼らの成し遂げたその功績は多くの人から羨望の対象とされていたはずである。
ましてや、自分の人生の幕引き、すなわち死の瞬間さえも自分でコントロールしようとは、何とも贅沢な話ではなかろうか。
これがもしも、失敗続きの人生を送った者であれば、どうであろうか?
そう言う意味においても、自分の人生を自分の思い通りに描いてきた彼らの最期を見て、私は「うらやましい」とさえ感じるのだ。
別段、彼らのファンと言う訳ではなかった私にとって、書物やTVにおいてわずかながらに垣間見る事が出来る彼らの顔つきや立ち居振る舞い、そしてそこから醸し出される人間性・・・。
それらから読み取れるのは、間違いなく彼らの美学であり美意識への強い拘り、と呼べるものであった。
・・・とは言え、もちろん「早過ぎた」と言う批判はあろう。
しかるに、自分を自分でコントロール出来るうちに事を為さねば、肉体のみならず精神の“老い”から、もしや「生への執着」がこころの奥底から顔をもたげて来るのではないか?・・・と言った迷いが生じる事を、彼らは恐れたのではなかろうか。
自分の人生を思い通りにコントロールして来た者にとって、自分が自分を保てなくなる事と言う事は、大いなる屈辱であり、恥以外の何物でもないのだ。
それにしても・・・。
「雨天決行」・・・か。
雨が降ろうが何が起きようがそんな事など関係なく、まるでちょっとした旅行にでも行くかの様に、あらかじめ自分で決めた日に、自分が決めた通りに決行するとは・・・。
私に、それが出来るだろうか?
・・・否、私の様な失敗続きの人生を送っている人間には、そんな真似など出来ようはずもなく、ただただその意志の強さに対して敬服するしかないのであるが・・・。
そんな彼らに、私から最大限の敬意を込めて、別離・・・否、賛辞の言葉を贈りたいと思う。
「この、とんだキザ野郎どもめ!!」
いつまでも過去の成功や残り僅かな生命のみに執着し続ける老害どもは、是非とも彼らを見習ってもらいたいものである。
・・・もっとも、元より美学などなく、美意識が著しく欠如した醜い生き物どもは、その椅子すらも決して手放さないと言うのが、関の山であろうが。
■「母イラズ子イラズ」(タイトル改題)
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■「K氏は死んじまっただ」
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■「K氏に一生を学ぶ」
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■「音楽の価値」
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