何度も述べておりマスが、幼少期から、家を出て上京~死ぬ寸前・・・否、死後数年を経るまで、私とはこころの交流が全くなかった父。
・・・とは言えもちろん、それはこちらが勝手にそうしていただけで、あちらの気持ちは推測する事しか出来ないが・・・。
今にして思えば、父は家庭内の権力者ではあったが、独占もしなければ行き過ぎた強制をする事もなかった。
悪いのは・・・と言うか、問題だったのは、私があまりにも精神的肉体的に虚弱だったからと言う事に過ぎないのだ。
いずれにせよ、だいぶひねくれて育った私ではあったが、自殺する事もなければ人を殺す事もなく今に至るのは、その様な父の在り方のお陰かも知れない。
父は、独裁者でこそあれ、権威主義者ではなかった。
すなわち、彼は世間や多数決の結果を味方につけ、多勢に無勢を笠に着て、「みんなそうしてるから」だとか「普通はそうだから」などと言った怒り方は決してしなかったのだ。
そしてまた、かと言って自分の価値観を「俺がルールだ」みたいに、(その家庭に生まれたくて生まれた訳ではない)子供にとっては理不尽な押し付けをしたりもしなかった。
そう、私の個体差を父は尊重し認めてくれた(=自分の価値観を私に植え付ける事をあきらめてくれた)のである。
父についての<参考記事>
■「リーダーの心得」
もっとも、私の母は「みんなそうしとるんじゃけえ」(広島弁)などと、世間体を気にした説得方法も用いはしたが・・・。
そんな時、私は必ずこう言い返したものだ。
「1000人が1000人ともそうしとる訳じゃないじゃろ!?」(広島弁)・・・と。
すると母曰く、「何言いよるん。1000人中、999人はそうじゃいね。」(広島弁)
そこで私はすかさずこう言い返す・・・。
「じゃあ、自分がその残り1人じゃ!!」(広島弁)
・・・と。(←我ながら、いやなガキだなあ・・・^^;)
まあしかし、父が言葉少なに我が道を行くタイプだったお陰で、母もそんなにうるさく私に当たる事はなかったが。
そう考えてみると、幼少時に自分が感じた思いとは裏腹に、実際には暮らしやすい家庭ではあったのだろう。
事実、家を出た10代後半~20代前半の方が、私にとっては世間の価値観とのズレに苦しめられる事になるのだから・・・。
そこでやっと本題。
親であれ何であれ、誰かに何かを強制するのであれば、世間や多数決の結果を味方につけ、多勢に無勢を笠に着るのではなく、自分自身が責任を取れる範囲内、もしくは責任を取る覚悟でやって頂きたいのだ。
また、それを少し言い換えるならば、権力を行使する者は、その発言なり行為に責任を持って欲しい・・・と言う事を私は言いたいのである。
親に関しての<参考記事>
■人間の皮を被った獣の教育
要は、手前の見栄や欲望やエゴのために権力を行使するならば、不測の事態が起きた際には、その責任なり後始末も負うべきなのではないか?と言う事である。
そして、これを我が国の現状になぞらえれば・・・。
それは例えば、原発と言う名のATMに群がって、国民の生き血を吸ってきた連中、そしてそのおこぼれに預かるために、その後押しをして来た連中も同様なのだ。
一部の人間の金儲けのためだけに、壊されてしまった自然、失われてしまった食の安全、住人の安全は、もう二度と取り返せないとしても・・・。
ゆえに、私達国民が肝に命ずべきは、「責任を負わない者に権力を付与する事など絶対にしてはならない」・・・と言う事なのである。
<参考記事>
■「“疫”人天国」
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