「その9」と「その10(その9の後半)」を、「その9の前半」と「その9の後半」に分けマシタ。
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最後に・・・。
これまで書いた内容は、あくまでも現時点において私が選択した暫定的な判断結果に過ぎマセンので、あまり当てにしない様にして下サイませ。
主題はあくまでも、マス・メディアの世論誘導に乗せられず、なおかつ自身の生理的感情にも左右されず、自分で調べ、自分で考え、自分で判断しようと言う事デスので。
よって、知識量、情報量、判断力が異なる方であれば、私とは違う考えに至るものと思われマス。
実際に目に見える景色にせよ、自分の立ち位置や角度によって、簡単に別の風景となるものデスから。
また、逆に言えば、それが当然であり、それが普通であり、それが当たり前なのデス。
むしろ、殆どの人が同じ考えを持つ事・・・これに勝る恐怖はありマセン。
いくら同じ国に住んでいるとは言え、生まれた時から備わっている資質、育った環境やこれまでに培った能力、現在の趣味嗜好や価値観も異なる訳デスから、全員が同じ考えに至る事など、本来は有り得ないはずなのデス。
現在の我が国の様に、今もマスコミの洗脳(=世論誘導)が有効に機能している国家においては、多数意見こそ疑わなければなりマセン。
特に、自分の考えが多数意見であると感じた時には、一度、少数意見や反対意見にも目を向けてみる必要があるでしょう。
もちろん、だからと言って少数意見が正しいと言う訳でもありマセンが・・・。
後は、今日まで長く持ち続けてきた自分の考えなど、いつでも覆す事の出来る勇気を持つ事。
そして、自身の恐怖や不安、好き嫌いや損得と言った生理的感情や欲望に拘るあまり、それに振り回されない様にしたいものデス。
・・・とは言え、それらはいずれも“その人自身が望んだ結果”でありマスゆえ、それを自分で受け入れる覚悟があるのならば、それはその人自身の自由であり、その考えも認められるべきでありましょう。
しかるに昨今、加速度的に推し進められているグローバル化、これは一見、自由を標榜している様に見せかけられておりマスが、その実態は世界のファシズム化、すなわちある一つのルール(価値観)の下に、人々の自由な行動や思想を制限・拘束するもの以外の何物でもありマセン。
しかもそれは、何らかの正しい秩序や道徳観念によって統制される社会ではなく、世界の金融エリート(=欧州の銀行家)による独占搾取支配体制の下に構成された身分制度による管理社会に他ならないのデス。
その様な、自然の法則(=共存共栄)に逆らう、弱肉強食と言う大義名分を掲げた優生学的欺瞞の行き着く先は、人類の衰退と地球上の生態環境の破壊に他ならないでしょう。
もしも自然の摂理と言うものがあるならば、本来は働き者が得るべき報酬を得て、怠け者は淘汰される、それ以外には考えられマセン。
そんな怠け者、そしてなおかつ自分と他人との違いを認める事すら出来ない弱い人間、そんな臆病なファシストの支配する世の中が、人類や動植物を健康に、そして地球上を活気ある生命の住処になど出来るはずなどないのデス。
「無知の知」と言う言葉にも示されている通り、無知である事を自覚する事こそが、それを克服するための、「知への探究心」の萌芽を促すきっかけとなる様に、人類と言う名の種族に「自身の愚かさ」を知る能力が備わっていると言う事実は、その愚かさを克服せんとの欲求を人類が持ち得る可能性がある事をも証明しておりマス。
ゆえに、人類に「自身の愚かさ」を気づかせない様にしておく事こそが支配階級の望みであり、その任務を担うのがマス・メディアの役割であると断言出来ましょうか。
知らない事が罪であるならば・・・。
知らせない事も罪なのだ。
・・・と、私は考えマス。
(おしまい)
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