Mr.エレクトの独り言 2012年04月29日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「DEW/布谷文夫」

■「布谷文夫氏の思い出」(前編)
■「布谷文夫氏の思い出」(後編)

最近は、こればっか聴いておりマス。
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布谷文夫氏在籍グループ~DEWの、「DEW/布谷文夫」と題された、「第3回全日本フォークジャンボリー」(1971年8月7日@岐阜県椛の湖畔)におけるライヴの、実況録音盤。

ちなみに、’98年にもエイベックス・イオよりジャケット変更して再発されてる様デスが、初回オリジナル盤は’89年、SOLID RECORDS(現・ULTRA-VYBE)の高譲氏監修の下にリリースされマシタ。

先の記事でも述べた通り、代表曲にして超名曲の「夏は終り」こそ「幻野」に収録されている方がベスト・テイクなれど、そちらでは2曲しか聴く事の出来なかったDEWのライヴ音源が、カヴァーも含め本作には全7曲収録されている。

なお、バンドの演奏自体は無垢にして荒削りではあるが、それだけに布谷氏の、喉に火箸を無理矢理突っ込んで皮膚を焼き焦がした直後の様なドスの効いた歌声がより一層浮き彫りにされる結果となっている様に感じた。

ああ・・・何と表現すれば良いのだろうか、この、ブルース・ロックに身もこころも捧げつくさんかの如き、まるで地面に跪いている姿が目に浮かぶかの様な布谷氏の歌いっぷりを・・・。

人は、極限状態に置かれた時に初めて、その隠された本性が露になると言われるが・・・。

おそらくは、自らの生命を瀕死の瀬戸際に追いやらずして、自己の精神と肉体を加虐的なまでに酷使する事なくして、ここまでの深い哀切感を表現する事など出来やしないのであろう。

それゆえに、ここで聴かれる布谷氏の、まさしく“血を吐く”様な歌唱は、聴いている私までをも、失意と悲しみのどん底へ、そして絶望と苦しみにのた打ち回る地獄絵図へと引きずり込んで行くのである。

また、本作に初収録された「傷ついて」や「ぼくの天使」などは、詩的情緒に溢れる作風でありながらも、「枯れ葉は僕を呪い殺す」や「死んだ夜の・・・」だのと言った不吉なワードが挿入されており、そこにはまるで、布谷氏のブルース・シンガーとして殉死する事を望んでやまない心情が形を変えて乗り移っているかの様にも感じられるのだ。

しかるに、この“へヴィな心理状態”を生き写したかの様な布谷氏の歌声を聴いていると、私は同時に、自分の魂が浄化されて行く感覚を味合わされもするのである。

そう言う意味においては、これらは鎮魂歌・・・そう、傷つき打ちひしがれた魂を埋める鎮魂歌であるとも言えようか・・・。

ゆえに、布谷氏のあの自らを鞭打ち喉を過度に痛めつける自己破壊的な歌唱法も、堅い地面に埋葬用の墓穴を掘るために必要な儀式の様なものなのであろう。

無慈悲なまでの現実を、思い返したくもない過去を、どんよりとした暗闇の広がる不吉な明日を葬り去るための・・・。

こころの傷を癒すためには、その傷の痛み以上に深い傷が、もしくはそれを覆い隠すための暗く深い穴が必要なのである。

自らの生命を瀕死の瀬戸際に追いやり、自己の精神と肉体を加虐的なまでに酷使する事で、自らの、そして人々の魂の傷を癒さんとするその行為・・・。

それこそはまさしく、ブルースと言う音楽形態の存在意義であり、効能ではなかろうか。

ブルース・ロックに、その身とこころを捧げ尽くした男、慈愛に満ちた濁(ダミ)声の天使、布谷文夫よ・・・。

貴方の名前は、私の胸に一生刻まれ、いつまでも消える事はないだろう。
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