Mr.エレクトの独り言 2012年07月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「反“耐性”」その2

そう言えば、先日、ユニセフから寄付を募る手紙が届きマシタよ。

しかも例の、瞳をきらきらさせた黒人孤児のプロモーション用偽造写真が掲載された、超豪華な封書で・・・。

あの少年にモデル料がいくら支払われるのかは知らないが、ユニセフにとっちゃあ孤児はドル箱スターであり金の成る木だから、飢餓問題が解決してしまったら、困るのはユニセフ自身なんだよね。

近隣国との紛争やその火種も同様。

北朝鮮や中国の脅威を煽る事で、米軍も日本国内での仕事にありつける訳で・・・。

そう考えると、学校でのイジメも同様かな。

例えば、イジメがあってもバレなければ済む構造があるから、学校側も教育委員会も見てみぬ振りをした方が得策だとの発想=隠蔽体質も蔓延る訳で、それって、どう考えてもイジメを根絶するためのものじゃないよね。

それに、もし仮に「イジメはなくならない」のが真実だとしても、「イジメをなくすための努力や工夫」を怠って良いって理由にはならないし。

・・・トナルト、ユニセフの仕事が飢餓をプロデュース(演出)する事である様に、学校教育こそが「イジメを隠蔽する事」のみならず「イジメを誘発し育成しているのではないか?」・・・とも。

だってさ、良く言われる言葉に「学校は社会に出た時のための集団生活の訓練の場である」なんてのがあるけど、そう言う意味じゃ、ある程度のイジメにも慣れておくと言うか、社会にはイジメが存在する事を前提に物事を考えておけば、少々の事には耐えられるからね。

「見てみぬ振り」の練習も含め・・・。

要するに、「人間(他人)を粗末に扱う」現代社会へ抵抗せず服従する思想なり習性を身に付けさせるためにも学校でのイジメは出来るだけ隠蔽する方向に仕向けさせ、間違っても根絶なんかさせない様にしたいって事なんだろうね。

つまり・・・。

「あきらめろ」

「逆らうな」

「黙って従え」

・・・と、私達に常日頃から無力感を刷り込み続ける事が、支配する側のやり口なのだ。

おそらくは、そんな仕打ちに耐えられない子供が、精神のバランスを保つために自分も誰かを虐げなければ平常心ではいられないってのが、イジメの原因なんじゃないのかね。

そして更に、その二次的被害に耐え切れない子供が、この世からエスケープする・・・と。

犠牲者や被害者はいつも、精神的もしくは肉体的な弱者。

だけど、情操教育や道徳教育なんかで精神を鍛えるのはご法度なんだよね。

だって、そんな事したら、社会に出てからも「人間(他人)を粗末に扱う」理不尽な社会構造や既得権益者による不正な行為に対していちいち異議申し立てする様な、「困った大人」に育っちゃうからさ。

困るんだよ、そんな人間。

何故なら・・・。

「あきらめろ」

「逆らうな」

「黙って従え」

・・・と言うのが、経営者なり支配者の望みなんだから。

そしてまた、「イジメは絶対になくならない」・・・のではなく。

飢餓がなくなったら困る人達(ユニセフ)が、「飢餓を根絶する気などさらさらない」のと同様に・・・。

「イジメがなくなったら困る人達が居る」がゆえに、「イジメを根絶する気などさらさらない」・・・と言うのがその実態であり本音なのである。

「人間(他人)を粗末に扱う」風潮なり構造を絶対に変えたくない人達が牛耳ってる世の中。

だから、彼らはこう言うのだ・・・。

「あきらめろ」

「逆らうな」

「黙って従え」

「イジメ(=人間を粗末に扱う行為)がこの世から根絶されてしまったら、自分達の商売(=野蛮な収奪行為)を正当化する事も出来なくなってしまうじゃないか!!」

・・・と。
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「人を殺す権利」(赤字部分追記)

いや~・・・ここ数日、ホントにむし暑いでんな~!!(--;)

・・・なんて、軽い口調で始めてみたりなんかして。

数ヶ月遅れで、やっとアパートの賃貸契約更新を済ませたものの、その分まるまる、店の家賃が遅れてマッセ。(TT)

・・・とまあ、そんな事は良いとして(←良くないけど・・・)、まあしかし、相変わらず色々考えさせられる事件が起こりマスな。

光市殺人事件の遺族の方が、「死刑にしないなら私が自分で・・・」と発言したけれど、事の良し悪しは別として、法律を破ってまでそれをやると言う同氏を、法律の番人である司法や警察は別として、一般市民に過ぎない私が止める事なんて、とても出来ない訳デスよ。

まあ、私とて、その心情は理解出来マスので。

もっとも、それは遺族の方であるから許され・・・はしないけど、実行するしないは別として、そりゃそう考えたって仕方ないよね。

しかるに、赤の他人がデスよ、自分に直接被害が及ばない“誰かの為した悪”を許せないと考えたとして、正義の名の下に「そいつを殺したい」と考えるってな~、どんなもんなのかな・・・とも。

そもそも、“他人の命なり尊厳”を大切に考える事=“正義”であったはずなのに、“他人の命なり尊厳”が踏みにじられた事に対する“正義”の怒りによって、“他人の命なり尊厳”を奪おうって訳だから。

・・・いやいやもちろん、“他人の命なり尊厳”を奪った者は“自らの命なり尊厳”を手放したのだ・・・との見方も出来るが。

それにせよ、被害者でもその遺族でもない自分、つまり“それを許せない俺”が正義の名の下にそいつを断罪する事に、正当性はあるのか?・・・と。

しかも、“人を殺す権利”までも手に入れて・・・。

「“他人の命なり尊厳”すなわち“正義”が踏みにじられた事」が許せないのか?

それとも、「俺の“正義”感が踏みにじられた事」か、もしくは「俺の"気分”が害された事」が許せないのか?

ところで、小学校とかのクラスでイジメをする子って、一口に言えば、“クラスの人気者”じゃないよね。

勉強なりスポーツなりギャグなり漫画なり趣味なりで、その能力なり魅力が認められてる人はそんな事する必要もないし、もし仮に影でこそこそやってたとしても、それが発覚したら現在の地位や評価が下がって、それまで得られてた優越感をも失う事になっちゃうからさ~。

・・・となるとまあ、それでも優越感を得たい=威張りたいとなれば、誰かをイジメでもしなけりゃ居られない訳で、それが自分より弱い者に向かうのは子供も大人も同じなんだよね。

そしたらまあ、本当はそんな時には、むしろ自分より強い人間や偉い人間の悪口言ったりなんかして不満を解消するのが一番良いんだけど、それすら出来ないって事なんだろうね。

そう言う意味においては、イジメっ子もイジメラレっ子と似たメンタリティの持ち主なんだな・・・と言うのは乱暴な話だけど、まあ当たらずとも遠からじと言うか、むしろ同様の境遇にありながらも誰かをイジメる事でそれを解消しようとしないイジメラレっ子の方がなんぼかマシな訳で。

・・・と、それを踏まえて言えば、本来、怒りの矛先は下に向けるのではなく、やはり上に向けなければ駄目なんじゃないかな・・・と。

本当に“人の命”が大事だと思うならば、イジメられて自殺するのも駄目だし、イジメっ子を殺すのも駄目なはずでしょ?

(・・・とは言え、そもそも自殺する人ってなあ、「他の選択肢が思いつかない程に視野狭窄な状態にある」から、そうしちゃう訳だけど・・・。)

いくら“正義”なり“俺”なりの怒りに頭がいっぱいになったとしても、事件に関わった人々の中で一番弱いイジメっ子を殺そうだなんて考えるのは、如何なものだろうか。

・・・なんて、思ったり思わなかったり・・・。(←抗議回避のために優柔不断なふりをする、ズルいボク・・・みたいな。)

そう言えば、イジメラレっ子って、例えば男のくせになよなよしてる子とかがその標的になったりもするよね?

そう考えると、例えばほら、なんとかシンゴってニュー・ハーフ芸人が居るじゃない?私は全然ファンでもないし彼の事なんかどうでも良いんだけど、男性で、あの手のパーソナリティを異常に嫌う人って居るでしょ?

それもきっと、「男はかくあるべし(=“正義”)、だからお前の様な奴は、“俺”がその根性を叩き直してやる!!」・・・てな崇高な気持ちがその根底にあるんだろうね。

・・・実際には、批判してるその本人こそが、男はかくあるべしと言う基準を自分自身が満たせないでいる、劣等感の塊だったりするのが常なんだけど。

イジメも、それに似た所があるよね。

だから、「キモい!!」だとか「死ねや!!」って酷い言葉も平気で言えるし、もし仮にその相手がそれで自殺したとしても、“人の命”よりも(俺の)“正義”の方が大事なんだから、何ら問題ないって事。

・・・にしても、百歩譲って子供はまだまだヒトより獣に近い存在な訳だから少年法で守られても仕方ないにせよ、いい大人が殺人予告なんかしたら逮捕されるに決まってるよね。

それこそ、子供が真似しちゃうよ。

いずれにせよ、奇麗事ばっかり言ってても問題は解決しないし、「耐える事」にも人それぞれその限界は必ずある訳だからして・・・。

やっぱ、「耐えられなくなったとしても、絶対に死んだりなんかしちゃ駄目だ!!もしそうなったとしたら、とにかく誰でも良いから助けを求めなさい!!」・・・と、強く言い聞かせるくらいの事しか出来ないかな。

自殺する人は、「もう、あの世以外に逃げ場はない」とまで思い詰めちゃった訳だから。(・・・と言うかそれ以前に、“あの世”なんてものもないけどね。)

何にせよ、もしも“正義”なんてものが本当にあるとするならば、それは自分を“活かし、なおかつ”他人を“活かす”事であるはず。

だけど、“他人の命や尊厳”を踏みにじる(軽視する)事で成り立つ、この野蛮な社会構造を甘んじて受け入れている私達大人がそんな事言ったって、何の説得力もないかしら?

大人の世界じゃ、「イジメ」=「疎外」は、日常茶飯事だからね。(--;)

「フィギュアスケートのルール改正」

本日早朝にアップした記事で引き合いに出した、オリンピックにおけるフィギュアスケートの年齢制限に関する例デスが、当時抱いた率直な感情を基に、良く調べず書いたため、かなりの事実誤認がありマシタ。

これはどうやら、秩序うんぬん以前に、金儲けが絡むがゆえに理不尽なルール改正が為されたのではないか?と推測され得る事柄であった様デス。

ゆえに、例えとしては適切でなかったものと反省し、当該記事は削除させて頂きマシタ。

(良く考えてみれば、着地時の足の向きがどうこうと言った、もはや難癖にも近いルール改正に関する記事を、過去に読んだ記憶もありマス・・・。)

よって、もしも同記事にて不快感を覚えた方がいらっしゃいマシタら、大変申し訳ありマセンでした。m(_)m
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