Mr.エレクトの独り言 2012年08月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「自己暗示のススメ」

月末と言う事もあり、昨日から異常に忙しかったり焦ったりで、只今ストレスの絶頂っス!!(@@;)/

テレビ番組で催眠術なんかを披露しているのを見てると、人間の感情とは如何にいい加減なものなのか?・・・と、感じさせられる。

・・・と同時に、「心頭滅却すれば・・・」ってな故事は、その様な真理をズバリ言い当てているんだな・・・とも。

そこで今回は、私がいつも用いている、苦しみや焦燥を回避するための自己暗示の呪文をお教えしよう。

これは、ちょうど今と同じ状態、すなわち肉体的にではなく精神的に「頭痛い」状況にある時につぶやく言葉なのであるが・・・。

「頭痛い(アタマイタイ)と言うか、イタマウタイと言うか・・・。」

ノリ(?)の良い時には、これが更に・・・。

「ウタマエタイと言うか、エタマオタイと言うか・・・。」

・・・と続くのであるが、この呪文をつぶやくと不思議な事に、少なくとも「頭痛い」気はしなくなるのである。

何せ、「頭痛い」と言う言葉が持つそのネガティヴ・イメージの強さもさる事ながら、その苦しみに抗う気力さえも奪ってしまう程の魔力が、この「頭痛い」と言う言葉にはあるのだ。

よって、「頭が痛い」と感じる時、更にその状態に追い打ちをかける様に「頭が痛い」とつぶやくなり脳裏でその言葉を繰り返し続けると、「頭が痛くなくなる」どころか実際には「頭が痛いに似た精神状態」であったはずが、本当に「(具体的かつ肉体的に)頭が痛く」もなってしまうのである。

ゆえに、「アタマイタイ」を「イタマウタイ」なり「ウタマエタイ」に変換して繰り返しつぶやけば、現在の状況が「頭痛い」と言う具体的かつ苦しい状態から、何だか良く解らないファジーな状態にあると自分に思い込ませる事が可能となるのだ。

おっと、それを「現実逃避」と呼ぶ方も居るであろうが、それは筋違いな批判と言うもの。

何故なら、まず第一に「頭が痛い」状態と真正面から向き合ってそれを解消する事など人間には無理だし不可能だからである。

もっとも、「頭が痛くなる」その元凶を取り除くなり問題を解決すれば「頭が痛い」気分も晴れるであろうし、本来はそうすべきである事も重々承知の上だ。

しかるに、それでは果たして「頭が痛い」と言う形勢不利な状態で、目の前に突きつけられたその問題を解くなり障害を乗り越える事が出来るだろうか?

・・・と言う話なのである。

そもそも、「現実と向き合う」と言う事は、どう言う事か?

それは、不必要な重石を背負ったままで問題に取り組む事でもなければ、明らかに克服不可能な難題に対して盲目的に立ち向かう事でもないはず。

つまり、「現実と向き合う」事は最終目的でもなんでもなく、それはあくまでも問題解決や障害を克服する際において最も適した方法を導き出すために行なう、闘いの前の言わば準備行為に当たるのだ。

そう考えれば、たかが「頭痛い」くらいの事で「頭痛い」などと考えていたのでは、いつまで経っても問題を根本的に解決する事など出来ない・・・との結論にも至るはずなのである。

要は、真に目的を達成するためには、それ以前に真の目的が何であるのか?を知る必要があり、そのためにこそ「現実(=根本的な元凶)と向き合う」必要もあるのであって、私に言わせれば、むしろその反対に「頭が痛い」と感じる事自体が「現実逃避(言い訳)」であるとさえ言えるのだ。

頭なんか痛くない!!

「アタマイタイと言うか、イタマウタイと言うか、ウタマエタイと言うか、エタマオタイと言うか、オタマアタイと言うか・・・。」

「アタマイタイと言うか、イタマウタイと言うか、ウタマエタイと言うか、エタマオタイと言うか、オタマアタイと言うか・・・。」

「アタマイタイと言うか、イタマウタイと言うか、ウタマエタイと言うか、エタマオタイと言うか、オタマアタイと言うか・・・。」


だがしかし・・・。


「だからと言って、目の前にある難題がそうそう簡単に片付けられる訳ではない」・・・と言う事も・・・。


これまた現実なんだよね~!!(TT)
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「一神教ファシズムの是非」

家庭なり国家なりと言った、特定の集団を一つにまとめ率いるためには、強い指導者かもしくは確固たる秩序が必要不可欠となる。

そこで、強い指導者とはどの様なものを指すのかと言えば、統率力もそうであるが、一切の責任を負う覚悟があるのか否か?と言う点も、非常に重要な問題となるであろう。

何故なら、統率力のない指導者、無責任な指導者に率いられる事ほど、人々にとって不幸な状態はないのだから。

また更に、統率の方法には大きく分けて二種類あり、一つは指導者が持つ思想に人々を従わせる方法と、もう一つは人々の多様な価値観を認める方法・・・であろうか。

ちなみに前者は、外敵との争い事等、一致団結して一つの目的を達成せんとする場合には非常に有効なのだが、一方では個体差を容認しないと言う点において、一部の人々にとっては実に息苦しく生き難い世の中となる恐れがある。

・・・そして、その方法論を“一神教ファシズム”であると定義するとして・・・。

しかるにその点、後者の場合は、人々をまとめ率いるに辺り指導者にはより多くの知恵と労力が求められる代わりに、その集団内には多様な思想を持った人々が混在するゆえに、想定外の災いに対しても対応出来ると言う強みがあるのだ。

要は、アリもそうであるが、全員が同じ行動をしていたら、例えば洪水が来た時にその種族は全滅してしまうが、別の行動を取る者が居る事によってそれを免れたり、誰かしらがそれを防ぐ方法を編み出すなり危機を察知する事が出来るかも知れないと言う話なのである。

そう言った意味合いにおいて考えれば、本当に強い指導者、本当に強い集団とは如何なるものなのか?と言う事がおぼろげながらに見えて(解って)くるのではないだろうか。

言い換えれば、一神教ファシズム思想を持った指導者なり集団は、変化や変動に対応出来ず、未知なる可能性も閉ざしてしまいがちであるがゆえに、外敵からの攻撃にこそ強いかも知れないが、一旦その教義(支配の口実)を正当化するための力なり報酬(=飴と鞭)が通用しなくなってしまえば、その集団の構成員の間に不満が生じて内部から崩壊してしまう事も当然の如くに在り得るのだ。

更には、その様な一神教ファシズム下にある集団なり指導者と言うものは、自らの思想を堅持し自集団の繁栄を維持するためなら、その教義に殉じて死ぬ事をも平気で美化するし、何よりも、異なる思想を持つ者や他集団を迫害・殺戮する事をも“正義”と呼び称する事をも平然と為せるのである。

・・・とは言え、それが弱肉強食の掟であり人間社会のあるべき姿であると言うのであれば、何ら異論はないが。

・・・で、じゃあ何故、集団の指導者なり王様が一神教ファシズムを布教するかと言えば、“個人”が持つ能力なり魅力と言った“実力”にではなく、“神様(=偶像)”なりある特定の教義を人々に信仰させ従属させ続けておけば、指導者なり王様が実力がない子孫にも権力を引き継がせる事・・・すなわち世襲を公認の下に受け入れさせる際に都合が良いからなんだよね。

・・・とそこで、自分は無宗教だから関係ないと思っている貴方。

ところが、貴方が育った家庭、そこで培われ形成された価値観ってのも、ある意味宗教の信仰に近いものなんデスよ。


例えば、「トンカツにソースをかけるか醤油をかけるか?」・・・こんな問い一つとってみても、多様な味付け(=価値観)を許容出来るか、あるいは絶対にこれじゃないと駄目だ・・・とか、更には他人とは言わないまでも配偶者や子供にはそれを押し付ける様なヒトも居るからね。

重要なのは、「異なる価値観(=教義)を認めるか排除するか?」って部分。

それを考えたら、もっと重要な案件でもそれぞれの思想なり価値観が対立する可能性がある訳だから、昔みたいに妻(=女)が耐え忍ばない現代において離婚が増えるのも当然の成り行きって事かな。

もっと言えば、親殺し・・・。

普通の親なり一般家庭の下で育った人からしてみれば、「そんなのとんでもない!!」って事にもなるんだろうけど、あっちの親や家庭環境は自分が過ごしてきた環境や人生とはおそらく大幅に違うんだから、「その立場になって味わってみろ!!」とまでは言わないけれど、「せめて想像力くらい働かせろよ!!」って話。

こう言った、「自分とは異なる価値観を容認もしくは想像すら出来ない」ヒトなり、「他人の立場に立ってものを考えられない」状態にあるヒトの事こそ、まさしく“一神教ファシズムの盲信者”であると、私は言いたい訳なんデスよ。

世の中には、色んな人種(=国籍や肌の色の違いではなく)が居るんだしね。

・・・これは近年になって解った事だけど、要するに私の人生はそれ(=一神教ファシズム)に苦しめられた人生であり、自分が嫌悪し未だに抵抗し続けてるのはそれ(=一神教ファシズム)なんだな・・・と。

・・・もっとも、これが自分に課せられた宿命であり使命であると、今は達観してるけどね。(--;)


<関連記事>
■「権力と責任」
■「リーダーの心得」
■裸の王様」

「脱鬱論」(若干追記)

最近良く考える事。

人間とはしょせん、ちょっと複雑に構成された「リアクションの集積回路」に過ぎないんだな・・・と。

要は、人は危害を加えられれば死が近づくがゆえに気分が悪くなり危害を加えられそうだと感じれば事前に警戒(緊張)するし、食べ物がなければやはり死が近づく訳だから腹が空いたら不機嫌になったりと、通常時はそうでもないが精神の安定や生命の維持が脅かされた際に、子供であれば廻りにいる人間から学習(真似)し蓄積した情報を基に構築した「リアクション(外圧に対する反応)の形態」を外に表しているだけに過ぎず、それらは一見複雑そうにも見えるが、元を辿れば実にシンプルな構造に基いているのだ。

また、例えば自主的に絵や文章を描いたり何かを作る事にせよ、暇=退屈=生産的でない時間=死に近づく事であるからして、その不安を解消するために何かを作るなり生み出す事によって生命活動なり生産活動を擬態し、そうする事で死(=無)への恐怖を紛らわそうとする、やはりリアクション行為に過ぎないのではなかろうか?・・・とも。

つまりは、人間は外部からの影響に対して、解りやす過ぎる程にパターン化された反応を繰り返す事で自らを形成して行く(=歪みを生じる)と言う事。

特に、生殺与奪権を親なり保護者に握られ、選択の余地のない(=視野が狭い)子供時代とは、逃げ場のない状態で繰り返し外圧を受け続けるのだから、白いものも黒くなるし、まっすぐなものが捻じ曲がったとて不思議でも何でもないのである。

だから私は言いたい。

「それは貴方のせいじゃないのだから、必要以上に自分を責めるのはおやめなさい」・・・と。

そしてまた、「過去はもう変えられないのだから、それはもうあきらめて現実を受け入れ、そんな自分をこれから将来どう動かしていくのかって事に対して、頭や身体や貴重な時間を使いなさい」・・・とも。

更には、もし仮に貴方が、自分の欠点や至らぬ点がすべて自己責任によってもたらされたものであると考えているとするならば、こうも言うだろう。

「これまで自分一人で生きて(育って)来た訳じゃないくせに、その成果をすべて独り占めにしようとは、なんと傲慢な考えの持ち主なのだ!!」・・・と。


過ぎ去った過去を追っても何も得られないどころか、そんな後ろ向きな生き方はそれこそマイナスでしかない。

過去の失敗なり傷つけられた経験は自分を虐めるためにではなく、自分を活かすために使うべきなのだ。

そのためには、自責の念(=自身の傲慢さ)を排除し、現実すなわち現状の自分を正確に見つめ、そこを出発点であると認識する必要がある。

そしてまた、私はこうも考える。

人間ってのは、空間に浮かぶ振り子の様なもので、それぞれ紐の長さや重りの大きさこそ違えど、生きてる間は動き続け、何より重要なのはその異なる形状の振り子(=人間)同士が触れ合うなりぶつかり合う事で、自分や他人の人生が影響を受け合っているのだと言う視点が最も重要なのではなかろうか?・・・と。

最初に述べた通り、人間は「リアクションの集積回路」に過ぎない。

今ある“自分”なんてものは、世の中すなわち外部なり他人なりの影響によって形成された基本形状にプラス、自身に少しばかり与えられた選択の機会を行使したその結果なのだ。

よって、それと同様に自分が誰かに良い影響を与えれば、その誰かも誰かに良い影響を伝播するかも知れないし、その逆に敵意なり悪意と言った悪い影響を与えれば、めぐりめぐってそれが自分にも跳ね返ってくるかも知れないのである。

神など居ない。

ゆえに、外部なり他人から与えられる“良い影響”を、指をくわえて待ち続けても、それが得られる可能性はゼロではないものの極めて低いはずであろう。

ましてや、自身が“悪い影響”を世に垂れ流しているとなれば、そんな人間を誰が救おうなどと考えるだろうか?

自分を救うのは自分。

自分が変れば誰かが変り、自分が発した“良い影響”が伝わり広まれば、少しは世の中も良くなる事だろう。

過去は変えられないし、自分が受けた悲しい記憶は消せない。

・・・がしかし、今後その様なつらい気持ちを味わう子供はいくらかは減るのではなかろうか。

そもそも、貴方自身が悪いんじゃなく、たまたま巡り合わせが悪かっただけの事。

だがしかし、過ぎ去った過去にいつまでも囚われ、自責の念に浸る事によって自身の傲慢さにこれから先も溺れ続けるのであれば、その苦しみは貴方の自己責任でありそう言った行為の報いであるとしか言いようがない。

過去を変える事をあきらめ、現実を受け入れる事。

それ以外に、貴方が救われる術などない。

もっともこれは、「人が活き活きと生きられない世の中の在り方はおかしい」と考える気持ちが、まだ少しは燻っているならば・・・の話ではあるが。

「社会の循環構造(=共同体)を破壊する一神教ファシズム支配」

そもそも、価値観の相違=話が噛み合わない理由とは?

思うに、家庭内のみならず学校においても、独立心を養うのではなく、雇われ人として人生を全うするための服従心を植え付けるために教育が行なわれていると言う事が、その大きな要因の一つであろうと推測される。

簡単に言えば、これは一神教ファシズム、すなわち「子供と親なり保護者、あるいは社員と経営者等との間に形成される、一種類の価値観を一対一の上下関係で尊守させる事で成り立つその構造」に、端を発するのだ。

よって、その下部構造に所属する者にとってみれば、上部の者が提示する一種類の価値観に抗わず従う事のみが、自分の安全や利益を確保する手段となる訳である。

そしてまた、それこそが「自分が頑張りさえすれば何とかなる」=「上司なり経営者に認められさえすれば良い」等と言った、社会全体の構造や関係性を無視した「自己責任と言う名の暴論」の罠に自らを貶める要因ともなっているのだ。

もっとも、従順な羊を大量生産する事を目的としている学校教育は別として、一般家庭においては親も雇われ人である事が多いゆえ、自分の子供に対してもその様な無難で安定した生き方を身に付けさせようとする事を、殊更に非難するつもりはない。

・・・がしかし、そう言った一神教ファシズム思想こそが、「するべき努力」と「するべきでない努力」とを見分ける必要性を人々から見失わせていると言う事は間違いのない現実であろう。

実際、コンビニのバイトから店長に転身した後、私が痛感したのは「雇う側」と「雇われる側」の意識の違いであり、更にはコンビニの店長と言っても雇われ店長ではなくオーナー制(=ほぼ自営業スタイル)であったため、「自営業者」と「雇われ人」とが持つ意識の隔たりと言うものは、おそらく何万言を費やしても埋まらないものなのだなと、私にせよ、その時初めて気づいた次第なのだ。

・・・しかるにもちろん、例え人を雇う側ではなかろうとも、自営業ではなく雇われ人であったとしても、その様な意識(=独立心)を持つ人は大勢居るであろう事も想像に難くないゆえ、これはあくまでも私個人が体験したエピソードに過ぎないが・・・。

そこで、それらを具体的に説明するならば、まず初めに「雇う側」としては、「雇われる側」が好き勝手に行動されては困るゆえ、少なくとも社内(店内)においては「雇われる側」の意識なり思想を一種類の価値観の下に管理・統制する必要があると言う事。

次に「自営業者」的感覚で言えば、「雇われ人」が上司や経営者に仕事なり態度(おべっか)で認められれば自身の利益や立場が安泰である事に比べ、基本的に「自営業者」は多くのお客様すなわち「多様な価値観を持った人達」に生産品なり商品を買ってもらわなければ成り立たないため、極稀に「自分自身の価値観」のみを押し通す事で安定した売上が得られるのは余程景気の良い時か、もしくはその「自営業者」自身の価値観が元から多数派に属する(=独立性が低い)ものである事が重要な点となるのだ。

・・・何せ、あくまでも買うのは他人(=多様な価値観を持つ人々)であって、自分ではないからね。

また更に、一神教ファシズム構造によって成り立つ「雇われ人」と「自営業者」とにおける考え方の大きな違いとは、「現実の社会は循環構造によって成り立っている」と言う事実を認識し行動に反映しているか?と言う点に尽きるであろう。

すなわち、「自営業者」自身もまた誰かの「お客様」であり、「お客様」もまた「自営業者(もしくは雇う側)であり「雇われる側」であると言う事実。

(「社会の循環構造」と言うと難しいなら「共同体」、あるいは「持ちつ持たれつ」でも良いけどね。)

ゆえに、家庭なり会社と言った狭い世界において、パパやママもしくは社長に誉められるために自分がいくら努力したとしても、パパやママもいつかは死ぬし社長も神様ではないのだから、「社会の循環構造(=共同体)」がまともに機能していなければ、その努力(=信仰の表明)は水の泡なのである。

・・・いやいやもちろん、現状を改善するための努力を怠るべきではないデスし、そうやって身に付けた能力なり技能は決して無駄にはならないと思いマスよ・・・。

ただし、「自営業者」の立場である私から言わせれば、「どこかに神様が居て、いつか自分の努力を認めてくれる」なんてお伽話でしかないって事なんデス。

そう言う意味合いにおいては、「お客様は神様デス」なんて言葉も一理あるよね。

・・・否、先にも述べた通り、私が「自営業者」であり「お客様」である様に、「お客様」もまた「自営業者(もしくは雇う側)であり「雇われる側」なのが当然なのであり、それすなわち誰もが「お客様=神様」であり「神様=独立した人間」あると言う事。

例えば、「雇う側」(=社長)と「雇われる側」(=社員)の関係性においても、確かに社員は社長から給料もらうけど、その逆に社員は社長に対して労働(労力x時間)の成果を提供してるんだから、実際には上下関係じゃなく対等な立場で契約関係を結んでる訳だしね。

要は、一神教ファシズム=「神様と神様にひれ伏す人間との関係性」なんて、他人を支配して利益を得たい野蛮人が考えだしたまやかし(=詐欺行為)に過ぎないって話。

・・・親が子供を自分の言いなりにするための方便なら、そこに“愛情”が介在する可能性も少なからず残されてはいるけど・・・ね。

結論として、国家なり家庭を、支配者と被支配者が存在する一神教ファシズム的な関係性ではなく、誰もが安心して暮らせる共同体として成立させるためには、「社会の循環構造」がスムーズに機能している事が大前提であり、そのためには誰もが神様=独立した人間になる事こそが、現代の最重要課題なのだ・・って所かな。

他の宗教(=他の価値観=独立心)を一切認めないどころか武力で迫害・排除までして、一部の特権階級(特権家系)のみが安心して暮らせる世の中を作る事を目的として布教された野蛮な一神教ファシズムのおかげで、世界中の人達がどれだけ迷惑を被ってる事か!!

「するべき努力」とは「誰もが独立した立場になる事によって社会の循環構造(=共同体)を成り立たせる事」であり、「するべきでない努力」とは「社会の循環構造(=共同体)を破壊する一神教ファシズム思想(支配構造)を疑う事もなくそれにひれ伏す事」・・・だ!!

死神/音源集「四十二円の怨」(CD/トール・ケース仕様)¥42発売!!

■死神/音源集「四十二円の怨」(CD/トール・ケース仕様)¥42
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~作品解説~

全11曲/全42分収録のプレスCD。自宅風呂場録音+スタジオ録音による弾き語りと、高円寺二万電圧での太鼓叩き語りライヴ録音にて構成された、死神氏の、言わば現在のベスト・アクトをまとめた作品。ちなみに、収録時間が42分であった事と死神のシニとをかけて、販売価格は42円に設定されている。

よって、遠方在住の方等を除き、ライヴに足を運べる方は是非とも会場で直接ご購入して頂きたいと思いマス。

なお、当店で通販も可能なので、過去に買いそびれた作品があれば、この機会にまとめてどうぞ!!(^^)

<「死神」取り扱い商品等紹介記事一覧>(一部の商品は既に品切れとなっておりマス。)
■「変人の変人による変人のための演奏会~其の二~」
■自主制作商品新入荷情報(2006年10月7日号)
■死神/第四作品集「死神公葬映像録」(DVD-R)¥500
■死神第五作品集「死神私葬映像集」(DVD-R)¥500発売中!!
■死神「音源集/情念独掻演歌大全」(CD-R/トール・ケース仕様)¥800~入荷しておりマス!!
■死神/映像集「自縛自爆、血しぶき刺身」(DVD-R)¥800
■死神/第二回単独公演「あばら」(DVD-R)¥700~入荷しておりマス!!

★上記の作品はいずれも当店にて通販可能。(現在店舗はA眠中)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/erectrecord/

●例のK他を迎えたスリーマンによる発売記念ライヴも行なわれる様デス。(以下をご参照下サイませ)

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8月29日(水)
東高円寺二万電圧

死神企画25弾

死神"葬撃"の42円アルバム
「四十二円の怨」
レコ発スリーマン

「死神例の殺生」

開場18:30
開演19:00

前売券 1500円+飲物代500円
当日券 1800円+飲物代500円

出演

19:00~19:45①殺生に絶望
19:55~20:40②例のK
20:50~21:35③死神

太鼓叩き語りとギター弾き語りで出演予定

ご予約はこちら

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「覚書」(2012年8月22日号)

現実を見据えた上で打ち立てるのが理想、現実を直視せず思い描くのが妄想。

そしてまた、(現実を直視した上での)理想とは「現状を少しでも良くしよう」との前向きな意志に基くものであるがゆえに、もしも理想の一つも思い描かない人間が居るとすれば、それは単に「怠惰な人間」であると定義する以外にない。

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来る者を拒み去る者ばかりを追う者の廻りには、いつしか誰も居なくなる。

来る者=未来の可能性。

去る者=変える事の出来ない過去。

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親分になりたい者とは、実は平気で誰かの子分にもなれるパーソナリティの持ち主である。

何故なら、親分になるには子分と言う存在が絶対に必要な訳であるからして、すなわちそれは親分子分の関係性を認める事でもあるからだ。

要は、「独立する事」(=自分の王国を作り自らの力で快楽を生み出す事)と「権力志向」(=集団内における上下の位置関係によって優越感を得る)とを履き違えているのである。

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繊細な人間は野蛮な人間を見る事で自身の繊細さを認識するが、野蛮な人間が繊細な人間を見る事によって自身の野蛮さを自覚する事など一生涯有り得ない。

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飢えさせて・・・

足りないと思わせて・・・

あれこれ欲しがらせて・・・

求める者から逆に奪い取るのが、支配者(もしくは商売人)のやり口。

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一神教ファシズムの呪縛から逃れるための呪文とは?

「そんなもの要らねえよ!!」

・・・である。

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商売の基本。

「買うのは自分じゃない。」

「買うのは他人である。」

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他人(人間)に頭を下げるのではない。

その人が為した行為(=秩序に対する奉仕の精神の度合い)に対して、頭を下げるのだ。

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野球界なら野球が好きで好きでたまらない者、音楽業界であれば音楽が好きで好きでたまらない者、そんな人達を迫害し排除する業界に、(経済的な観点ではなく本質的な意味においての)未来なんかあるはずがない。

「好きであると言う事」=個体差や環境によって左右される結果や成果ではなく、対象物に対して時間や労力をどれほど注いだか(=自らの人生をどれだけ削ったか)、その量や度合いで判断される。

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価値観が異なる(もしくはその隔たりが大きい)と言う事は、言葉が通じないのと同意である。

「正しい」だとか「楽しい」だとか「幸せ」などと言う言葉では、会話が成立しない。

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誰か(何か)によって救われた者は、同様に困っている誰かを助けなさい。

そうすれば、再び自分が困った時にも、めぐりめぐって誰かがまた自分を助けてくれるかも知れない。

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イジメっ子(=イジメラレっ子)達に、“負の連鎖”を断ち切る勇気を教える事。

それがまともな親(もしくは自立した大人)の在り方ではないだろうか。

「“身分”転換」(←タイトル変更)

さて今回はお待ちかね、「苦しいのは君だけじゃない」的な記事っスよ。

いや~!!滞納家賃督促の内容証明なんか届いちゃったりなんかして、今月かなり稼がないと、こっから追い出されちゃいマスわ。(TT)

この土~日曜日には手元のお金が尽きちゃって、某チェーン店へちょこっとレコード売りに行ったり、日曜日はだいぶ前に実家から送られてきた商品券が封筒の中に残ってて、そのお陰で何とか生き延びマシタよ。

ほんで月曜日は電話代払ったら、またまた口座がスッカラカンになっちゃって・・・。

雇われている人も仕事がなくなりゃゼロだから大変だろうけど、小売業は目に見えて売上が減って行くのが解るから、更に景気には敏感になっちゃいマスよね。

何せ、どこかで雇われている人なり、もしくはやっぱ小売業の人が、うちのお客サンになる訳で、またその逆に私自身もどっかの小売業のお客サンな訳だから、売れなきゃ買えない→買わないから売れない→売れないから買わない・・・と、不景気は連鎖して行く訳デス。

それもこれも、どっかの特権階級が働かずして私達の労働の成果を吸い上げている事が原因な訳で・・・。

農家は頑張って耕し、製造業は頑張って作り、運送業は頑張って運び、小売業は頑張って売り・・・と、誰も決して怠けてなんかいないどころか、それまで以上に汗水たらして働いてるってのに、その労働の成果が相互に行き渡らないってんだから、まったく冗談じゃないよ!!

ふんとにもう・・・ブツブツ・・・って言うか、お金を媒介にする限りピンハネが無くならないのなら、ブツブツ交換するしかないよね。

・・・否、お金自体は便利なものだから否定するべきものじゃないんだけど・・・。

もう、だからアレだよね、お金だけじゃ買い物出来ない様にするとかね。

すなわち、職業差別ならぬ職業区別っスよ。

例えば、農業従事者である証明書を見せれば1000円で2000円分の買い物出来て、金融業者は10000円分で1000円しか買い物出来ないとか・・・ね。

だって、労働の価値が違い過ぎる上に、その対価がどう考えても正当じゃないんだもん。

だいたい、まず第一に食べ物を生産する人を大事にせずして、どうやって人々の空腹を満たすのか?って話。

もちろん農業だけじゃなく、漁業にせよ製造業にせよ運送業にせよ、何をどれだけ作ったか、何をどれだけ加工したり運んだか、それこそがその人の価値であり社会に対する貢献度を計るバロメータな訳で・・・。

そう、「何をどれだけ持っているか」よりも、「何をどれだけ生み出したか(もしくは与えたか)」、その量が多い人の方が尊敬され、発言権なり決定権を持つべきなんじゃないの?

そもそも、一家の主がそうな訳でしょ?

あっ!!・・・て事は、一家なり国家なりと言ったその集団を、外敵からの攻撃や侵略から護る仕事も重要か。

う~む、だからこそ、やっぱ「士農工商」だったのかな。

江戸時代の日本は、秩序のしっかりした非常に優れた国家だったって話もあるもんね。

やっぱ明治維新(=グローバル化)がすべての元凶か!!

それでいて、虐げられし民衆の尊敬の対象が、そんな怠け者や寄生虫なんだから、狂ってるわ!!(@@;)/



・・・などと喚いてる暇も、今はない。

さあ、またすぐ仕事仕事・・・。(--;)

「“ACTA”れジャイアンツ」

昔、「悪たれ巨人(ジャイアンツ)」ってな漫画がありマシタが・・・。

オリンピック開催の影に隠れ、裏TPPとでも呼ぶべき悪法が通されようとしておりマス。

ACTAと呼ばれるこの法案は、海賊盤取締りを大義名分とし、外国の政府がインターネット検問~(自分達に都合が悪い内容が記載されている)サイトの閉鎖を自由に出来ると言うもの。

簡単に言えば、国内における違法ダウンロード刑罰化(平成の治安維持法)のグローバル版とでも言えましょうか。

詳しくは、自身であれこれ検索して調べて頂くとして・・・。

まあこれって要するに、タイトルでもひっかけた通り、「読売巨人軍のやり口」なんデスね。

つまり、現在の勝者なり有力者権力者が自分達に都合が良いようにルールを変え、勝機やその権益を確保し続けようとの・・・。

また、フィギュアスケートやらオリンピックでのルール改正もそれに当たるだろうし、何より社会一般、特に経済界においては、まさしくこの「勝者が勝者であり続けるためにルールを改正する」と言う構造がまかり通っているのでありマス。

要は、一見公正かつ公平に自由な競争が出来る環境を整備する様に見えて、結局は大企業なり特定の選手が勝利を得やすい様に仕組まれている・・・と。

それでいながら、「それは弱肉強食だから仕方ない」だの、「努力しなかった者の自己責任」で切り捨てるとは、とんでもない話なのでありマス。

・・・もっとも、それもルールの範疇であり、力の為せる業であるとの見方も出来ましょうが。

・・・しかるに、私達がそれを黙って受け入れなければならないと言うきまり(ルール)もないはず。

いずれにせよ、リビアのカダフィ大佐の様な、分け与える者、そして如何なる状況においても国を捨てて逃亡する事のなかった者が、独裁者の汚名を着せられ殺されてしまったと言う現実を前にして、私達が考えるべき事とは・・・。

指導者のあるべき姿とは如何なるものなのか?

そして、人間の尊厳を踏み躙る様な行為をこれ以上許し続ける事は、イジメを見てみぬ振りする事と、何ら変りないのではないか?

・・・と言うか、その蛮行の刃はもはや、既に私達庶民の身にも迫っているのである。

近い将来に、例えば医療費自己負担だの何だのと、日本はますます暮らし難い国になって行く事だろう。

よって、それがいやなら、国外からの影響としては欧州の銀行家>投資家や多国籍企業、国内においては官僚や官僚OBと言った、国民の冨(=労働の成果)を合法的に吸い上げようとする寄生虫に対し一定のルールを設け規制し排除するか、もしくはその様な構造を作り変えなければならないのだ。

これまで、マスコミの報道の鵜呑みにして、カダフィ大佐の事を野蛮な独裁者であると誤解していた様に、現在もその状況は続いている。

行政府や司法、そして野党やマスコミの総攻撃に遭い、主にコイズミ政権で破壊しまくった日本の経済を立て直す事がままならない民主党から離脱した小沢氏及び「国民の生活が第一」党。

・・・我が国が官僚独裁体制にあると言うその構造と、マス・メディアの捏造・偏向報道の実態を知れば、誰が一体、指導者のあるべき姿と為すべき行動を示しているかが解るはず。

もちろん、悪い噂も多い・・・がしかし、中川昭一氏や石井紘基氏の様な正々堂々としたやり方では、失脚もしくは○○されておしまいなのだ。

その点、小沢氏は、恩師である田中角栄氏がロッキード事件によって嵌められた顛末をそばで見届けているがゆえに、「清廉潔白なだけでは駄目なのだ」と言う事を痛い程に理解しているのだろう。

白を黒に黒を白に塗り替える権力の犬マス・メディアの報道を鵜呑みにする国民が居る限り、この状態は変らない。

脱原発デモに関しても(特に初期は殆ど)そうであったが、今回話題にしているACTAに関しても、欧州では抗議デモが行なわれているにも関わらず、この様な重大な問題を日本のマス・メディアはそれを一切報道しようとしないのが現実。

・・・何故なら、彼ら(マス・メディア)のご主人様はそのスポンサーであり、彼らの使命は国民に真実を伝える事なんかではないからである。


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「秩序による支配」

求めるものが何であるかと言えば・・・。

「秩序による支配」・・・だ。

何故なら、「人間による支配」は、その人物の思想や信条だけならまだしも、感情や欲望・・・すなわち私益を追求する利己心に基づく、気まぐれかつ一方的かつ抑圧的なものになりがちだからである。

・・・もっとも、家庭内、ひいては特定の集団内や国家においては、ある一つの条件を満たす事によってのみ、それは正当化されるのだが・・・。

その条件とは、「支配者が責任を負う事」に他ならない。

国民的アニメ「Sザエさん」で言えば、N平は外で働いてお金を稼ぎ、家族を養い護る責任を全うしているからこそ、FネやSザエに対して偉そうにも出来るし、Kオをどなり叱る事も出来るのである。

これが、毎日働きもせず酒だけ喰らってたらどうだろう?

おそらくI野家は、恐怖や暴力で家族を支配化に置く愛のない封建家庭となるか、いつしかFネによる熟年離婚、もしくはKオからの親殺しと言う逆襲にあってしまう事であろう。

・・・あるいは、その様な理不尽な(=正当性の無い)支配と抑圧は、子供達の人間性を歪め、その子もまた親同様の方法論を踏襲するか、悲観主義がもたらす鬱で自虐的な生き方を選ぶ事になるのだ。

・・・もっとも、万に一つの可能性で、そう言った親(=理不尽な支配)に反逆し、自ら真逆の生き方を選ぶ子供も居ない訳ではないが・・・。

しかるに、いずれにせよ逃げ場のない状態、すなわち自活する能力のない子供時代に、家庭と言う閉鎖空間の中でそんな親と四六時中過ごさねばならない状態などと言うものは、言わば“一神教による洗脳”とほぼ同義なのである。

百歩譲って、子供をその様に育ててしまった親は、封建家庭と言う方法論を踏襲(=世襲)させる事でも何でも良いから、その子が社会において名実共に自立するまで、その責任を負うべきであると私は考える。

・・・そう、家族を養い護る親にせよ一神教の洗脳を施す親にせよ、子供を生み、人として育てる責務を親ならば放棄してはならないし、それが出来ない人間には、子供を生む権利も育てる資格もないのだ。


・・・とは言え、そんな親を弁護する訳ではないが、その様な親失格の人間を生み出すのもまた、責任を取らず自己の利益だけを貪り、更にはその構成員にまともな教育を施さぬ事で自らの地位の確保や安定を図る支配者が君臨するこの社会である事もまた、疑い様のない現実であろう。

要は、簡単に言えば、これこそが負の連鎖であり、イジメの連鎖の正体なのだ。

また、それらすべての原因こそは、人間が自己の欲望を最優先して生きようとするその姿勢に基いており、その様な野蛮な状態を克服し解決する方法こそが、今回のテーマ「秩序による支配」なのである。

そもそも、人間は他の動物に比べ高度な知能があるゆえに、実はもっとも残虐にして野蛮な生き物なのだ。

・・・と言うと、例えば「シマウマを襲って食い殺すライオンの方が残酷だ」と、おっしゃる方も居るかも知れない。

しかしそれは、ライオンがライオンとしての性質、そして自然界の掟、更には食物連鎖と言った、地球上における生命循環の法則、すなわち“ルール”なり“秩序”に従っているにだけに過ぎないのだ。

よって、動植物と共に地球に住まわせてもらっている私達人間に求められているものとは、乱暴に言えば人間が持つその高度な知能を捨て去るか、もしくはそれがいやなら、その能力を最大限に生かして、大自然のルール=秩序を尊守する生き方を、個人個人、ひいては社会全体で成し遂げる必要があると言う事なのではなかろうか・・・と。

あるいは、それをものすごく簡単な言葉で言い換えるならば、誰もが気分良く暮らせる事・・・否、人間だけではなくすべての動植物が、それぞれが持つその特性を発揮する事こそが、地球と言う惑星の繁栄にも繋がるのではないのだろうか?・・・とも。

そう言う意味においては、人間が最も、持ち得るその特性を活かしきれていない・・・と言うより、自らのその能力を用いるどころか、それを知る事さえも妨げられている・・・と言えようか。

子供を人間として育てない親の教育、そしてその様な親や環境を産み出す元凶である、人間が本来持ち得るその能力を制限する事によって自らの利益や地位の確保を図る独占的支配者。

その様な、人間や生命の尊厳を冒涜する者、もっと言えば大自然の法則を破壊する地球の支配者ならぬ“地球への反逆者”達を断罪し排除する事なくして、真の平和が訪れる事など、未来永劫あり得ないのである。

それゆえに、「人間による支配」を「秩序による支配」へと変革せねばならず・・・。

そのために、被支配者階級である私達が為すべき事とは、「人間への従属」を「秩序への従属」へ、そして「他人への依存」を「他人との共存」へと、自らの意識や行為を転換させて行く事にあるのだ。

そしてまた、それこそが、年齢だけを重ねた大人と言う名の家畜としてではなく、「人間としての自立(もしくは独立)」と呼べるものなのだ・・・と、私は考える次第なのである。


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「夏の健康法」

先月末、何とか7月の支払いノルマを(少し残しつつ)完済イタシマシタ。

・・・がしかし、もうすでに8月の支払いに取り掛からねばなりマセン。(TT)

・・・とは言え、このブログも、しばらくサボってたうちにだいぶ過疎ってしまいマシタので、ぼちぼち再開するとイタシマスか。

ところで7月の初め、どうにも身体がだるくて仕方なく、何とか解決策はないものかと、私はネットで安価な健康法を色々検索しておりマシタ。

よっぽど体調悪い時はおろし生にんにくをカップ麺に入れて食べるのが一番なんだけど、あれは匂いがキツイのでそんなに頻繁には食せないからね。

そんな中、「酢が良い」との情報を目にした私は、「これならお金もかかるまい!!」と、その情報に飛びついたのデシタ。

確かリンゴ酢とかってのがあったはずだから、それを毎日ちょびっとずつ飲めば良いや・・・と。

しかし、たまたまなのか、近所のスーパーとかに売ってないんデスよね。

今にして思えばネットで探せば手頃なリンゴ酢が見つかったのかも知れないけど、その時は切羽詰ってた上にお金もなかったから、私は近所の100円ショップで瓶入りの米酢を買って来たのでありマス。

それで、早速ちょっと舐めてみたのデスが・・・。

うえ~!!こんな酸っぱいの、一滴だって飲めやしないよ!!(TT)

そこで私は考えた。

そうだ!!酢を使う食べ物を食せば良いのだ!!・・・と。

だけど、包丁で切ったり調理しなきゃならないとなると色々大変だし、どうしよう!?

・・・と、そんな折、私に一つの閃きが!!

これだ!!これなら毎日、いくらかの分量の酢を摂取出来る!!

それがこれ!!

CAMAZYTE.jpg

やはり100円ショップで買って来た、いわゆる「かにかま」デス!!

それから私はほぼ毎日、一日一食はこいつに酢をぶっかけて食しておりマス。

効果の程は不明なれど、以前に比べ、異常な疲れが身体を襲う日がいくらか減った様な気も・・・。

考えてみれば、夏の風物詩である冷し中華なんかにも酢が使われてるから、やっぱ夏バテ防止とかに良いのかもね。

ではでは、本日はこれまで。(^^)
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