Mr.エレクトの独り言 2012年10月07日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「コタイサ」

人には、「個体差」っちゅうもんがありマシテ・・・。

それにはまず、親から受け継いだ体格、体質、体力、その他・・・。

要は、生まれた時点、更にはその後の生育環境によって、人生の大枠は運命付けられると言っても過言ではない。

・・・しかるに、それらはある程度改善可能だったりもするし、例えばモーター・ボート・レースの競技者は身体が小さくないと駄目だったりなんかするゆえに、仮に身体のサイズが小さいなら小さいなりにそれぞれの得手不得手を開発する事も出来よう。

すなわち、決してその時点で幸不幸が決定するのではなく、それはあくまでも選択肢の幅や種類が限定されると言う問題に過ぎないとも考えられる。

ところが、「個体差」を生み出す理由として、実はもっと深刻な問題が存在するのだ。

ご存知だろうか?現役プロ野球選手だかプロ・スポーツ選手だったかの生まれた月を調査してグラフにした所、非常に面白い結果が出たと言うのを。

それは、彼らには圧倒的に4月生まれが多く、その次が5月~6月~7月と順々に減って行き、(28~29日しかない2月が最低ではあるものの実質的には)3月生まれが最も少ないと言う統計結果なのだ。

要するに、これは学校教育における一学年が4月から始まると言う事に起因しており、4月~翌年3月生まれの子供達を同学年として所属させるがゆえに、単純に考えても最大11ヶ月は発育状況が異なる者同士が同列に並ばせられて競わされるために必然的に芽生える差異で、子供時代の1年間の発育の差と言うものは相当な開きがある事を顧みれば、これは大きなハンディ・キャップであるとさえ言えよう。

しかし、これはそんなに単純な話ではないのだ。

確かに、スタート地点における差異が生み出す格差と言うものは大きい。

・・・が、最も重要なのは、子供自身がその時点でスポーツや運動に対して「自信を失ってしまう事」であると、そこでは説かれていたのだ。

言われてみれば、子供に限らず人間なんてものは、自身が得意であると考えるものや親なり他人から誉められた事柄に対しては更に意欲を掻き立てられて、そこに時間と労力を積極的につぎ込むがゆえに、更にそのスキルがアップすると言った具合に、自然とプラスにプラスを重ねる事が出来るもの。

そしてその逆に、成果も上がらず誉められもしないものに対しては自信など持ちえぬがゆえに、意欲や情熱など湧きようがないと言う結果にも容易に繋がるのだ。

ゆえに、ただでさえスタート地点がマイナスなのに、そこへ更にマイナス感情を持ったままで何かしらの改善策を試みた所で、その成果が出るなんて事は有り得ようはずがないのである。

ましてや、マイナス人間がぐずぐずしているうちにも、プラス人間は次々とプラスにプラスを、喜びに喜びを、快楽に快楽を、自信に自信を積み重ねているのであるからして、もし仮にそいつらを追い越すためのエネルギーをそこに費やす事が出来る様な負けず嫌いな人間であれば、その様な過剰なエネルギーはもっと別な、もっと自分に向いている目的なり方向にそれを費した方が得策である事は言うまでもない。

言うなれば、良くも悪くもその人自身の向き不向き・・・ひいては運命を決定付けるものは、生まれた時点での格差もあるが、その後の生育環境にも大きく左右されると言う事。

また、それだけ「自信」、そして「こころの問題」と言うのは人間に大きな作用をもたらすものなのである。

だから、そう言った確かなデータがあるにも関わらず「個体差」の存在を認めようともしない野蛮な人間が、いくら「誰だってやれば出来る」などと言う妄言(根拠なき暴言)に近い精神論を口にしようが、そこに横たわる意識の違いや差異が埋まる事など永遠にないのだ。

更には・・・学校生活における競争や比較と言う名のハードル以前に、家庭環境・・・すなわち子供が親なり親代わりの保護者から受ける教育なり躾なり処遇と言うものは、表面的な言葉や行為そのものの価値や正否だけでなく、それが真の愛情(←自己愛ではく他己愛)に裏付けられているかどうか?と言った精神的な面も大きく、ましてや年端もいかぬ子供にはその真贋を判断する能力など備わっていないのだから、問題は実に複雑・・・否、子育てと言うものは本当に大変と言うか、人生の一部(時間と労力)を捧げる覚悟がなければ出来ない仕事だと、痛感させられる次第なのである。

(ちなみに、ヒカルゲンジ出来ちゃった結婚のムスコは「俺が死ぬか親父を殺すしかない」と発言しており、そこまで自身の置かれた状況を現実的に把握出来ているならば、彼は自らを救う事が出来るであろうと私は考える。・・・と言うか、そんな親なら居ない方がマシだっちゅうの!!)

諸説あるが、生まれてから3歳まではとにかく誉めたり甘やかすのが良いと言う。

すなわち、その時期に認知欲を満たしてやる(=無償の愛情を注ぐ)事によって子供は自信(←例えそれが根拠のないものだとしても)を持つがゆえに、言わば燃料タンクを満タンにしたフラットもしくはプラスの状態から物事に取り組む事が出来ると言うのである。

だがしかし、これがある程度成長してしまうと、子供自身が自分(の存在価値)に自信を持つために(=他者から認知させるために)クリアしなければならないハードルやノルマが増えるし、親がそれをしようにも、赤子の頃なら誉めるだけで済んだから安上がりであるが、大人になればなる程その要求は増大するがゆえに親もそれに対応し切れず(・・・と言うか、下手したら「もう大人なんだから」と突き放す・・・)、かくしてまた一人アダルト・チルドレンが世に放たれ、そしてまたそう言った「自己愛を満たしきれていない人間」が親になり子育てをすると言った悪循環=負の連鎖が繰り返される訳なのだ・・・。

つくづく思うが、人間なんて単純なもので、ただただ「誉められたい」か「認められたい」か「愛されたい」だけの生き物。

ならば、自分が他人に対してそうすれば良いのだが、自分に“無いもの”はあげられないからね。

残酷な言い方をするが、マイナス人間がどれだけの努力や苦労を重ねて自身の能力を向上させたところで、「愛されて育った人間の笑顔ひとつ」には敵わないのだと言うのが現実なのだ。

これから親になり子育てをする方々は、是非その点をご一考願いたいもの。

だからせめて、自分の子供にまで負の遺産を相続させる(押し付ける)のはやめにして、その様なマイナス感情は自身が独りで抱いて死んで行って欲しいと私は願う。

いずれにせよ、「地に足をつける」と言うが、プラスであれマイナスであれその現状を直視し、そこをスタート地点と定める事が出来れば、あとはそこに何かしらを積み上げて行くだけの話。

マイナス感情に振り回される事は、決して自分を幸せにはしないし、他人をも犠牲にするだけだ。

よって、必要なのは「個体差」を認める事・・・すなわち「既に変えられぬ過去=自分ではどうする事も出来ない障害」にいつまでも執着する事なく、そんな不可能な願望や妄想はさっさとあきらめて、そう言った不遇な運命さえをも含めた自分自身を素直に受け入れる(=認めてやる)事であろうか・・・。


<関連記事(未完)>
■「天才論」①「天才と凡人の違い」
■天才論②「天才は、遠くにありて眺むるもの。」
■天才論③「天才と天然の違い」
■天才論④「天才の定義」
■天才論⑤「天才とエリートの違い」
■天才論⑥「魅力と能力」