Mr.エレクトの独り言 2012年11月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「ヌレギヌ」(誤解を受ける部分を追記訂正済)

マスコミ御用達のヒョ~ロンカのセンセ~が、「ノダはザイムショ~(及びIMF)の言いなりだ」・・・などと申されておりマシタ。

良く知らないけど、じゃあそのザイムショ~(及びIMF)ってのは、(実際には「社会保障と税の一体改革」を議題に上げるために「自民党の増税案」に合意せざるを得なかったにも関わらず一方的に悪役呼ばわりされている)ノダソ~リを、影で操る超極悪組織って事か!!(@@;)

・・・テコトは、いずれにしても傀儡(パシリ)の首を生贄として差し出すだけじゃ、何も変らないよね。

病気にせよ何にせよ、まずはその原因を知り、その元凶を根本的に改善しなきゃ意味ない訳で・・・。

片や、時期ソ~リの有力候補である(・・・と、何故か報道されまくっている)アベちゃんなんかは、ザイムショ~と仲良しのせいか、「日銀法改正」をちらつかせて総選挙に向けた人気取りに余念がないご様子。

・・・と見せかけておいて、実際には9条改正して自衛隊を国防軍(←国亡軍?)にすれば、日本ももっと世界平和(=民主化と言う名の内政干渉=殺戮と強奪による経済植民地化)に貢献出来る国になれるもんね。(^^)

・・・と言う訳で、今回は冤罪に関して。

最近ちょっと冤罪について調べていたのだが、冤罪とは、これ程までに酷い話が他にあるだろうか?ってぐらい、残酷な仕打ちであると感じられてならない。

しかも、話題性の高い事件はマスコミがこぞってそれを報道する訳だから、司法から言い渡される量刑のみならず、被告は(しかもまだ容疑者の段階ですらも・・・)名誉や尊厳さえも奪われる尽くすと言った二重の罰と辱めとを受けるのである。

・・・と言うか、もはやそれは社会からの抹殺に等しい。

例えば、これは司法による冤罪ではなく、言わばマス・メディアによる冤罪であるが、中川昭一氏やリビアのカダフィ大佐等、報道機関(=扇動機関?)を利用してさんざん汚名を着せた上に、当人は既に死んでいてその汚名を晴らすチャンスすらないとなれば、これ程までに屈辱的な仕打ちが他にあろうか。

カダフィ大佐に至っては、まるで見せしめの様にその惨殺シーンの映像を公開されて・・・。

翻訳ミス部分改定済■「カダフィの真実を知ってほしい リビア 新世界秩序 NATO」
■「シロアリ駆除」番外編~「シロブタ駆除」
■「私達の無知と無関心によって大量虐殺は正当化される」

また、中にはケン殺やケー殺の威信を保つために生贄にされた人達も居るだろうが、もっと酷いのは、意図的にその人物を貶めるために行なわれる計画的な冤罪である。

例えば、東電OL殺人事件に関しては、先頃潔白が証明された容疑者の冤罪問題だけではなく、東電に勤めていながら脱原発派であった被害者が、ただ殺されたのみならず、売春婦であったとの疑いをもかけられた一件。

そして、政権交代後、ジャイアンの無茶振りならぬ「年次改革要望書」(アメリカから日本への一方的な要求)を廃止した鳩山総理(当時)は普天間基地移設や家庭内のおこづかい問題でマスコミから叩かれ・・・。

コイズミ改革によって破壊された日本を元の状態に戻そうとした民主党の党首(当時)小沢氏は検察とマスコミの総攻撃により、その力を存分に発揮する事が出来なかったのである。

■「売国奴・小泉構造改革の真実」

それもこれも、責任の伴わぬ権力・・・すなわち立法府の議員とは異なり、国民の信任を受ける事もなければその権利を剥奪される事もない行政府と司法、更にはその太鼓持ち機関であるマス・メディアの描いたシナリオ通りに私達が踊らされた結果なのだ。

シリア問題も然り・・・。

ところが、最近になって、またもや驚くべき情報を知らされる事となった・・・。

北朝鮮の拉致問題であるが、これがどうも「ヌレギヌ」らしいのである。

私も当初は、その話を聞いても「んなアホな!!拉致は何年も前から問題視され報道されてる事実じゃないか!!」・・・と思いマシタ。

しかし、色々調べれば調べる程、「確かに・・・」と思わされる事ばかり。(--;)

思えば、何一つ自分で見た訳でもなく、ただただマス・メディアの情報だけを頼りに、「あの人は良い人、あの人は悪い人」と言う噂(情報)を耳に入れ続けた結果とは言え、知らず知らずのうちに、まるでそれが事実であるかの様に錯覚させられていたとは・・・。

ヒトとは本当に、「見たものしか信じない」・・・のではなく、「見たいものしか信じない(見たくないものは見ない)」、もしくは「見せられたものを信じさせられる」生き物なのだな・・・とも。

更には、「東電OL殺人事件」同様、この拉致問題関連人脈にも東電(=原発/プルサーマル計画関連=○○の思惑)が絡んでるんデスよね・・・。

まあ、興味(もしくは反論)のある方はご自身で勝手に検索し、反対意見も含めた情報を取り入れた上で検証してみて下サイ。

ちなみに「拉致問題」に関しては、私としては主に、以前当ブログ(以下のリンク記事)でご紹介させて頂いたネット上の論客、“ソーゾー君”氏による分析が詳しく、また非常に的を得てるものと思われマシタ。

■「ソーゾー君の12項目」

いずれにせよ、如何に自分が認知支配の牢獄に閉じ込められていたのかと言う現実を自覚させられずにはいられない、今日この頃・・・。(--;)

それもこれも、「ただただ情報を記憶する事=学ぶ事」であり、それが多ければ多い程「偉い人間」であるとする、学校教育の弊害(もしくは成果)でありましょうか。

・・・もっとも、自分なんかは授業中寝てばっかだったけどネ。(^^;)

その点、ネット上は相反する意見や考え方が混在する(←つうか、実はそれが普通)ゆえに、「どちらが正しいのか?」を自分の頭と知識で判断しなくちゃならない訳で・・・。

一神教カルトならぬ一方的かつ一方向的な情報しか取り入れない人達・・・すなわち、「異なる意見(異教徒)を排除・抹殺する事が信仰の度合いを示すバロメータ」である「マスコミ教信者」にとっては、「ネット上の情報は嘘ばかり」ってな事にもなるんだろうけど・・・。

■「マスコミ教信者」

何にせよ、真の解決を望むのであれば、まずはその原因を知り、その元凶を根本的に改善する事が必要不可欠であるのと同様に、多数もしくは多人数からの情報ではなく、相反する意見をも含む“多面的な情報”を収集する事が必須である・・・と言う事でしょうか。

以下は余談・・・。

それにしても、「絶対に安全だから」と騙されて、いざ事故が起きたら、その後始末は国民が(税金なり電気料金値上げによって)背負わされる事になろうとは。

・・・にも関わらず、(事の善し悪しは別として)騙した側が言うならともかく、騙された側が「騙される方が悪い」などと言う詭弁を真に受けるなどとは、自虐的になるにも程があるよ!!

ましてや、「そんなに言うなら電気ツカウナ(使うな)」と言うけど、それならそっちこそ「責任も取れない(取らない)くせに電気アツカウナ(扱うな)」って事!!(@@)/
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「魂の牢獄」その3

■「魂の牢獄」その2

上記のつづき・・・。

前回述べた、親なり親代わりの保護者が子供を自分の言いなりにしたい(=支配下に置きたい)がために、子供に恐怖(=無力感)を植え付ける手法であるが、これはそのまま宗教等にも当てはまる。

・・・つまり、「人間は無力な存在なのだ(と思い込ませる)」→「だから神に祈りなさい(縋りなさい)」→「教団(教祖様)にお布施しなさい」・・・となり、要は「人間を自立させない」と言う意味においてその手口は共通していると言う事。

また、親子間においてその様な仕打ち(恐怖支配)を受け続けた(受け過ぎた)子供には、何が欠けている(もしくは身に付いてない)かと言えば・・・。

それは、「自己肯定感」に他ならない。

それが身に付いてない人間にとって「生きる」と言う事は、言わばぬかるんだ地面に立ったままで歩くか、もしくはジャンプしようとする事と同義なのだ。

そしてその反対に、「自己肯定感」を身に付けた人間とは、既に固い地面の上に立った上で何かを為す事が出来る者であると言う事。

よって、上記の二者間においては、社会に出て自身の能力なり地位なりを向上させようとした際に必要な助走期間の度合い(=スタート・ラインの位置)が異なる事はもちろん、もし仮に目標を達成出来ず、つまずき挫折した際にも、前者はマイナスにマイナスを重ねる泥沼の地獄だが、後者は元々居た地面に着地する(=スタート地点に戻る)だけ・・・と言った、極めて大きな違いがあるのだ。

更には、幼少期の子供にとって“親なり親代わりの保護者”と言うものは、常に近くに居て、しかも生殺与奪権を握っている存在であるからして、その責任も確かに大きいのであるが、言い方を変えるならば、彼らは子供に対し“無根拠な賞賛”を与える事の出来る唯一の存在と言う事でもある。

・・・何せ、親バカと言う言葉が示す通り、幼児が笑っただけで誉め、這い這いしたと言うだけでそれを褒め称え、立って歩けば大騒ぎする始末なのであるからして・・・。

そもそも、一旦社会に出てしまえば自分の事を無根拠に誉めてくれる人間になどとはなかなか出会えないゆえ、それが出来るのは血を分けた肉親だけなのだ。

・・・がしかし、根拠無き賞賛によって自己肯定感が身に付くのと同様、血が繋がっているかどうかと言う事さえも、実は思い込みに過ぎないのではないかと私は考える。

(もっとも、母親と子供の関係においては、そう言った理屈を越えた精神レベルの結びつきがあるのかも知れないが・・・。)

たいていの父親は、それが本当に自分の血を分けた子供かどうかなんて事、言葉や理屈でしか認識出来ていないのではなかろうか。

ゆえに、それと同様、“愛情”なんてものもまた、人間の思い込みの産物にしか過ぎず、いくら親が口を酸っぱくして「これは愛情だ」と強弁しようが、子供にそれが伝わらないか、もしくは子供自身がそれを感じられなければ無意味なのである。

・・・と言う事は、例えば自分に子供が生まれて初めて、「あれは(親の)愛情だったんだ」と思える(or思い込める)事も良く聞くエピソードであるゆえ、もし仮にそれが愛情に基づくものでもなんでもなかったとしても、受信者が勝手に「それを愛情だと感じさえすれば良い」と言う話にもなるのだ。

・・・だからこそ、「親はなくとも子は育つ」・・・とはちょっと意味が違うが、親なんて居ようが居まいが・・・否、もちろん居るに越した事はないが、価値観を共有し合える恋人や友人、あるいは親どころか人間すらそばに居なくとも、動物を飼うなり文学や音楽や絵画に触れる事によってその精神が共鳴なり共感する事によって自身の“自己肯定感”を育む事も可能なはずであり、現に私はその様な人物を何人か見知っている。

・・・と、ここで、勘の良い方は気づいたかも知れないが、「じゃあその“自己肯定感”ってやつに確固たる根拠は無いの?」って話であるが・・・。

おっしゃる通り、“自己肯定感”とは“思い込み”に過ぎず、しかしまたそれこそが“自信”なるものの正体に過ぎないのである。

何せ、まともな親であれば、「子供が健康なだけで満足」どころか、「子供が生まれて来てくれた事だけで幸せを感じる」程なのであるからして・・・。

だから、もし仮に親に愛されて育ったと思い込む事が出来たがゆえに自己肯定感を身に付ける事の出来た人間は、社会に出てからも“それ以上多くを望まない(=挫折する可能性を芽生えさせない)”で居られさえすれば、そして死ぬまでそれ・・・すなわち「自身の自己肯定感が無根拠である事」に気づかずに居られれば、生きてるうちにその洗脳(←悪く言えば)が解けなければ、死ぬまで幸せを感じていられると言う事なのだ。(←それは宗教も同じデスよね。)

・・・要は、一見幸福そうに見える彼らとて、実は「魂の牢獄」の住人に過ぎぬ・・・と言う事になるであろうか。

・・・とは言え、運悪く自己肯定感を身に付けるチャンスを得られなかったために、常に他人からの評価のみならず自身の胸に巣食う無力感に苛まれている(もしくは立ち向かわなければならない)人間からすれば、スタート地点がマイナスではないと言う事だけでも充分に羨ましい状態・・・と言う事にもなるのであるが・・・。

そう考えると、本当に正しい・・・と言うと語弊があるが、まっとうな子供の育て方と言うものがあるとするならば、それは幼児期にはとにかく無根拠に誉め、しかしある時期(訂正:1歳半~3歳くらいまで?←各自でお調べ下サイ)を過ぎたら“根拠ある誉め方”をする・・・すなわち「きちんとお片づけ出来た」程度の事に始まり、更には「絵が上手」だとか「電車が好きね~」だとかと言ったその子も長所なり特性なり将来性を的確に指摘し、それを大いに伸ばしてやる事・・・となるであろうか。

そしてまた同時に、誉めたり甘やかしたりするだけではなく、幼児期には(言葉など通じないゆえ)理屈抜きで叩いて躾け、ある時期(訂正:1歳半~3歳くらいまで?←各自でお調べ下サイ)を過ぎたら理屈によって諭す・・・と言う事も併せて必要であろう。

それにしても、いや~・・・子育てって本当に大変デスよね。(--;)

ちゅうか、言い換えるならば、「人間を生み育てる」って事は、それだけ重要かつ責任の伴う行為であり、ヒトが人生(時間と労力)を賭けて取り組むべき一大事業だって事かな。

(その4につづく)

「テレビの言いなり」

マスゴミの誘導に乗せられて、一方的に口うるさいオバハン大臣を批判するのも良いけれど・・・。

そこには大学の新設利権って問題もあるのだから、ちゃんと調べた方が良いデスよ。

尖閣問題もしかり。

反対意見含む多種多様な意見や情報を取り入れた上で判断を下さないのであれば、カルト宗狂の信者と一緒でっせ。(--;)

「レコード珍宝館」その3

本日の珍ジャケ3点。(画像はネット上から無断拝借イタシマシタ。)

「無理やろ!!」
ムーミン



「キモッ!!」
ギター



「ヒゲダンス?」
ヒゲダンス



次回もお楽しみに!!(^^)/
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