Mr.エレクトの独り言 殺意なくとも人は死ぬ

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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殺意なくとも人は死ぬ

我が子とは言え、明らかに自分より力の劣る、乳児や幼児を虐待する場合を除き・・・。

血の繋がった、あるいは同居している家族なり身内を殺すのであれば、これは、外部の者には窺い知れぬ事情、こころの闇(病み)が、そこにはあるゆえ、一概に批判は出来かねる。

だがしかし、何の罪も、ましてや接点すらない赤の他人を殺す事、ましてや、自分より力の弱い者を・・・であれば、これは決して、許されざるべき行為であると規定して、何ら問題無いであろう。

さて、件の母子殺人事件であるが・・・。

死刑制度や終身刑について、是か否かを語るには時間が無いゆえ、それらは置いておくが、そもそも、法律や刑罰とは、殺された被害者や、その遺族のためにあるのではないと言う事を知っておく必要はあるだろう。

そう。法律や刑罰とは、あくまでも国家のためにあり、国家を安全かつ安定して維持し続けるためにこそあるのである。

ゆえに、誰かが死んだとか殺されたと言う事実よりも、被告に殺意があったかなかったか、すなわち、“法律(=国家)に逆らう気があったかなかったか”と言う事の方が、裁判では重要な争点となるのだ。

さて、トナルト、弁護士である。彼らの役割とは、真実を追究する事などではないのは言わずもがなであり、あくまでも、被告の無罪を勝ち取る、あるいは少しでも減刑させる事が目的であり、それが、彼らの弁護士としての能力のバロメータなのであろうが、そう考えると、件の被告が、あの様な子供染みた言い訳を平気で口にし続ける事を放っておくと言うのは、一体、どう言う事なのであろうか。

本来ならば、もっと上手なウソを付くよう、真摯かつ親身になってアドバイスする事こそが、弁護士の責務ではないのか?

何にせよ、いかなる理由があれど、そして殺意があろうがなかろうが、人が死んだ・・・否、人を殺してしまったと言う事実に対し、“反省する素振り”すら見せないでいると言う事は、どう考えても得策ではないだろう。

これはある種、弁護士の怠慢か、あるいは、意図的なもの(被告を助ける気がない)だとしか思えない。

ところで、先日起きた、「奴隷にしてください」事件であるが、どうも世間では、これを軽々しく扱い過ぎな気がしてならない。

母子殺人事件の被告の証言(虚言)を信用するならば、(わざわざ作業員のコスプレまでして部屋に上がり込んでいながら、)「死んだ母の代わりに頭をなでてもらおうとした」・・・ゆえの行為が、結果的には、母のみならず、赤子の命まで奪う事になったしまったのであるからして・・・。

よって、我々は、肝に銘ぢなければならない。殺意があろうがなかろうが、人は死ぬ(殺される)可能性があるのだと言う事を。

・・・“ドラえもん”など居ないのだ。

悲惨な事件の被害者になりたくなければ、“殺されないための”、現実的かつ物理的な防御策が必要不可欠なのである。

見ず知らずの誰かに、しかも、その誰かの「死んだ母の代わりに殺された」とあっては、たまったものではないではないか。
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