自分で物事を決められる様になればなるほど、他人を尊重出来る様になる。
ただし、他人を尊重すると言う事は、その人を好きになるとか、その人の行いをすべて良しとみなすと言う事ではない。
・・・むしろ、絶縁する事だって、あり得るのだ。
何故なら、自分固有の価値観や基準を持つと言う事は、他人の持つそれをも認めると言う事であり、そんな、自分の考えとは相容れない他人の考えを認め、共存するためには、「そばに近寄らない」事、そして「積極的に関わらない様にする」以外に、方法はないからである。
比較、そして競争。今こそ勇気を出して、そんな、支配者の謀略に脅かされた不毛な連鎖を断ち切らない限り、我々が人間の尊厳を獲得する事など出来ない。
我々には、人間の尊厳が備わってない訳でもないが、元よりあったそれが奪われたと言う訳でもない。
我々は、人間の尊厳を獲得する“機会”を、ことごとく奪われてきたのである。
勇気を出せよ。
他人を傷つけたり、他人から何かを奪う人間より、他人にやさしくしたり、他人の事を思いやる事の出来る人間が、肩身の狭い思いをしなけりゃならない理由なんて、何処にもないではないか。
自信を持てよ。
自分より弱い者を見つけ出さなければ(作り出さなければ)、自分の存在価値を認められないなんて、みっともないにも程がある。
まっ、自分に言い聞かせている部分もあるが・・・。
人間、いつ死ぬか解らないから、やはり、言いたい事は言っておくべきかと思い、これを記すものである。