自分に不幸があった時、幸福そうな人間を見て、怒りの感情が芽生えたとしよう。
しかし、自分が楽しい時、幸せな時も同様に、そう感ぢないのだとしたら、それは本当の怒りではない。
自分の感情の揺れや振れ、充足の度合い、それらがすべて、いかなる位置にあろうとも、決して変る事のない怒り。それが、堂々と胸を張って言える、正当な怒りと呼べるものである。
・・・とは言え、突き詰めてみれば、しょせん一個人の怒りに過ぎない訳であるからして、それが絶対に正しいと言う訳ではない。しかし、自分の感情や気分次第で簡単に変化する様な曖昧な基準から導き出される怒りよりは、なんぼかマシであろう。
・・・テコト!!