しかし、どう考えても、面白い・・・。
・・・やはり、「ふざけてやがる!!」・・・と言う意味において・・・。
だってさ、殺意があったかなかったかより、結果として人が死んだかどうかの方が重要ぢゃあないの?
考えてみよう。すべての人が・・・とは言わないが、私達、善良な市民だって、こころの内に殺意を抱く事ぐらい、たまには・・・否、しょっちゅうあるでしょ?
だけど、実際に行動には移さないから、結果として誰も死なないだけの話でさ・・・。
そんなら、「誰かを殺したい」と、頭に思い浮かべただけでも、殺人未遂の罪に値するんぢゃあないの?・・・テコト。
更には、「ぶっ殺す!!」なんて、口走ったら、もうそれだけで証拠は充分でしょ。
結果として、相手を殺せなかったとしても、それはただ自分の力が及ばなかっただけで、殺意はアリアリだった訳だから・・・。
それにさ、空手の有段者がケンカした場合、凶器を用いたと同等にみなされて、罪が重くなるらしいぢゃない。・・・つまり、自分の力量、あるいは対象者との力の差を自覚していれば、「そんなつもりぢゃなかった」ってな言い訳は通用しないって事。
・・・トナルト、件の母子殺害事件においても、百歩譲って(←譲れるはずもないのだが・・・)、母親は良いとしてもだよ、18歳の健康な男性が、抵抗する事さえままならぬ生後11ヶ月の赤子を床に叩きつけた上に首まで絞めてぶち殺した訳だから、仮に「一片足りとも殺意が無かった」としても、「殺すつもりはなかった」で済まされるはずがないではないか!!
これなら、あの根○敬に似た親戚殺しの方が、まだ救いが、そして改心の余地があるってもんだ。
何故って?・・・殺意があった事を自覚しているからさ。
殺意・・・すなわち、それ相応の理由もなく殺されたりしたら、たまったもんぢゃないよ!!
もっと言えば、そもそも、結果として人が死んだとか死ななかったとかではなく、“力”を用いて、他人の自由を奪おうとする事自体が、既に大きな間違いなのだ。
「戦争が良くない理由は、“人が死ぬから”」・・・ではない。