Mr.エレクトの独り言 「いぬ屋敷Vol.23」潜入レポート⑤「オシリペンペンズ」

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「いぬ屋敷Vol.23」潜入レポート⑤「オシリペンペンズ」

2005年3月21日/池袋手刀
「いぬ屋敷」Vol.23
悪性新生物の間「春期狂育委員会」

オシリペンペンズ、及び、ヴォーカリストのモタコ氏については、以前に、かなりのスペースを割いて紹介したので、くどく語る必要は無いが、今回は、彼らに批判的な意見に対して、検証してみたい。

おそらく、批判的な意見の大多数を占めるのが、ライヴ時におけるパフォーマンスについてであろう。

あの様な、ハプニング性のあるパフォーマンスを嫌うミュージシャンは多い。何故なら、通常は、苦労して創った曲を、何度も練習し、その成果を観せるのが、ミュージシャンとしての真っ当な在り方であるからだ。私もこれは否定しない。

だが、皆が皆、そうである必要は無い。

日頃の鍛練、訓練の成果に対する評価と言うものが、全く無いのであれば、それは問題だが、その様な、“積み重ねた信用”に対す評価も、世間ではきちんと為されているのだから、ある種、それとは異なる魅力として、ああ言ったパフォーマンスの存在も許して欲しい。

いずれにせよ“表現”とは、混じり物の無い純粋さ、差し出す命の重さによって比べるべきなのだ。

死ぬ思いで曲を創り、決して余裕があるとは言い難い生活をしながら練習スタジオに入り、やっと獲得した30分前後のステージにおいて、音楽を愛する、その情熱のすべて、持ちうる能力のすべてを出し切って演奏したならば、それは、必ず認められる。ただし、売れる売れない(評価する人数)とは別問題だが。

そして、ライヴ時における突発的なパフォーマンスも、その言葉、その表現に嘘が無く、その問いかけが本気であれば、それは決して非難されるべき事柄では無い。仮に、ミュージシャンとしては失格でも、表現者として見れば、ここにもまた、優劣は存在するのだ。

とは言え、実際に、ペンペンズの楽曲は、3日やそこらで誰でも演奏出来るものとは違うし、モタコ氏の歌詞は、もしも適当に創っているとしたならば、恐ろしく天才(天然)的であるし、面白いか面白くないかと問われれば、明らかに、そこらのお笑い芸人のそれよりもレベルは高い。そして更に、アドリブで、その場を白けさせる事の無いトークを連発すると言うのは、本当に至難の技なのである。

問題は、貴方が、それを楽しめるかどうか?と言う事なのだ。

どんな音楽も、どんな表現も、つまる所は、自分がそれを受入れられるかどうかと言う点こそが重要なのであり、他人や世間の評価がどうであろうと、関係無い。

モタコ氏は、「これどうや?」と、問うているのだから、貴方は、貴方自身の考えで、それに応えれば良いのだ。

うわべに惑わされ、目をそらしていては、物事の本質など、何も見えては来ない。


「いぬ屋敷 Vol.23」潜入レポート<やっと完結>
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