Mr.エレクトの独り言 「オリジナリティ(独自性)とは?」(前編)←少し訂正
FC2ブログ

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「オリジナリティ(独自性)とは?」(前編)←少し訂正

オリジナリティ、すなわち独自性とは、あくまでも、その度合い(=パーセンテージ)によって推し量られるものであり、単に「ある」「なし」だけで言い表せるものではない。

また、この世に存在しないパーツが、その成分として使用される事は有り得ないゆえ、完全にオリジナルなものなどない・・・と言う考え方もある。

しかしながら、オリジナリティとは、既に存在するモノを独自の感性で組み合わせたり、その配置や配合率を鋭意工夫する事によって形作られるものであると私は考える。

よって、その度合いを少しでも高めたいのであれば、その原材料を増やす努力や、今まで他にはなかった掛け合わせ方法を編み出すための作業が、必要不可欠なのだ。

想像して欲しい。卵と葱だけを原材料として作られる料理で、どれほどのオリジナルが追求出来ようか?ましてや、何の工夫もせず、ただ手元にある材料を混ぜただけで、それがオリジナルな料理だと言えようか?そしてその逆に、近所のスーパーマーケットで売ってる食材程度でも、それだけチョイスの幅が広がれば、それらを組み合わせる際のバリエーションが、どれだけ増えるかと言う事を・・・。

要するに、オリジナリティとは、偶然性に頼ったり、元からあるものだけで成り立つ類いのものではなく、自分自身の意志や力で獲得するべきものなのである。

ただし、ここで一つ忠告しておこう。

「独自性の度合い」と言うものが、それイコール、単純に「努力の度合い」・・・と言う訳ではなく、ましてや、それが「魅力の度合い」などではないと言う事を・・・。

何故なら、ただ単に独自性を高めるだけなら、奇を衒ってみたり、基本やセオリーを無視した突飛な組み合わせをすれば済むだけの話であり、更に言えば、独自であればあるほど、今現在流行なり定着している価値観(←着こなしであったり、調理方法であったり・・・)から距離が遠のく訳であるからして、となれば、それを支持する人間の数が減ると言う事は、もはや自明の理なのである。

よって、独自性に魅力があるとされるのは、独自性の度合いを競う事のみを目的とした場合か、あるいは「独自性(他の人間とは異なる自分)に価値を見出す人間」の判断基準においてのみ・・・と言った、極々限定された場合のみであろう。

・・・ましてや、その判断基準に“自分の好み”が加わるとなると、「独自性に価値を見出す人間」にとっての「独自性の高い他者」とは、「自分とは大幅に価値観が異なる人間」でしかないがゆえに、「独自性のある自分」以上に魅力があるものなど、どう考えても存在するはずがないのである。・・・百歩譲って、それがあるとすれば、それは「他人の独自性に憧れを見出す人間」の間違いであろう。

更に言えば、もしも、過去に用いられ認知を受けた“美の原理”なり“快楽を得るための手法”を一切使用してはいけないとなると、果たして、そんなものに魅力があるのだろうか?・・・と言う気がしないでもない。ただし、何年か後には、それが認知され主流になる可能性が、まったくゼロだとは言わないが・・・。

そう考えると、独自性を追求すると言う事は、ただ単純に、過去になかった新しいものを作ればそれで良いと言う次元のものではないと言う事が解ってくる。

つまり、独自性を確立しようとする事は、要するに、今までになかった新たな快楽なり美を発明すると言う行為に他ならないのだ。

ところで、独自性ゼロとはどう言う事か?

それすなわち、過去に存在したものを一寸違わず完璧にコピーしたものである。トナルト、そこには、実にプロフェッショナルかつ高度な技術が要求されるがゆえ、それはそれで素晴らしい“仕事”である。

ゆえに、独自性とは、ただあれば良いと言うものでもなく、かと言って、無いと駄目だと言い切れる訳でもない。独自性に限らず、人間の能力とは、あくまでも、その使用用途や目的によってのみ、それらの善し悪しが判断されると言うだけの話なのだ。

しかるに、独自性が魅力の一要素である表現や創作の世界において、その結果がもたらす効果(商業的成功、等)の善し悪しは抜きにして、最も批判されるべき行為とは、自らは何も生み出さず、何ら努力すらせず、既にその価値を認知されている他人の作品や創造物の美味しい所や簡単に真似出来る部分だけを中途半端に寄せ集める事によって、自分の魅力や存在価値をひたすら高めようとする、その卑しく下品な態度にこそあるのである。

・・・とは言え、オリジナリティ(=独自性)とは、あくまでも、数多くの判断基準のうちの一つでしかないし、物事の善し悪しを判断するための基準は、出来る限り多種多様な観点から決定すべきであると言う事も事実。

だがしかし、そこに、磨き上げ鍛え上げられた独自の価値観と言うものが加味されていなければ、この世界に生み落とされた人間ひとりひとりが持つべき、個々の存在意義すら無い・・・と言うのが、私の基本的な考え方である。

繰り返し言う。独自性とは、元から備わっているものでもなければ、誰かから与えられるものでもない。

「独自性とは、自分の意志と力で獲得(及び確立)すべきもの」・・・なのである。

(つづく)