もしも、私に自分の血を分けた子供が居て、その子供が突然、「肩でも叩こうか?」と、自発的に言ったとするならば、私はきっと嬉しいであろう。
たとえ、その肩叩きが、現実的な効力を持たない・・・すなわち全然効かないとしても・・・である。
そんな、子供が親を思う気持ちに対し、ただ肩叩きの能力が無い・・・あるいは低いと言うだけで、誰が叱ったりけなしたりなど出来ようか。
だがしかし、時に、そんな親も存在すると聞く。
どうして・・・。
本当に大切にすべきなのは、肩叩きの技能などではなく、子供の抱く、その気持ちではないのだろうか。
もちろん、その後で、お小遣いの値上げをねだる作戦かも知れない。
だけど、それでもいいぢゃない。
理由はどうあれ、人を喜ばせようとか、気分良くさせようとする事って、悪くないと思うよ。
気持ちが入ってないより、全然マシ。
だから私は、高級だとか、そう言ったものが大嫌いなのだ。
高いお金を支払って、誰かに何かをしてもらっても、全然嬉しくないのである。
・・・と言うか、そもそも、人に何かをやらせる事も、やらされる事も嫌いなだけだ。
本当は、自分がやりたいと思う事しかやりたくない。
その点、実は昔から何も変っていないのだが・・・。
別に、西に行くのが好きだった訳でも、東に行くのが好きだった訳でもない。
ただただ、常に、自分が行きたい方向に行こうとしていただけの話。
ちょっと話がそれマシタが・・・。
要するに、そう言う自発的な気持ちを、これからも大事にしたいって事。