そう言えば、もっと幼い時分だったと思うが、こんな事もあった。その日は、家族5人、車で隣県の動物園へ行ったのだが、何やら真っ暗な博物館?か何かの建物内で、私は見事に家族とはぐれてしまったのだ。そして外に出て独り泣いていると、係の女性が声をかけて来て、私は迷子を収容する部屋へ連れて行かれるはめとなった。
その後、父が迎えに来て、車に乗り込み自宅へと向う訳なのであるが、うちの父と来たら、あろう事か「家に帰ったら靴が一人分足りなかったから探しに来た」なんて言いやがる。
「ええっ~!?・・・家に戻るまで気が付かなかったって訳!?」
・・・とは言うものの、よくよく考えて見れば、車中には姉も弟も居たゆえ、一度自宅に帰ったと言うのは、父の悪い冗談だったのだろう。
それにしても・・・。傷つくぜ。ホントにもう・・・。
ところで、父は、私が物心つく頃には既に畏怖すべき存在であった。私にとっての父のイメージとは、「巨人の星」の星一徹そのものであった。・・・何だか顔も似てたしね。
前回にも述べたが、子供の頃は私だけ良く怒られたものだが、最も印象に残っているのが、兄弟間で良くある光景である、「○○の方が多い!!」との超セコイ言い争いを私がしていた時であった。その時は確か、ジュースをコップに分配していたのだが、それを横目で見ていた父は、いきなりテーブルの上のコップを奪うや、「いやなら飲むな!!」・・・と、ジュースの入ったコップを障子めがけてぶん投げたのであった。
思うに、世間一般に言われる「男らしくない態度」、すなわち、ぐずぐずした潔くない態度と言うものに業を煮やしたのであろう・・・。
・・・とまあ、そんなエポック・メイキングな出来事も、しょっちゅうあると言う訳ではなかったが、何にせよ、父はひ弱な私にとって、逆らう気持ちすら芽生えない程の絶対的な存在であり、いつしか私は、父とのこころの交流はおろか、言葉を交わす事さえ皆無となるのであった。
かと言って、私は必ずしも父を恨んでいると言う訳でもない。むしろ、毎日夜遅くまで仕事(父は襖や障子を張り替える職人だった)をしている姿に、私はいつしか影響を受けていた様だ。
ただ、こころの片隅には、「それはないんぢゃないの~?」・・・って気持ちも無くはない。
だって、私ほどではないにせよ、子供ってのは独りぢゃ生きられない訳で、精神的にも弱いし脆いからね。その辺、解って欲しかったって部分もあるにはある。
・・・とは言っても、うちの家庭内はとりたてて裕福でも貧しくもなく、父と母がケンカどころか言い争いをしている事さえ一度も見た事がなく、たまにささいな兄弟喧嘩が勃発する程度の、ごくごく普通の家族であったがゆえ、それでも全然幸せな方だったのであろう。
そして、中学1~2年生の頃は、「ボクはうちの子ぢゃないんだ」「ボクは橋の下で拾われたんだ」・・・と、誰かを憎む気力さえ無く、独り涙に暮れるつらい日々を過ごした私ではあるが・・・。
しかし、今になって、やっと解った事がある。
橋の下で拾った、自分の血を分けた子供でも何でもない私に、食事を与え、服を着せ、学校にも行かせてくれていたのだから・・・。
「もしかしたら、あの人達は、すごく良い人達だったのかも知れない。」
よって、そう思える自分、そして人に対して素直に感謝出来るこころを育ててくれた、あの人達には、こころから感謝の意を示さねばなるまい。
(おしまい)
