Mr.エレクトの独り言 ★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

この日記の初期に、私のフェイバリットとして紹介した、ジュン上久保の「サンフランシスコの奇跡/NOTHINGNESS」と言うアルバムが、遂にCD化された。これで、誰でも気軽に、この作品を耳にする事が可能になったと言う訳で、この機会に解説してみる事にした。

まず、このアルバムの発売は1972年。世間一般ではフォーク・ブームがあり、歌謡曲がポップスと演歌とに二分される過渡期である。また、ニュー・ロックなる名称で、有名どころでは、ジョー山中の居たフラワー・トラヴェリン・バンド等、いくつかのロック・グループが活躍していた事も事実。そして、それら大音量のロック・バンドは、たいていメジャー・レコード会社から、しかし完全に商売とは無縁なところでリリースが為されていた。まだ、ロックなんか商売にはなり得なかった時代なのだ。日本のロックにおける、英語派の内田裕也一派と、日本語派のはっぴいえんどとの対立が論争になる時代でもあった。しかし、日本語ロックの頭脳警察は、どちらかと言うと裕也/ロック側であったし、はっぴいえんどもサウンド的にはロックではあるものの、日本語VS英語と言うよりは、やはりスピリット的な部分でのロック対ポップスと言う図式が根底にあったのではないかと推測される。そんな風潮の中にあって、後に歌謡界の大物作詞家(山口百恵他多数)となる千家和也がほぼ全曲の作詩(すべて日本語)を手がけ、上久保自身が全作曲、しかもすべての演奏をひとりでこなした、この作品が、こんな時代にひっそりとリリースされていたと言う事実は、まさにアルバム・タイトル通り、“奇跡”としか言いようが無い。

そもそも、このジュン上久保(上久保純)なる男は、元々、アメリカで音楽活動をしていた様で、日本に帰国後は、世界的なパーカッショニストであるツトム・ヤマシタのバンドに参加し、ツアー等も行なっており、その後は、柳ジョージと組む前のレイニー・ウッドを引き連れ、広島でブルースを演っていたらしい(なお、現在も、広島で音楽活動を続けている様子)。そこで、想像するに、当時、メジャーのレコード会社である東芝から、まったく無名の新人が、すべて本人演奏による多重録音でアルバムを発表出来たと言う事は、おそらく、アメリカで殆どの録音を済ませたマスター・テープを持ち帰り、東芝に売り込んだか、あるいは、東芝にレコードのプレスを委託し、自主リリースしよとした所、それがディレクターの目(耳)に止まって、急遽リリースが決定したのでは?等の推測が為される。そうで無ければ、東芝の幹部クラスとの強力なコネがあったか、上久保自身がよっぽどの金持ちで、スタジオ代等、すべて自腹でレコーディングしたとしか考えられない。ゆえに、渡米して音楽活動していたと言う事実も含め、海外録音と言う推理は捨て難く、このアルバム・タイトルにも納得が行くと言うものだろう。

次回は、私とこのレコードとの出会い、そして、その内容の素晴らしさについて語ろうと思う。

(つづく)