昔話など、する気はないのだが・・・。
・・・とは言うものの、そうさせる何かがあるのだから仕方が無い。
四半世紀前、少なくとも私にとっては、音楽とは最大の娯楽であり、生きる助けであり、唯一の救いであった。
音楽には、ともすれば人の生き方や価値観、そしてその後の人生や運命さえをも変えてしまう程の力が、確かにあった。
・・・否。今現在でも、その様な音楽はあると断言出来るし、音楽によって生き方や価値観を一変させられてしまう者も、少なからず居るであろう。
だが・・・。
あまりにも娯楽・・・と言うか、孤独や退屈を手軽に解消する事の出来る商品が溢れかえっている、この時代・・・。
相対的に、音楽の価値は下がり、その地位は揺らぎ、持ち得たはずの意義が失われてしまうのは必然。
磨り減る程に一枚のレコードを聴き続ける事だとか、隅々まで舐める様に歌詞カードや解説を読み耽ると言った事も減り、日常・・・ひいては人生においても、音楽が占める範囲や重要性は薄れていく一方。
・・・否。それはそれで構わないのかも知れない。
音楽などに救いを求める程の、飢えや貧困・・・すなわち精神的な飢餓に苦しむ人々が、それだけ減っているのであろうから。
人々は、満たされているのだ。
若者は、満ち足りているのだ。
娯楽は、満ち溢れているのだ。
音楽が担っていた役割、特別な役目など、既に終ったのである。
それは何も悲しむ事ではない・・・。
市民権を得ると言うのは、そう言う事なのだ。
この世の中で・・・この世の中から・・・そして、この世の中ってやつに、認められると言う事は・・・。
「誰に頭を撫でてもらいたいのか?」
・・・その問いかけに対する答えが、私にとっては、その音楽・・・そして更に言うなれば、その人間の価値を量る最大の基準である。
しょせん価値基準は、個人個人で異なって当然。
・・・と言うより、異なるべき・・・なのである。
だから、これで良いのだ。
これで・・・。