日時:2008年5月30日~6月2日
場所:新小岩劇場

今回の会場は、町工場に隣接した倉庫を改造した劇場にて行われた。
広さは20~25坪(小さめのライヴハウス程度)くらいだろうか。まずは会場内の様子を解説すると、天井近くは丸太等を組み合わせたセット(役者の通り道)が張り巡らされ、室内の三辺を囲む形で割りと安全?な観客席(・・・みたいなスペース)、中央床はかなりの量の水が張られた四角いプールとなっており、そこにイカダの様な座敷席が浮かび、後方の丸太を組み合わせた観客席との間のスペース(池みたいな部分)がステージ?となっている。
冒頭、血の繋がらぬ身内同士の利己的な欲求をむき出しにした、えげつない争いから幕を開け、虐待される者が池の様なステージに何度も突き落とされ、座敷席の観客は早速多大な被害に・・・。しかし、これこそがゴキコン観劇の醍醐味なのだ。
・・・ちなみに私は、なるべく隅っこの方でこっそり覗く派であるが・・・。
なお、上演途中で、そのイカダの様な座敷席は観客を乗せたまま後方にスライドし、その空きスペースに単なる壁面かと思われた板が倒され、そこがメイン・ステージに早代わりすると言う大掛かりな仕掛けには、思わず観客の拍手喝采が巻き起こっていた。
また、今回の台本はかなり練られている様子で、基本的には某国民的アニメの登場人物設定のパロディとなっているのだが、ラーメン戦争や人間の機械化、過剰な性欲に翻弄される人々・・・と、この世におけるあらゆる因縁、妄執、業が、とある家族を中心に関連性を持って描かれており、壁に据え付けられた歯車のセットからも連想される様に、それぞれの自己中心的な欲望に振り回されて人間性を失ってしまった登場人物達が、家族や身内をも陥め、利用し、虐待する姿が、それこそいやと言う程に、そして因果応報の地獄巡りがこれでもかこれでもかと繰り返される続けるのであった。
なんと醜い・・・。かつてこれほどの醜い人間達を見た事があったであろうか・・・。
しかしそれは、私達人間が少なからず持っている本性であり、ゴキコン演劇の本質とは、それを極端に集約、濃縮、凝縮して提示する事によって、「私は違う」と清廉ぶり、上品ぶり、上流ぶる人間達に対し、ある種、“悪意に満ちた嫌がらせ”をする事である。
よって、そんな人間の醜い本性に無自覚な人間達は、間違いなく、ゴキコン演劇から目を背ける事だろう。
だが、私は考える・・・。
その様な方々は、たまたま自分の生まれた境遇や置かれた立場が良かったがゆえ、生きるために死に物狂いになった事さえなく、自分のこころに潜む利己的な欲望に気づかないままで過ごしているかも知れないが、むしろ、醜いものから目を背け、汚いものや臭いものに蓋をする事によって、社会の底辺であえぐ人達を“存在しないもの”として切捨てようとしているだけなのではなかろうか・・・と。
・・・否。私は、それが悪いと言っている訳ではない。
ただ、その残酷さを自覚する事なく、自分がさも“立派な人間”であるかの様に思い込むのは如何なものか?・・・と、考える次第なのである。
ゴキコン演劇に登場するのは、表面的に見れば、社会の底辺で醜い足の引っ張り合いをする下流の人々・・・と言う事になるのであろう。
しかし、そこに描き出されているものは、上辺の奇麗さで誤魔化す事をしない、美しいだとか醜いだとかを超えた、上品であるとか下品であるとかと言った誰かが勝手に定めた基準とは全く無関係な、まごうかたなき“人間の本性(本当の姿)”・・・に過ぎないのだ。
(報告オワリ)
あいつもゴキコンの演劇でも観れば(参加すれば)、あんな事件なんか起さなかったかもな・・・。
