あれは、私が上京してコンビニで深夜バイトをしていた、まだ10代の頃・・・。
そのコンビニの朝番・・・つまり私達深夜番と交代に店に出て働くアルバイトに、東北出身の色白で小柄な主婦パートさんがおり、ちなみに私は別に何とも思わなかったのだが、お客サンからは美人だ美人だと評判で、すごく人気があったのであるが・・・。
その主婦パートさんが、ある時、出産と子育てのためにしばらく店を休む事になった。
そんなある日、あれは確か祭りの夜だったろうか、赤ん坊を抱きかかえた奥サンと、その旦那らしき人の二人が食料品などをカウンターにたくさん持って来た。いつもはあまり見かけない人だと思いつつ、私がレジ打ちを始めようとすると、その赤ん坊を抱きかかえた奥さんらしき人が、「こんにちわ」と言う。
・・・良く見ると、なんとその人は、前出の主婦パートさんその人であった。
しかし、バイトの時は、いつもしっかり化粧しているのに、その日はまるでノー・メイク。まったくの別人とまでは言わないが、日頃の美白のイメージはなく、小柄で痩せているせいかだらしない印象はないものの、実にラフで自然体、そして開けっ広げな雰囲気に、非常に驚かされた記憶がある。
その時、私はこう思った。子育ては大変だと言うが、きっとこの人も、子供の世話にかかりっきりで、自分の顔のメイクなどしている余裕がないのだろう・・・と。
あれだけ日頃は完璧に化粧して、美人美人と持て囃されている身分であるにも関わらず・・・。
否、あるいはそれだけ素の自分に自信があったか、それとも実は結構ヤンキー気質(旦那はトラック野郎風)な人だったから、大勢の人からちやほやされても、それで浮かれたりする様な人ではなかったせいなのかも知れない。
だが、私は悟った。日頃、きちんとあれこれ仕事をこなす人も、だらしない部分を見せない人も、あくまでも自分の許容量に見合った事をしているだけであり(←もちろん、その許容量の大小に関する優劣はあろうが・・・)、その許容量を超えるノルマをこなさなければいけない状況になれば、見てくれ(外見)なんか構っている暇などないはずなのだ・・・と。
だから・・・。
私の自宅の水道や店の電話がしょっちゅう止まってても、着ている服が破れてたり靴下に穴が空いていても、保険料の支払いが滞っているために保険証がもらえず病院にも行けないため体のあちこちがぼろぼろになっていたとしても、お願いだから放っておいて欲しい。
とまあ、それは見苦しい言い訳に過ぎないかもしれないが・・・。
今にして思えば、人から、そして親からも褒められる事が少なかった、我が人生・・・。
人から褒められる事よりも、自分のこころの充足を大事にして来た結果が、この有様。
その挙句、多額の借金や支払いノルマをこなすため、仕事に追われる日々。
もはや、誰のためにも、ましてや人から褒められるためだけに無理に自分のこころを曲げたり、やりたくもない事に対して一秒すらの時間も労力も費やして生きたくはない。
誰にも、他人の人生・・・すなわちその本人にとっての喜びを保障する事など出来やしないし、ましてやそれを理不尽に邪魔をする事など絶対に許されないのだ。
こんな私に残された、わずかな楽しみ・・・。
それは、ライヴハウスへ好きなバンドのライヴを観に行く事くらいだろうか。
ゆえに・・・。
今日はアースダムへ、奇形児を観に行ってきマ~ス!!(^^)/