Mr.エレクトの独り言 「極私的音楽論」①

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「極私的音楽論」①

先人によって作られた音楽作品の素晴らしさに屈服してしまってる人は、大人しくリスナーやってりゃ良いと思うよ。

だけど、「自分ならこうする」とか、「もっと良いものが出来るはずだ」って思った人は、頑張ってみる価値があるんぢゃないの?

「○○みたいになりたい」ってのは、「○○の子分になりたい」って事ぢゃなく、「○○を越えたい」と言う意味で使ってもらわなくちゃ。

・・・別に競争しろって訳ぢゃないけどさ。

更に言えば、結果や成果にではなく、そこに至ったプロセスにこそ敬意を抱くべきであって・・・。

頭や知識で作るから、過去に存在したものから得られる感動を越えられないんだよね。

「言葉」は選ぶのに、「音」を選ばないのは何故か?

音楽ってのは一音一音を最小単位として、それを紡ぎ合わせて作るべきで、現存する「音楽作品」(=完成品)をアレンジするのとは訳が違う。

・・・にも関わらず、まるで服を選ぶかの様に既製品をまとう、消費者(リスナー)みたいなミュージシャンって多いよね。

本来は、糸の種類から選ぶべきなのではなかろうか?

・・・と言うか、それ以前に「動機」なり「衝動」に基づく必然性があってこその話だけど。

そうすれば、たとえ縫い方は従来ある方法を踏襲したにせよ、完成品の形状は既存のものに比べそれほど変らないにせよ、少しはオリジナリティらしきものが芽生えるのではないだろうか。

奇をてらったり、過去にないものを提示したからって、偉い訳ではないのだし・・・。

新たなる感動や快楽、あるいは他人とは異なる自分なりのこころの振動や情景を伝える事が出来なければ、何かを「作ってる」などとは到底呼べまい。

当初は、楽しい気持ちがウキウキしたメロディを紡ぎ出し、悲しい気持ちがセンチメンタルなメロディを紡ぎ出したはずであり、そしてそこにリアリティがあったからこそ、共感を得たり人に感動を与える事が出来たのだと思う。

よって、いくらウキウキしたメロディを用いても、そこに真実味がなければ、それはただ、「楽しい音楽」の形状や雰囲気をコピーしているだけに過ぎない。

本来は、「楽しい気持ち」を伝えたり共有するために、その手段として「音楽と言う手法」を用いたはずではなかったのか?

「音楽」であれば事足りるなら、別に自作曲でなくとも、他人の作った素晴らしい曲をカヴァーすれば済むだけの話である。

それなのに何故、自分で作る必要があるのか?

「選曲のセンス」を自慢したいのなら、その曲を廻すDJにでもなれば済むぢゃない。

こう、何と言うか・・・。

「俺のこの気持ちを伝えたいんだ」・・・とか、「俺でなければ駄目なんだ。」・・・ぐらいの気持ちが欲しいよね。

まあ、それもちょっとばかしウザイけどさ・・・。

何にせよ「音楽」・・・って言うか、少なくとも「歌」ってものが目指すべきものは「究極の自己満足」だと、私はそう思うんだけどね。

(つづく)