Mr.エレクトの独り言 ザ・スターリン③(1982年初頭)
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

ザ・スターリン③(1982年初頭)

そして、通信販売で購入した、スターリンの自主ファーストLP「trash」が、我が家に届いた。ジャケット画は、既にDOLLの広告で見ていたとは思うが、曲名なんかは、「電コケ」とか「スターリニズム」に入っていない曲は、すべて初めて目にするものだった。もちろん、曲なんて「バキューム」しか聴いた事無かった。いきなり「解剖室」に「天上ペニス」に「撲殺」に・・・と、いかがわしくも怪しげな曲名の数々・・・。そそくさと針を下ろす。グワシャ~ン!!と、ガラスを砕き割る様な音・・・。

第一印象、音が悪い、なんだか暗い、スピードが異常に速い・・・。とにかく、何て言うのか、意識的に、聴き手をいや~な気持ちにさせる事を目的としているかの様な、強烈な“悪意”を感ぢずにはいられなかった。「解剖室は空いたか ばらばらになって早くでろ・・・ホラ ホラ ホラ オマエの番だ!!」・・・実家に居て、音がうるさいと注意されたのは、一にも二にも、この曲のみ。「コラコラって、何を怒ってる歌を聴いてるの?」と、階下の母親にインターホンで言われた。しかし、とにかくハマッた。今までに触れたものとは明らかに違った。歌を唄う、音楽を演ると言う事は、理解を求める、あるいは、理解し合うためのコミュニケーションの手段のひとつだと言う、おぼろげに思いこんでいた幻想を打ち砕かれた。これほどまでに聴き手を拒絶する音楽、しかしノイズやアバンギャルドの様に難解では無く、だのに、ここまでストレートに自分の心中に迫ってくるものは無かった。アナーキーもモッズもクラッシュもダムドもピストルズも、皆、何かを訴えかけてはいたが、ジョニー・ロットンも、客を拒絶するまでには至って無かった。背後には、遠藤みちろうの世代に特有の、敗北感、絶望感が関係しているのだとは思うが、前向きなパンクとは、明らかに違う何かがあった。あえて挙げるなら、RCサクセションのLP「シングルマン」には近いものを感ぢるが・・・。

他のものが聴けなくなるほど、スターリンにハマったのは、やはり、その特有の暗さ、孤独感、悪意、憎しみ、絶望感、やけくそな激しさ・・・等であろうか。歌詞に使われてる言葉にも、かなり刺激を受けた。その半年後、スターリンはメジャー・デビューし、アルバム「STOP JAP」が発売される・・・。(つづく)

前年(1981年)の後半、スターリンのTAMが在籍していたチフスのシンが、ガーゼを結成。ハードコア・パンクの登場は、地方にいながらも、DOLL誌によって知った。宝島も買ってたけど、まだこの当時はパンク系の自主制作盤だとか、インディーズ・シーンだとかは、ほとんど取り上げてなくて、地方在住者にとって、DOLLは唯一の情報源、まさしくパンクのバイブルだったのだ。