Mr.エレクトの独り言 「ドロ沼」(サイキ~奇形児~シスター・レイ)
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「ドロ沼」(サイキ~奇形児~シスター・レイ)

「ドロ沼」とは、先日、スモーキンブギにて行われた奇形児のライヴにて1曲目に演奏された曲であるが、これは新曲ではなく、サイキ(奇形児結成前及び、2000年前後にも再結成して活動していたバンド)時代のレパートリーであるとの事。

しかし、「おまえの金色のシャワーを俺にかけてくれ」と言う歌詞のフレーズには聴き覚えがあり、確かシスター・レイ(奇形児解散後にヴォーカルのヤス氏が結成したバンド)時代のライヴでもやってたはずだよな・・・と思っていたのだが、本日、自宅にて発掘したライヴ・テープを久々にチェックした所、やはりこの時期にも演奏されていた事が判明した。(「金色のシャワー」の意味が解らない人は、パパかママに質問してみてね。)

ただし、シスター・レイは奇形児とは違い、かなり洗練されてスッキリとしたサウンドのバンドであったため、そのインパクトは奇形児やサイキのものと比べ、いくぶん薄められた感は否めない。

・・・とは言え、シスター・レイ時代に演奏されたテイクを改めて聴き直してみたが、やはり同日のライヴにおいても極めて異彩かつ出色の出来栄えであると思わされる程の抜きん出た迫力を、この曲は放っていた。

ところで、今回行われた奇形児のライヴに於いて演奏された同曲のどこに私が感銘を受けたのかと言えば、一にもニもなくその歌詞の内容になのであるが、キンタマがどうのこうの・・・と言った一般的には下品とされる言葉をストレートに用いた部分ではなく、「愛してるって叫びながら お前を見たら まるで馬鹿者の様に 鼻の穴を広げて」・・・と歌われる部分の、特に後半の「まるで馬鹿者の様に 鼻の穴を広げて」・・・の箇所に尽きるのだ。

何と言うのか、「そこまでリアルに歌うか!!」・・・としか言いようのない、その身も蓋もなく露骨過ぎる描写。こう・・・踏み込んではいけない領域と言うか、思わず目を覆いたくなる自分の醜い姿や人間の本性を、まるで鏡を目の前にかざして無理矢理見せ付けられているかの様な・・・。

もっとも、そもそも奇形児と言うバンド自体がその禁忌的なバンド名同様、多くの人が目を背けたがる人間が持つ負の一面・・・すなわち自己の病んだ精神状態であるとか欲望に塗れた卑小なこころの在り様を、意図的に、しかもことさらに曝け出して見せつける事が目的であるかの如き存在であった訳なのではあるが・・・。

ゆえに、そう考えると、再びこの曲を演奏レパートリーに加えたと言う事は、歌詞を作って歌うヤス氏自身の表現行為に対する姿勢が初代サイキの時代から一貫して不変である事の証明でもあり、そして何より、今一度その原点に立ち返る事を表明するための選曲であったとの見方も出来よう。

また、誤解を解くために言っておくが、奇形児が自虐的と称される所以は、歌詞の内容や音楽以前の実生活がそうであると言うのではなく、「あの様な歌詞を作って歌う」その行為そのものがイコール「羞恥プレイ」とでも言うか、殆どの人間が終生ひた隠しにする様な己の恥部や劣等感の根源を自ら進んで露出し曝け出さんとする、過剰なまでに明け透けなその吐露行為自体を指しての事なのだ。

そして、そう考えると、奇形児の「奴隷志願」、そしてその続編とも呼べるシスター・レイの「もっと愛して」の歌詞からも伺える通り、いずれの作品も自らを生贄に差し出すも受け入れられない(=愛されない)事に対する報復めいた恨み辛みが主題となっており、その点からもヤス氏の本質的なパーソナリティは、単に自虐的と言うよりは攻撃的なマゾヒズム、あるいは屈折したサディズムとでも呼ぶべき性質のものであると考えられる。

実際、先日のライヴ終了後、会場のスモーキンブギに於いて再結成サイキ時代の「ドロ沼」のライヴ音源を聴かせて頂いたのだが、ヒロシマ氏のへヴィなドラム及びバンド全体のダウナーな演奏が醸し出す重苦しい雰囲気とも相まって、「これはもはや、いやがらせ以外の何物でもないな・・・」(←もちろん誉め言葉)と言うのが、私の率直な印象であった。(^^;)

だが、まるで聴く者をそのタイトルの通りドロ沼に引きずり込まんとするかの如き負の情念に満ちたこの楽曲が、私にとっては「いや」でもなければ苦痛でもないどころかむしろ大好物であり、この曲を聴く度に何故だか「イヒヒヒヒ・・・」とこころの奥底から込み上げてくるサディスティックな笑いをこらえきれず、それにも増して、ここから得られる快楽やカタルシスたるや半端な量ではないと言う事も、正直に告白しておこう。

それにしても・・・。嘘臭い建前を並べるご立派な人間や善人づらした偽善者が溢れ蔓延るこの世の中において、ここまで真に迫ったリアリティと真実味を兼ね備えた切実極まりない楽曲が他にあろうか・・・。

私が音楽に求めるものとは、音を組み合わせる事によって得られる楽しさや心地良さでもなければ音楽的充実度や完成度などでもない。

そこに居る一人の人間の姿や生き様、そして美意識や価値観が誠実かつ精密に具現化された「生き写しの度合い」こそが最も重要なのだ。

要するに、私にとって音楽を聴くと言う行為は、「自分以外の誰かの、その人間の魂に触れる」・・・と言う行為以外の何物でもないのである。

よって、私・・・。現在まさしく「ドロ沼」にハマりまくってる真っ最中なのでありマス。(^^)