Mr.エレクトの独り言 「おじさんへの手紙」②

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「おじさんへの手紙」②

★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。

(①のつづき)

確か、「~IN CONCERT」と題されたその30分のテレビ特番で、動くおじさんを初めて観たんだったろうか・・・。そして、その後も綿密な諜報活動の甲斐あって、広島でも極短期間に深夜に放映されてた「ジャム・ジャム’80」での「唄の市’80」(←その日は電気楽器を一切使用しない企画だった)での「エネルギー~」や即興みたいな「イカ」だとか、土曜日の4時とかにこれまた広島では極々一瞬しか放映されてなかったと思われる(その日しか観た記憶無い・・・)加藤和彦司会の「アップルハウス」って番組で、もう「ボス~」発売後であるにも関わらず「雨あがり~」をスタジオで演奏してるのを観たり。もちろん全部ラジカセで録音したけどね。雑誌に掲載されていた記事を切り抜いてインデックス・カードにしたりして・・・。
RC2

それにしても、その年(’80年)の大躍進ぶりはすごかった。6月に「RHAPSODY」が発売され、8月には「シングル・マン」が再発され、年末にトランジスタ・ラジオ~アルバム「PLEASE」が発売される頃には、もはや音楽雑誌で記事を見かけないって事はなくなって・・・。翌’81年4月にはブレイク後初めて、「Please Play it Loud」って題されたツアーで広島にも“来日”。見真講堂ってホールで行われたそのコンサートを観に行くために、ぼくは友人と朝から楽器屋に並んで(←当時はたいていそうだった)チケットを買いに行ったよ。
RC3

ところで・・・話戻って、あれは高校に入りたての頃だったから’80年の4月か5月だったろうか。ある音楽雑誌に、珍しく割と長めのインタビューが載ってて、そこで初めて、ぼくはステージを降りたおじさんのシャイ過ぎる程の普段の性格を知った。あんなにパワフルに歌ってるのに・・・と、そのギャップには正直驚かされた。だけど、その記事を読んで、ぼくはますますおじさんの事を好きになったんだ。

だって、ぼくも人見知りで内向的なこどもだったからね。しかも虚弱体質のくせに天邪鬼と来てる。そんなぼくが、ステージに上がるや超エネルギッシュで、人に何かを伝えようとする時に発する熱量が半端でなく、しかも世間に対する皮肉たっぷりの辛辣な歌詞を書くおじさんが、実はとってもシャイで口数少なく大人しい人だって知った時に抱いた、その親近感たるや・・・。

それ以前には甲斐よしひろが好きで、その他にもラジオや音楽雑誌で知ったアナーキーとかリザードとかフリクションも並行して好きだったし、その後にもモッズ~スターリン~ハードコア・パンクと、音楽の好みはどんどん刺激的なものばかり求める様になるんだけど、あの頃はホント、おじさんの事が大好きだったんだよ。何せ、コピー・バンドまでやってた程だからね。

・・・と言うか、あの時期。・・・今考えれば、ほんのある一時期かも知れないけれど、おじさん以外に、ぼくには好きだと思える大人が一人もいなかった。

そりゃ親も兄弟も友達も居たさ・・・。だけど、ぼくにとってはぼくを抑圧する存在でしかなかった実の父親は、嫌いだとか怖いだとかを超越し過ぎてもはや居ないも同然と言うか、自分の意識から抹殺する以外に、ぼくが生きていく術はなかったし・・・。

みんな嫌いだった。すべてが憎かった。実の家族でさえも・・・。どうしてぼくだけ、考え方や好みがみんなと違うってだけで、こんなにまで孤独な気持ちを味合わなきゃいけないんだ・・・。そりゃ精神力や体力は全然ないくせに食べ物の好き嫌いは異常に多いし、口を開けば不平不満や屁理屈しか言わない、どうしようもない奴だったけどさ。

だからあの頃・・・。今思えば、若き日に陥りがちな熱病に過ぎなかったも知れないけれど、ある一時期、ぼくには好きな大人・・・そしてぼくが憧れる様な生き方をしてる人間が、その頃ぼくの知りえる狭い世界の中ではおじさんしか居なかったし、実の父親には申し訳ないけど、ぼくにとっては実の親以上の存在だったんだ。

ぼくに、ぼくみたいな人間の使い方を、こんなどうしようもないぼくを、この世で生かす方法を教えてくれた・・・。

本当に・・・。本当に大好きだった!!それこそ夢中だった!!ぼくの小さな人生のすべてだった!!

「勇気づけられる」ってのは、おそらくこう言う事を指して言うんだろうね。

だけど、今はもう大丈夫。ぼくは誰の力も借りず、自分独りの力で生きていく事が出来る様になったからさ。・・・あ、いや、お金はまた誰かに借りるかも知れないけど。(^^;)

ぼくが大学に進学もせず一度も就職しなかったのは、間違いなくおじさんと出会ったせいだよ。もっとも、いずれにせよ“出来なかった”かも知れないけどね。

おじさんのやってる仕事、特にあのバンド解散以降の活動には正直興味はなくなったけど、テレビや雑誌で見かけた時には、「あ~あ。あんな着ぐるみなんか着ちゃって、相変わらずしょうがね~な~、あのオッサンは・・・。」なんて思いつつも、「まあでも、あのサーヴィス精神と言うか、お調子モン的な悪ふざけは昔からだもんな・・・。」なんて思って横目で見てたよ。

そんなおじさんの派手で人騒がせな表面的(と言うか対外的)な部分や、子供が生まれてからの表現形態の著しい変化についてのぼくの考えは、また今度述べさせてもらうけど・・・。

そんなに急に居なくならなくったっていいぢゃん。いつも当たり前の様に、そこに居ればいいぢゃん・・・。またどっかで何かしょ~もない事やらかしてさ。これからも、そしてこの先もずっと、ぼくを呆れさせ続けてくれよ・・・。

あんたの代わりを、一体、他の誰が出来るって言うんだ。

いいトシして、しわくちゃの顔にメイクして、相変わらずクレージーでド派手な格好してさ。

おじさんの事を知らない子供や、まったく興味の無い人からすれば、ただの人騒がせな、“変なおじさん”・・・。

でも、ぼくにとっては・・・。

ぼくの好きなおじさん。

ぼくの大好きだったおじさん!!

(つづく)
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