★この手紙は、あるおじさんへの、そして自分の人生に対するケジメとして、中学生に戻った気分で書いておりマス。
(③のつづき)
おじさん・・・。自宅から密葬会場へおじさんを運ぶ時、雨上がりでもないのに空に二本の虹が出たんだってね。これはすごく珍しい現象で、多くの人に慕われた人がいなくなる時にだけ起こるとの謂れがあるんだとか・・・。石原●次郎の葬儀の時にも出たらしいね。でもこれは不思議な事でもなんでもなくて、おそらく本当に本当に大勢の人が泣いたから、それで空気中の湿気が増えちゃって、まるで雨上がりの様な気象条件が生まれたんぢゃないかな?おじさんどう?この実に科学的な推理?(^^;)
ところで、晩年のおじさんを振り返ってみて、ぼくはこう思うんだ。おじさんは、「発する事」を一生懸命やった上で「伝える事」に心血を注いで、それが報われたからこそ、そしてそうやって目的に向ってまっすぐ生きてきたからこそ、更にその次の段階である「世の中に恩返しする事」を本心から行える人間になったんぢゃないかって。なかなかその境地に達する事の出来る人は少ないんだよね・・・。
「発する事」だけで精一杯な人は、外にエネルギーを放出するだけでその見返りがないから、感謝のしようがない。
「発する事」すなわちやむにやまれぬ情熱や切実な創作動機もないのに、「伝える事」だけに労力のすべてを注ぎ込んでいる様な人は、元より人からもらうためにやってるんだから、何かを得てもそれは当たり前の事に過ぎない。・・・まあ、ある意味それはプロフェッショナルな仕事なんだとも言えるけど・・・。
「世の中に恩返しする事」が出来る人ってのは、人に対して本当に感謝する気持ちがなければ出来ない事だと思うよ。あと、“使命感を持って生きてる人”とでも言うのかな?
・・・とは言え、ぼくは未だに、「発する事」しか出来ない様な人間として偏った不器用な人の音楽も大好きなんだけどね。「シングル・マン」の頃のおじさんみたいな・・・さ。
嘘偽りない作品作りをする事を第一義とせずに、ただ表面的な形式だけを拝借して「伝える事」のみにやっきになって技術や装飾のみに比重を置いてる様な音楽は好きぢゃない・・・て言うか嫌いなんだよ。
そう言えば、こないだ数年前のおじさんのインタビュー映像を観たんだけど、おじさんはこんな事を言ってたね。
「十代の頃に受けた感動ってのは人生を左右する程大きくて、結局大人になってもまた再びその感動を求める様になる。歳くった奴らはみんないつも、RCを再結成しないのかなんて事ばかり聞いてくるんだ。だからこれからは十代の子達に向けて、こんなやり方もあるんだよって事を教えてあげたいんだよね。」
・・・と。(あいまいな記憶で書いてるから若干間違ってる部分もあると思うけど、ニュアンスは伝わるよね?)
それをこれまた、おじさんがとっても悲しそうな顔して言うんだよね。何て言うか、常に新しい事に挑戦したり悪ふざけをして遊べる大人がどんどん減ってく・・・みたいな・・・。
そのインタビュー映像を見て、なるほどなと思ったよ。それまでは、子供が出来た嬉しさで浮かれちゃって、そんな子供向けの歌ばかり作る様になったのかなんて思ってたけど。
確かに、今の世の中を変える事が出来るのは、ぼくらの様な疲れきった大人や夢をあきらめた人ぢゃなくて、未知な可能性を秘めた子供達だからね。その子供達に、楽しみながら人に対する思いやりとか色んなものを学ばせるのに、音楽を聴かせるってのは素晴らしいやり方だと思うよ。
あの頃のぼくにも色んなやり方、特に、こんなぼくが世の中と上手く関わって行くための方法を教えてくれたし・・・。
ここ数日、しばらく疎遠だった最近のおじさんの歌を聴き直してみても、すごく前向きなエネルギーに満ち溢れてるんだよね。しかもそのエネルギーを人にも伝えたいって言うか、夢や希望みたいなものを決して押し付けがましくなく、みんなにあげたいんだって思いがひしひし伝わってくるし。きっと、おじさんには本当に感謝の気持ちがあるからこそ、何の躊躇もする事なく「世の中に恩返しする事」を自らに課す事が出来たんだよね。
だって、嘘っぽいものって、やっぱ解っちゃうもの・・・。
そんなおじさんの、太陽みたいなまぶしさ、そしてその無限のやさしさが、ぼくには何だか照れくさくて、素直な気持ちで見る事が出来なかったのかな・・・なんて。
しばらく子供の頃の自分に戻って、おじさんの事いっぱい思い出しちゃったよ。
だけど、そろそろ仕事に戻らないと・・・。
これを書き終えてしまったら、それが本当のお別れになってしまうのかと思うと、書き終えるのが本当はつらいけど。
だから、さよならは言わない。
おじさん・・・。
そんぢゃあ、またね!!
(^^)/