Mr.エレクトの独り言 天才論③「天才と天然の違い」

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自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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天才論③「天才と天然の違い」

天然とは、生まれつき魅力が備わった者の事を指す。

ただし、ここで言う“魅力”とは、社会的なもの・・・すなわちその地域や時代においてのみ通用する価値観においての・・・と言う意味においてではなく、ある特殊な場面においてのみ通用し得る、もしくは明らかに少数派に属する特殊な才能なり特長を備えていると言う意味において・・・である。

よって、その魅力なり特色が社会的に有益なものであるかと言えば、必ずしもそうではない。

また天然と称される者の特色として、自己の特殊性や希少性について、本人は割と無自覚かつ無頓着である場合が多い。

その理由としては、そもそも彼らの魅力自体が、ある意味他者からの評価に左右されない・・・と言うか、他者からの評価とは無縁である所から育まれたものであり、悪く言えば社会と関わらない事によってのみ保たれる性質のものであると言う点が挙げられる。

・・・とは言え、まあそれもむべなるかな。何故なら、彼らは良くも悪くも見世物小屋のスターであり、ある種のフリークス(奇形種)ゆえに、どこへ行ってもその価値や才能が認められると言う訳ではなく、むしろ場合によっては差別や迫害を受ける可能性も十二分にあるからなのだ。

さて、それでは天才とは如何なる存在かと言えば、彼らもまた、決して生まれつき社会的な価値や権力を備えている訳ではない。そしてまた、彼らは天然と呼ばれる人種とは異なり、生まれた時から既に天才だった訳でもない。

生まれつき持ちえた才能を魅力(←それは時に差別や迫害の対象ともなり得るが)とする天然と天才との大きな違いを挙げるなら、彼ら天才と呼ばれる人種の殆どは、その成長過程において無条件に存在価値を認められた事がないか、もしくは社会における自身の置かれた立場を強く自覚する事によって、生まれつき備わった能力や姿のままの自分で居る事に耐えられず、自らを進歩成長させて行かずにはいられない性質を持った生き物なのだ。

本当にただ狂ってるだけの人間ならともかく、もしも彼らに、天然と呼ぶべき希少価値あるいはこの世を充分に謳歌出来るだけの社会的価値(=時流に則した魅力、経済力、地位等)が備わっていたとするならば、おそらくは生きているうちに何かを成し遂げなければならない・・・などと言う切迫した考えや義務感など微塵も抱きはしなかったはずである。

そう言う意味でも、彼ら天才と呼ばれる人種は、あくまでも社会的な価値観の下において、生まれついたままの自分は劣っているのだと言う劣等感や原罪意識を克服するために自らを進化させて行く生き物であり、あるいはある特定の目的にのみ過剰なまでのエネルギーを注ぐ事によってしか自分が生きている意義を確認出来なくなってしまった、ある種の障害者でもあるとも言えるのだ。

まあ要するに簡単に言えば、生まれつき、もしくはある時期までに自分の価値なり存在を社会なり誰かから充分に認められている事を認識出来た人間は、何ら特別な努力をせずとも、ただ生きているだけで幸福感や充足感を得られているのであろう・・・と推測されるのである。

そう考えると、皆こうして同様に人間として生まれながらも、天然、天才、一般人、凡人と、その生き方なり種類が枝分かれして行く理由には、本人が生まれつき持ち得る特質なりその後置かれた生育環境はもちろんの事ながら、自己と社会との関係性なり関わり方が非常に重要なウェイトを占めているのだと言う事実が、厳然と浮かび上がってくるのであった。

(つづく)
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