Mr.エレクトの独り言 天才論④「天才の定義」
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

天才論④「天才の定義」

一応、解説しておくと・・・。

私の言う天才とは、例えば全国統一模試を行った場合に平均点65点の所を95点以上取れる人だとか、走り幅跳びで何メートル以上跳べる人だとか、作品なり表現なりを世の中に発表して大多数の支持を得ている人だとか・・・と言う意味においてではない。

否。もちろん、その人達も充分に天才の仲間入りをする可能性を持っている。

しかるに、私が天才と呼びたい人物とは、まあ解り易く言えば、生まれついた時に持ち得る能力や実力から比較して、その後自分をどれだけ進歩させる事が出来たか、その差異が異常なまでに激しい人の事を指す。

ただ、ここで見誤ってはいけないのは、例えば日本舞踊の立派な家柄に生まれ育った者は、遺伝によってもたらされた本人の資質と言うものがあるのか否かと言う点を差し置いても、少なくとも一般の家庭に生まれた者と比べ、その生育期間において芸を習得する機会や環境における貧富の差が歴然としてある・・・と言う点に関してである。

よって私は、生まれつき持つ自分の資質以外の、家柄であるとか親の資産であるとかと言った、言わば本人自身の努力以外の、本人の成長を後押しするそれらの要因を、乗り物に喩えたい。

すなわち簡単に言えば、こう言う事である。親に金やコネがある者は生まれつきスポーツ・カーに乗ってる様なもの。その逆に貧しくて勉強する暇もなく学生時代バイトに明け暮れるしかなかった者は自転車。(・・・とまあ、一概にそうとも言い切れない場合もあるが、あくまでも喩えとして・・・。)

そして、一方はスポーツ・カーに乗り、一方は自転車に乗り、それぞれがそれぞれの目的に向って一時間進んだ場合に、どれだけ遠くへ移動を出来たか?・・・と言う点をただ単純に比較するのではなく、一方は時速50キロのスポーツ・カーで出発点から50キロ、後者は自転車を自力で漕いで30キロしか進んでないとしても、その距離の長さだけで優劣を判断すべきではないのではないか?・・・と。

更には、これもあくまで例え話ではあるが、病弱な人間がスポーツ・カーに乗る場合と、健康優良児が自転車に乗る場合を考えれば、更に比較は難しくなる。

・・・とは言えもちろん、それが料理であったり音楽であれば、美味しかったり人を感動させ得たりと、その最終的かつ表面的な結果のみをジャッジの対象とすべきであると言う事は重々承知の上だ。

しかしそれはまた、消費者なり音楽リスナー、すなわち受動的に物事の良し悪しを検討するしかない人達が下すべき判断である。

ゆえに、私はやはり、生まれついての才能なり環境と言ったスタート地点における差異なりハンディ・キャップを踏まえた上で、あくまでもその本人がそのスタート地点から自己の能力をどれだけ伸ばし成長させる事が出来たか?と言う、その努力の度合いと言うか、流した涙と汗の量でそれを推し量りたいのだ。

要するに、私が言う「何事かを成し遂げた」と言うのは、その結果がもたらした社会や他者に対する影響度よりも、その人物自身の人生における一大革命の度合い、もしくはその分量を指しているのである。

そしてまた、それはおそらく私の願望でもあるのだろう・・・。

「例え立派な結果は出せなくとも、俺がどれだけ努力したかって事を、この世の中の誰か一人くらいは知っておいて欲しい」・・・との。

(つづく)