Mr.エレクトの独り言 進歩的愛国主義論(追記/補足アリ)

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自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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進歩的愛国主義論(追記/補足アリ)

先日、「私は愛国主義者でも排他主義者でもない」と述べたが、今回は前者について解説をば・・・。

思うに、基本的に私は「愛国者」である。ただ、その際に用いられる“国”とはあくまでも“国民”であり、“国家”に対してではない。

そう言う意味においては、私の“国家”に対する思いは“憂国”的な意味合いに近いものではなかろうかと思われる。

また、もし仮に私が広い意味において“愛国主義者”であったとしても、“「愛国主義」信奉者”では有り得ない。

ここ数日、ネット上で色々な意見を読み漁ったが、大雑把に言って80パーセント共感出来るものがあったとしても、100パーセント同意同調出来るものはなかった。

・・・否、それで当然である。

100パーセントの同意や同調などと言うものは既存の思想に対する依存に過ぎず、それこそがまさしく、人々から自分で考える意志を奪い、思考停止をもたらす悪癖であろう。

例えば、自衛隊を軍隊にするだとか日本も核武装すべきうんぬんと言った考え方に対し、これまで私は「この人達は、なんでそんな物騒な事ばかり言うんだろうか・・・」との思いを頑なに抱き続けていたが、現在「これはやはり一度は再考してみるに価する事柄ではなかろうか」と、その考え方が若干変って来た。

・・・ただし、まだまだ知識不足ゆえ発言する段階ではないと考え、(新しいアイデアは“不足”から生まれ得るゆえ、それはそれで良いと言う見方もある事を踏まえた上で、)今回は割愛するが・・・。

あと、てんのうせいに関しても思う所多々あるのだが、少なくとも日本の文化やアイデンティティが滅亡の危機に晒されている現在、これを廃止してしまうのは、国民の結束力の源と言うその存在意義においても非常に危険な事であろう。

しかし遠い将来、我々日本国民が本当にてんのうへいかやこうぞくの方々を敬う気持ちがあるのであれば、いずれはあの方達を日本国の象徴と言う特殊にして不自由な身分や公務から解放して差し上げる必要があるのではなかろうか?・・・とも。

もしくは、その反対にあくまでもてんのうせいを継続して行こうと言うのであれば、“国益”と“地球及び人類の平和”を維持する事を前提とし、それらを政府や自衛隊等が保持する権力や武力の不正な行使によって脅かされそうな時には、それを牽制するための“発言権”くらいはお持ち頂いてしかるべきではないか・・・と。

要するに、現在の様なお飾り・・・否、むしろ悪政に利用されかねない立場ではなく、むしろ国家の在り方を健全に保つためのお目付け役として存在した方が、今よりもっと国民からの信頼と尊敬を得られるであろうし、我が国にとっても有益な事なのではなかろうかと思うのだ。

そして更に言えば、愛国主義者=保守派であると言う考えが、どうも私には腑に落ちないのである。

国家なり国民を愛すると言う事は、もちろんそれらの良い所を愛し慈しみ後世まで護り伝えていく事であろうが、悪い所には目をつぶったり放ったらかしのままで良いと言うのでは、ただの懐古主義もしくはナルシシズム(自己愛)に過ぎず、更には国粋主義がエスカレートして全体主義に向かう危険性も孕んでいる気がしてならないのだ。

よって、無批判かつ無思慮な“愛国心”ではなく、あくまでも“憂国者”的立場に基づいて述べさせて頂くならば、愛国主義=保守的ではなく愛国主義=進歩的とし、良い所は残しつつも悪い部分は改善して行く事こそが、本当の意味で自国を愛していると言う事の証明ともなり、他国から賞賛や敬愛を得られる事に繋がり、それらが結果的には、我が国に“国益”をもたらす事にも結びつくのではないだろうか。

少なくとも、ただ金をばらまくだけの政策では、民度の高い人々からの尊敬など決して得られる事はないだろう。

<追記/補足>実際は、一口に“保守”と言っても、それはあくまでも急激な変革に反対する事であって、必ずしも現状維持する事のみを指すのではない・・・との事。


★色々と偉そうな事を書き連ねてしまいマシタが、これらはすべて日本と言う国を愛し、その将来を憂うがゆえの暴走であるとの意をお汲み頂き、平にご容赦の程。m(_)m
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