権力を持つ者には責任が伴うべき・・・と、良く言われる。
・・・であるにも関わらず、何かおかしい気がしてならない。
権力を、より良い国家を建設するためのハンマーに例えれば・・・。
民主主義国家であるならば、国民からハンマーを受け取ったと言う事は、すなわち権力を一旦預かったと言う事なのであるからして、そこには自ずと責任も生じるはず。
よって、意図するしないに関わらず、そのハンマーでより良い国家を建設するどころか、そのひとかけらなりを誤って壊してしまった場合は、きちんと責任を取らなければいけないのではないか?
つまり、権力・・・すなわち国民から一旦預かったハンマーを返上する事だけで、果たして責任を取ったと言えるのであろうか?・・・と。
一旦預かったハンマーを返上するって事は、要するに単なるプラマイゼロ。
それ以上(以外)に何らかの罰を受けるなり、何かを失うのであればまだしも・・・。
・・・とは言え、もちろん名誉や名前にいくばくかの傷はつくのであろうが。
一旦預かったものを返すだけ?
返された側・・・すなわち国民に残されるのは痛手のみ・・・。
民主主義ゆえ、その人物を選んだ多数の国民自身が悪いのだと言う言い方も出来るが・・・。
もしその論法が正しいのであれば、離婚後に慰謝料を請求する事もやめて頂きたい。
何故なら、これは言うまでもない事であるが、結婚相手を選んだのは誰でもない自分自身なのだから。
要するに、選んだ責任を問うのであれば、それと同様に選ばれた責任と言うものも問われるべきだと、私は思うのである。
そもそも、民主主義国家においては国民に主権があり、政治家は国民からその権力を一旦預かっているだけに過ぎないのだから、責任を持つのは当然の事。
国民から権力を一旦預かる事に対する責任を持つ覚悟すらない者に、立候補する権利を与えて良いものか?
・・・否、元はと言えば、権力のみならず多額の報酬も保障されていると言うのに、失策に対しては何らペナルティが与えられる事のないその不公正な構造自体に問題があるのではなかろうか?
有権者が誤った選択をしたために、有権者自身が不利益を被るのは仕方ない。
ならば、選ばれる側にも同等かそれ以上のリスクがなければ、いつまで経っても「騙される方が悪い」と言う理屈がまかり通るのではないだろうか。
確かに、「騙される方も悪い」かも知れない。
しかし、「騙す方はもっと悪い」はずであろう。
例え、「世の中はそんなもの」だとしても・・・。
いつまでも「そんなものが通用する世の中」で、本当に良いのだろうか!?