Mr.エレクトの独り言 広島パンク~ハードコアの歴史③

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

広島パンク~ハードコアの歴史③

さて、まずは、筆者の音楽体験から、当時の状況を説明しよう。

筆者は、中学2年で甲斐バンドにはまり、歌謡曲~ニュー・ミュージックから、ロック寄りに嗜好が変化していく訳だが、中学3年の1979年後半頃、ロック雑誌なるものにも興味を持ち始め、確か、“ROCK STEADY”誌にて、ゴジラ・レコードや東京ロッカーズなどを知り、1980年初頭のNHK-FM「サウンド・ストリート」でRCサクセションのスタジオ・ライヴをエア・チェック(←ラジオ放送等を録音する事)し、RCサクセションにハマり、アナーキーもその頃、雑誌で知ったのかな?そして、五日市高校に進学。アナーキーからクラッシュを、そしてセックス・ピストルズを知り、パンク・ロックなる音楽ジャンルを大いに意識し始める事となる。

そして、1980年。高校1年の時に、同ぢクラスのタニより、「わしの友達にも甲斐バンドのファンがおるで~」と、紹介されたのが、タニ同様に廿日市中学出身で、別の高校に通っていたヤブキ(後に自我に加入)であった。その後、ヤブキとは、共にパンクにのめり込み、一緒にバンドをやったりと、同級生のタニよりも親しくなって行く・・・。

その頃、別のクラスでは、やはり廿日市中学出身のコモリ(’94年頃、マリア観音に加入~現在脱退)と、玖波中学出身のナカガワが出会っている。

高校1年時のトピックスと言えば、テレビ神奈川「ファイティング’80s」が、何故か広島でも深夜に放映されており、少なくとも1980年の後半か、1981年の初頭には、同番組レギュラーであった“THE MODS”を知り、すぐに好きになった。しかし、当時は、自宅にまだビデオ・デッキが無く、録音しか出来なかった事が悔やまれる。(この辺の年代は、後日調査し、訂正するかも。)

そして、高校2年に進学し、筆者とナカガワが同クラスになり、1981年5月に行われた文化祭にて、本来ギタリストであるナカガワがベーシストとして参加したバンド、“牙”を観る。これは、高校生にありがちなハード・ロックのコピー・バンドであった。更に、そのしばらく後、コモリが中心となり、ナカガワ、ヤブキ、タニ他、すなわち廿日市中学~五日市高校の人脈を中心とした、“SOUND PACKED FAMILY”なる団体による自主コンサートが、五日市中央公民館で行われた。これは資料が残っていないが、筆者自作のファミリー・トゥリーから推測するに、ヤブキ(当時はギタリスト)、タニ(B)他による“BEM”(子供ばんど、ジョニー、ルイス&チャーのコピー?)や、コモリ(Vo・Key)、ナカガワ(ヘルプB)、ヤブキ(ヘルプD)、イイダ(G)による、“ステンドグラス”(イエスやレッド・ツェッペリンのコピー?)が出演したはずだ。これは、高校生のみによる自主企画のコンサートと言う意味で、非常に高く評価出来るものであろう。ただし、残念ながら、出演バンドは、ほぼすべてコピー・バンドで、それも、パンクのパの字も無いと言う状況であった。しかし当時は、それが普通だったのだ。稀にオリジナルをやるバンドがあっても、社会人や大学生による、抒情派フォークに毛の生えた歌詞に、ドラム含むロック・バンド編成で伴奏をつけると言ったレベルのものが殆どだったのだから。

★当日のチケット。
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パンク・シーンどころか、パンク・バンド誕生にも、まだ遠い、1981年夏頃の事である・・・。

(つづく)

★ちなみに、ステンドグラスのイイダは、東京で、京本政樹氏の実弟とデュオを組み、ギターを弾いていると、十年くらい前に聞いたが、今は音沙汰が無い。